2026年5月11日月曜日

今さらですがビートルズを

この欄で何を取り上げるか、もう何年も頭を悩ましている。昔よく聴いていたのにほとんど取り上げていないものはないかと探しているのだが、ビートルズはと気がついた。聴いていたのは1960年代から70年代にかけてで、ジョン・レノンは1980年に殺されている。毎年12月の凶弾に倒れた日からクリスマスまで彼の歌を聴くようにしていたが、最近ではそれも忘れることが多くなった。ジョージ・ハリスンも病で亡くなったし、ポール・マッカートニーには興味がなかったから、取り上げる機会がなかったのである。

john&paul.jpg アマゾンで探すと『ジョン・レノン&ポール・マッカートニー ソングブック 1957―1965』という名のビデオがあった。ビートルズはデビュー以来ずっと、自作の大半を「レノン&マッカートニー」として、曲と歌詞をどっちが担当しているのかも明記しなかった。実際、どちらかが作りはじめたものでも、二人で練り合わせて仕上げるのが当たり前だったようだ。著作権とそれに伴うお金などには興味がなく、ただ良いものを作ろうとしていたからだった。もちろん初期の頃から曲想の違いはあったものの、歌詞についてはどっちが作っても大差ないものだった。

このビデオが注目しているのは、主に歌詞に違いが出始めた時期で、1964年に発表された「ハード・デイズ・ナイト」からであることを話題にしている。「ラブ・ミー・ドゥ」でデビューして2年後のことで、同名の映画が同時に公開されている。コンサート・ツアーをドキュメントしたもので、嬌声をあげて追いかける女の子達や、楽屋や移動中の列車やタクシー、あるいはホテルでの騒ぎやいたずらが映されていた。リチャード・レスターが監督し、それまでのミュージシャンを主役にした映画とは違った趣向が凝らされていた。

変わりはじめたのはジョン・レノンで、それはボブ・ディランを知ったことがきっかけだった。アメリカの政治や社会に対して強い批判を込めた歌を自作して歌うディランは、1962年にデビュして64年までに4枚のアルバムを出している。ジョン・レノンはそのアルバムに強い影響を受けたというのである。その理由としてあげているのはハーモニカや生ギターの使い方であり、何より自分の正直な気持ちを込めた歌詞である。ジョンはまず、政治や社会に対する批判ではなく、ラブ・ソングの中に月並みではない自分なりのことばを工夫しはじめた。そこにはもちろん、自分の経験が反映されていた。

ビートルズは1969年まで続いたが、コンサートは66年までである。1964年以降に出されたアルバムは10枚で、最後の『レット・イット・ビー』は解散後の1970年だった。多くの曲はジョンとポールの共作とされたが、実際にはそれぞれが個別に作ったものを集めてアルバムにしたものになった。作った方がリード・ボーカルもやるのが大半で、その曲想や歌詞の違いは後期になるほどはっきりしたものになった。

ビートルズが解散した後、僕はジョン・レノンだけを追いかけた。その理由の一つがボブ・ディランであることを、今さらながら確認した。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。