・ 唐松の葉が落ちたら、木のてっぺんに大きなスズメバチの巣。この森にはかならず毎年、どこかに巣ができる。今年もストーブを焚く季節になった。外は寒いが中は暖かい。風が吹き出すエアコンと違って、薪の火は静かにじんわりと暖まる。一度味わったら、やめられない心地よさだ。だからこそ、薪は十分に用意しておかなければならない。
・というわけで、これから来春までに燃やす薪は、この春から夏にかけてせっせと割って家のまわりに積んできた。調達したのは去年の話である。で、今は次の冬のための木を探し歩いている。家のまわりの倒木はほとんどとりつくしたから、車で出かけたときには、きょろきょろしてめぼしいものを見つけなければならない。 ・毎週一回買い物に行くスーパーへの通り道に、この夏伐採した木の山を見つけた。何日も積んだままになっているし、持ち主はわからないから、子どもが来たときに、広葉樹だけいただくことにした。ワゴンの後部座席を倒して、10本ほどを積んだ。そうしたら息子に「これって盗木とちゃうか?」といわれてしまった。確かにそうかもしれない。しかし、直径10〜20cmほどでまがりくねった広葉樹は薪にする以外には使い道がない。だいたいそのまま放置されて腐るのが普通だ。「だからいいのだ!」とは言ってみたが、はっきり指摘されると、やっぱり何となく後ろめたい。
・湖畔の道路にトンネルを造る工事をしている。その近くに白樺林があって、伐採された白樺をひろって、木工の材料につかってきた。その林に、道路を広げるためか、伐採のしるしの赤いテープが貼られていて、気になっていた。そうしたら10月の末にきれいさっぱり切り倒されて、ちょうど車で運べるほどの長さに揃えて積んであった。これはいいと思って翌日現場に出かけると、数人の人がトラックに積み終わったところ。で、「それください」とは言えなかった。県の土木課か東電の仕事だと思うから、頼めばもらえたかもしれないが、ちょっと遅かった。前から狙っていたから本当にがっかり。
・木工用の白樺がもう残り少ない。で、気を取り直して少し遠出をして探すことにした。そうしたら、山道からちょっと離れたところに広葉樹を伐採した木の山。砂防ダムを造るので伐採した木のようだ。パートナーと一緒だったからとりあえず7本ほど積んで帰ったが、気になって仕方がない。何しろ木の山の下の方に白樺が3本ほどあったのだ。で、翌日、ひとりでまた出かけた。今度は助手席も倒して運転席以外にびっしり積んだ。もちろん、白樺もだ。それでも木の山はまだまだ半分以上残っている。これは後数回来なければと思うと、何となくうきうき、わくわくしてきた。
・というわけでせっせと運んだかいがあってご覧の通り集まった。これで次の冬も大丈夫かなという気もするが、割って積んでみなければ安心はできない。残りの木も雪が積もる前に取りに行かなければ、と考えているが、頑張ったせいか、からだのあちこちが痛い。
・こうやって集めた木をチェーンソウで30cmほどにカットして、斧で半分か四半分に割る。それを積んで1年以上乾かして、やっとストーブで燃やすことができる。薪ストーブは暖をとる前に何度も汗をかく。赤い炎と温もりはまさしく汗の結晶で、そう思うからいっそう暖かさも増してくる。わが家に来る客人は助っ人のつもりで薪を割る。けれども、薪割りは燃やすのに次ぐ楽しみだから、ぼくはそれを分けてあげてやってると思っている。
・台風の風が強くて付近でも松の大木が何本も倒れた。地区の管理人さんがカットして、それを知らせてくれた。当然、さっそく運んだが、実は松はあまりうれしくない。最初の頃は、どんな木でも喜んで集めていたのだが、松は、脂があるからストーブには火力が強すぎるし、煤も多い。ストーブを傷めるからつかわない方がいいようだし、木質が疎で燃焼時間も短い。それに比べると、木質が密で硬い広葉樹はゆっくりと長く燃える。そういうことに納得してからは、松はあまりうれしい木ではなくなった。とはいえ、そんな贅沢を言ってはいられないから、松も集めている。
・大木になった松は風をまともに受けて折れやすいから、わが家の木も切ってしまいたい気になっている。かわりに白樺や桜、楓、ポプラなどを植えてみたい。そんな広葉樹の森を想像してみるけれど、森になるには植えてから少なくても20年ほどかかる。その時ぼくはいくつになるのかと考えると、想像力はとたんに萎えてしまう。森の時間は確実だが、人間の思惑など無視するほどゆっくりしたものだ。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。