2014年4月28日月曜日

リニアと原発

橋山禮治郎『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』集英社新書

本間龍『原発広告』亜紀書房

linear.jpg・リニア新幹線が実験段階から実用化に向けて動き出したようだ。僕の住む山梨県には実験線があって、新幹線のルートになっているから、ニュースではよく話題にされている。おかしいのは、駅ができたら山梨がどう変わるかといった夢のような話ばかりで、そもそも、こんなものがなぜ必要なのかといった議論がほとんど起こらないことだ。

・『リニア新幹線』は、問題点を完結にわかりやすく指摘している。まず、東京・大阪間を1時間で移動する必要性がどれだけあるかということ、そのために、南アルプスをぶち抜くトンネルを作ること、ルートの7割以上がトンネルで、場所によってはかなり深いところを走ること、乗客はもちろん、沿線住民が強い電磁波にさらされること、そして原発数基分の電力が必要であることなど、リニアは実際、無意味で危険なことこの上ない鉄道なのである。

・JR東海はこの新幹線を国の援助を仰がずに自力で作るという。けれども、実際に収益が上がるのかどうかについても疑問があるようだ。輸送力の増強というけれども、東海道新幹線の乗車率は、現在6割程度で、けっして満杯状態ではないから、リニアができれば、赤字路線に転化してしまうようだ。東海地震が起こったときの輸送経路を確保するといった理由もあるようだが、両方だめになる危険性を想定するのが賢明なのは明らかだろう。

genpatu.jpg・こんなに問題があるのに、なぜ、メディアは大きく取り上げないのだろうか。そんな疑問を感じながら、もう一冊、『原発広告』を読んだ。原発は電力会社が独自に必要性を自覚して開発したのではなく、国が積極的に推進したものだった。地域独占なのになぜ、テレビや新聞に膨大な費用を使って広告を出し続けてきたのか。それによって、メディアはどんな態度を取り、世論をどのように操作し続けてきたのか。この本を読むと、その露骨な情報操作の歴史がよくわかる。

・原発広告は大きな事故やトラブルがあると静かになり、そのほとぼりが収まると、以前にも増して大がかりになる。そのくり返しで、3.11前までに総額で4〜5兆円が費やされてきた。著者はその狙いが、国民の洗脳とメディアの懐柔にあったと断言する。安全であること、温暖化を抑え、資源を浪費しない環境にやさしい電力であること、低コストであることなどを専門家を使って説明し、タレントを使って、便利で豊かな暮らしに不可欠であることを吹聴してきた。本書を読むと、その情報操作の露骨さに改めて驚かされる。

・もちろん、メディアへの巨額な出費は、メディアによる原発批判を抑える役割も果たしてきた。その効果が、原発事故後のメディアの腰の引けた東電批判にまで及んでいることは言うまでもない。新聞もテレビも、原発について、電力会社との関係について、反省はもちろん、振り返って検証する姿勢すら見せていない。

・リニア新幹線は全国的にはほとんど話題にならず、したがって議論も起こらずに、工事が始まろうとしている。この静けさは奇妙である。動かすためには原発の再稼働が不可避になる。それは地理的にも浜岡原発以外にはあり得ない。列島を貫く大断層であるフォッサマグナにトンネルを掘ることなど、危険性は数知れない。そもそも、これから人口が減少し、経済的にも成長は望めない日本に、こんな鉄道がなぜ必要なのだろうか。

・工事がいつの間にかはじまり、本格的になった頃に、リニアには原発が必要だといった宣伝が大々的に行われる。大きな地震がなければ、原発の再稼働も本格化する。この2冊を読んで、そんな悪夢を想像してしまった。

2014年4月21日月曜日

消費税と高速道路

 


