2021年7月19日月曜日

大谷選手の活躍の裏で


ohtani2.jpg・今年のメジャーリーグは、大谷選手の活躍でにぎやかです。暗い話が多い中で、メディアでは彼のホームランが清涼剤のように扱われています。僕もほとんど毎試合見て、またホームラン撃った、三振取ったと興奮しています。しかし、彼が所属するエンジェルスというチームについては、初年度から疑問を持ち続けていて、最近特に問題だと思っていることがあります。

・エンジェルスはトラウトのチームです。MLB最高の選手と言われ、毎年40億円を超える年俸をもらっています。これまでの成績を見れば、うなずける評価だと思います。けれども残念なことに、今年は5月中旬にけがをして前半戦の多くを欠場しました。エンジェルスには他にも高額年俸をもらっているのに、トラウト同様、ケガや故障で欠場する選手が大勢います。たとえば3塁手のアンソニー・レンドンは年俸31億円ですし、ジャスティン・アップトン外野手は27億円でした。ここにもう一人、アルバート・プーホルス一塁手の33億円をあげる必要があるでしょう。彼は途中で解雇されてドジャースに移りましたが、今年の年俸はエンジェルスが払っています。

・これらの選手に払っている年俸の総額は130億円ほどで、チームの年俸総額の70%近くを占めています。そして、エンジェルスは前半の試合の多くを、残り30%をもらう選手たちで戦ってきました。それをよくあったオーダーで見てみましょう。この先発野手の合計年俸は15億円ですから、トラウトはもちろんアップトン一人にも遠く及びません。このメンバーで5割を維持したのは驚きと言っていいでしょう。

1番 デビッド・フレッチャー:2.2億円
2番 大谷翔平:3.3億円
3番 ジャレッド・ウォルシュ:6500万円
4番 フィル・ゴスリン:6500万円
5番 マックス・スタッシ:1.8億円
6番 ホゼ・イグレシアス:3.8億円
7番 テイラー・ウォード:6500万円
8番 フアン・ラガレス:1.5億円
9番 ルイス・レンフィーフォ:6500万円

・実は同様のことは投手陣にも言えます。先発陣は大谷の影響もあって6人体制で、当初はディラン・バンディ(9.1億円)、ホセ・キンタナ(8.8億円)、アレックス・コブ(5.5億円)、アンドルー・ヒーニー(7.4億円)、グリフィン・キャニング(6500万円)、それに大谷でしたが、成績不振でバンディとキンタナが外れ、パトリック・サンドバルとホセ・スアレスの二人がマイナーから呼ばれて参加しました。この二人は6500万円以下かもしれません。

・もちろん、ケガや故障は選手につきものですから、仕方がないでしょう。けれどもエンジェルスにはプーホルス以来、おかしな契約が多すぎます。プーホルスは2012年から10年契約でエンジェルスに所属しました。1980年生まれで今年で40歳ですから、不良債券化することは予測できたはずです。実際ここ数年の成績は淋しいものでした。ところがエンジェルスは、2019年にトラウトと12年で総額4億2000万ドルの契約を結びました。この契約が満了する時、トラウトは40歳を超えますから、最後の数年は不良債券化するかもしれません。というより、今年のケガをみれば、既にその兆候が現れはじめていると言えるでしょう。昨年7年契約をしたレンドンも実力の過大評価であったことは言わずもがなだと思います。

・ドジャースやヤンキースに負けないお金を使っているのに、プレイオフには出られない弱いチームというのが、エンジェルスの現状です。この責任の多くはGMを始めとしたフロントにあるでしょう。実際去年までのGMは解雇されて、今シーズンからはペリー・ミナシアンに代わりました。しかし、彼が今シーズンに向けて新たに獲った選手の多くは故障や不振で活躍できていません。また、大谷選手は今年、2年で850万ドルの契約を結びましたが、当初はもっと低額で、大谷側の要求に対して、GMは年俸調停交渉も辞さないと強気でした。去年の不振が理由だと思いますから、今年の活躍はとんでもなく想定外のことだったでしょう。おそらく、今後の契約について頭を悩ましているはずです。

