・久しぶりに続けて映画を見た。といっても劇場ではなくWowow
である。おもしろい映画がなかったわけではないのだろうが、毎週の時間のサイクルが変わって、見る気にならなかった。新幹線での往復が10回を越えてバテバテだが、ゴールが見えかかってきて余裕ができたのかもしれない。で、アメリカのメディアをテーマにした2本。
・『ラリー・フリント』はストリップ酒場の経営者だったラリーが客寄せのつもりでヌード雑誌を作るところからはじまる。やがて雑誌が本業となり、ジャクリーヌ・オナシスを隠し撮りした全裸写真で一躍全国誌に躍進。男の雑誌『ハスラー』の誕生である。
#
「性」を売り物にした男性雑誌は『プレイ・ボーイ』が最初で、人物としてもヒュー・ヘフナーの方が有名だが、この映画を見る限りでは、ラリー・フリントの方がはるかに興味深い人物だと思った。『プレイ・ボーイ』よりも刺激的な誌面づくりをする『ハスラー』には、当然、良識派の非難が集中する。映画はそれにむしろ挑発的な言動や誌面で対抗するラリーを中心に話を進める。性表現の自由対倫理、あるいは対プライバシーの尊重。鉄砲で撃たれて下半身不随になっても裁判闘争をやめない主人公は、ちょっと格好よすぎる気がしたし、アメリカ映画の裁判シーン好きにも食傷気味だが、論点が明快で痛快な映画だった。オリバー・ストーンのプロデュース。
・そういえば、マジックで要所を塗りつぶした『ハスラー』を買って、バターでインクを落とそうとしたのはいつだったか。あるいは、アメリカの飛行場について、何よりもまず買った『ハスラー』に夢中になったのは..........。日本でのヘア解禁やインターネットでのアダルト・サイトの乱立といった現状から見ると、そんなに昔のことではないのに、なんだかほのぼのとした時代に思えてしまった。
・法廷ドラマは食傷気味といいながら見てしまったのが『レインメーカー』。『グッドウィル・ハンティング』で写真を撮るようにすべてを記憶する少年を演じたM・デイモンが新米の弁護士になって保険会社の悪行を追求するという話。今時珍しい、理想に燃えた青年ルーディの正義感あふれる活躍で、下手をすると嘘っぽく感じられてしまうものだが、コッポラの演出はきわめてクールで、引き込まれてしまった。
・低所得者を狙った保険ははじめから支払う意思がないという悪質なもの。で白血病の青年は骨髄移植が受けられずに死亡。大物弁護士団を相手に司法試験に受かったばかりの主人公の悪戦苦闘。力や金がなくても、経験がなくても、熱意と努力で現実に立ちはだかる壁は突き崩せる。それが、絵空事のように感じられないのは、映画の出来以外に、アメリカにおける裁判が果たす役割の大きさに原因があるのかもしれない。
・日本でも銀行や証券会社、あるいは保険会社のイメージはひどいもので、ありそうな話だと思ったが、その糾弾という行動にはあまり力強さは感じられない。ぼくは昔から、マネー・ゲームや財産管理の勧誘にはいっさい聞く耳を持たないという態度をとってきたから、バブル景気にも、その破綻にも無縁だったが、金融機関には嫌悪感さえ持っている。日本にはルーディが出現する可能性はないのだろうか。
・もう一つ『ワグ・ザ・ドッグ』は、これもアメリカ映画によくある大統領もので、出演はロバート・デ・ニーロとダスティン・ホフマン。再選を目指す大統領が少女をレイプするが、アルバニアで戦争をでっち上げてそのニュースをもみ消して当選という話。タッチはコミカルだし、演技達者揃いだし、話も荒唐無稽な気もするのだが、湾岸戦争から最近のコソボ紛争までの一連の出来事や、クリントンの下半身にまつわる話など、現実が現実だけに、ストーリーには奇妙なリアリティが感じられた。
・ニュースが作られるのは当たり前だが、事件そのものも作られる。ありもしないことをでっち上げ、あったことをもみ消す。もちろん、今は、そんなことに人びとが無垢であるような時代ではない。むしろカラクリがすべて種明かしされていながら、なおかつ、そのような「疑似イベント」が好んで消費される。であるなら、「サッチー」や「ヒロスエ」ではなく、もっともっと大きくて悪質な存在を取り上げたらと思うのだが、日本のメディアには弱いものいじめしかできないようである。