2023年3月20日月曜日

沢木耕太郎『天路の旅人』(新潮社)

sawaki1.jpg 第二次大戦中に満州鉄道で働いていた西川一三には、西域地方に対する強い憧れがあった。チベットのラサまで行くには歩くしかないが、その旅程で必要な荷物や食料を買い、それらを運ぶラクダを手に入れるにはかなりの金が必要になる。で、密偵として西域地方を探るという使命を軍に申し出て受け入れてもらった。そこから砂漠や沼地、山岳を越える過酷な旅が始まるのだが、旅立ちの日から猛吹雪に襲われることになる。

沢木耕太郎の『天路の旅人』は蒙古人のラマ僧に扮してラサまでたどり着き、ヒマラヤを越えてインドまで行った西川の旅を、極めて忠実に再現したドキュメントである。暑さや寒さ、渇きや空腹、あるいは盗賊に襲われるということはあるが、旅の記述は極めて単調な日々の連続といっていい。600頁近い大著で、眠る前にベッドで少しづつと思って読みはじめたが止まらない。一日一章と決めて半月ほどで読了した。おもしろかった。

密偵といっても、特に探らなければならない任務があるわけではない。強いて言えば、中国の力がどの程度西域に及んでいるかといったことぐらいだった。もちろん、西川にとっても、旅の目的はそこにはなくて、未知の地に到達することにあった。密偵としての報告も、たまたま満州まで行くというラマ僧に出会った時に手紙を託すといった程度だった。もちろん、資金はすぐに尽きてしまうのだが、後は托鉢をしたり、寺に居候をしたり、行商人になって稼いだりと、極めてたくましく、インドで釈迦にまつわる地を訪ねる時にはほとんどが無賃乗車だった。

日本が敗戦したことを知った後も、もっと旅を続けるつもりだったのだが、日本人であることやスパイであることがわかり、強制送還されて旅は終わる。その経験は西川本人が『秘境西域八年の潜行』と題して本にし、ベストセラーにもなったのだが、沢木耕太郎は、その旅を自らの手で再現しようとしたのである。

戦後盛岡で化粧品店を営んでいた西川に沢木が会ったのは、今から四半世紀も前のことである。何度も出向いて取材を重ねたが、なかなか本にまとめることができなかった。その間に西川が死に、その後で会うことになった西川の妻も亡くなった。あとがきで沢木は、すでに本人が書いた本があるのに、なぜ彼の旅を描くのかと自問したと書いている。そして旅そのものではなく、旅をした西川を描くのだという結論を導き出す。

沢木耕太郎には多くの著作がある。ノンフィクションの作家として、人物や事件を客観的に描くのではなく、自分がそこに関わることを特徴にしている。デビュー時には、そのスタイルが「ニュー・ジャーナリズム」という呼び方をされたりもした。僕はあまり歳の違わない彼の初期の著作を熱心に読んだが、『深夜特急』以後については興味をなくしていた。売れっ子になってしまったと思ったのかもしれない。ただし、久しぶりに彼の本を読んで、若い頃と変わらない、その描こうとする対象に向かう真摯な姿勢と、強くて軽やかな筆致を再認識した。

2023年3月13日月曜日

ジョニ・キャッシュの最後のアルバム

 
Joni Cash "American IV : The Man Comes Around"
AmericanV : "A Hundred Highway"

ジョニ・キャッシュはカントリーの大御所で、2003年に亡くなっている。ディランと一緒に「北国の少女」を歌ったのが、彼を知るきっかけだったが、その後も特に興味を持つことはなかった。ホアキン・フェニックスが主演した『ウォーク・ザ・ライン』はキャッシュの半生を描いた映画で、面白かったが、それでも,キャッシュのCDを買う気にはならなかった。同じカントリー・ミュージシャンのウィリー・ネルソンのCDを買ったのも4年ほど前で、僕がカントリーミュージックにいかに無関心だったかが、今さらわかるのである。

