・ディランの話題は相変わらずノーベル賞ばかりだが、彼はせっせとアルバム作りをしている。と言ってもオリジナル曲ではない。かつてフランク・シナトラなどが歌ったスタンダード曲ばかりである。2015年に『シャドウ・イン・ザ・ナイト』、16年の『フォールン・エンジェル』に続いて今度は3枚組の『トリプリケート』だ。タイトル名は3枚組という意味なのか3作目ということなのか。これで一応の区切りなのか、まだまだ出てくるのか。長いつきあいだから買ったし、悪くはないけれども、やっぱり、そろそろオリジナル曲が聴きたいなと思う。ノーベル賞にまつわる歌など作らないのだろうか。
・最近買ったディランのもう一つのアルバムは『リアル・ロイヤル・アルバート・ホール』である。1966年に行われたライブで、演奏中に「ユダ」というヤジに「そんなこと信じるか、おまえは嘘つきだ」と応えて「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌ったのが伝説として語られてきた。それはすでに『ブートレグ・シリーズ4』として出されていたが、実際に、このやりとりがあったのはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールではなく、マンチェスターの公演だったというのである。だから「リアル〜」なのだが、なぜこんな間違いが今頃になってわかったのか、信じられない気がした。僕はもうずっと、この有名なライブがアルバート・ホールだったと思っていたのである。
・実は同時期に『ライブ1966』という36枚組のボックスセットが発売された。その年の4月から5月にかけて行われたライブを、観客が録音したものも含めて全てまとめたものだ。ほとんど同じセットリストのCD36枚で25000円もしたからとても買う気にはならなかったが、そこから一枚、ロイヤルアルバート・ホールだけが別売りされたのである。このボックスセットを作って初めて、間違いに気づいたということなのだろうか。だとしても、おかしな話だ。
・ディランにとって確かに、1966年は大きな転機になる年だった。生ギターで一人で歌うプロテスト・ソングの旗手がバックバンドを従えて、エレキギターでロックをやり始めたからだ。ここから「フォークロック」というジャンルができ、いわゆる「ロック音楽」が本格的に生まれ始めた。ビートルズやローリングストーンズも大きな影響を受け、アメリカのウエストコーストから、多くのミュージシャンが登場した。
・それから半世紀たって、ディランはロック以前のアメリカのスタンダード曲を自ら歌い始めた。それはまた、彼の音楽にとって大きな転機になるものだったと言える。そして今度は、ディラン・ファンの多くの賛同を得た。アメリカのポピュラー音楽を長いスパンで見直した時に、ロック以前と以後で、当時考えられたほどには大きな断絶はなかった。いい歌はいい。それがディランのメッセージだが、そこにはまた、現在のポピュラー音楽に対する強い批判が込められている。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。