2016年2月15日月曜日

中立公正とは政府に従うこと

・高市総務相が公正中立を欠く放送局には停波という脅しの発言をしました。政府に批判的なニュース番組に圧力をかけて出演者を辞めさせたのをいいことに、さらに停波という高圧的な態度をしはじめたのです。大臣の汚職があっても、株価が下がっても内閣支持率が上がるのですから、調子に乗るのもうなずけます。

・政府がマスコミに使う脅し文句は決まって「中立公正を欠く」ですが、ここにはいったいどんな意味があるのでしょうか。ニュース番組が報道するニュースひとつごとに課せられるのか、その番組全体なのか、あるいは放送局の番組全体から判断すべきなのか。政府の反応はニュースひとつ、番組出演者ひとりに対するものであることは明らかです。

・政府の批判はテレビだけでなく、すでに新聞に対しても執拗に行われてきました。そのことを国会で問われた時に、安倍首相は半ば冗談のように「日刊ゲンダイ」を例にあげ、萎縮などしていないと言いました。タブロイド判の夕刊紙ですが、僕もネットで愛読しています。しかし、言いたいことを言う新聞がほかにないから目立つのであって、それだけ言論弾圧が厳しいことの証拠じゃないのと反論したくなりました。

・「公正中立」を欠くといってやり玉に挙げられてきたのは、もっぱら政府に批判的な新聞やテレビでした。それが功を奏して、ほとんどの新聞やテレビが萎縮し、自粛をしてしまっているのが現状でしょう。そうなると批判的な発言がますます目立つようになって、それさえ封じ込んでしまえと言いたくなる。最近の安倍や高市発言には、そんな奢りが露骨です。

・他方で安倍チャンネルやAHKと揶揄されるNHKや、政府以上に右寄りの読売新聞や産経新聞、その系列である日本テレビやフジテレビには、政府からの批判はほとんどありません。「公正中立」を欠いた記事や番組内容に埋め尽くされているというのにです。僕には、読む気にも、見る気にも、聞く気にもならない、反吐が出るほど偏向した内容でも、首相や大臣、あるいは官房長官には「中立公正」だと思えるのでしょう。「政府が右というのに左というわけにはいかない」といったNHK会長発言がいい例です。これこそ「停波」に値する偏向ではないでしょうか。

・それにしても自民党はひどすぎます。甘利とUR、そして贈賄をした建設会社の関係は国会で証人喚問すべき問題ですし、検察が動くべき事件です。なぜそのことをメディアは主張しないのでしょうか。育休を主張した議員が、妻の議員の出産入院中にタレントと自宅で浮気をしたなどというのは、自民党議員の質がいかに悪いかを証明しています。歯舞を言えない北方担当大臣、下着泥の前科のある大臣、失言癖のある新大臣、そして1ミリシーベルトは科学的根拠がないなどと非科学的な発言をした元女子アナの環境大臣等々、あげたら切りがないほどです。

・安倍政権は円安と株高によって維持されてきたと言われています。その円が急騰し、株が暴落をしています。だとしたら、政権の支持率もまた急落するのでしょうか。すでにただ同然だった預金の利子がさらに下がりました。日銀の総裁は銀行預金も今後マイナス金利になる可能性は否定できないと発言しました。預け賃を取られるようになるのですが、そうなったら取り付け騒ぎも起こるでしょう。預金封鎖が現実に起こるかもしれません。

・「公正中立」な立場に立って政治や経済、そして社会の現状を見れば、今政府がとっている政策がいかに危険なものか、ひどいものかは自明なはずです。それは海外から届く、日本に対する評価を見ればわかります。ただしそれも、メディアは取り上げませんから、ネットでこまめに探さなければなりません。バラエティの馬鹿番組やスキャンダルばかりを見ている場合ではないのです。

2016年2月8日月曜日

2016という年

 

journal4-179.jpg

・いつまでも暖かい冬だと思っていたら、センター試験終わった17日の夜から雪が降り始めて、40cmも積もった。その後はずっと寒い日が続いて、少しだけれど、何度か雪が降った。薪割りもできないし、もちろん自転車にも乗れない。青い空と白い山は見飽きないほど美しい。この季節ならではだが、身体はなまってしまう。もっとも大雪だけはこれっきりにして欲しいと思う。雪かきのしんどさは薪割りや自転車の比ではないからだ。何しろ、一日中の仕事になるのだから。

