2016年11月28日月曜日

車の運転について思うこと

 ・高速道路の逆走とか,アクセルとブレーキの踏み違いで起こす高齢者の事故が大きなニュースになっています。確かに事故は増えているのだと思います。しかし高齢者の人口も急増しているわけですから、高齢者の運転が急におかしくなったというわけではないでしょう。とは言え、どうしたらいいかは個人だけではなく,社会全体で考えなければいけない問題になってきたのは間違いないでしょう。

・僕の家には車が2台あります。一人一台で、公共の交通機関がほとんどないところに住んでいますから、これがなければ,引っ越しを考えなければならなくなります。僕は通勤に片道100kmほどを運転しています。1年の走行距離は3万キロ前後で、仕事帰りの夜道はさすがに目が疲れて,運転がきついと思うようになりました。もうすぐ退職ですから、こんな状況から解放されますが,しかし、運転はまだまだ当分続けなければなりません。

・所有する車には1台、自動のブレーキやアイドリング・ストップ、あるいは車線のはみ出しを警告する装置がついています。便利と言うよりは邪魔くさいと思うことが多いですが、歳を取れば必要な機能だろうと感じています。アクセルを踏んでも,目の前の障害物や人を感知すればブレーキが作動する。そんな装置もすでに実現されているわけですから、免許証の自主返納を声高に言う前に、高齢者が乗る車として広報をし、税金の軽減や購入の支援をすべきだと思います。

・高速道路で最近一番気になるのは、軽自動車のスピードです。100km前後で走行車線を走っていると、次々軽に追い越されるのですが、果たして危険な運転だと,どれだけの人が自覚しているのでしょうか。軽はその名の通り、軽量にできています。事故を起こせばすっ飛んでしまうかもしれないし、ぺしゃんこになってしまいます。高速道路を100kmを超えて走るようにはできていないのです。ですからターボをつけた軽は、僕には凶器(狂気)のように思えてしまいます。

・その速度ですが、実は車の速度メーターは実測よりは7〜10%程度高く表示されます。100kmで走っていても,実際には90〜93kmほどしか出ていないのです。高速道路の制限速度を部分的に120kmにし始めていますが、実測表示にしないという国の指導自体をまず改めるべきではないでしょうか。あるいは中央道は全線80kmに制限されていて、きつい坂道やカーブも3車線の広い道も一律です。長年走っていて、おかしな制度だと感じてきました。

・なぜ、道路状況に合わせて、細かく変更しないのか。3車線ではどの車もスピードを速めます。覆面にとってはまさに捕まえどころで、罰金を取りやすくするためではないかと勘ぐりたくなります。違反で言えば、ここ数年で2度捕まりました。ひとつは車線変更禁止、もう一つは右折禁止という軽微なものです。警察官が待ちかまえていて、もっともらしい説教をされましたが、反則金稼ぎが見え見えで、腹が立ちました。

・さて、僕はいつまで運転するのでしょうか。認知症などにならなければ80歳までは続けたいと考えています。その時はおそらく、今住んでいる家を離れて、出入り自由な老人ホームで暮らすことになるのでしょう。もっとも車の進化はめざましいですから、90歳になっても運転できるかもしれません。もちろん、それまで元気に生きていればの話ですが。

2016年11月21日月曜日

ソローをまた読みたくなった

 

今福龍太『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』みすず書房

imafuku.jpg・ヘンリー・D.ソローは僕にとって灯台や北極星のような人だ。けっして近づくことはできないが、自分の位置を確認するためには欠かせない。都市生活を辞めて田舎暮らしを選んだのも、彼の『ウォルデン』を読んだことがきっかけだった。いつかは実現したい。そんなふうに思ってから20数年経って夢が叶った。そこからまた20年近く経って「森の生活」も板についてきたが、とてもとてもソローには及ばない。実際、森や山や川、あるいは湖の近くに暮らしてはいても、ソローの生き方とはずいぶん遠いところにいる。そんな思いをますます強く実感するようになった。

・ソローは19世紀の前半から中頃を生き、ボストン近郊のコンコードに住んで、森を散策し,湖で暮らし、街ではなく自然の中を旅して、いくつもの著作を残した人である。ただし、彼が書籍として書いたのは、ウォルデン湖の畔で過ごした記録とメイン州を歩いた『メインの森』の2冊だけで、後は死後に刊行された講演記録や、彼が残した膨大な日記である。その日記は彼が死んでから120年も経ってから出版されはじめて、21世紀になってもまだ、新しいものが出されている。