・メジャー・リーグのチームには高額になった選手は放出して、有望な若手と交換して育てるチームが少なくありません。低予算で毎年プレイオフに進出するチームとしては、タンパベイ・レイズやオークランド・アスレチックスが有名です。レイズは筒香選手を成績不振を理由に解雇しましたが、7.6億円という彼の年俸がこのチームの最高額でした。レイズは今年もア・リーグ東地区でボストン・レッドソックスと首位争いをして、金満球団のヤンキースを下位におとしめています。アスレチックスは、同じベイエリアにあるサンフランシスコ・ジャイアンツとは対照的に人気のない球団です。しかしGMだったビリー・ビーンが『マネー・ボール』で映画の主人公になったように、金を使わず、スター選手を作らずに強豪チームにすることを球団の方針にし続けています。

・エンジェルスはけが人続出のおかげで、マイナーから抜擢された若手選手が成長してきています。昨年の終盤に開花したジャレッド・ウォルシュ一塁手はその典型ですが、投手のサンドバルやスアレスなどがあげられます。他にも、今年メジャーで経験を積んで成長しそうな選手がいますし、マイナーには有望な選手も見受けられます。GMやマッドン監督はそんな状況を見据えて、選手を高額で引き抜くのではなく、若手を育てる方針に変更するでしょうか。解雇したプーホルス選手や来年で契約が切れるアップトン選手、それに不振の高額年俸の選手を放出すれば、大谷選手を始めとした若手選手の年俸アップに十分応えられるお金が用意できると思います。

・そんなチームに対して、大谷選手はどう考えているのでしょうか。彼とエンジェルスの契約は今年を含めて後3年です。その後もエンジェルスが引き止めようと思えば、今年のシーズンオフにも、高額な年俸で再契約をしようとするでしょう。自分が思う通りにやらせてくれるチームは多くはないですから、ずっとエンジェルスでと考えているかもしれません。あるいはワールドシリーズに出られるチームに移ろうとするでしょうか。いずれにしても、お金に左右されることだけはないように、と願うばかりです。

2021年7月12日月曜日

追悼 中山ラビ


rabi1.jpg・中山ラビが死んだ。その不意に訪れた古川豪さんからのメールを読んで、まさかと思い動転した。彼女とは長いつきあいだが、ここ数年は会うことも、連絡を取り合うこともなかった。その後の新聞報道では去年から癌で入退院を繰り返していたようだ。元気で店を切り盛りし、音楽活動をしているとばかり思っていたから、一度ぐらいは店を訪ねておくべきだったと後悔した。

・中山ラビは、自分で作った歌を自分で歌う日本のミュージシャンの草分け的存在だった。そのデビュー・アルバムの『私ってこんな』は1972年に出されている。その後『ラビひらひら』(1974年)、『ラビ女です』(1975年)、『ラビもうすぐ』(1976年)、『なかのあなた』(1977年)、『はだ絵』(1978年)、『会えば最高』(1980年)、『MUZAN』(1982年)、『SUKI』(1983年)、『甘い薬を口に含んで』(1983年)、『BALANCIN』(1987年)と70年代から80年代にかけて精力的にレコードを出し続けた。

rabi2.jpg・僕はこの時期に京都にいて、彼女のパートナーだった中山容さんと親しかったこともあって、彼女のライブに頻繁に出かけ、歌作りを間近で見た。彼女の作る歌のレベルの高さはもちろん、歌唱力も当時の女性ミュージシャンの中では傑出した存在だと思っていた。ビッグヒットがあってスターになるということはなかったが、その音楽的評価は高く、その歌や生き方に共感するファンは少なくなかった。

・彼女が東京に移り、母親になって音楽活動を休止したこともあって疎遠になったが、彼女が営む「ほんやら洞」の近くにある大学に僕が職場を移したこともあって、時折会うようになった。「ほんやら洞」は癖のある人たちがたむろする場で、学生たちには敷き居が高い所だったが、時折、学部や院の学生たちと飲み会をした。彼女は音楽活動を再開していたから、コンサートにも出かけた。ベスト盤やライブ盤、そして自主製作盤のCDやDVDなども出していて、その度にプレゼントされた。お返しに僕の書いた本を進呈しようと思ったが、いつも興味ないとそっけなかった。