フォーク・ソングと重なるジャンルなのになぜなのか。単調で明るいサウンドと、保守的で右翼的な歌が多いという印象が強かったのかもしれない。対照的に、ディランに代表されるように、フォーク・ソングは政治や社会を批判するミュージシャンがリードする音楽ジャンルだった。しかし、実際には、二つの音楽ジャンルは、それほど単純に二分できないものだったようだ。実際、ジョニ・キャッシュは民主党支持で、反逆のイメージがあって、刑務所でコンサートをやったりもしている。

cash1.jpg" YouTubeでたまたまジョニ・キャッシュの ”Hurt" という歌を見つけた。その年老いた顔に惹かれて聴いて、CDを買いたくなった。収録されているのは"American IV : The Man Comes Around"というタイトルで、IからVIまで出ているが,キャッシュが存命中に出たのはIVまでである。

”IV"は2002年に発売され、”Hurt" はプロモーション・ビデオとして2003年度のMTV Video Music Awardsで最優秀撮影賞を獲得している。ナイン・インチ・ネイルズのカヴァー曲だが、自身の人生を切々と振りかえるような内容で、キャッシュの墓碑銘だとも言われているようだ。

cash2.jpg" この『アメリカン』のシリーズは著名なプロデューサーであるリック・ルービンが、晩年のキャッシュを追いかけて作ったものである。録音は小さなライブや自宅で10年以上もかけて撮りだめしたものだから、それ以前のキャッシュとはずいぶん違う歌声が聞こえてくる。張りのある低音ではなく、しわがれてか細い声で、楽器もギターだけだったりする。収録曲も自作ばかりではなく、他のミュージシャンのカバー曲が多い。

"IV" にはサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」やビートルズの「イン・マイ・ライフ」、スティングの「アイ・ハング・マイ・ヘッド」が入っているし、"V" にはスプリングスティーンの「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」が収められている。他のアルバムにはU2やレナード・コーエン、トム・ウェイツ、トム・ペティ、そしてシェリル・クロウの曲を歌っている。ジャンルを超えて彼が気に入った歌を、プライベートな場で歌う。その歌声に聞き惚れてしまった。

2023年3月6日月曜日

春が早く来た!

 

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forest190-2.jpg立春を過ぎたら本当に暖かくなった。マイナスにならなかったら薪ストーブはつけない。そんな日が2月にあったのは何年ぶりかのことである。3月になったら、もう何日もつけない日が続いている。このまま春になれば薪がかなり残って、来冬の分も何とか行けそうだということになる。

暖かくなる前に、毎年行っている母の白滝に凍った様子を見に行った。例年通りだったが、途中の道にキャンプ場が造られ、富士山を鳥居越しに見られる場所も作られた。中国人と思われる観光客が列をなして山道を歩いているのには驚いた。


forest190-4.jpg スーパーに出かける以外に外出の必要がないので、週一回ぐらいは出かけようと田貫湖に出かけて、湖を歩いて一回りした。3kmほどを40分、雲って富士山は見えなかったが気持ちよかった。

翌週は熱海に梅見物に行った。月曜日なのに大勢の人出で、久しぶりに人混みを経験した。梅園は広大な斜面にあって、一番奥にある枝下梅は見事だった。それにしても河口湖から熱海に行くのは大変で、行きは箱根の芦ノ湖経由で、帰りは三島まで出て折り返すように帰った。

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forest190-6.jpg 雪が降らないから自転車にも乗っている。この時期、周囲が白くなっていないのは何年ぶりだろうか。ただし、久しぶりにぎっくり腰になったから、天気が良くても走れない日が2週間ほどあった。3月になったら湖畔には車が増えて、観光客も多くなっている。

コロナが収まったので東京に出かけた。小学生になった孫の野球試合を応援するためで,何と3年ぶりである。これほど長い期間東京に行かなかったことはなかった。東京マラソンの日だったが,道は空いていて,スムーズだった。一年、二年生が懸命にプレイする試合は、プロの試合とはまた違って、おもしろかった。

2023年2月27日月曜日

マイナカードは断固拒否!