・立春を過ぎたから、春になるまでもう少し。季節は確実に変わるが、世の中はどうか。幸福とか平和を基準にすれば、その対局に向かってまっしぐらにすすんでいるように思える。世界全体もそうだし、日本の国内もそうだ。

・安倍内閣の支持率が50%を超えたそうだ。信じられないと思うし、やっぱりな、とも思う。TPPを一手に引き受けて交渉してきた甘利明が建設会社からの金銭授受を暴かれて大臣を辞めた。支持率が上がったのはその直後で、野党の国会での追及もマスコミの論調も及び腰になっている。後任が石原伸晃というのも悪い冗談のようだが、それに対する批判や疑念も目立つほどではない。

・アベノミクスはすでに破綻している。株価は下落しているし、それを支えようとして年金資金を投入して、すでに何兆円もの損失を出している。デフレは脱却できていないし、経済成長もしていない。借金財政の改善どころか、ばらまき政策によってますます借金を膨らませている。そんな現実を隠すために安倍首相は「一億総活躍社会」などという気持ちの悪い政策を持ち出した。国会の施政方針演説でも、「挑戦」を何度も繰り返して、みんながんばろうと鼓舞している。まるでヒトラーのようだと思ったが、演説の巧拙は比較するまでもない。

・また安倍は、去年の「戦争法案」の可決とその反対の声の静まりに気をよくしたのか憲法改正を明言し始めた。自衛隊が違憲だというなら、9条を変えればいいといった趣旨だった。しかし、その代わりにアメリカ軍にはお引き取り願って、駐留基地を縮小、あるいは廃止するなどとはけっして言わない。沖縄の辺野古基地については翁長知事を先頭にした反対の声には、まったく聞く耳を持たない姿勢を貫いている。そもそも自民党の憲法改正案は、国民の権利ではなく義務を強めたもので、明治憲法に逆戻りといったひどいものなのである。

・そんな現状に対しても、世論は静観したままである。安倍内閣に対する支持も積極的なものではなく、ほかに代わりがいないからというものが一番多い。憲法の改正(悪)には反対だし、収入が減って生活は楽ではないし、原発の再稼働には不安ばかりだが、と言ってこの現状を変える政治的な動きはまったく見えてこない。だから、現政権を支持するしかないし、悪い方向に行くのではといった不安や懸念は思わないように、考えないようにする。そんな空気が蔓延しているようである。

・その意味では、清原もSMAPもそしてベッキーも、現実から目を背けさせる格好の材料だったと言える。こんな連中のことになぜ、メディアは大騒ぎをするのか。官邸と警察とメディアが共謀してやった情報操作ではないか。今の政権なら、それは朝飯前のことだろう。

・他方でアメリカでは、大統領選挙を巡って右と左の対立が際立つような展開になってきた。共和党はトランプにしてもクルーズにしても右翼同士の戦いだが、民主党は確実と言われたクリントンへの支持が下がって、代わりに社会主義者を自認するサンダースが台頭してきた。8年前のオバマを思い起こさせるが、サンダースはすでに70歳を過ぎた老人である。「チェンジ」というには歳を取りすぎている気もするが、彼を支持するのは主に若者層で、ミュージシャンや著名人も支持の声をあげはじめている。

・そのスローガンは「革命に参加せよ(Join The Revolution)」と言った激しいもので、その「12の政策」には「1:インフラ再建、2:気候変動を抑制、3:ワーカーズコープ(労働者共同体)設立、4:貿易組合運動の育成、5:最低賃金の引き上げ、6:男女平等賃金、7:アメリカ人労働者のためになる通商政策、8:誰でも大学に通えるように(公立大無料化)、9:ウォール街への挑戦、10:人権としての医療保険、11:最も弱い立場の人を守る、12:真の税制改革」があげられている。

・サンダースが大統領になったらアメリカはどうなるか。興味津々だが、カナダにはすでに似たような政策を掲げたトリュドー首相が誕生している。この流れが世界を大きく変えていくかどうか。2016という年は、これからの世界の方向を大きく左右する一年になりそうだ。であるとすれば、日本にサンダースやトリュドーが現れる可能性はあるのだろうか。はなはだ疑問だが、日本の現状のひどさを見れば、諦めてはいけないことだと思う。