・彼女の歌は車に仕掛けたiPodで時折流れてくる。で、この追悼文を書きながら、またiMacで聴いている。どの歌を聴いても、当時の情景が走馬灯のように浮かんでは消えていく。どれも思い出深い歌だと、改めて感じた。「私ってこんな」「私の望むのは」「いい暮らし」「あてのない一日」「一年がおわる」「どうしますか」「そのままのまま」「さわれますか」「ノスタルジー」………。くり返し聴いて、ぼくは『ラビひらひら』にある「人は少しづつ変わる」が一番好きだと改めて思った。高田渡や南正人、忌野清志郎、加川良、そしてリリーや浅川マキと死んでしまったミュージシャンは多い。ラビちゃんは、あの世で再会して一緒に歌っているんだろうか。

人は少しづつ変わる これは確かでしょう
ひとつの時代がやがて過ぎるよに
とりのこしの年令 とき告げる一番鳥
一夜の夢さめやらず うかつな10年一昔
そして あなたも変わったね
忍ぶ面影 色あせたのです(「人は少しづつ変わる」)

・彼女に最後に会ったのは、僕の退職パーティの2次会で「ほんやら洞」を訪れた時だったから、もう4年以上前になる。ライブの知らせを伝える手紙が届いたりしたが、東京まで出かけるのが面倒で、一度も行かなかった。彼女がいなくなれば、「ほんやら洞」もなくなるのだろうか。「ほんやら洞」は京都にもあったが、これも数年前に火事でなくなってしまっている。「うかつな10年一昔、あなたも変わったね」と言われたら、返すことばもない。

2021年7月5日月曜日

宮沢孝幸『京大おどろきのウィルス講義』


corona1.jpg・新聞の書評欄で見つけて、読みたくなった。欧米ではワクチン接種が進んで、鎮静化しつつあるが、変種のウィルスによってまた、感染者が増えたりもしている。この新型コロナ・ウィルスとは一体何者なのか。そんな疑問を持ち続けていたからだ。読みはじめて感じたのは、ウィルスというものの複雑さや深遠さで、克明にメモを取って読まなければ理解もしにくいし、頭にも残らないということだった。しかし、久しぶりにノートを取りながら読んで、新たな世界が開けたような気になった。

・当たり前だがウィルスは人類の誕生よりはるか昔から地球に存在してきた。生物でも無生物でもなく、他の生物に寄生して生き長らえてきた。著者は獣医学の専門家で、ウィルスの研究者だが、ヒトに比べて動物に寄生するウィルスについては、これまであまり研究されてこなかったと言う。エイズ・ウィルスやSARSコロナウィルスが登場してヒトに危害を及ぼすまでは、動物に寄生するウィルスは、研究対象としてはほとんど無視されてきたというのである。

・今、世界中を襲っている新型コロナ・ウィルスに研究者はもちろん、世界中の人びとが恐れ、翻弄されているわけだが、獣医学の分野でウィルスを研究してきた著者にとっては、それほど驚くことではなかったようである。そもそも、人に感染するウィルスは、動物に寄生しているウィルスのごく一部にすぎない。ウィルスは野生のあらゆる生き物はもちろん、牛や馬といった家畜や犬や猫などのペットにも寄生している。それが、突然変異をおこしたり、他の生物に感染した時に、悪さをするようになるのである。

・新型コロナウィルスは正式には"SARS-Cov-2"と名付けられている。コウモリ由来で、2002年に流行したSARSコロナウィルスに近く、その弱毒型のバリエーションにすぎないようである。しかし、弱毒型である故に多くの人に感染し、世界中に広まってしまっているというのである。確かにスプレッダーと言われる人の多くは無症状で、自分が感染していることに無自覚だったりするのである。感染集積地を特定したらできる限り多くの人にPCR検査をして、感染の広がりを防ぐようにする。その感染防止のイロハが、日本では未だに行われていないのである。

・生物の細胞内にはDNAという身体の設計図があり、これがコピーされてRNAという手続き書になり、それをもとにたんぱく質が作られるという仕組みがある。それによって細胞が絶えず作られ、成長したり、新陳代謝をおこしたりするのだが、ウィルスにはRNAの遺伝情報を持って生き物の細胞に入り込み、そのRNA情報をDNAに変換させて、寄生した細胞のDNAに付け加えさせてしまう種類があって、「レトロウィルス」と名付けられている。このウィルスの目的は、進入した細胞を使って自らを再生産することにあるのだが、感染した細胞にはこのウィルスのRNAがDNAとして残ってしまい、悪さをされることがあるのである。

