2007年7月8日日曜日

フラガール

 

・ゼミの学生にさまざまなテーマや書き方を指定して作文を書かせている。その中に、最近の邦画人気を話題にしたものがあった。2006年度の興行収入が洋画を越えたことが書いてあって、ちょっと信じられない気がして質問すると、ネットで探したという。出所はきちんと書くようにと指摘したが、さっそく自分でもグーグルしてみた。
・「日本映画製作者連盟」によると、邦画のシェアが最低だったのは2002年で27.1%、それが2006年度に逆転したというのだから、確かに、急激に盛り返していることになる。原因はテレビ局が制作していること、シネコンなど上映館が確保されてきたこと、観客のニーズをつかむ努力をしていることなどのようだ。ただし、映画観客自体がふえたわけではなく、興行収入の総額は横ばい状態だから、アメリカ映画に飽きたことも大きな理由になっているようだ。
・2006年度の興行収入1位は「ゲド戦記」で、そのほかドラえもんやポケモンなどのマンガが並んでいる。僕がみたものというと「THE有頂天ホテル」だが、笑いネタが上滑りしてちっとも面白いと思わなかった。しかし60億円の収入で3位というから、ちょっと驚いてしまう。邦画が元気といってもこの程度か、などといいたくなるが、面白いものもたしかにあった。
journal3-88.jpg ・「フラガール」は福島の常磐炭坑が舞台になっている。僕は、パートナーが近くの出身ということもあって、「ハワイアンセンター」には何度か出かけている。だから、懐かしさもあったし、その誕生の経緯自体にも興味を覚えた。付近にはもともと温泉があるし、広い館内を常夏にする石炭も豊富にある。きわめて合理的な発想だが、炭坑からハワイアンセンターへの転換は、当時としては奇抜だから、ずいぶん反対も強かっただろうと思っていた。
・映画は、そんな炭坑の閉山と娯楽施設への転換をめぐる、関係者の対立を中心に話を展開させている。抗夫やその家族のなかには別の炭坑に仕事場を求める者もいる。しかし、この地にとどまるかぎりは、別の仕事をしなければならない。映画では、そのとまどいや不満が、若い娘たちを集めて踊り子チームを作るプロセスに焦点を合わさて描かれている。「結婚前の娘に裸踊りなどさせるわけにはいかない。」そんな意見に、一度手を挙げた娘たちのほとんどがやめざるを得なくなる。で、最初は、落ちぶれて都落ちしたダンサーと素人娘たちの絶望的なほどにまとまりのない練習からスタートする。
・話は紆余曲折があって、何とか開場にこぎ着けてめでたしめでたしとなるのだが、映画を見た後で、あらためて、このあたりの地図や、閉山と開場のいきさつ、あるいはその時代(昭和40年前後)のことが知りたくなった。映画には当時を感じさせる風景が随所に登場した。しかし当然だが、ロケ地は 1カ所ではない。「映画『フラガール』を応援する会」のサイトには撮影場所を記した地図が載っていて、いわき市やその周辺をあちこち探し回ったことがよくわかる。映画やテレビは、それらしく感じられるものを求めて嘘をつく。それはドラマに限らずドキュメンタリーでも変わらない。もちろん、そのこと自体は非難されることではない。
・常磐炭坑は戦時中にでき、京浜工業地帯にもっとも近いところにあったから、50年代には活況を呈した。しかし、硫黄を含んでいて質は悪く、炭層が掘りにくく、温泉が大量に噴出するなどしたから、石炭需要が石油への転換で減り始めると、将来の見通しに陰りが見えるようになる。「ハワイアンセンター」の開場は1966年で、その意味では、いち早い転換を象徴するものだが、それで抗夫の多くが職替えできたわけではない。むしろ大多数は、茨城県から福島県にかけての新産業都市、東海村やそのほか数カ所の原発施設などに吸収されている。
・その意味では「フラガール」はことの一部だけ捉えたロマンチックな物語だといえる。とくに夕張市の財政破綻といった現状と同時期に上映されたから、常磐炭坑の決断の確かさがいまさら強調されもする。けれどもそれはまた、石炭の質の違いや大都市との距離の違いにこそ、大きな原因があったはずで、戦後の日本がたどった東京への一極集中や、経済大国化がもたらした二つの局面のようにも見えてくる。
・もちろん、こういったことは、映画のおもしろさを減じさせるものではない。面白いと感じたからこそ湧いた興味や疑問。今はもう義母も死んで、知っている人はだれもいないけれども、もう一度「ハワイアンセンター」(スパリゾートハワイアンズ)に行ってみたい気にもさせられた。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。