2002年11月25日月曜日

THINK EARTH PROJECT『百年の愚行』(紀伊国屋書店)

  20世紀が人間の歴史の中で特別で異常な時代だったことはあきらかだ。20世紀の初めには15億程度だった人口が2000年には60億人になった。まさに人口爆発で、中国では子どもの数を制限する「一人っ子政策」が厳しく行われたが、それでも人口は13億人に達している。しかも、アジアやアフリカでは、この人口増加の勢いはいまだに衰える気配はない。
一方で20世紀は戦争の世紀ともいわれる。二つの世界大戦と無数の小さな戦争。20世紀に起こった戦争は、6000人以上の死者が出たものだけで165件、犠牲者の総計は1億8千万人ともいわれている。さらにスターリンの粛正やナチのホロコーストに象徴される虐殺の数々や、飢饉や戦争による餓死をあわせると、その数はさらに拡大する。そしてもちろん、戦争や飢餓による死者は、現在も地球上のあちこちで増え続けている。
この、人口急増と大量の死者に象徴されるように、20世紀はあらゆる意味で「マス」の時代だった。「マスメディア」「大衆社会」「大衆文化」、そして「大量生産」。都市が巨大化し、一カ所に数千万人もの人が集中した。そこで消費されるモノと大量にでるゴミ、もちろん生産や流通の過程ででる産業廃棄物や排気ガスも桁違いに増え、資源の消費量も極端に肥大化した。しかし、大量生産・大量消費の形態は21世紀になっても継続したままだ。
今中国は経済成長のただ中にあって、たとえば車の需要が急増している。13億人もいる国で人々が車を持つことが当たり前になったらエネルギーや公害はどうなるか。想像するだけで空恐ろしい気がするが、これから産業化しようとする人口の多い国は他にもたくさんある。ちなみに2000年度の自動車の生産台数は5562万台。この数字は1908年にT型フォードが作られてから30年間の累計生産量に匹敵する。このペースで行けば、1年間に1億台の生産といった数字ももうすぐのことだろう。
20世紀の後半から毎年1500万ha以上の熱帯林が減少した。絶滅しかかっている生物の急増、砂漠化、温暖化、オゾン層の破壊と、地球環境の変化はすさまじい。そのあいだに、電気の総発電量は1930年からの70年間に48倍に増え、化石燃料(石炭・石油・天然ガス)の消費は20世紀後半の50年間で4倍にふえた。
『百年の愚行』は写真によって記録された20世紀の足跡を集めたものである。上に書いたような状況がさまざまな写真によって具体的に示されている。「タンカーからの石油流出」「水俣湾に流れ込むチッソ工場の廃液」「酸性雨で枯れた森」「鉱山からでる廃棄物や廃液による汚染」「動物の密猟」「原子力発電所の事故」「原爆のキノコ雲」「投下される爆弾の雨」「破壊された町」「殺される捕虜」「地雷に足を吹き飛ばされたこども」「収容所に積まれた死体の山」「餓死する難民」………
もちろん、戦争も飢餓も、あるいは自然破壊も人間の歴史とともにずっとあったはずのことだ。そしてそれが映像として記録できたのも、また20世紀の特徴である。映画監督のアッバス・キアロスタミはそのことを「『映像』がこの百年の人間の愚かさと人類史全体の愚かさの違いを決定づけている」という。20世紀になって人間は、その愚かさはもちろん、あらゆることを映像として永遠に残るものに変換させるようになった。彼はまた、その映像が「自らの妄想を増幅させるもの」として人間を虜にしたという。写真、映画、テレビ、インターネット………。映像は記録するものであるだけでなく、それ以上に人間の夢や欲望、野心をかきたてるものでもある。
このまま行けば確実に、人間の世界は破綻する。そのことに不安を感じながら、また自覚しないようにしている。クロード・レヴィ=ストロースは「人権の再定義」を再構築する作業が必要だという。権利の行使にはその犠牲になるものがともなう。だから「権利」には「義務」が不可欠なのだが、20世紀は「権利」の行使とそれを巡る競争や戦いが繰りかえされてきた。人間が特権的に権利を行使できる存在ではないこと、権利にともなう義務を果たすこと。レヴィ=ストロースはそれを「人権の再定義」と呼んでいる。
確かにそうだろう。けれども、またわたしたちは、義務が、権利と違って自覚しにくく、行使しにくいものであることをよく知っている。ほっといても何とかなる、目をつぶって見なければ、忘れてしまえばいいと思うずる賢さをしたたかに身につけている。いったいどういうきっかけがあれば、すなおに義務に目を向けるようになるか。『百年の愚行』は一瞬だけでも、そのことに気づかずにはいられない時を作り出す本だと言えるかもしれない。

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