・勤め先が変わって2カ月半がすぎた。大学の教員はだいたい週3日のお勤めとはいえ、東京と京都の往復分だけ大学に滞在する時間は減っている。水曜日は昼に大学に着いて、午後はすぐ授業があるし、金曜日は午前中授業があって午後は会議。で、終わればすぐに帰り支度である。だから、特に予定のない時間を過ごすのは、木曜日の昼前後だけで、コミュニケーション学部棟とは離れた研究室にいるから、ゼミの学生や学部のスタッフの人たちとのつきあいも限られている。ゼミの学生も、学部のスタッフも人数が多いということもあって、名前と顔が一致しない人もまだまだたくさんいるし、職員の人たちの名前などはほとんどわからない。
・それでも、研究室の書架の整理がだいたいすんで、個人研究費で買ったテレビとビデオとMDラジカセが来て、部屋の様子も落ち着いたから、自分の部屋のような感じがしはじめてきた。ゼミの学生も何人かは授業以外に訪ねてきて雑談をして帰るし、院生とのやりとりも軌道に乗ってきた。あと足りないのは、注文したのにまだやってこないPower
Bookだけだが、これは夏休みに持ち運びできるように買ったものだから、それほど困ってはいない。
・ところで、新しい職場に移っての感想だが、まずおもしろかったのは、ルールや慣習の微妙な違い。たとえばぼくはこれまで、学部のゼミや院の授業は研究室でやってきた。しかし東経大では教室を使ってくれと言われた。理由は研究室とは研究をするところであって授業をするところではないから。こういうことにはたぶん歴史的な経過があるのだと思う。研究室で学生がうるさくて苦情が出たとか、人の出入りの管理がしにくくて不用心だとか........。けれども、ぼくはいちいち教室に行くのは面倒だし、学生にも本やビデオなど、その都度紹介したり貸したりしたいものがあるからと主張して認めてもらった。で、応接セットの代わりに長テーブルと折りたたみイスがやってきた。
・驚いたのは、このような要望が、教員と職員とのやりとりの中でではなく、そのための委員会で話されることである。同僚の山崎カヲルさんによれば、研究室にテレビやビデオやCDを置くことも、個研費を使って書籍などをインターネットで買うことも、このような交渉の結果、つい最近認められたのだそうである。民主的といえば言えるのだが、ちょっと形式的にすぎないかと思った。
・民主的といえば、全学教授会。総勢100人以上という会議は壮観だし、全員が集まって大学の運営を、という方針は悪いことだとは思わないが、何かというとすぐ投票をはじめるから、とにかく時間がかかる。過去2回とも、3時半からはじまって、新幹線で帰れるリミットの7時になっても終わらなくて、ぼくは2度とも途中退席した。
・もちろん、悪いことばかりではない。昨年度まで一番うんざりしていた入試業務が、信じられないくらい楽になった。追手門では入試手当を一律で払うために、用がなくてもすべての入試に全員参加が方針だったが、東経大ではほんの1-2回ですむようになった。これは手当が仕事に応じて支払われることと、職員の参加度が高いためである。同様のことはもちろん、通常の前期末や学年末の試験にもあてはまる。このことで軽減される時間とエネルギーの一点だけで、ぼくは移ってよかったと感じてしまった。職員といえば、メールのやりとりで連絡を取り合えることも大助かりである。大金をかけて学内LANの専用システムを作りながら、学内の連絡業務や図書の検索などができない追手門のコンピュータとは何なのかと思ってしまった。ちなみに東経大には専用の
LANシステムはないが、特にそれで不便をしているようでもなさそうである。
・違いの話を書いたが、実は問題は共通したところにある。それは「民主的であること」と「平等であること」の弊害。これはたぶん日本の大学すべてに共通していることだし、官公庁や企業の改善すべき体質として指摘されるところとも重なっている。その問題が一面では改善され、別の面では手がつけられないままにある。そんな違いのように思った。
・もう一つ、肝心な学生のことについても書いておかなければならない。しかし、この点については関西と関東という違いにもかかわらず、似通っていることに驚いている。これは文化的な違いがなくなってきているせいなのか、それとも同程度の偏差値のせいなのか、ぼくにはよくわからない。が、学生のことについても、そのうちにこの欄で取り上げてみようと思う。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。