・今福龍太の『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』はその日記を含めて、ソローの残した記述のほとんどを素材にして,ソローという人の生き方や考え方を描き出している。著者のソローに対する姿勢は信奉にも近いものである。

・ごく短い教師の経験と,家業であった鉛筆製造の仕事を一時期手伝ったことを除けば、ソローは人生を通してほとんど仕事をせずに過ごした。結婚をせず、居候をして自分の家も持たなかった。彼が人生を通して熱中したのは自然の中に入ることで、コンコード周辺の野山を歩き、ウォルデン湖に小屋を建てて住み、マサチュセッツ州やメイン州を旅して回ることだった。

・なぜ、何のために歩いたのか。著者は「自分自身を既存の社会秩序から自立するための特権的な方法であった」と言う。それは「教会」「国家」「人民」の外にある「野生」というもう一つの世界である。


自然のなかに感知されるすべての神聖なものの顕れを待ちかまえ,それについて書き記すこと。私の仕事は,自然のなかに神を見いだすためにいつも注意深くあることだ。神の隠れ家を知り,自然のオラトリオ劇やオペラに立ち会うことである。

・ソローはもちろん,既存の社会を見限った世捨て人ではない。彼は奴隷制の存続やメキシコ侵略に抗議して人頭税の支払いを拒んで留置されている。そのことを「市民政府への抵抗」と題して雑誌に寄稿し、その主張はまたガンジーやマーチン・ルーサー・キングの「非暴力的な抵抗」の指針になった。あるいはまた、歩きながら見つけたインディアン(先住民)の矢尻などから、その生活の仕方や世界観を読みとり、移民たちが持ち込んできた自然に敬意を払わない言動を批判した。

・ソローに光が当てられたのは1960年代に発生した,若者たちの「対抗文化運動」のなかだった。環境を破壊し資源を収奪して,物質的な富を追求する。そんな世界の趨勢を批判し,拒絶する行動だった。それから半世紀経ってまた、ソローが残した思想が輝きはじめている。そんな感想を持ちながら本書を読んだ。何しろ今は、理性や正義ではなく、一時の感情や欲望、そして刹那的な楽しみが支配する傾向が増している。それが個人的なものから一国、或いは世界の動向を左右する動因になっている。

・ソローが描く世界は、アメリカを取り戻すと公言して大統領になったトランプには,まったく見えていないものだろう。それだけに、もう一度強い光があたって欲しいと思う。

2016年11月14日月曜日

あらら、トランプだ!?

 ・接戦とは言え,最後はやっぱりヒラリーだろう。そんな話がほとんどだったのに,蓋を開けたらトランプの勝利で、メディアも市場も大混乱といったところだ。僕も開票速報を気にしながら、あらら、おやおやといった気持ちになったが、意外とは思わなかった。ひょっとしたらという思いが強くあったからだ。

・暴言やスキャンダルが何度露呈しても、公開の討論会ですべて負けだと判定されても、トランプの支持率は大きく下がらなかった。それだけ根強い支持があることの証明で、米国の状況に詳しい人からは、「隠れトランプ」がかなりいて世論調査は当てにならないといった話も届いていた。

・今回の大統領選挙は最低と最悪の対決で、少しでもよりましな方をという選択だった。だから今回の結果には直前のFBIの発言が大きかったという声もある。ヒラリーはトランプよりはちょっとまし、といった程度の支持が多かったということかもしれない。開票時に大暴落した株価も翌日には反発して、元に戻っている。トランプは意外なほど真顔で,発言も慎重だったし、オバマとの円満な引き継ぎ交渉も行われた。

・トランプを支持したのは白人層の男たちだと言われている。アフリカ系のオバマ政権が8年続いた後に、女の大統領になったのではたまらない。しかもヒラリーは大企業や金持ちを支持基盤にしていて、貧困や失業に苦慮する人たちの味方にはならない。民主党の候補選びで善戦したサンダースを熱狂的に支持した若者たちも、ヒラリーよりはむしろトランプにといった流れが強いという指摘もあった。