 



mynumber1.jpg" 国はマイナカードをさまざまなポイントをつけて普及させようとしている。直近の数字では取得率は7割といったところだ。そもそも任意のカードなのに、健康保険証だけでなく車の免許証まで一緒にするというから、まったくあきれた話だと思う。カードを作らなければ、健康保険証は別に作ってもらうよう請求する必要があるというが、車の免許証も同じになるのだろうか。

国が国民にカードを持たせたいのは、個人情報の一括管理を目的にしているからだ。それは預金口座にまで及んでいて、カードを作った時に拒否しなければ自動的に口座とつなげてしまうというのである。実際、このカードと健康保険証の紐付率は5割ほどで、口座は4割を超えたところだという。ずいぶん素直な人が多いな、とあきれるが、紐付すればそれだけポイントとしてお金が入るというのだから、つられて気安く応じているのだと思う。

しかし、健康保険証にしても免許証にしても、いつも携帯していて、なくしてはいけないものなのである。それにくらべてマイナカードはいったいどういう時に必要になるのかわからないものである。そもそもマイナンバーは他人には教えてはいけないものだったはずだから、カードもどこか大事なものを入れておく場所に保管すべきはずである。これをいつも携帯して、免許証のように、身分証明にも使えということなのだろうか。

これが信用できる国のやっていることなら、まだ納得できる。しかし、やることなすことヘマばかりで、失言や不祥事も多いし、世論を無視してオリンピックをやり、原発再稼働も決め、兵器の爆買いもやろうとしているのである。そんな国に個人情報をすべて管理されたら、いったいどういうことになるか。空恐ろしい気になるのだが、メディアはどれも、そのことに本気で警鐘を鳴らして政府を批判したりはしない。

そうであれば、ここは個人として断固拒否し、面倒でも保険証も免許証も別々に発行させるようにしようと思っている。「マイナ保険証」のシステム導入が義務付けられているのは違法だとして、都内の医師が集団で地裁に訴えを起こしたようである。このような動きが、もっともっと高まればいいと思うがどうだろうか。


2023年2月20日月曜日

4K、4Kってうるさいぞ!

 


4k1.jpg"去年の暮れ頃から、急にテレビが4k、4kとうるさく連呼しはじめた。4kの番組を見るためには、それに対応した受像機が必要だが、我が家のテレビはまだ元気だから買い替えるつもりなどない。あまりに繰り返されるから腹が立ってチャンネルを変えることもしばしばだ。

4kテレビとは現行のハイビジョン画像が2kだから、その2倍の解像度ということになる。現物を見たことがないが、興味がないから電気屋に見に行こうとも思わない。第一、今のテレビだって画像は十分にきれいで、それが2倍になったからといって見違えるほどになるとは思えないからだ。もちろん、より大きな画面でもきれいに見えることはあるだろうが、今以上に大きな画面にしたいとも思わない。

4kの番組は今のところ衛星放送だけで、地上波はまだのようだ。NHKのBS放送は現在の2チャンネルのうち、ひとつが来年の4月から4k対応になるようだ。テレビはあまり見ないが、それでも BSの3チャンネルはよく見るから、これがなくなったら、見るものがますます少なくなってしまうだろうと思う。それで不便さを感じても、買い替えるほどのことではないだろうと思っている。

そもそも我が家は難視聴地域にあって、地デジの民放が2局しかない山梨県なのに、見えるはずの4局だってまともに見ることができないのである。以前にそれについて苦情を言ったら1年だけBSで地デジの全局を見ることができた。ただし1年だけで、あとはケーブルテレビに加入しろと言われてしまったが、今さらばからしいからと、ケーブルテレビに加入などしていない。

