2001年10月1日月曜日

ムササビ、その後


forest11-1.jpeg・ムササビは今も屋根裏にいる。しかも数週間前から、僕が寝ている部屋に移動してきた。朝4時半に帰宅するから、どうしてもその足音で目が覚める。しかも、爪とぎなのかガリガリ始めるから、寝ていられない。そのうるささに我慢がならず、杖で天井をついたりしても、いっこうにやめようとしない。頭に来て、この「ムサ公!」などと怒鳴りながら、壁や天井を叩く。そんなことが数回あった後、住んでいる気配がしなくなった。
・そうなると、家出でもしたのかと心配になったりするから、いやになってしまう。で、数日後にまたごそごそしてほっとする。3カ月も一緒にいると、知らず知らずのうちに同居が当たり前になってしまっているのだ。よくしたもので、ガリガリやってもたいして気にならなくなった。ムササビは雨の日でも出勤する。台風の時は行かないだろうと思ったが、やっぱり明け方に帰ってきた。いったいどこで何をしてくるのだろうと、これも気になる。

forest11-2.jpeg・せっかくつくった巣箱が見向きもされないので、作り直すことにした。さっそくパートナーが河口湖町にある「山梨県環境科学研究所」にメールを出すと、そこの小口さんが直接訪ねてきてくれた。彼は小学校の先生で一時的に研究所に派遣されているのだという。で、家や周囲の木を見て回ったのだが、後で巣箱やムササビについての資料をメールで送ってくれた。
・そのあと台風やテロ事件でずるずるとほったらかしにしていたのだが、久しぶりに晴れた日に朝から巣箱づくりにとりかかった。前のよりも縦長にして入り口の穴をなるべくうえにつける。穴から入って、すとんと落ちるような構造をムササビは好むようだ。そして中には、杉の木の皮を敷いておく。ついでに余った皮で周囲を覆うことにした。これで木の隙間から雨漏りすることもない。一日仕事だったがずいぶん豪華な巣になった。これなら気に入ってくれるだろうと思うが、さてどうだろうか。後はどの木にくくりつけるかだ。

forest11-3.jpeg・今年の夏は雨が少なくて河口湖の水も減って岸辺が増えたから、そこにテントを張る人も多かった。しかし台風がものすごい雨を降らせて、ふだんは水のなかった近くの川もものすごい勢いで流れた。だから台風がすぎた直後に湖まで行ってみると、いつもカヤックを組み立てていたところも水没して、泥流で色が変わってしまっていた。当然、湖には釣り客も水上スキーも遊覧船もない。本当に久しぶりの富士山だが、その姿を見る人は湖畔には誰もいない。雨上がりの日差しは強く。風はなま暖かいというよりは蒸し暑かった。


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・今年の気候のせいなのかわからないが、猿の群が山を下りていて、周辺の畑がずいぶん荒らされているようだ。別荘地区の管理人さんは、丹精込めてはじめて作ったカボチャをイノシシに全部食べられてしまったという。栗やクルミが実をつけているが、山の食べ物は減っているのかもしれない。
・台風一過で久しぶりに北の御坂山系が夕焼けになった。今までに見たことがないほどきれいな色に染まった。空気が澄んで、しかも湿気があったせいだろうか。しばらくすると季節は確実に秋になった。真っ青な空。気温も下がって、明け方には10度を切るようになった。ストーブで薪を燃やすのもそろそろ必要になりそうだ。
forest11-5.jpeg・カヤックに乗る回数は少なくなった。雨の日はだめだし、風が強い日も避ける。温度が下がったから、夕方ではなく日中の陽の出ている日を選ぶ。そうすると、なかなかいける時が見つからない。とはいえ、気温はこれからどんどん下がるから、へたをしたらまた来年の夏ということになってしまう。T シャツ一枚が、長袖になった。そろそろウィンドウブレーカーも必要になる。セーターやダウンを着てもやるつもりだったが、はや億劫になりはじめている。(2001.10.01)