・もっとも世代別に見ると、今回の18歳から25歳までの投票行動は圧倒的にヒラリーで、その投票だけであれば選挙人の数は504対23になったという分析もあった。その意味では白人対有色、男対女以上に若者対大人の対立だったということができるかもしれない。これはEU離脱を可決したイギリスの国民投票とまったく同じ現象で、世界の流れは、これからの担い手になる若者たちの意思や希望を挫くことばかりだということになる。さっそくニューヨークやロサンジェルスといった大都市で,若者を中心にしたデモが連日続いている。

・トランプ勝利を歓迎しているのはロシアのプーチンやEU各国の極右政党だし、中国だと言われている。一方でドイツのメルケル首相は「宗教や肌の色、ジェンダーに関係なく民主主義や人権の尊重に基づいた価値観をもとに緊密な関係を築きたいと」といった発言をした。ところが日本の安倍首相は、緊密な関係を作るためにすぐに会いに出かけるといった発言をした。主人が代わっても「アメポチ」であることが何より大事だといった姿勢である。

・トランプ以上に暴言を吐いて物議を醸しているフィリピンのドゥテルテ大統領は,その反米的な姿勢の理由として、人間なのに犬のように扱われたといったことを言っている。それを聞いてすぐに思ったのは、安倍に代表される日本の支配層は、まるで人間扱いされて喜んでいる犬だな、ということだった。

・アメリカがごり押しをしたTPPがアメリカによって否定されているのに、自民党は衆議院で強行採決をした。トランプが明確に否定しているのだからほとんど意味のわからないことだが、気候変動を抑制するための「パリ協定」の批准をほったらかしにしての行動だから、ますますわけがわからないというしかない。もっとも、どんな失態をやらかしても、メディアは黙ったままだし,支持率も下がらない

・トランプになったアメリカはどうなるのか,といった心配をする前に、この国のダメさ加減にもっと怒るべきだと思う。アメリカがどうなっても、それに翻弄されないこの国の方針を考えることが,何より大事だろう。東京オリンピックまで安倍政権が続いたら、日本は確実に沈没するはずなのだから。

2016年11月7日月曜日

紅葉と薪割り

 

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hakuba1.jpg・パートナーの誕生日を祝って白馬に出かけた。といっても山登りをしたわけではない。栂池公園からゴンドラリフトとロープウェイを乗り継いで栂池自然園まで行き、そのコースを6kmほど歩いた。今年の紅葉は遅いとは言え,自然園の木々の多くは葉を落としていた。ただしリフトとロープウエイから見える景色は紅葉真っ盛りだった。自然園の先まで行くと白馬岳の大雪渓が目の前に見えた。おそらくもうすぐ雪山に変わる。その姿を思い描きながら眺めたが、いつか夏の山に登りたいなとも思った。

momiji1.jpg・今年の紅葉は遅れている。ロープウェイの添乗員もそんな話をしていたが、河口湖の紅葉もなかなか進まなかった。ところがここ数日、最低気温が下がって、2度とか1度になってきた。こうなると紅葉は一気に進む。河口湖は1日から紅葉祭りが始まっていて、テントの屋台が並び,紅葉回廊がライトアップをし始めた。紅葉はまだ三分か四分といったところだが、すでに道路は渋滞し、観光客で溢れている。

・お陰で自転車が乗りにくくなった。車に気をつかい、道ばたで写真を撮っている人を避け、レンタル自転車を追い越して走らなければならないからだ。寒くなったから一番暖かい午後に走りたいが,その時間が一番混み合ってしまう。だから河口湖一周は避けて西湖へと思うのだが、日にちを置くと急坂の登りはきついし、下りは車に煽られてしまう。このあたりの紅葉はなかなかだと思うが、早く散って誰もいなくなって欲しいとも思う。