・典型的には「成人T細胞白血病」を引き起こす「ヒトTリンパ好性ウィルス」(HTLV)やエイズを起こす「ヒト免疫不全ウィルス1型」(HIV-1)があって、どちらも感染すれば死の危険があって恐れられたものである。しかし、生物には「レトロウィルス」が入り込むことを利用して、新しい臓器を作り出すという進化の仕組みも見られるのである。この本で紹介しているのは著者の研究テーマでもある哺乳類の胎盤と「レトロウィルス」の関係である。卵子と精子が結合して受精卵となり、それが胎盤に着床して子宮の中で成長していく。この時母胎が受精卵を異物として攻撃しないよう制御するのが、ウィルス由来のDNAだというのである。

・この本ではさらにiPS細胞と「レトロウィルス」の関係にも話を進めている。読んでいて、ウィルスと生物の関係の複雑さと深遠さを、改めて教えられた気がした。コロナ禍は個人にとっても、国や世界にとっても大変深刻な問題だが、地球やそこで生きる生物が辿ってきた長い歴史という視点にたてば、ウィルスが欠かせない存在だったことがよくわかる1冊である。

2021年6月28日月曜日

梅雨とリフォーム

forest176-1.jpg

・異常に早い梅雨入りかと思ったら、その後、晴れの日が続いた。いつもの通り、篭坂峠に山椒バラを見に2度でかけた。最初は蕾がちらほらだったが、1週間後に行くと満開で、散りかけた木もあった。富士山をバックにと撮ったが、花の色が白く映りすぎてしまった。実際は左下の色で、開きかけは鮮やかなピンクだ。このあたりは噴火で降ったスコリアが堆積していて、道は雨が降るとすぐに深くえぐれてしまう。今回も、最初はきれいにならされていたのに、1週間後に行った時には、深くえぐれていた。植物にとっては厳しい環境だが、近くの三国山には大きなブナが密集する森もある。この時期には何度も出かけて歩きたくなる地域である。


forest176-2.jpgforest176-3.jpg

・先月の中旬から始まった家のリフォームは、屋根の張り替えが終わって、外壁の修理とペンキ塗り、それに隙間のコーキングと続いている。もう少しで終わるから、足場の解体も今月中か、来月の初めには行われるだろう。リフォームとは言っても外だけで、中は行わない。それが済んだら、後は工房の補修だけになる。梅雨時に始まったから長くかかるかも、と思ったが、晴れの日が続いて、順調に行われた。


forest176-4.jpgforest176-5.jpg

forest176-6.jpg ・作業をする人たちの朝は早い。8時には来て仕事を始めるから、時には突然、屋根で足音がして驚くこともあった。古い屋根や外壁の掃除は水をかけてやるから、わざわざ雨の日にやってきたりもした。もちろん、鋼板をはる作業ではすさまじい音がしたし、窓の外に不意に現れることもあったから、昼間中ずっとカーテンを締めてという日も多かった。一日の作業が済んで帰った後に、毎日、足場から屋根に上って、その日の進み具合をチェックした。なるほどこんなふうにやるのかと思うところも多かったが、既存の板壁にペンキを塗って、それで終わりかと思ったら、新しい板を貼って、またペンキ塗をするといった無駄に思える作業もあった。

・工事が終わったら、バルコニーの補修とペンキ塗は自分でやるつもりだ。ログは4年前にペンキを塗っているから、秋にストーブを燃やしはじめたら、積んである薪をどかしながらやろうと思っている。さて、屋根は緑色で2階は焦げ茶にしたから、ログはどうしようか。少し赤味にするか、濃い茶色にするか。工事が済んだら、じっくり考えようと思っている。

2021年6月21日月曜日

「原子力村」から「五輪村」まで


・国内の世論はもちろん、世界中から中止せよと言われているのに、オリンピックは強行開催されるようだ。そのために東京都などに出ていた「緊急事態宣言」が解除され「蔓延防止等重点措置」に変わった。そうまでしてなぜ、オリンピックを開催したいのか。その理由が全くわからないが、一度始めたことはやめられないという、日本の権力組織が繰り返す愚行の一つだと思えば、それなりに納得がいく。

