2026年5月4日月曜日

教養はもっと大事!

前回、自分の生活の中では「教養」よりは「今日用」が大事ということを書いた。しかし、目を社会や世界に向けた時に思うのは、「教養」のない人たちによって世界が壊されているという現実である。その代表はトランプだが、ブッシュやレーガンが大統領になったように、アメリカには教養人を嫌悪する傾向が以前からあった。アメリカは民主主義をリードする国で、オバマによって黒人初の大統領が実現し、続いて女性の大統領だとなった時に、トランプが現れ、保守的な白人層が強く支持した。その教養のかけらも持ち合わせないトランプが王様気取りで、民主主義そのものを壊しにかかっているのである。

政治家がひどいのは日本も同じだろう。戦後生まれだから戦争責任はないと公言する高市の歴史認識は呆れるばかりだし、小泉進次郎も無知をさらけ出した発言が少なくない。自民党の中では教養があると思っている石破前首相が人気がなく、高市が高支持率を維持しているのだから、教養の軽視は日本の中にも強くはびこってしまっていると言えるかもしれない。「維新」や「参政」などは政党自体が無教養の顔をしている。

そう言えば、大学で教えていて、教養に対する大学と学生の変化を目の当たりにした経験がある。4年制の大学は教養課程の2年間と、専門課程の2年間に別れていた。それが崩れて、1年生から専門科目を提供するようになったのだが、そこには文科省の方針はもちろん、就職に関係しない科目は勉強したくないといった学生の希望も反映されていた。僕は「文化社会学」といった科目を担当していて、講義では音楽やスポーツと社会や政治の関係を話したりしたのだが、学生が関心を示さなくなったことを肌身で感じた経験がある。直接言われたわけではないが、「この授業は就職に役立つんですか?」といった態度を学生の反応から意識したのである。

「教養」とは「単なる知識の蓄積ではなく、学問、芸術、経験を通じて培われる『物事を深く理解し、応用する能力』や『精神的な豊かさ』のこと」である。自らの興味や関心に基づいて熱心に取り組んだこと、夢中になったことが、やがて自分の人格を形作る基になり、社会や世界を見る目を養うことになる。それは何かの役に立つと思ってやることとは本質的に違うものなのである。

僕は他に「コミュニケーション」や「メディア」も関心分野にしていた。だから学生同士の関係の持ち方にも興味を持っていて、それが深いところから浅いところに、内面をぶつけ合うことから外見を取り繕うことに変わるのを感じていた。ゼミでも、自分の意見を言わなくなり、誰かの発表を批判することにも消極的になった。だから表面上仲良くすることには熱心でも、結局お互いのことはよくわからない。わからないから余計に、外見ばかりの関係になる。それは「教養」を培うはずの大学教育には、決定的な敗北であることを痛感した。

「教養」によって培われる一番のものは「品位」とか「品性」だと思う。英語では「ディーセンシー」(decency)だろう。それが欠けている人たちが政治や経済を牛耳っている。それを放置し、支持さえしている人たちはまた、ネットでの暴走を見過ごし、時に片棒かつぎさえしている。正直な話、もう世も末だなと思うことも少なくない。

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