2016年2月1日月曜日

職業としての小説家

 

村上春樹『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング

加藤典洋『村上春樹はむずかしい』岩波新書
内田樹『村上春樹にご用心』アルテスパブリッシング

haruki2.jpg・村上春樹は僕が一番好きな日本人の小説家だ。歳が一緒だし、考え方や感じ方に共鳴することが多い。何より奇妙な世界に引っ張り込む、そのストーリー・テラーとしての力に魅了されてきた。ついでに言えば、二人とも国分寺に縁がある。最初に読んだのは『羊の冒険』で、そこからほとんどの作品を読んできた。そのいくつかは、この欄でも紹介してきている。

・『職業としての小説家』は、小説家としてデビューする前から現在までの道程をふり返り、小説を書くことや小説家であること、文学賞や批評に関することなどについて、けっして激しくはないが確信的な口調で語っている。芥川賞を取れなかったこと、ノーベル賞に毎年名前が挙がっていることは、彼にとってはどうでもいいことなのに、周囲の騒がしさにはうんざりさせられているようだ。文壇とはつきあわないし、何度も外国暮らしをしている。その距離の持ち方は徹底している。

・小説家には誰でもなれる。学校で勉強する必要がないし、訓練して資格を取ることが義務づけられているわけでもない。少しばかりの才能があれば、誰にでも小説のひとつぐらいは書くことができる。それが特に優れたものであれば、文学賞を獲得することもある。しかし、その後小説家として作品を出し続けるためには、才能だけでは足りない。不断の努力はもちろんだが、書くことについての好奇心を持続させることが必要で、それを実行できている小説家は芥川賞を取った者でも、ごく一部に過ぎない。文学という世界に対する謙虚だけれど辛辣な批判だと思った。

・僕は社会学やコミュニケーション論、あるいは現代文化論などをテーマにしている。研究者になるためには作家と違って大学で勉強する必要があるし、学位といった資格を取る必要もある。しかし、おもしろい仕事をするためには、ミルズが言った「社会学的想像力」のようなある種の才能が必要だし、対象に対して好奇心を持ち続ける持続力も不可欠だ。そのような意味で、物書きとして共通する要素も多いと言える。もっとも「文学的想像力」に欠けている僕には小説など書くことはできない。

tenyo2.jpg・小説は書けないが、小説(家)の批評なら書けるし書いたことがある。これまでにジョージ・オーウェルやポール・オースターについて、社会学的視点から論じたことがあって、村上春樹論も書きたいなとずっと思ってきた。視点を見つけるのが難しくてなかなか実現できないが、他方で、村上春樹を追いかけ続けて、いくつもの批評を書いてきた人がいる。その加藤典洋が『村上春樹は難しい』を書いた。確かにそうだと思うが、彼の村上春樹に対する執着ぶりとその深読みには改めて感心し、また日本と世界における村上春樹の位置づけの歪みに対する解釈にはなるほどと思った。

・村上春樹は文学的には評価できないが、大衆受けするベストセラー作家である。日本の文学の世界ではずっとこのように評価されてきた。ところが、世界中で彼の小説が読まれるようになり、毎年ノーベル賞候補に名前が挙がるようになって、そんな批判が影を潜めるようになった。しかし、村上春樹の成功にあやかろうとするような論評はあっても、文学的に再評価しようとする動きはあまり見られない。

・村上春樹は近現代の日本文学の異端者である。それは村上本人が自覚し明言していることで、実際、彼の小説の魅力は、それまで多くの作家が戦ってきた日本のローカリティに対して、最初から離脱してしまうという位置づけにあった。それが村上批判の根本だが、だからこそ、世界中に多くの読者を持つことにもなったのだと言える。ところが加藤がこの本で試みているのは、改めて村上を、日本の近現代文学の枠内に位置づけることなのである。

taturu2.jpg・もう一冊、内田樹の『村上春樹にご用心』は村上大絶賛といった内容だ。読んで一番興味を持ったのは、フランス語に訳された作品を彼自身が日本語に訳すと、村上の原文とほとんど同じになったという点である。村上春樹は高校生の頃から英文で小説を読み、翻訳も多く手がけてきた。しかし、その日本語的ではない文体は、自然に身についたのではなく、意識して作り上げたものである。一度書いたものに何度も繰り返し手を入れる。その作業の大切さやおもしろさは、『職業しての小説家』でも詳しく語られている。

