2000年10月2日月曜日

井上摩耶子『ともにつくる物語』 (ユック舎)

  • 井上摩耶子さんから新しい本を贈られた。『フェミニスト・カウンセリングへの招待』につづく2冊目。なかなか快調のようでうらやましい。今回はフェミニスト・カウンセラーとしてつきあったアルコール依存から回復した人との対話が中心で、やっぱり話し上手、というよりは聞き上手な彼女に感心してしまった。
  • ぼくは胃腸が弱いから、深酒はしたことがない。ある程度のところまで飲んだら身体が受けつけなくなる。無理をしたらすぐに胃がチクチク痛くなって、ひどいときには潰瘍ができてしまう。そのしんどさを何度も経験しているから、どんな精神状態になってもアルコールに依存することはないと思う。とにかく潰瘍は痛いのである。実は後期が始まったとたんの忙しさで、久しぶりに十二指腸にできてしまっているのだが、この忙しさは当分おさまりそうもない。やれやれ………。
  • それはともかく、本題に入ろう。『ともにつくる物語』は題名の通りアルコール依存を克服した松下美江子さんと摩耶子さんの対話が中心だが、話しているのはもっぱら松下さんで、語られる物語は松下さんの半生記である。
  • 松下さんがアルコール依存症になった原因は、専業主婦であること、しかも、結婚前の妊娠で何度も堕胎手術をして子どもができなかったこと、夫の転勤で各地を転々として、友人関係ができにくかったことなどである。銀行に勤めるエリートサラリーマンの妻がアルコール依存症、となれば、周囲の目は当然冷たいし厳しい。「何とだらしがない」「甘ったれな」といったセリフをはきたくなるのは、たぶんぼくも同じだろう。
  • けれども、二人の対話を聞いていると、なぜアルコールに頼るようになったのか、どうしてそこからぬけ出せなかったのかが理解できるようになる。たとえば、すぐに結婚するとはいっても結婚前に妊娠してしまったら、そのことに罪悪感をもつ。だから堕胎手術ということになるが、今度はそれが新たな不安や罪悪感になって妊娠恐怖症になる。で、妊娠をよく確かめずにまた手術。時代は戦後の混乱がまだおさまらない昭和20年代の末。結婚や性に対する考え方は今とはまるで違っていて、医療や身体に対する知識はお粗末なものだった。
  • 結婚するが子どもはできない。高度成長期の銀行マンだった夫は家にはあまりいない。自分の時間をどう使うか。あれこれやってみても、夫の転勤とともに中断。昼間から酒を飲む生活が始まる。そうして30代から40代にかけてアルコールに依存した毎日が続くことになる。だらしがないからではなく、潔癖であるから、怠け者だからでなく、いろいろやりたい、やらねばという気があるからこそ陥る泥沼。この本を読んでいくと、そのあたりのプロセスがよくわかる。
  • 摩耶子さんは前作で「物語を聴くことは、今もうっとりする体験である。子どもの頃は、もっとうっとりする体験だった。私の想像力は、人が話す物語を聴くときに一番遠くまで広がっていく気がする。」と書いていた。今回の話はとてもうっとりするようなものではないが、摩耶子さんの想像力はぴったり松下さんに重なっている。
    テープを聞いてみると、私はただ「ワッハハ」「ガッハハ」と笑ってばかりいる。しかし松下さんには『これは井上さんへの遺言状です』という決意があり、それは私も十分にわかって聴いたつもりである。
  • 大丈夫。摩耶子さんの「ガッハハ」は話を誘発する。おしゃべりや世間話が苦手なぼくがいうのだから間違いはない。カウンセラーにとって大事なのは、理屈先行で相手の話を解釈することではなく、物語として聞き入ることとうまい反応をすること。まじめに、深刻に応対していたら、たぶんこの本の物語はずいぶん違ったものになっていたはずだ。話すことで癒される。カウンセラーという仕事は大したものだと思うが、ぼくにはとてもできそうにない。
  • 0 件のコメント:

    コメントを投稿

    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。