2007年7月16日月曜日

トクヴィルとアメリカ

 

トクヴィル『アメリカの民主政治・上中下』講談社学術文庫
宇野重規『トクヴィル平等と不平等の理論家』講談社選書メチエ

journal1-101-2.jpg・トクヴィルを読むとアメリカのことがよくわかる。くりかえし言われてきたことだが、最近あらためて実感している。そのキーワードは「自由」「平等」「自立」、そして「分権主義」。「ライフスタイル論」を書くために昨年、トクヴィルの『アメリカの民主政治・上中下』(講談社学術文庫)を熟読した。部分的には以前に読んだこともあったし、アンドレ・ジャルダンの『トクヴィル伝』 (晶文社)などの伝記は読んで、おおよそは知っていたのだが、『アメリカの民主政治』を読みながら、そこで指摘されているアメリカやアメリカ人の特徴が、現在にも通じたもっとも根本的なものであることを痛感した。

・アメリカは移民によってできた国で、ヨーロッパの国とは違って、それ以前の歴史をもっていない。だから、アメリカの歴史は出発点が明確で、「説明できない一つの意見も、一つの習性も、一つの法律も、一つの事件もない」。移り住んできたのは、祖国では実現できない理想をもった人、宗教的な迫害を逃れた人、そして貧困からの脱出を求めた人たちで、だからこそ、何より「自由」「平等」「自立」の精神が大事なものとされた。そのような意味でアメリカは、白紙の状態から「理想」を設計図にして偶然生まれた国にほかなならない。
・トクヴィルがアメリカを訪れたのは1830年で、彼はこのとき25歳だった。わずか半年あまりの旅行体験で彼が感じとった特徴は、その後の歴史はもちろん、現代のアメリカやアメリカ人にも強くみられるものである。というよりは、アメリカがたどった軌跡や現代のさまざまな局面でみられる発想や行動をトクヴィルの視点から解釈すると、何ともすっきりと合点がいく。
・それは、当のアメリカ人にもいえるようだ。『アメリカの民主政治』は、誰よりアメリカ人によって読まれ続けてきた。それはこの本が、アメリカ人に、アメリカの原像や建国の精神を思いださせ、何よりその自尊心をくすぐるノスタルジックな姿を感じさせてくれるからだ。もちろんそこには、古き良きアメリカが失われつつある、という危機感があって、その意識には右や左の区別もないようだ。

journal1-101-1.jpg/・宇野重規の『トクヴィル平等と不平等の理論家』は、トクヴィルのアメリカ論、デモクラシー論が、ヨーロッパ、とりわけフランス人に向けて書かれたものであることを強調している。近代以降の世界の流れが「デモクラシー」という概念を通して展開されてきたとすれば、アメリカ以外の場所では、むしろそれ以前の社会制度や人びとの中に染みこんだ習慣とのかねあいや軋轢が問題になる。だから、なにより大事なのは、「アメリカの制度や発想をアメリカ以外の場所に移し替えるとき、それらを支える諸条件があるかどうか、またそれがないとしたら、他の条件によっていかに代替するかを検討しなければならない」ということになる。
・トクヴィルが言いたかったのは、アメリカの民主主義が、あくまで一つの特異な形態だ、ということだった。それを知ってほしかったのは誰よりフランスをはじめとしたヨーロッパ人たちだったのだが、『アメリカの民主政治』はつい最近まで、フランスでは忘れられた存在だったようだ。他方でアメリカでは、自国の歴史を知る必読書として親しまれ続けてきた。そして、その読み方には、トクヴィルの意図が抜け落ちている。「一つの特異な形態としてのデモクラシー」。アメリカ人にこのような意識が欠けているのは、ブッシュ大統領がフセインにしかけた戦争が「イラクに民主主義を実現する」といった大義名分のもとに行われたことからも容易にみてとれる。

・とはいえ、20世紀後半の世界の趨勢は、政治や経済はもちろん、社会や文化の面でも「アメリカ化」という色彩を色濃くしたもので、それは 21世紀になっても変わっていない。世界の警察国家として、デモクラシーの伝道者として、市場経済の煽動者として、映画や音楽、あるいはスポーツやファッションの発信者として、アメリカはますますその力を強めている。それを今支えるのは、ネット社会の拡大や強大化だが、それはまた、きわめてアメリカ的な「理想」や「野心」から生まれ、発展したものである。

・ネット社会をトクヴィルの視線を通して見つめ直してみる。僕の夏休みのテーマである。

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