・内容的にも文体的にも、日本のローカリティやそこに立つ近現代文学から「離脱」(デタッチメント)する。そんな姿勢から「関わり」(コミットメント)に変わったのは阪神淡路大震災とオウム事件がきっかけだった。また東日本大震災と福島原発事故についても、折に触れて発言をしている。そんな変化が、小説の中でどのように現れているのか。もう一回、村上春樹の小説をすべて読み直してみようか、という気になった。

2016年1月25日月曜日

ミステリーとファンタジー

・僕はテレビドラマはほとんど見ない。マンガやアニメは全然と言っていい。ところが最近、大学院で指導したり、論文の副査をしたりする学生のテーマがミステリーやファンタジーであることが多い。今年は『相棒』と『陰陽師』だったし、去年は『ヴァンパイア』だった。そういったテーマに取り組む院生たちは、現在シニアか留学生で現役の日本人学生はほとんどいない。

・留学生(中国人)はかつてはインターネットや広告をテーマにする学生が多かった。しかし数年前から一変して、アニメ(宮崎駿『トトロ』など)やアイドル(ジャニーズ)などが多くなった。テーマにしないまでも、留学生は一様にマンガやアニメに興味があって、それは日本に留学する一番の理由だったりする。かつては見るからに苦学といった感じだったが、経済的に豊かになったことも明らかで、そんなことも理由にあるのかもしれないと思っている。そんな彼や彼女たちが修士号を取っても帰国せず、日本の企業に就職するようになったのも、ここ数年の大きな傾向だ。

・僕はマンガもアニメも研究対象にしたことがないから、学生を指導すると言うより知らないことを教えてもらうといった状態だ。だから『陰陽師論』について発表を聞いても、論文を読んでも、「へー」というしかないような感じだった。僕は25年間京都に暮らしたが、安倍晴明を祭った「晴明神社」なるものがあることすら知らなかった。そこは学生時代から自転車やバイク、そして自動車で通ったところだったのに、まったく気がつきもしなかったのである。

・その『陰陽師論』は、もともとは気象や天文をもとに占いをした陰陽師が、やがて呪術を使う存在としてフィクション化されるようになり、明治時代には忘れられてしまったこと。それが夢枕獏の詳説をきっかけに蘇り、その後にマンガやアニメ、そして映画やテレビドラマになって人気を博した理由を「事実」から「ファンタジー」への転換として論じた作品になっている。なるほどと思ったが、なぜ今「陰陽師」なのかといったところが、やっぱりわからなかった。これはもちろん、ファンになっておもしろがっている留学生と、まったく興味がない僕自身との間にある距離がもたらした疑問だった。

・『相棒』を修論テーマに選んだのは現役の新聞記者で、仕事をしながら大学院に通えるシニア・コースの学生だった。自分の仕事に関連してではなく、個人的関心をテーマにしたのだが、これも僕はほとんど見ていないドラマだった。最初は『刑事コロンボ』に『シャーロック・ホームズ』などを加味させたものだろうぐらいに思っていたのだが、全シリーズの全作品を詳細に分析した、本格的なテレビ・ドラマ論に仕上がった。

・テレビ・ドラマをテーマにした学術論文は多くはない。それは分析に値しない内容だという固定観念に基づくものかもしれないし、映画とは違って、放送が終われば忘れられてしまう、一過性のものだという性格によるのかもしれない。だから分析枠組みとしては、物語論や記号論を援用して、そこで多く用いられる二項対立的概念を抽出して分析をした。

・主役の水谷豊演じる杉下右京は警視庁で窓際に追いやられた刑事である。普通なら閑職で何もできないはずだが、相棒がつくことによって、自分の関心の向くままに事件を捜査することができる。捜査一課の刑事たちからは煙たがられるが、事件を解決するきっかけになるのはいつでも右京の推理だから、完全に拒絶することはできない。解決の手柄は当然、捜査一課のものだが、右京には手柄は一切関心がない。彼の興味は一点、「真実」を突き止めることだけにあるからだ。

・論文では、この物語を「異界」(右京)と現実(捜査一課)を仲介する「相棒」こそが主人公だとして、右京と相棒の間に生まれる「葛藤」を「真実」「正義」そして「幸福」といった価値観の対立として分析している。あるいは、右京と相棒が感じるはずの「孤独」の違いを「透明」と「分身」の違いとして論じてもいる。