・消費税が上がったことを実感したのは、ニュージーランドから帰国して、成田から河口湖まで車で帰宅したときだった。料金所を通過するたびに今までより高い値段が表示されることに気づいたからだった。一番の驚きは通勤時間帯の割引で半額のはずなのに、正規の料金が表示されたことだった。八王子=河口湖間は950円なのに1970円と表示されたのである。

・帰ってJHのサイトで確認すると、通勤割引は5回以上使うと3割引で10回以上で半額になるとなっていた。平日の昼間は今まで3割引だったが、それも廃止になったのである。これでは通勤費が倍増してしまう。増税に伴って、当然ガソリンも値上げされた。リッターあたり10円近くもあがって160円前後で売られている。これほどに露骨であくどい便乗値上げがこれまであっただろうか。通勤で高速道路を利用している者にとっては、これはとんでもない値上げだが、そのことについてのニュースはほとんど聞かなかった。

・影響は交通量に如実に現れた。朝の中央高速道路は、深大寺付近の登り坂を先頭に国立府中インターまで渋滞するのが常態だった。それが下高井戸やその先の首都高速までつながって、都心まで大渋滞というのも珍しくなかった。ところが、4月になってからは、渋滞はごくわずかですぐに解消されるようになった。何度か走って感じたのは、マイカーよりはトラックが少なくなったということで、走りやすくなったのは結構だが、経済に与える影響は大きいのではと思った。

・増税について不愉快になったのはこれだけではない。3月に確定申告をしたときに、必要事項を書き込んで役場に持っていくと、復興税が記入されていませんと言われた。「何それ?」と思ったが、納めなくては受け取ってもらえないので、その場で渋々修正をした。還付されるお金が3万円ほども減ってしまったのである。もちろん、そのお金が震災や原発事故の被害者のために使われるのなら、文句はないのだが、復興に当てられた予算が沖縄の道路に使われたり、使われないままにプールされていたり、とんでもないことに東電に支給されたりした事実がくり返しニュースになっていたから、「復興税」と言われても、まったく信用できないのである。

・信用できないのは消費税の使い道にも言える。政府の言い訳は年金や社会保障費の安定化と充実にあてるということになっている。しかし、現実には、国債費や公務員の給料アップ、あるいは輸出戻し税といった訳のわからないところに使われるようである。トヨタをはじめ輸出比率が高い企業は、これまで消費税をほとんど納めていないのに、戻し税として巨額のお金を還付されていて、増税によってその額がさらに多くなると言うのである。いったいこれは何なのだろうか。

・富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる。大企業を厚遇して、中小企業を冷遇する。今回の消費税の増額が、そんな傾向をますます加速化させることは間違いない。高速道路の空き具合は、僕にとって、そんなことを実感させる身近な例に感じられた。ところがそんな政府の発言は、増税の影響は一時的で、経済はすぐに回復するというもので、それに疑問をぶつけるメディアがほとんどないのが現状だ。本当にそうだろうか。高速道路のこれからの混み具合が、そのことを明らかにするのではないかと思う。

2014年4月14日月曜日

春が来た

 

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・もう恒例になった画像だが、我が家の春は片栗の花から始まる。この冬はどか雪が続いて、その雪がずっと残っていたから、春の到来が例年になく待ち遠しかった。もっとも、3月の末から4月の初めにかけて10日間ほどニュージーランドに行っていたから、出かける前はまだ冬で、帰ってきたら春になっていたという感じだった。その片栗の花が、今年は50を超えた。庭一面にはほど遠いが、毎年少しずつ増えている。

forest114-2.jpg・大雪のためにできなかった薪割りも再開した。例年、燃やさずに次の冬に残す薪があるのだが、この冬はほとんど燃やしてしまったから、次の冬のために、いつも以上に用意しておかなければならない。すでに8㎣買っているのだが、もう少し買い増しをしなければならない。2にするか4にするか思案中である。家の周りに積むだけでは足りなくて、去年から庭にも積み始めて、今年はそれを二つにすることにした。円筒形に積み上げるのだが、これがなかなか難しい。