・一度始めたらやめられない理由としてよく指摘されるのは、日本の集団や組織に共通して見られる「村」という特徴である。「村」とは日本に伝統的にあった「有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会」で、現在でも「同類が集まって序列をつくり、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会」として、よく見受けられるものである。

・福島の原発事故から10年過ぎてもなお、原発を電源の基本に据えようとするのが「原発村」の政策である。古今未曾有の大惨事を起こしながら、なおやめようとしない体質は、第二次世界大戦に突き進み、原爆を投下されるまで負けを認めなかった愚行のくり返しそのものである。そしてこの「村」体質は、「五輪」にも共通している。

・五輪を強行すればコロナの感染者や死亡者が増えることは分かりきっている。その規模がこれまで以上のものになるのはもちろん、日本発のコロナ株となって世界中に広まる危険性も指摘されている。しかし、そうならないための対策はお粗末で、ただ「安全・安心」と呪文のように繰り返すだけである。菅首相はG7で各国首脳からの支持を得たと言ったが、その多くは、おそらく、開会式にやって来ないだろう。

・危険であることや、行動制限が厳しいことを嫌って、多くの選手が参加をやめると予測される。それで無観客ではあまりにお粗末と思っているのか、日本人の観客を入れ、地味な種目には小中学生の動員も考えているようだ。参加する各国選手には、夏の猛暑や多湿に慣れる時間もないから、日本人のメダル・ラッシュになると言う人もいる。何しろ観客も日本人だけなのである。

・それで国中が熱狂すれば、感染者や死者が増えても、選挙に勝てるようになる。そのためにはオリンピック終了と同時にパラリンピックを中止にして、衆議院を解散して選挙に突入する。政権の本心がこんなことにあるとすれば、あまりに利己的だが、政権自体もまた「村」組織なのだから、十分ありそうなことである。それを批判すべきメディアもまた、村社会なのだから救いようがない。

・とは言え、オリンピックの開会までにはまだ1ヶ月ある。その間に感染者が増えはじめて、中止の声が国の内外から起こったらどうするのか。始めたけれども途中でやめる。一番やってはいけないが、また一番ありそうなこと。その時「政権村」や「マスコミ村」はどんな対応をとるのだろうか。

2021年6月14日月曜日

自転車と「こころ旅」

 


kokorotabi.jpg・火野正平の「にっぽん縦断こころ旅」が1000回を超えた。震災直後の2011年4月からスタートして、今年で10年目になった。62歳から初めて今は72歳で、ここ数年は体力的にきつそうだと感じられる場面が目立ってきた。だからだろうか、最近のスタート場所は高台であることが多い。そこから下り坂を漕がずに進み、ほどなく昼食をとる。そして目的地までの距離が10km以下だったりする。「もう少しまじめに走りなよ!」と言いたくもなるが、同い歳の僕には、そのしんどさもよくわかる。

・この番組は視聴者の手紙を読んで、心に残る場所に出かけることを目的にしている。しかし面白いのは何といっても、その途中で出会う人とのやりとりや、山や川や海で生き物と戯れる火野正平自身の挙動にある。とりわけ、若い女の子や別嬪さんには、まるで磁石で吸い寄せられるように近づいて、触れんばかりの距離で楽しそうにおしゃべりをするのである。「このスケベエジジイ!」などとつぶやいたりするが、嫌みがないのが彼の持ち味なのである。反対に積極的なおばさんには腰が引けたり、無視したりといった光景もまた、何とも面白い。

・ところがコロナ禍で、握手することはもちろん、近づくことも避けるようになった。町中を走ることも少なくなって、食事もレストランや食堂ではなく、弁当が多くなった。もうぼちぼちやめ時だろうな、と思うが、訪ねるところで出会う中高年のほとんどが番組を見ているから、NHKとしてはまだまだ続けたいのだろう。今は長崎からスタートして北海道に向かっていて、秋には長野から沖縄をめざすようだ。僕にとっても数少ない見たい番組の一つで、朝と夜の二回放送を楽しみにしている。