2001年9月24日月曜日

テロと音楽の力


  • 9月22日の朝に新聞を見たら、テロ事件の追悼番組があることに気がついた。午前10時から2時間。大物スターが出演としか書いていないから、大した期待もしないでテレビをつけた。そうしたら、ブルース・スプリングスティーンからはじまって、U2、スティービー・ワンダー、スティング、ビリー・ジョエル、ポール・サイモン、シェリル・クロウ、パール・ジャム、トム・ペティとつぎつぎ出てきてびっくりした。何より驚いたのはニールヤングが「イマジン」を歌ったこと。不意にだったこともあるが、ジーンとしてしまった。
  • 僕はジョン・レノンは好きだが、それは彼の声やメロディにであって、歌詞に感心したことはなかった。彼の発想は少年の心のままで、それがいいとされるのだが、もうちょっと世の中も人間も複雑だよ、といいたくなってしまうものが多い。しかし、追悼番組ではそのことばが群を抜いて説得力があるように感じられた。
    国がないと想像してみる
    難しいことじゃない
    そのために殺すことも死ぬこともなくなるじゃないか
    それから宗教もないとしたら
    みんなが平和に生活できると思わないか "Imagine"
  • 僕はこの歌詞を聞いて、ブッシュ大統領のことばを連想した。「悪」を許さない正義の戦いをする。自由と民主主義を守るために。まるで「スター・トレック」のカーク船長のようで、その単純さにあきれるが、アメリカ人の90%が支持しているとなると、底知れない恐ろしさを感じてしまう。だからこそ、一見もっともらしい単純な発想には、それとは対照的な子どものナイーブな発想が力をもつ。ニール・ヤングの歌う「イマジン」には強いメッセージがこもっていたように思う。
  • 番組には、映画俳優たちがたくさん出ていて、その人たちが短いメッセージをしたり、カンパの電話に応対したりしていた。それはそれで華やかだが、やっぱりこういうときには歌の力にはかなわないと思った。
  • しかし、いずれにせよ、こういう番組がすぐにつくられ、四大ネットで同時放送されるのを目の当たりにすると、アメリカの強大さを、政治や経済や軍事ばかりでなく文化の面においても痛感させられてしまう。テロ事件の後でくりかえし聞かされるのは、アメリカ人の不屈の精神、力の確認、自尊心の自覚等々で、そのたびに彼らの傲慢さにうんざりするけれども、実は、共感できるところも同じ気質に起因しているから、僕の態度はいつでも両義的になってしまう。
  • 同じ日の朝日新聞で坂本龍一がテロ事件について書いている。彼はニューヨークに住んでいて、当日の様子を実際に見たそうだが、そこから訴える、報復の無意味さ、あるいはさらに起こる悲惨さへの警告には説得力があると思った。彼はまた最後に、次のように書いている。
    生存の可能性が少なくなった72時間を過ぎたころ、街に歌が聞こえ出した。ダウンタウンのユニオンスクエアで若者たちが「イエスタデイ」を歌っているのを聞いて、なぜかほんの少し心が緩んだ。しかし、ぼくの中で大きな葛藤が渦巻いていた。歌は諦めとともにやってきたからだ。
  • 坂本はこの経験から、傷ついた者を前にして、音楽が何もできないのではという疑問をもったようだ。そうなのかもしれないと思う。けれどもまた、そうでもないだろうとも思う。追悼番組の「イマジン」にジーンとしたぼくは、この番組が呼びかけた、被害者へのカンパに協力しようかと思った。今度の事件でぼくはもちろん、全然傷ついてはいない。そうすると歌にできるのは、無関係な者に苦しみや悲しみを想像させることぐらいだということになる。歌や音楽の力にははるかにおよばない文章などを書いている者にとっては、それでも相当なものだと思う。坂本龍一が音楽の無力さに苦しむというなら、いったい書くことの意味はどこにあるのだろうか。
  • 2001年9月17日月曜日

    Bob Dylan "Love and Theft", Radiohead "Amnesiac"