・薪は細かくした方が乾きやすいし、軽くなるから持ち運びも楽になる。けれども大きい方が燃やして長持ちする。灯油の値段がリッターあたり100円を超えた。値上がり幅はガソリン以上で、バカにならない額だから、ますます薪ストーブに頼るようになった。斧を持ちながら、太いままにするか細かくするか、振り下ろすたびに考えている。

・春になったら山歩き。これも毎年のことだが、今年は2月に熊野古道を歩いた。ニュージーランドでも歩いたから、例年になく早い出だしになった。

forest114-3.jpg・とは言え、近場の山歩きはまた別だ。最初は桜を求めて、旧豊富村の山の神千本桜に出かけた。登山道沿いに桜が植えられているのだが、まだ上の方はちらほらだった。日当たりのいいところでは満開の木もあったが枯れ木もあって、千本というほどの賑わいではなかった。なにより急坂を登った神社の上にまだ開通前の舗装した林道があって、荒れた森の景色に興ざめしてしまった。帰りに寄った笛吹市のふるさと公園は、満開だったせいか駐車場も満杯で、通り過ぎるだけだった。

・ただし、この時期は桜のほかに桃や杏の花が辺り一面に咲き乱れている。甲府盆地が桃源郷になる時期だが、残念ながら春霞、あるいはpm2.5のせいで、ぼんやりしてよくわからなかった。河口湖の桜はようやく咲き始めたところで、満開になるのは今度の週末ぐらいだろう。さて、山桜を求めて、今週はどこに行こうか。

2014年4月7日月曜日

ニュージーランドの旅


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newzea6.jpg・ニュージーランドは豊かな自然に恵まれた国だが、同時に自然破壊を目の当たりにする土地でもある。今回の旅の目的は、地球上でも珍しい原生林を数カ所歩くことだった。具体的には、ミルフォード・トラック、ルートバーン・トラック、Mt.クック、そしてフランツ・ジョセフ氷河といった有名な場所である。
・それらはどこも、見慣れた森や山とは違って、新鮮な驚きに満ちあふれていた。森の主役は南極ブナという大木だが、ブナとは名ばかりで、幹も葉も日本のブナとはまったく違うもので、落葉しない常緑樹だった。その幹には苔や地衣がびっしりついて、鬱蒼とした森をさらに神秘的にしていた。
・ところが、それらの場所に行くまでの景色は、羊や牛、それに鹿が草を食む牧場が延々と続くもので、その大半は、もともとは原生林の森だったはずのところだったのである。そのはげ山や草地は、僕には人間が作った砂漠のように見えてしまった。

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newzea11.jpg・しかももっと不思議に感じたのは、牧場には数え切れないほどの羊や牛や鹿がいるのに、森の中にはわずかに聞こえる鳥の声や姿以外に生き物の気配がほとんどなかったことだった。もちろん、この島にはもともと、鳥以外の動物がいなかったのだし、天敵がいないために飛ぶことをやめた、キュウィなどの鳥がいたのだが、狩猟や毛皮のために連れてきた鹿やウサギ、ポッサム、イタチといった動物のために、鳥たちの多くが絶滅しかかっているのである。だから持ち込んで増えた動物を害獣として駆除しているのだという。例外はマオリ語でケアと呼ばれるオウムで、これは人にも近づいてきたから、よく見かけた。

・その害獣だが、今回訪ねた若い日本人のカップルは、氷河のガイドなどをしながら、野生化した動物を狩猟し、川に網を仕掛けて魚を捕り、野菜は庭で栽培して生活をしていた。そのヒマラヤター(牛科)やヴェニソン(鹿)、それに海の幸であるカレイや鮭をごちそうになった。捕獲した動物はその場で捌いて持ち帰り、冷凍してタンパク源にする。毛皮はなめして、リビングの敷物になっていた。人口密度がきわめて少ないところだからこそできる生活で、その野性味溢れる生活は衝撃的だった。若い日本人のなかにも、国の外に出てびっくりするような生き方をしている人がいることを改めて認識した旅だった。