地上波のテレビがつまらないものばかりなのは、番組表を見ればすぐわかる。よくもまあ、こんなバカ番組ばかり、毎日やるものだと思うことが少なくない。政府に偏ったニュース番組を見ても腹が立つだけだ。駅伝やマラソンなどのスポーツ番組もCMで中断されてばかりで、あきれて途中でやめてしまうことが多い。だから地上波が4kになったからといって、テレビを買い替える気にもならないだろうと思う。

振りかえれば、テレビも何台も買い替えてきた。最初に買った14インチの白黒テレビの宣伝文句が「一生のお買い物です」というほど高価だったことは今でも良く覚えている。しかし数年後には画面の大きいものになり、また数年後にはカラーになった。家を出てアパート住まいの部屋に買ったテレビ、結婚して買い替えたテレビ、そしてハイビジョン対応に合わせて買ったテレビ。それが壊れて買った液晶のテレビが今見ているものである。

今ではもちろん、テレビは家の主役ではない。はるかに長い時間をパソコンを眺めて過ごしているし、他にタブレットもスマホもある。実際僕がテレビを見るのは昼と夜の食事前後の数時間だけで、それも何かやりながらとか、居眠り半分にというのが現状だ。テレビには将来性がない。だからこその4kかと思うと、妙に納得した気分になった。

2023年2月13日月曜日

棄民政策がまかり通っている

 

コロナ禍に襲われて3年が過ぎました。今は第8波で、感染者数も死者数も段違いに多いのですが、政府の態度は、もう終息したかのようです。5月にはインフルエンザと同じ5類にするという方針が出されました。確かに若くて健康な人にとっては、風邪の一種ぐらいで済んでいるようです。けれども高齢者や疾患を持っている人にとって、重症化や死の危険がある感染症であることにはかわりはないのです。このような現状を見た時に思うのは、この国は社会の役に立たない弱者や高齢者は切り捨ててもいいという方針を暗黙の了解事項にしたのではという懸念です。

現在の日本は超高齢化社会で、2021年の平均寿命は女が世界1位の87.57歳、男は81.47歳で3位です。.コロナの影響で2020年より下がったようですが、2022年度はもっと下がるでしょうし、23年度にはさらに下がるのは明白です。何より第8波で死んだ人の大半は高齢者で、老人ホームなどでの集団感染が多かったと言われています。それを大変なことだと考えないのは、政府が健康保険や年金の制度を破綻させないためには良いことだと思っているからだと言われても仕方がないことでしょう。

それは公にはされない棄民政策ですが、別の事柄で同じような発想を公言する政治家や官僚が後を絶たないのも事実です。同性婚は生産性がないと言った政治家が役職を解かれましたが、今度は首相秘書官が同性婚は気持ちが悪いとオフレコ発言をして更迭されました。岸田首相は同性婚の法制化には消極的ですが、今回の発言が海外で問題視されたことに慌てて、広島サミットまでに法制化しようかなどと言い出しています。何しろサミットに出席する国で同性婚を認めていないのは日本だけですから、議題に挙げられたら、世界の恥さらしになってしまうのです。

物価高騰を受けて、賃金を上げることが喫緊の課題になっています。しかし、そこでも4割にもなった非正規雇用の人たちは後回しにされています。一体時給が1000円に満たない収入で、どうやって暮らしていけと言うのでしょうか。これでは若い人たちが結婚などできないし、子供も作れないと思うのは当然でしょう。出生数の大幅な減少を受けて、慌てて子供の養育費などを考えても、もう手遅れという他はないのです。

人口減少に対応して雇った外国人労働者に対する扱いもひどいものだと言えるでしょう。あくまで一時的で、定住されたり、子供を作られたりしては困る。そんな身勝手なルールがまかり通っています。「技能実習制度」というのは、現実には認められていない非熟練労働をやらせるための隠れ蓑で、単純労働では、何の技能も身につかないのが実態です。それに苦情を言ったり逃げたりすれば、強制送還というのですから、人として扱わないと言われても仕方がないでしょう。