    ・ディランのアルバムがまた出た。ついこの間"Bob Dylan Live 1961-2000"のレビューを書いたばかりなのにと思ったら、今度は全くのニュー・アルバム。グラミー賞を取った"Time out of MInd"から4年ぶりだそうである。とてもそんなにたっているとは思えない。たぶん、それだけディランの最近の活動は活発なんだろうと、勝手に解釈した。そういえば、その4年のあいだに1966年の幻のライブ"The Royal Albert Hall Concert"も発売されているのだ。ちなみに、編集版もあわせると、これが50枚目のアルバムらしい。

    ・で、さっそく聞いてみたら、なかなかいい。楽しいサウンド。リラックスした歌い方。プレスリーのようなロックンロール、ジャズのスタンダード・ナンバーのような、あるいはカントリー、ブルース、そしてハードロックと、やりたいことを自由気ままにやったという感じだ。それで、決してバラバラではなく、ひとつのトーンになっている。『セルフポートレート』を思い出させるが、曲はほとんどオリジナルで、歌詞も相変わらずいい。

    一歩一歩、わたしは足を踏み外すことなく歩き続ける
    きみがこの先、生きられる日は限られているし、このわたしだってそうだ
    時間だけが積み重ねられていき、私たちはもがき苦しみながらも
    何とかやっていく
    誰も彼もが閉じこめられ、逃げ場所はどこにもない

    わたしは田舎で育ち、都会で仕事をしてきた
    スーツケースをおろして腰を落ち着けて以来
    面倒ごとにずっと巻きこまれっぱなし("Mississippi" 訳:中川五郎)

    ・ディランの声は年々太く、低くなっている。歌も重たく沈んでいるようなものが多かったから、あまり好きではなかったのだが、このアルバムの声には認識を新たにさせられた気がした。歴史的な出来事や人物、あるいは物語をとりあげる歌詞からいっても、歌うストーリー・テラーといったところで、その役割を自在にこなしている。ただし、ほそく刈り込んだ髭だけはいただけない。ダリを意識しているのかもしれないが、全然似合わない。

    夏のそよ風の中 急に突風が舞う
    風が風にたてつくなんて
    まったくばかげているとしか思えないこともある

    近所のお年寄りたちは 自分よりも年下の人間たちと
    ときどき仲が悪くなることがある
    でも若いか、年をとっているかなんて大したことはない
    結局どうでもよくなってしまうんだ("Floater"訳:中川五郎)

    ・ディランの自在さと対照的なのがラジオヘッド。"Kid A"のごちゃ混ぜのサウンドに、方向を見失っている印象をもったが、それから1年もたたないうちにまたもう一枚、 "Amnesiac"がでた。こちらの方が少しはまとまりが感じられてましかなと思うが、立て続けに出したところとあわせて、聴いていて受けとるのは混乱と分裂、迷いといったものだ。Amnesiacは記憶喪失者のことで、歌詞にも迷いの表現が多い。

    僕は間違っていたんだ
    僕は間違っていた
    光がやってくるのを見たって誓ったことだ

    よく考えてた
    ずっと考えてた
    未来なんて全然のこされていないんだって
    そう考えてたんだ("I might be wrong") 


    ・新しいサウンドやメッセージをもったミュージシャンは誰もが光り輝いている。それが閃光のように突き抜けていって、やがて壁に突き当たる。そして乱反射。もう40年もポピュラー音楽につきあって来て、何度も見た軌跡だ。そこで消えてしまう者もいれば、新しい方向を見つけてまた光を放つ人もいる。ディランはそんな過程を何度もくりかえしてきて、また何回目かの新しい光を放ちはじめている。ラジオヘッドはたぶん、今が最初の壁で、懸命になって乗り越えたり、隙間を探そうとしているのだ。僕は"Kid A"も"Amnesiac"好きになれそうにないが、ラジオヘッドの道筋には関心がある。ぼくがロック音楽から聴き取るのは、何よりミュージシャンが表現する人生のプロセスなのだから。 (2001.09.17)

