2007年11月5日月曜日

新しい本が出ました

 

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・すでに予告済みですが、ぼくが書いた新しい本がやっと出版されました。『ライフスタイルとアイデンティティ』(世界思想社、2625円)です。内容については「ライフスタイルとアイデンティティ」のページをご覧ください。目次やあとがきの他、表紙やオビについての欄もあります。

・「ライフスタイル」にしても「アイデンティティ」にしても、ぼくにとっては、大事なことばですが、すでに手垢にまみれてほとんど魅力を失ったことばのようにも感じられます。それが、広告のことばのなかには、相変わらず氾濫していて、何かまだ特別のイメージを感じさせるかのようにつかわれています。そんな傾向にたいして、出発点に帰って問いなおしをして、最近の風潮を批判してみたいと思いました。

・現代は、本当に高度に発展した「消費社会」です。学生たちと長年接してきて、そのことを年々強く実感するようになりました。彼や彼女たちにとっては、あらゆることが「消費」という行動を通して実現されます。衣食住に関わることはもちろんですが、「楽しい」「うれしい」から「悲しい」「怖い」、あるいは「くやしい」といった感情の経験でさえ例外ではないようです。だからそのために一生懸命バイトをする。勉強はといえば、きめられたことを要領よくこなすことであって、じぶんなりの興味や関心にしたがって、ということではありません。だから当然、こんな社会の傾向やシステムそのものに疑問を感じるなどといったこともありません。このシステムは何より「豊かさ」を感じさせてくれるものですから、すべきことは、そのなかでうまく立ち居振る舞うことだというわけです。

・このような意識はもちろん、もっと上の世代の人たちにも共有されています。というよりは、かつてはそうでなかった社会を経験した人たちほど、現在の社会のありようを肯定しているといってもいいかもしれません。しかし、本当にそうだろうか、という疑問を、ぼくはずっと持ちつづけてきました。たとえば「豊かさ」とはいったい何なのか、それは実際どう生きることで実感されるものなのか、あるいはじぶんはどんな人間になりたかったのか、といった問題です。『ライフスタイルとアイデンティティ』ではそのことを、現在に関わるいくつかのテーマと、「ユートピア」思想を手がかりにした近代化以降の歴史を軸に考えてみました。

・欲しいと思うものの大半は、実は欲しいと思わされてしまったものであるし、お金を出して買うものの多くは、実はじぶんで作れるものでもあるのです。「モノ」はもちろん、「経験」だって例外ではありません。ということは、欲しいわけではないモノやことのために、したいわけではないしごとをしているということになります。生きていくためにはだれもが「何者」かにならなければいけないけれども、そのためには、じぶんのなかにある、そうではない部分を抑えたり、捨象したり、無能にしたりすることが要求されます。だからまた、違うじぶんを求めて「消費」に走ったりもする。

・もちろん、この本で問いかけているのは、現代に典型的な「ライフスタイル」や「アイデンティティ」を全面否定せよ、といったラディカルなものではありません。何かをする前に、たちどまって考えてみる。そんな気持の持ちよう提案したものであるにすぎません。しかし、学生たちにそんな話をすると、「そんなこと考えたこともなかった」といった応えがかえってきますから、そんな提案でさえ、強いインパクトを与えるのではないかと考えています。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。