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2014年3月31日月曜日

ニュージーランドから


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newzea2.jpg・ニュージーランドの入国審査は厳しいというのが、ネットで多かった情報だった。登山靴を持ちこむと、靴底の泥をチェックされて、汚れていれば洗ってこいと言われるとか、食べ物は生ものはもちろん、ガムやキャンディの類でも申告書に書かなければ、罰金を取られるといったものだった。

・外から入ってくるものに厳しいのはニュージーランドの自然環境を考えてのことで、意識の高い国であることの証明だが、そうなったことにはそれなりの原因がある。ニュージーランドは800年ほど前にマオリ族が住みはじめ、200年ほど前にイギリス人がやってきた。それで、動物や植物の生態が一変してしまったという歴史がある。

・トレッキング(トランピング)の度にガイドから聞いたのは、持ちこまれたポッサム、ウサギ、イタチ、鹿などのために在来種の飛ばない鳥たちが激減して絶滅しかかっていること、かつては島の4分の3を占めていた南極ブナなどの在来植物による原生林が、今では4分の1に減ってしまっていることなどだった。ニュージーランドには四つ足の哺乳動物も蛇もいなかったから、鳥は飛ぶことをやめたのだし、広葉樹も常緑だったから、秋の紅葉もなかったのである。

newzea3.jpg・だから、外からの外来種の持ち込みはもちろん、国立公園内では小石一つ、葉っぱ一枚持ち帰ってはいけないという厳しい規則が設けられ、外来の動物の多くは害獣として捕まえて処分することになっている。驚いたのは、そのような外来の動物は車で轢くことが奨励されているという話を聞いたことだった。あるいはその動物たちが食べる外来のルピナスなどの植物を枯らすために、ヘリコプターで枯れ葉剤を散布するのに毎年10億ドルも使っているということだった。

・そもそも、いろいろな動植物を持ちこんだのは、人間の目先の損得や必要性だったが、それが害になると、今度はその駆逐や改善に懸命になる。ごく当たり前のようにも思えるが、身勝手さという点では似たようなものだという感想を持った。環境保全に世界でもっとも敏感な国ということだが、それはちょっと違うのではと感じた。

・今回の旅では、ミルフォード・トラックとルートバーン・トラックを1日ずつ、そしてMt.クック周辺を2日歩いた。ミルフォードとルートバーンは雨が多いために、樹木にはびっしり苔や地衣類が生えている。地面も一面のシダだったりして、日本ではあまり見かけない森の様子だった。原生林をできるだけそのままに残す意味や意義は十分にわかる光景だった。2000m程の山なのに氷河がある。そんな様子もまた珍しく感じた。国立公園として厳しく保全されているところは、たしかに、歩いて楽しく、気持ちのいいところだった。

newzea4.jpg・ただし、どこに行くにも山脈を迂回した道路を使うから、宿泊地から現地まで車で数時間移動しなければならない。山越えの道やトンネルを作ればすぐに行ける距離なのに、その不便さを我慢するのもまた環境保全という目的のためである。南島は本州のような長細い島で、東西の距離は長くないのに、中央に山脈がそびえているから、横断するルートは極めてかぎられている。

・実は、これからMt.クックの西側にあるフランツ・ジョセフ氷河近くの知人宅にお邪魔するのだが、山越えはできないから、いったん東海岸のクライスト・チャーチまでバスで行って、そこから飛行機で西海岸のホキチカに飛んで、車で迎えに来てもらうことになっている。ヘリをチャーターすれば10分ほどだと言うが、お金のことを考えたら、そんな贅沢はできない。100年前に4000Mの山の頂上までトンネルを掘ってケーブルカーでユングフラウの頂上まで行けるようにしたり、山脈を貫通する道路や鉄路をいくつも作ったスイスとは、ずいぶん違う国だと思った。 果たしてどちらの方がいいのだろうか。それは簡単には評価しにくい難しい問題である。