・別に意識してそうしたわけではないが、僕が自転車に乗リ始めたのも同じ頃だった。60歳を過ぎて、運動不足や肥満を気にしてのことだったと思う。20kmほどの距離を週に2~3回走るのが習慣になって、今でも続けている。「こころ旅」とは違って、途中で食事などはしないし、誰ともおしゃべりもしたこともない。と言うより、信号以外は止まらずに、駆け抜けている。毎回タイムを計り、心拍数や呼吸数をチェックしているが、この10年間で特に衰えたということはない。ただ、バランス感覚に対する不安は増した気がする。

・さて、あとどのくらい自転車に乗ることができるだろうか。そんなことを考える歳になってきた。少なくとも、「こころ旅」が続く限りは、僕も走り続けようと思っている。走り終わった後に感じる爽快感や身体の軽さは、他では味わえないことなのだから。

2021年6月7日月曜日

Travis "10 songs"


・相変わらず、Amazonで探しても、目ぼしい新譜が見当たらない。そんなふうに思っていたら、トラビスがコロナ感染といったニュースが目に入った。しかし、読んで見ると「トラビス・ジャパン」というジャニーズ所属のグループだった。何だ!と思ったが、「トラビス・ジャパン」という名前が気になって、ウィキペディアで調べることにした。トラビスの名の由来は振り付け師のトラヴィス・ペインで、このグループは歌って踊るアイドル・グループらしかった。いずれにしろ、"Travis"とは関係ない、僕には無縁の存在だった。

・"Travis"はスコットランドのグラスゴー出身のグループで1996年のデビュー以来9枚のアルバムを出している。僕はそのすべてのアルバムを持っていて、イギリスのミュージシャンでは、"stereophonics" 同様、今でも気になるバンドである。既に書いてくり返しになるが、このバンドの名はヴィム・ヴェンダースが監督をした『パリ・テキサス』(1985)に登場する主人公の名前に由来する。家出をした妻を幼い息子とともに探してまわる男の話である。そのトラヴィスを演じたのはハリー・ディーン・スタントンで、死の直前に撮った『ラッキー』2017)を3年ほど前に見た。さらについでに言うと、「トラヴィス」は『タクシー・ドライバー』(1976)でロバート・デ・ニーロが演じた主人公の名前でもあった。

10songs.jpg・それはともかく、Amazonで"Travis"を検索すると、昨年"10 songs"という名のアルバムを出していたことがわかった。今年最初のCD購入である。"10 songs"という何ともそっけないタイトルだが、彼らのアルバムには、これまでにも"12 memories"といった名前もあった。前作の"Every thing at once"からは4年ぶりである。聴いた感想はというと、いつもながらのサウンドで、前作とまとめて聴いたらどのアルバムかわからないほどで、目新しさは感じないが、悪くはなかった。YouTubeにはアルバムに修められた曲のほとんどがビデオ・クリップになっている。

・歌は全曲ラブソングだが、面白い、しゃれたフレーズがいくつもあった。

「サヨナラもハローも言いたくないし、窓辺で手を振る君も見たくないんだ」
(”Waiting at the window')
「君は夢見る人生を過ごしてきたけど、それを実現させようとはしなかった」
('Butterflies')
「リハーサルするより失敗の方がいい。それで人生が逆転しても、シングルテイクなんだ」
('A million hearts')
「去っていく時に思う、ずっと愛していたのかと、心を開いてありのままを話したのかと」
('A ghost')
「隠そうと思えばできるけど、それで何かが変わるわけではない」
('All fall down')
「幸せを感じるのは夢を見ている時だけ、何もない夢を」
('Kissing in th wind')
「窓ガラスについた三つの滴が一つになって落ちていく。恐れも、悔やみも、恥ずかしさもなく」
('No love lost')

・ロックにしてはおとなしく、外にではなく、内に向かって沈潜する。どれも同じような曲だけど、聴いていて心地よい。何を主張しているわけではないけれど、所々に、心に触れるフレーズがある。そんな歌を集めたアルバムを、同じメンバーで25年も出し続けている。ウェールズ出身のStereophonicsとは対照的なサウンドだが、どちらにも感じる心地よさは、アイルランドのミュージシャンとも共通した、ケルトの魂から来るのかもしれない。