こんなふうに、今の日本には暗黙の「棄民政策」が溢れていますが、他方で権力者たちの私利私欲を求める行動が見過ごされてもいます。国会議員は一体いつから殿様になって、世襲が当たり前になったのでしょうか。最近の首相の多くは2世、3世議員ですし、その子どもたちが、当たり前のように後継だと言われています。ひどい国になったものだとつくづく思います。若い人たちはこんな国を見限って海外に出たらいいし、外国の人には見向きもされなくなったらいい。ほとほとあきれて、そんなことも言いたくなりました。

2023年2月6日月曜日

内山節『森にかよう道』『「里」という思想』(新潮選書)

 

山歩きをしていてよく思うのは、登り始めが杉や桧の人工林で暗いということだ。間伐もしないで鬱蒼としているところや、間伐しても置き去りになって腐りかけているところが多いのである。それがある程度の高さになると広葉樹になって、明るさも見通しも一変する。杉や桧はほとんど戦後に植えられたもので、木材にすることを当てにしたのだが、安価な輸入材のために放置されたままになっているのである。そんな森を歩くたびに、何とかならないものかと思ってきた。

mori2.jpg 内山節の『森にかよう道』は1992年から2年近く「信濃毎日新聞」に連載された記事をまとめたもので、出版されてから30年近く経っている。しかし、ここで指摘されていることにはほとんど何も対応策が採られていないから、現状はいっそうひどいことになっている。この本には取材をかねて出かけた北海道から屋久島までの多くの森が取り上げられている。面白いと思ったのは著者が考える「豊かな森」が必ずしも、人の手が入らない自然な森ではないということだった。

『森にかよう道』で語られる「豊かな森」とは、そこに住む村人が茸や山菜などを取り、薪や炭にするために枝打ちや伐採をした、手を入れた森である。あるいは家や農地を守るために作られた防風林や防砂林といったものもある。それを「暮らしの経済」と呼べば、広葉樹をすべて伐採して杉や桧の人工林を作るのは、あくまで木を商品価値を持った材木としか考えない「市場経済」ということになる。それは「山仕事」から「林業」への転換であるが、そうなると、森を管理するのは村人ではなく、森を所有する国や自治体になり、働く人たちは製材業者やパルプ会社に雇われる人になった。

もちろん、ここには戦後の経済成長による人々の働き方や暮らし方の大転換という要因もある。それによって村は過疎化し老齢化して、森に人の手が入るということも少なくなった。日本の森林率は7割近くで先進国の中では1位を維持しているようである。イギリスでは1割以下でヨーロッパの3割、ロシアの4割に比べれば、かなり多いといえる。しかし日本の木材利用の7割以上が輸入に頼っていて、それが熱帯の森を減少させる大きな原因にもなっている。

mori3.jpg 森林率が多いといっても、人工林によって起こされた影響は多岐にわたる。大雨によって山が崩れる。川から海に流れる養分が減って沿岸で魚が取れなくなる。あるいは花粉症の蔓延などなどである。著者が主張するのは「里」や「里山」への注目で、そのことは彼の続編とも言える『「里」という思想』で語られている。すでに「市場経済」が成り立たなくなった日本の森を「暮らしの経済」として再生させる必要性ということだ。

森とともに生きてきた村人には、森を維持し、生活する上で必要なものを森から手にするための「作法」がある。それは代々受け継がれてきたもので、村人たちはいちいち深く考えたり、ことばにしたりしないが、著者には一つの思想として受け止められるようになる。若い頃から群馬県の上野村に住み着き、職場がある東京との間を行き来してきた著者ならではの結論だと思う。近代化によって消しさられようとしている「里の思想」を再認識し、どう未来に生かしていくか。それが切実な問題であることは、山歩きをすればすぐに気づくことである。