2001年10月8日月曜日

庭田茂吉『現象学と見えないもの』(晃洋書房)

  • この本は、ぼくにとっては思い出ふかいものだ。庭田さんは同志社大学の哲学の先生で、ぼくとは30年のつきあいになる。今年亡くなった桐田克利さんたちと一緒によく酒を飲んだり、議論をしたり、それにちょっと勉強会もした。それぞれに、恋愛のこと、結婚のこと、子どものこと、そして仕事のことなどで悩ましたり、悩まされたりもした。庭田さんはその私生活では、仲間内では一番のトラブル・メーカーで、もういい加減にしろとみんなからあきれられることも多かった。しかしそれだけに、会えばいつでも彼の話題でもりあがった。
  • 庭田さんは青森出身で、寺山修司に似たしゃべり方をする。深刻な問題を抱えこんだときでも、その独特の口調で、おもしろい話にしてしまう。ぼくの周辺では希有のストーリー・テラーで、ぼくは小説家になったらいいのにとずっと思ってきた。実際彼の人生は、波瀾万丈で、ぼくに才能があったら、彼をモデルに小説を書きたいほどである。もちろんそれができたとしたらスタイルはコミカルなものになる。
  • 『現象学と見えないもの』は彼の博士論文で、その完成には就職の成否がかかっていた。数年前のことだ。あきらめずによく頑張るな、と半ば感心、半ば呆れながら、うまくいくとイイねという月並みな激励をした覚えがある。書きあげたら、プリントしてくれないかと言われて、おやすいご用と引き受けた。そうしたら、完成したという連絡のかわりに、パソコンのハードディスクが壊れて、書いたものが消えてしまったと電話をしてきた。「バック・アップは?途中で印刷したものは?」と聞いたが何もない。途方に暮れた様子で、人ごとながら、ぼくもぞっとしてしまった。しかし、彼は気を取り直して、記憶をたよりに書き直すと言った。ドジの多い人だが、へこたれない人なのである。
  • できあがったという連絡がはいったのはそれから半年後で、ぼくの家で数日かかって提出用の博士論文を作成した。で、博士号をめでたく取得して、就職も決まった。めでたしめでたし。といいたいところだが、ぼくはその中味をまるで読んでいない。印刷の際には読む余裕などなかったのだが、何とも難しそうで、読んでみたいという気にもならなかった。しかし、それが本になって、ぼくのところに送られてきた。あとがきには、作成過程のいきさつとぼくに対するお礼の文がある。これは、気をいれて読まねばと思った。
  • この本の内容は、簡単に言えばメルロ・ポンティの仕事をミシェル・アンリに依拠してとらえ直したものだ。コギトの問題、他者の問題、身体の問題………。メルロ・ポンティは庭田さんが大学院生になり始めのころから読んでいたものだから、一冊にまとまるのに25年以上を費やしたということになる。会うたびに、こんな話は聞いていたような気がする。しかもいつでもわかったような、わからないような理解しかできなくて、しかもいつでもそのままで、関心があるようなないような気持ちのままに放置してきた。それだけに、四半世紀にわたってひとつのテーマを追いかけるその持続力としつこさにはまったく脱帽という感じだ。
  • デカルトの「我思う、ゆえに我在り」はきわめて有名なことばだ。で通説としては、「私」という存在は「私が私のことを思う」ところから自覚されるものということになっている。存在する「私」と、その「私」を思う「私」。ぼくはもう、それをアプリオリにして十分自我論も他者論も関係論もできるのでと考えてしまうのだが、哲学では、そう簡単には済ませられないようだ。
  • 「在る私」と「思う私」という二つの「私」を考えると、次々に「思う私を思う私」と続けざるを得なくなる。「無限背進に陥りかねない意識の生の逆説的な根本的特性との出会い」というわけだ。その難問をどう打開するか。もう一人の自分を自覚することなしに思う。「自分が思っていることを脱自の隔たりを置くことなしに、直接的に無媒介的にそれ自身において知る。」わかったようなわからないような。まるで禅問答のように感じてしまうが、出てくることばには興味深いものも多い。「無言のコギトと語られたコギト」「自己への配慮と自己の認識」………。読み終わるまでにはまだまだかかりそうだが、本来、読むことは書くことに負けないほどの努力を必要とするものなのだから、数ヶ月かかるのは当たり前なのかもしれない。気をいれて持続させなければ………。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。