2000年5月22日月曜日

仲村祥一『夢見る主観の社会学』世界思想社

  • 仲村祥一さんは丑年だそうだから、僕よりちょうど二まわり上。つまり75歳である。その仲村さんから新刊本をいただいた。本を出すためには長い文章を書かなければならない。あたりまえだが、これがなかなかしんどい。40代の後半からそんな気持ちになっている僕には、70歳を過ぎてなお本を出そうという気力とエネルギーに驚いてしまうし、自分のだらしなさを反省してしまう。僕もがんばらねば!と思わされた一冊だった。
  • 僕にとって仲村さんは恩人である。なかなか大学のポストに就けない僕を引っぱってくれた。僕は30代の中頃までは非常勤であることを面白がっていた。書いた文章も、およそ論文とは言えないスタイルで、タイトルもわざと論文らしからぬ名前にした。だから、どこにアプライしても、必ず採用を反対する人がいた。最初のうちは「だから大学ってところはだめなんだ」と突っ張っていたが、30代の最後の頃になると、もうかなりくたびれてしまっていた。そこに仲村さんからの誘いがあったのである。
  • 仲村さんが僕を評価してくれたのは、たぶん僕が自分の経験を材料にして書くというスタイルをとっていたからだと思う。それは鶴見俊輔やジョージ・オーウェルから学んだ方法であり、またフォークやロックの音楽、そしてカウンター・カルチャーから受けた影響だったが、仲村さんもまた大学紛争の経験や社会問題への関わりの中で、自分の存在を自覚しながら考えることの必要性を実感されたようだ。『夢見る主観の社会学』を読むと、そんな仲村さんの歩いた「道筋」がよくわかる。
  • 僕は仲村さんと4年ほど同じ大学で過ごした。彼の期待とは裏腹に、僕は自分のことにはほとんどふれない文章ばかりを書くようになっていたから、たぶんがっかりされたことだろうと思う。大学で職を得ようと思ったら、やっぱりそれなりの業績を作らなければならない。30代の後半から、僕はメディア論を中心に文章を書くようになっていた。おまけにコンピュータに飛びついて、それに夢中になったし、メディア論の次はロック音楽論を始めたから、話し相手としては物足りなかったのかもしれない。残念ながら、パチンコは学生時代に卒業してしまったし、釣りには全く関心がなかった。
  • けれども、ものの感じ方や人や出来事に対する態度には、一緒にいるだけで、共感できる部分がずいぶんあることがわかった。役職に就くのをいやがり、セレモニーといった場所では居心地の悪さを態度に出した。何事に対しても斜に構えて、皮肉な目や辛辣な批評を口に出したが、本当のところは気心の通じる仲間や友達を求めている。人間関係や社会に対する理想も失ってはいない。そんなところに僕は似た者同士であることを感じたから、仲村さんと一緒に過ごせた時間はものすごく貴重だった。
    教員生活を50年してきたが、納得しがたい命令に従うのが嫌いでこの業界に入り、抵抗できる他者には我を通し、妥協の余地ない組織からは身をそらし、「思想の科学研究会」的な勝手連は別として、どのような政治団体にも加わらず、教え子たちにも我が見るところは明言しても好き勝手に勉強せよと励ます式に五つほどの大学を転々としてきた。私はしたくないことをできるだけ回避し、したいことが可能な方へと生活を導いてきたらしい。
  • 仲村さんは釣りをするために和歌山に近い大阪のはずれ(仲村さんによれば関西という扇風機のウラ)に引っ越し、長い時間をかけて大学に通ってきた。毎週大阪に一泊して大変だなと思ったが、僕も今、森の生活がしたくて、河口湖に住んで国分寺まで高速道路を使って通勤している。同様に東京で週一泊のスケジュールだ。この本を読みながら「したいことが可能な方へと生活を導く」ことを第一にしている自分は、仲村さんそのものだと、あらためて確認してしまった。
  • 共感できたところをもう一つ。50年生きてきて、友達といえるような人がいたのだろうかという思いである。気心が通じていてほどほどにつきあえる人は何人かいる。しかし、たとえば高校や大学で知り合った友人は、その後の道筋が違えば、お互いの意識はずれてきて、僕が近くに戻ったからといって、そのまま距離が縮まるわけではない。仕事を通しての仲間や知人には、最初からある程度の距離があって、その垣根を越えるのは難しいし、越えない方がいい関係が保てる場合が多い。それでもまあ、こんなものかという気がするし、同時に、本当はもっと別の関係があるのではという思いもある。
  • 僕は仲村さんのように、70代の半ばになってもまだ、あるべき関係について考えたり悩んだりするのだろうか。とてもそんな自信はないが、とかくしんどい人づきあい、だけど一人では癒されない心の置き所を狭く限定しないでおこうとは思っている。僕が東京に行くと言って挨拶したとき、仲村さんは「今生の別れになるかもしれん」とおっしゃった。ものすごく意外なことばに感じたが、別れを惜しんでくれたのかな、と今は勝手に解釈している。
    「舞台の上だけでなく楽屋裏や劇場の外にもはみ出しての社会学者の個人や自身との、できれば友情もかわしあいたい。そのための自己開示というのが私の思いなのだ。」
  • あとがきに書かれたこのことばを肝に銘じたいと思う。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。