・なかなかおもしろい論文に仕上がったと思う。ただし、やっぱりドラマを見なければ今ひとつぴんとこないところがあるから、僕は読みながら、ネットで『相棒』を探して視聴した。分析枠組みに沿って、当のドラマを見ると、きわめてわかりやすい。そんな感想を持った。

2016年1月18日月曜日

暖かい冬だけど

 

woodcut7.jpg

shoescover.jpg・ここ数日は寒くなったが、今年の冬はこれまで暖かかった。1月になっても10度を超える日があるのはほとんど記憶にない。12月から雨も降らないし、もちろん雪もまだ見ていない。だから薪割りは例年になく順調に進んでいる。8㎥の原木を玉切りして、すでにその6割ほどを薪にして積んだ。このまま行けば、春を待たずに今月中にも薪割りが済んでしまう感じだ。そうすると急がずに、たまには自転車に乗ろうかと思うのだが、やっぱり薪が気になってしまう。防寒用のシューズ・カバーも買ったのだが、まだ一度も使っていない。

・もっとも暖かいとは言え、パートナーが寒がるから、薪の消費量は例年以上に多い。おかげで2階は暑いぐらいで、12月になってもTシャツ一枚で過ごすことが多かった。いつものことだが、薪が春まで持つか心配になってきた。来冬の分をもう少し買い足した方がいいかもしれない。そんなことを考えはじめている。

thermometer.jpg・家の外と中の温度を測る寒暖計が壊れたので新しいのを買った。湿度計も着いていて見やすいが、立てかけ用のスタンドが、引き出そうとした途端に割れてしまった。安物だから仕方がないが、やっぱりメイド・イン・チャイナかとぶつぶつ。壁に掛けて使うことにした。そうすると急に寒くなって、朝起きた日の出前には-7.6度になった。家の中は22度だから内と外の寒暖差は30度になる。湿度は40%を維持するように、ストーブの上にいくつもやかんや鍋を置き、加湿器も2台稼働させている。それでも30%代に下がることがしばしばだ。

sunrise.jpg・家と大学との車での往復が年々しんどくなってきた。特に夜になって帰って、翌日早朝出勤の時は、もう大学に着いただけで疲れてしまう。授業をして、午後には長い会議。そんなつらい仕事も、ようやく先が見えてきた。今年度の仕事も1月が終われば楽になるし、来年度1年で退職するからだ。ただし、そのために今年中にやらなければならないことがひとつある。

・それは研究室にたまった本を家に持ってくることで、そのための書架を作ることである。もちろん全部は無理だから、必要なもの、残しておきたいものだけにしぼって、後は誰かにあげるなり、捨てるなりするつもりだ。書架を作り、本を家に少しずつ運び、欲しい人にあげる。いっぺんには無理だから、一年かけてゆっくりと。そんなふうに考えていて、暖かな冬ならば、時間に余裕ができる来月からでもはじめようかと考えている。もっとも寒くなって雪が積もってしまえば、書架作りは春になってからということになる。

snow1.jpg・こんなふうに書いてアップしようと思ったら、今朝は雪。それもすでに30cm以上積もっている。昼まで降るようだから50cmは越えるかもしれない。幸い大学に行く日ではないので、1日雪かきになるだろう。これだけ降ると、根雪になって暖かくなるまで消えないから、薪割りも当分できないということになる。道路の除雪は今日中に来てくれるだろうか。明日から3日間、大学に行かなければならない。いよいよいつも通りの冬になった。

2016年1月11日月曜日

今年の卒論

 

2015.jpg

・いつも通り、この欄の第一回は「今年の卒論」です。 今年の4年生は9名です。例年通り女子学生が多い、というよりは、男子はたった一人でした。その安藤雅紀君は昨年の吉崎君同様、駅伝のメンバーで、しかも出身高校も同じでした。実は3年の堀田君もまったく同じで、3年連続駅伝メンバーが所属したことになります。
・ 東経大が箱根に出場するのは夢のまた夢のような状況ですが、今年は学連選抜メンバーに初めて一人選ばれて、復路の箱根下りを走りました。

・ 就職試験の解禁日が遅くなったこともあって、今年のゼミは、時々しかやりませんでしたし、集まる学生も少なかったです。論文のできあがりを心配しましたが、何とか全員書き上げることができました。人数は去年の半分ですが、平均以上のできが多かったと思います。