2016woodcut.jpg・もっとも薪ストーブに火を入れたのを期に、原木を4㎥買い,その玉切りと薪割りもはじめた。自転車と薪割りを一日でやる元気はないから,今日はどちらにしようかと考えて、曇り空や風が強ければ,薪割りということになる。チェーンソーでの玉切りはもう済んで、後は薪割りを少しずつやることになる。雪が降る前の12月中にはもう4㎥を買っておかなければならないから、1ヶ月ぐらいで割って,積み上げなければならない。調子の悪かったチェーンソーはエアークリーナーを分解して、詰まった木粉を取り除いたら威勢が良くなった。チェーンも新しいのに代えたから、玉切りは予想以上に早く済んだ。

momiji2.jpg ・今年の木は素直なものが多いから薪割りは比較的楽だ。しかし、玉切りした木を持ち上げ,斧を振り下ろし,割った薪を運んで,チベット積みにするのはなかなかの重労働だ。一日2時間と思っていたが、30分もやっていると息が上がり、手も腰も足も鈍ってくる。さて今日は薪割りと自転車のどちらにしようかと考える。天気がいいから,あるいは悪いから、気温が高いから、あるいは低いから、風が強いから,と判断材料はいろいろだが、何よりからだとの相談が一番だ。もちろんここには、休日や祭日は自転車を避けるといったこともある。

2016年10月31日月曜日

追悼 平尾誠二

 「平尾誠二VS.松尾雄治伝説の名勝負」

・平尾誠二の死というニュースは,あまりに唐突だった。まだ50代前半の若さで、闘病中などといったことも知らなかった。ラグビーのワールド・カップで日本が活躍したのに、その指導的役割としてなぜ彼が表に出てこないのか疑問に感じていたが、体調のせいだったのかと改めて納得した。

・NHKのBSで「平尾誠二VS.松尾雄治伝説の名勝負」という番組が急遽再放送された。2011年1月2日に放送されたもので、内容は1985年1月15日に今はない国立競技場で行われた、ラグビー日本選手権の同志社大学対新日鉄釜石の試合を二人の話を交えて再現したものだった。6時から始まり9時前に終わる長い番組だったが、個人的な思い出もあわせて,いろいろ考えながら見た。

・平尾が大八木と共に同志社大学にいた当時は、大学ラグビーは同志社の天下で大学選手権を3連覇した。日本選手権では新日鉄に3連敗したのだが、その最後の試合では,前半同志社が先制して,もしかしたら勝てるかもといった期待を抱かせた。新日鉄釜石はその年まで社会人の選手権に7連覇し、日本選手権でも6連覇してきた最強のチームだったのである。

・その試合は結局、後半風上に立った新日鉄が逆転して7連覇を達成し,主将の松尾が引退をしたが、ラグビーを牽引するスターが松尾から平尾に受け継がれた試合にもなった。平尾が就職した神戸製鋼は1988年から94年までの7年間、日本選手権で優勝したが、ラグビーの人気はJリーグに押され,彼が引退した後は凋落の一途を辿ることになった。

・僕が夢中になってラグビーの試合を見たのは、松尾から平尾に続く70年代中頃から90年代初めにかけての頃だった。大学選手権や社会人選手権が暮れから正月にかけて行われて,それは年越しや新年の一番のスポーツ・イベントだった。正月の新年会に集まると、話題はラグビーのことに集中して、勝った負けたと大騒ぎになる。80年代の前半は特にそうだったなと、番組を見ながら懐かしく回想した。

・しばらくラグビーを見ない間に,ラグビーは試合の仕方もユニフォームも様変わりした。それが昨年のワールド・カップを見ての第一の印象だった。ジャパンに外国籍の選手が多かったこと、体格が一段とがっちりしたこと、ぶつかり合いが激しくなったこと、そして何より白い襟のジャージーとは似ても似つかぬユニフォームになってしまったことなどである。昔ながらのジャージーは、今では山歩きしたときに見かける服になっている。

・社会人チームに外人選手が多数入ったせいか、大学は社会人に歯が立たず、日本選手権も社会人と大学のチャンピオン同士というのではなく、それぞれの上位チームが出場するトーナメント戦になって、決勝はもう20年近く社会人チーム同士で戦われている。2014年からは国立ではなく,秩父宮球技場で行われ、テレビの花形番組ではなくなってしまった。

・僕は今でも,球技としてはサッカーよりはラグビーの方がおもしろいと思っている。その意味では日本で開催されるワールド・カップには興味がある。しかしまた、新国立競技場や周辺の再開発を巡るうさんくさい政治的な動きにはうんざりもしている。またなぜ、松尾や平尾といった人たちを前面に出して、ラグビーを再建しようとしなかったのか。平尾誠二が亡くなってから、彼を惜しんでももう仕方がないことなのである。

2016年10月24日月曜日

ハロウィンって何ですか?

