2011年5月23日月曜日

同じだけど違う

 

forest92-1.jpg

forest92-2.jpg・連休の終わりまでに、薪を全部割って干せるようにしようと思っていたのだが、まだ少し残っている。理由はいくつかある。まず、今回届いた原木が太くて堅かったこと。震災の影響で大学の新学期が連休中から始まったこと。その分4月まで春休みが延びたのだが、役職についたから、会議のために大学に出かけることが多かったことなどである。もっとも、家のまわりに積み上げた薪は、ほぼ一杯になってもいる。去年より2立米多い8立米も注文したから、干せない分が少し残ることは、最初から予測されてもいたのである。


forest92-3.jpg・太くて堅い木は斧では刃が立たないから、楔を使う。けれども今度の木は、楔一本では割れてくれない場合が多かった。そうなると、刺さった楔をはずさなければならなくなって、これがまた大変な作業になった。そこで、楔をもう一本と思って、近くのホームセンターを回ったのだが、どこにもない。で、試しにと思ってアマゾンで探したら、チェーンソーのハスクバーナが出している、大きな楔があって、さっそく注文した。必要なものは何でもアマゾンで買える。こんな思いがまた、いっそう強くなった。


forest92-4.jpg ・こんなふうにして、いつもと同じように、森の生活を過ごしている。いつもと同じように、蕗の薹や片栗の花が出て、桜やタンポポが咲き、日陰で花の咲かなかった山ツツジも場所を変えて3年目の今年、濃い桃色の花を咲かせた。それに少し不格好だったが富士山に農鳥も出た。毎年訪れる春の様子だが、今年はやっぱりどこか違う。そんな気持ちを感じることが少なくない。そんな不安が、朝焼けや夕焼けのちょっとした違い、風の吹き方、そして富士山の雪の溶け方などに投影されて増幅されたりもする。


・そんな不安を感じる原因は、もちろん、福島第一原発の事故にある。事故処理に当たっている東電や政府の発表を信じることができない反面で、そんな信用できない発表されたデータをもとに頻繁に推測している京大原子炉実験所助教の小出裕章さんのことばを、ますますあてにせざるを得なくなっている自分がいるからだ。事故の終息にいたる工程表をそのままにしている政府や東電とは対照的に、小出さんは、すでに、どう対処していいのかわからない人類にとって未体験ゾーンに入ってしまっていると予測するようになっている。


・放射能は言うまでもなく、目には見えないし、臭いもない。だから原発事故の近くでも、晴れていれば空はきれいだし、海や川の水も澄んでいる。そして発電所の中の様子は事故処理にあたっている人たちにもわからない。だからこそ、不安な気持ちを目に見える、耳に聞こえるようなものから感じとってしまうようになる。いつもと同じだけど、どこか違う。そんな不安は、おそらく、これから何年も続くのだと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿

unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。