2014年3月24日月曜日

ジェフ・ブリッジス『Crazy Heart』

 

jef.jpg・ジェフ・ブリッジスは目立たないけど、渋い役柄をこなす俳優だ。その彼がアカデミーの主演男優賞を取ったのが『Crazy Heart』である。NHKのBSがアカデミーを取った映画を昼間放映していて、たまたま見た。かつては人気だったカントリー・ミュージシャンの悲哀をテーマにした映画である。主演が誰なのかもわからずに見始めたから、最初登場したときはクリス・クリストファーソンかと思った。

・主人公のブレイクはテキサスやニューメキシコの小さな町を自分の車で一人巡って、ボーリング場の一角やバーなどで歌っている。要するにどさ回りの身だ。かつてはヒット曲を飛ばしたこともあったのだが、今ではアルバムも出ない。新曲を作ればその可能性もあるのだが、彼にはもう、そんな気がほとんどない。ウィスキーを手放さず、絶えず煙草を吹かして、めちゃくちゃな生活をしているから、体調もひどく悪い。ライブの途中で吐き気をもよおして、ステージからトイレに直行したりもしている。

・そんなストーリーに光が差したのは地元の新聞記者のジーンの取材に応じたのがきっかけだった。そして、かつては自分のバックバンドの一員で、今では大スターにのし上がったトミーの前座を渋々引き受けたことだった。ジーンと恋仲になり、その幼い息子のバディとも親しくなる。ところがアルコールが原因で彼女とはうまくいかなくなり、落ち込んだなかで歌を作り始める。それをトミーが歌って大ヒットするのである。

・ありそうな話だったが見ていておもしろかった。何より気になったのは、ジェフ・ブリッジスが吹き替えなしに歌って演奏しているところだった。ネットで調べてみると、ミュージシャンでもあって何枚かのアルバムを出しているという。クリストファーソンのような完全な二足のわらじではないが、音楽活動もしているようだ。それに絵なども描いているという。今まで見た映画では感じられなかった別の側面を見た気がした。

・で、『Crazy Heart』のサントラ盤を買うことにした。ライトニン・ホプキンスやウェイロン・ジェニングス、それにバック・オーエンスの歌も入っているが、ジェフ自身が歌っている曲が6曲あって、弟子で今はスター役をやったコリン・ファレル自身も2曲歌っている。おもしろいのは友人でバーのマスター役のロバート・デュバルが、二人で釣りをしているときに歌った鼻歌が入っていることだ。彼女が離れたのをきっかけにアルコールをやめ、生き直すことをはじめたシーンである。


いつまでも生きるつもりだ
川を横切って
明日を掴むんだ

・この映画はアカデミーの歌曲賞もとっている。歌っているのはライアン・ビンガムで、まだ若いのにトム・ウェイツを思わせるようなだみ声だ。2007年にデビューしたというから、すぐにこの映画に使われて、アカデミーを取ったということになる。その"The Weary Kind"はなかなかいい。芋づる式に、今度は彼のアルバムを聴きたくなった。

2014年3月17日月曜日

エイモリー・ロビンス『新しい火の創造』ほか

エイモリー・ロビンス『新しい火の創造』ダイヤモンド社
『ソフト・エネルギー・パス』時事通信社

robins2.jpg・エイモリー・ロビンスの『新しい火の創造』は、都知事選で細川候補を支援して連日街頭に立って脱原発を訴えた小泉元首相のタネ本だと言われている。確かにこの本の帯には、「衝撃の小泉発言、原発ゼロの実現へ”根拠”はここにあった」と書いてある。しかし、エイモリー・ロビンスは最近脚光浴びた人ではなく、すでに35年も前に、ハードではなくソフトなエネルギーの開発と普及を主張した『ソフト・エネルギー・パス』を出していて、この領域ではリーダー的存在の一人である。なぜ今注目されるのか。この2冊の間にどんな違いがあるのか。そこに興味を持って読み比べてみた。