・ ゼミの卒論集も今回で16号になりました。僕は来年度で退職をしますから、卒論の指導と論文集作りも、いよいよ最後に近づいてきました。その最後を飾る3年生ですが、最終号だからとがんばってくれるでしょうか。
・ もちろん、2年生もいます。非常勤として最後までつきあうつもりでいますが、ゼミの活動補助費がもらえないので、卒論集が出せるかどうか。もっとも前に勤めていた大学では、卒論集を手作りしていました。最後で、部数も少なくてすみますから、学生たちに、自分の分は自分で作ってもらうことにしましょうか。

市民ランナーについて ……………………………………………… 安藤雅紀
「ウェブ社会での人々の親密性」……………………………… 小屋敷麻琴
女子校がヤンキー化する日本を救う……………………………鈴木貝奈子
演劇におけるコミュニケーション……………………………… 市川菜々子
色彩とジェンダー……………………………………………………… 新田清美
音楽と映像の融合……………………………………………………… 村野亜未
ペットの家族化とその問題 ………………………………………… 佐藤花菜
「おたく」という記号の変遷 ………………………………………河野静流
ビッグデータ,ビッグデータで何ができるのか ………………田中彩友美

2016年1月4日月曜日

ディラン前夜のグリニッジ・ヴィレッジ

 

"Another Day Another Time: Celebrating the Music of Llewyn Davis"

The Milk Carton Kids"The Ash & Clay"

Llewyn_Davise.jpg・コーエン兄弟の『名もなき男の歌』(Inside Llewyn Davis)は、1961年のニューヨーク・グリニッジヴィレッジで音楽活動をしていた男の一週間を描いた物語である。売れないフォーク・シンガーで彼女に子どもができてしまう。その堕胎の費用を工面したり、預かった猫を逃がしてしまったりと、やっかいなことばかりが続く。仕事を求めてシカゴに行っても、いいことは何もなかった。船乗りというもとの仕事に戻ろうとしたが、免許証は姉に捨てられた。どうしようもない、散々な一週間で、見ている方も憂鬱になった。

・コーエン兄弟の映画で60年代初めのグリニッジ・ヴィレッジが舞台だからと、アマゾンで見たが、ちょっとがっかり。デイヴ・ヴァン・ロンクの自伝をもとにしたにしては、主人公が惨めすぎる。おまけにラストシーンでは、ボブ・ディランとおぼしき若いミュージシャンがステージで歌っていた。まるでニューヨークにおけるフォークシーンの夜明けを暗示するような終わり方だった。

anotherday.jpg・ネットで調べると案の定、当時を知っているミュージシャンには評判が良くなかったようだ。しかし、この映画を祝ってコンサートが開かれていて、そのライブ盤が出ていた。知っている名前はジョーン・バエズとエルビス・コステロ、そしてパティ・ズミスぐらいで、後は知らないミュージシャンばかりだった。当時の歌もあり、映画の挿入歌もあり、また若いシンガーの歌もありでなかなかおもしろかった。

・60年代のフォーク・シーンを彷彿といった感じだが、アメリカには今でも、フォークソングを歌う若いミュージシャンがたくさんいる。しかも新しいだけでなく、また懐メロみたいでもない。そんなことを再発見するアルバムだった。中にはもっと聞いてみたいと思うミュージシャンもいた。このコンサートはYouTubeでも見ることができる。

TheMilkCartonKids.jpg・ミルク・カートン・キッズはデュオのバンドで、サイモンとガーファンクルを連想させる。その"The Ash & Clay"は3枚目のアルバムで、生ギターだけの歌が12曲入っている。こんなシンプルなサウンドで演奏する若者が今もいて、それが多くの人に支持されている。原点帰りのリバイバルなのか、それとも、ずっとこのスタイルが続いてきているのか。内容的には、プロテストの要素はなく、内省的なものが多くてジェームズ・テイラーに近いと言えるかもしれない。

・ところでバンド名だが、アメリカではかつて行方不明になった子どもの顔写真を牛乳パックに貼っていたところに由来する。そう言えば確かに、聞いていて「喪失感」を思い起こさせる。なお、彼らのデビューと二作目のアルバムは次のサイトから無料でダウンロードできる。The MIlk Carton Kids