 


halloween_img.jpg・街中に出かけることがほとんどないからいつの間に,という感じだったが、ハロウィンが日本でもすっかり定着したらしい。先日研究室に訪ねてきた卒業生が持ってきたお土産がハロウィンのヨックモックで、そんな季節かと思った。クリスマスは家族、バレンタインは職場の同僚の間の行事としておなじみになったが、ハロウィンはSNSで呼びかけた知らない者同士の仮装パーティやパレードになっているという。「キモカワ」の仮装祭りの聖地は渋谷が一番にぎやからしい。

・ハロウィンはケルトの祭りで、暦の最後の日を祝う行事だったと言われている。アイルランドからアメリカに移住した人たちによって収穫祭として広まったが、盛んになったのは第二次世界大戦後だったようだ。キリスト教とは無関係の祭りだが、カトリックはそれを取り込もうとし,プロテスタントは拒否したという経緯があるという。子どもたちが仮装をして地域の家々を回り、お菓子をもらう行事で、日本で話題になったのはアメリカに留学した日本人の高校生が射殺された事件だった。

・そんな異世界の怖い祭りが日本で浸透するきっかけになったのは「キティランド」とも「ディズニーランド」とも言われている。若者たちの間で流行りはじめると、100円ショップやネット通販で関連グッズが売られるようになり、お菓子のメーカーが乗って、ハロウィンを冠した商品を売り始めた。カボチャのお化けは収穫物の代表で、仮装は異界の扉が開いて悪霊や精霊がやってくるという祭りの趣旨に由来するようだ。

・SNSで拡散して渋谷などに集まってパレードやパーティをするというのは、反原発や戦争法案、あるいは憲法改悪に反対する行動と共通する、新しい動きだと思う。けれども裏に商魂たくましさがあるという点では、クリスマスやバレンタインデーのくり返しでもある。クリスマスを家族のパーティと親から子供へのプレゼントの日にしたのは,アメリカで発展した消費行動の結果だったし、赤い服を着たサンタクロースはコカコーラのキャラとして登場したものだった。バレンタインデーを日本で定着させたのがチョコレートを売るお菓子メーカーだったことは今さらいうまでもないほど有名だ。

・にぎやかになりはじめたハロウィンの市場規模が1000億円を超え,バレンタインを上回るようになったという報告もある。この祭りに好意的な人も多く,できれば仮装をして参加したいと思う人もたくさんいるようだ。外から入ってくるものには寛容で、中味には無関心で形だけ取り入れるといった特徴はハロウィンでも変わらない。それは何しろ、奈良や平安の昔から日本人が見せた大きな特徴の一つである。しかしそれはまた、本来の意味を換骨奪胎させて魅力的な商品にするという,きわめて現代的な経済行為でもある。

・若者の仮装好きはすでにコスプレで常態化していて、「クール・ジャパン」を代表する特徴にもなっている。それは逆に日本から世界に拡散してそれぞれ独自の発展をしたりもしているようだ。だとすると、なぜ若者たちはこれほど仮想に魅惑されるのかといった疑問も生じてくる。現実の世界や自己からの逃避だろうなどと言いたくなるが、それだけのことなのかどうか。今のところ説得力のある分析には出会っていない。

2016年10月17日月曜日

ディランとノーベル賞

 ・ボブ・ディランがノーベル文学賞を取った。村上春樹同様、何年も前から候補者に上がっていたから、それほど驚きもしなかった。そもそも、ノーベル賞自体に対して、「物理」や「化学」、そして「生理学・医学」は別にして、「文学」はもちろん、「平和」や「経済」については、いろいろ疑問があった。たとえば「平和賞」は佐藤栄作がとった時から信用しなくなったし、「経済学」があってなぜ、「哲学」や「政治学」、あるいは「社会学」がないのか、「文学」があってなぜ、「美術」や「音楽」がないのかといった疑問もあった。何より、取った、取らないで大騒ぎのメディアには,もう何年も前からうんざりしてきた。

・ノーベル賞はノーベルがダイナマイトなどで得た財産の使い道を遺言に残して生まれたものである。「人文科学」や「芸術」の分野が「文学」一つというのは、ノーベルの意思であるし、20世紀初頭の状況を表していたのかもしれない。その意味ではきわめて限定された個人的な賞に過ぎないと言える。しかしそれは今、科学(自然・社会・人文)の領域で最高の栄誉であるかのように扱われている。