・『新しい火の創造』の原題は"Reinventing Fire"だから、直訳すると「再発明される火」だが、辞書を調べると、Reinventing には(すでに発明されていることに気づかずに)という意味があると書いてある。これについての訳者の説明はないが、この題名をつけた狙いは、まさにここにあるのではないかと思った。つまり、現代社会は火や電気、そしてエネルギーの原料として石炭や石油、天然ガス、そしてウランを使うことを基本にしているが、それらはすべて、太陽と地球の地殻活動によってできたものである。その数十億年をかけて蓄積されたものを、人間はわずか200年ほどの間に使い尽くしてしまおうとしている。だから、いずれなくなることがわかっているもの、環境を汚染し続けているものに頼らずに、忘れていた太陽や地殻活動を利用した火やエネルギーに戻ろうという提案が本書の内容だと言っていい。

・『新しい火の創造』は「燃料の非化石化」をはじめにして、「運輸」「建物」「工業」「電力」の章を設けて、すでに達成された技術開発と実用化された分野、これから普及していく領域について詳細な分析をしている。ただし、本書が力説するのは、その科学的、倫理的な根拠ではなく、ビジネスとしての可能性にあって、それはすでに動き出しているという主張にある。小泉元首相の意識を大きく変えたのもまさにこの点で、選挙期間中も細川・小泉は口を揃えて、脱原発は「イデオロギー」の問題ではないことを訴えていた。

robins1.jpg・ロビンス(ズ)が35年前に書いた『ソフト・エネルギー・パス』は原油が値上がりして「オイルショック」と呼ばれた状況のなかで出版されている。「スモール・イズ・ビューティフル」(シューマッハー)といったスローガンが社会変革を訴える人びとから発せられたが、ロビンズはその考えに好意的ではあるものの、あくまで「イデオロギー」や「価値観」からは距離を置いて分析するというスタンスを貫いている。ただし、この本で主張されていることは、今でも説得力がある。と言うよりは、35年間も放置されてきて、抜き差しならない状況になってしまっていることを改めて実感させられる内容になっている。

・たとえば「個人的メモ」として列挙された問題点には、「あまりに大量のエネルギーをあまりに早く消費する危険性」「自然のシステムに関する無知」「経済的合理性と経済的コストの誤り」「核分裂技術のやっかいさと危険性」「最小のエネルギーで上手に社会目標を達成する可能性」などがあって、その後の章で、各問題点が詳細に分析されている。日本語版への序文には「人口過密でかつ政治的には移り気な地震地帯に、恐るべき事故と注意深いもしくは不注意な原子爆弾の拡散を招く可能性の高い許されざる技術」が本格的に導入されはじめていることについて警鐘を鳴らす記述がある。

・日本の原発の多くは、この本が出版された後に建設され稼動したものである。日本に限らないが、この時期にロビンスの提案に賛同して、ソフト・エネルギーの開発と普及に努めていたらと考えると、この本の重みに今さらながら、溜息をついてしまう。まさに後悔先に立たずだが、現在でも、ロビンスの提案は、地球や人間の未来を考えてといったものではなく、あくまで経済性とビジネスとしての可能性として評価されている。そういう展望が開けてやっと動き出したことを嘆くべきか、あるいは喜ぶべきか。

・もっとも日本では、原発事故の当事国であるにもかかわらず、依然として原発を基盤電源に据えようとしている。電力会社を倒産させないためであれ、原爆を開発できる余地を残しておくためであれ、既得権益にしがみついてビジネスとしての可能性すら軽視する姿勢には、未来への展望がまったくない。