・ディランの「文学賞」はそのちぐはぐさを如実に示したように思われる。その是正を意図して、「文学賞」が「文学」を超えて「思想」や「哲学」、あるいは「政治」や「社会」に広げはじめた結果だと言えるかもしれない。そう言えば,昨年の受賞者はチェルノブイリ原発事故を取り上げたジャーナリストだった。同様の傾向は「自然科学」の分野にも現れているという。平和賞などはとっくに迷走状態だが、であれば、「経済学賞」の狭さばかりが目立つということになる。いっそ「社会科学賞」に変えたらどうかと思う。

・ところでディランだが、ディランの作品に「文学性」はあるのかといった批判があるようだ。そう考える人にとって「文学」は活字になって本として発表されたものに限られているのかもしれない。しかし、「文字の文化」の前には「声の文化」があって、「文学性」は声(口承)から文字へという形で「文学」に凝縮されたという歴史がある。ところが20世紀になってレコードやラジオ、そしてテレビといった新しいメディアが相次いで登場して、「声の文化」が再生したのである。現在では「文字の文化」が隅に追いやられつつある。良し悪しは別にして、そういう流れは否定できないことなのである。

・ディランはフォーク・シンガーとしてスタートした。その先人はウディ・ガスリーでアメリカ中を放浪し、大恐慌の際に労働者や農民、あるいは浮浪者の中に入って、蒐集したり作った歌を歌って人々を慰め、鼓舞をした。その手法がピート・シーガーなどに受け継がれ、1960年代に新しいフォーク・ソングとして開花した。その先端にいたディランはやがてギターをエレキに変え、ロックというジャンルが生まれるきっかけを作った。そのうえで、労働者の音楽と差別されたフォーク・ソングやガキの音楽と馬鹿にされたロックが「文学性」「や「音楽性」、「政治」や「思想」、「哲学」を表現できるものであることが認知されたという経緯があった。ディランがその過程の中心に位置づけられた存在だったことは間違いない。

・ディランはこれまでに「芸術文化勲章」(仏1990年)「ピューリッツァー賞」(米2008年)や「大統領自由勲章」(米2012年)、「レジオンドヌール勲章」(仏2013年)を受賞している。グラミー賞は10回を超え、アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞の受賞歴もある。「ノーベル賞」を取って,取れるものは全て取ったという感じだが、本人はいつでも冷めている。おそらくノーベル賞も、サルトルのように辞退することはないだろう。「辞退」や「拒絶」はまたそれなりに強い意思表示だが、自分のあずかり知らないところで決まったことには謝意もしないし無視もしない。おそらくそんな態度だろうと思う。

・僕は高校生の時以来もう50年もディランを聴き続けている。彼は75歳になってなお精力的なコンサート活動をしていて、僕も4月に彼のライブに出かけた。ほとんど何も喋らないパフォーマンスで、昔懐かしい曲はほとんどやらなかった。ちょっとがっかりといった気持ちがなかったわけではないが、今のディランの姿には十分に満足をした。彼は今でも数年おきにアルバムを出していて、その都度、意外性に驚かされてきた。そこには何より、昔の俺など追い求めるなといったメッセージが込められてきたと言えるからだった。

・僕の人生はディランに出会わなければ今とは違っていただろうと確信できる。「文字の文化」を職業にし、始末に困るほどの書籍に囲まれているが、それほどの影響力を「文学」や「哲学」「思想」、そして「社会学」や「政治学」から受けた人はいない。そんな人であるだけに、僕にとってはボブ・ディランはアカデミーの「文学賞」に価するかどうかなどという判断をはるかに超えた存在なのである。

・もっとも今の彼は20世紀のポピュラー音楽を丁寧にふり返って、衛星ラジオで多くの曲を紹介したり、スタンダード・ナンバーを自ら歌い直したり、新曲を集めたアルバムに古いサウンドを取り入れたりしている。そこには何より、商業化されすぎてどうしようもない状況にある音楽や歌の現状に対する批判や抵抗の姿勢が強くある。それを一人のミュージシャンとして今でもステージで訴え続けている。こんなメッセージをどれだけの人が本気で受け止めているのか。少なくとも今の日本では、きわめて少数に過ぎない。だからオリンピックの金メダルのような調子の大騒ぎには,とてもついて行けない。