    2001年9月10日月曜日

    ブルース・ウィリスの映画

  • まだ、ポール・オースターについて考えている。そろそろ締め切りが気になりはじめたし、大学ももうすぐはじまってしまう。例によって、胃の調子が悪い。このパターンを何とか乗り越えたいのだが、今回もやっぱり駄目。書きたいテーマや材料はたくさんある。しかし、一本の線上にならべると、その大半ははずれていってしまう。逆に、新たに調べたり考えたりしなければならないことが浮上してくる。で、また小説の読み直し。原稿は遅々として進まない………。ため息つきながらWowowで映画を見る。
  • オースターは『スモーク』から映画にかかわりはじめた。『ルル・オン・ザ・ブリッジ』では監督と脚本を手がけたが、小説と映画のちがいを適格に言いあてている。
    私が書くとき、つねに頭のなかで最上位を占めているのは物語だ。すべてのことは物語に奉仕させなければと思っている。エレガントな描写、気を惹くディテール、等々のいわゆる「名文」も、私が書こうとしていることに本当に関連していなければ、消えてもらうしかない。声がすべてだ。『空腹の技法』
  • 小説はなにより物語。登場人物や場面の細かな描写は、読者の想像力にゆだねればいい。オースターがとるこのような原則は、小説の源流である、神話や昔話から引き継がれているものだ。そして、映画はまったく異なる原則の上に成り立っているという。つまり、映画にあってはディテールこそが大事ということになる。配役、セット、ロケ、天候等々、すべての条件を整えて、それではじめて「スタート」となるのである。
  • たしかに、そうだ。僕にとって見たい映画の基準は、監督か役者。誰が作ったかと同じくらい「誰が出ているか」が決め手になる。ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソン、ショーン・コネリー、デンゼル・ワシントン、ニコラス・ケイジ、ダイアン・キートン、スーザン・サランドーン、シャロン・ストーン、ジュリア・ロバーツ………。
  • 最近つづけて、ブルース・ウィリスの映画を見た。『シックス・センス』『ストリート・オブ・ラブ』『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』。彼は『ダイ・ハード』で売り出したハードボイルドもののスターだが、シリアスなものもコミカルなものもこなす役者である。ハンサムではないし、頑健な肉体の持ち主でもない。禿頭でジャガイモのような顔。どこにスターの要素があるかという外見だが、不思議と魅力がある。
  • 決して強くはないのに生き残る。顔つきからして喜劇的な雰囲気があるから、コミカルな演技ははまり役だが、その個性はシリアス・ドラマでも生かされている。たとえば『シックス・センス』。『AI』でも大活躍の子役H・J・オスメントととの競演で、精神的に病んだ子どものカウンセリングをするという役どころだ。
  • オスメントはデリケートな心をもった少年をうまく演じている。というよりは彼の個性そのもので登場している。ブルースはその少年に不器用に接触するカウンセラーだが、決して意気込んでいない、力の抜けた演技が、少年とは対照的でいい。弛緩したブルースとこわばったオスメント。その少年のこわばりが次第に溶けてきて、彼の心のなかが明らかになっていく。物語はそういうことなのだが、注目させられるのは話の展開以上に二人の表情やからだのうごきである。
  • 役者のなかには、いつでも同じ顔で登場というタイプがある。それはそれで気に入れば好きだが、やっぱり飽きてくる。たとえばニコラス・ケイジ。あるいはいかにも演じているなと感じさせる人もいる。たとえばデ・ニーロやジャック・ニコルソン。そのうまさに感心することもあるが、時にやりすぎが鼻につくこともある。そこへいくとブルースは、自然体だ。役にはまっているようでいて、どこかでずれてもいる。演技をしているようで、また素のままのようにも見える。
  • 映画にスターが不可欠であるのはハリウッドが考案した戦略だが、しかし、やっぱり映画は脚本や監督以上に。配役がその作品の善し悪しを判断するものだ。ブルース・ウィリスの映画を見ているとつくづくそんな思いを強くする。そういえば、オースターの映画にはハーベイ・カイテルが欠かせない。だから僕はオースターの小説を読むときでも知らず知らずハーベイを思い浮かべてしまう。これは僕の想像力を妨げる要因で、邪魔だから消えてくれ、と言いたくなることがある。
  • 2001年9月3日月曜日

    NTT はなくなるべきだと思う

  • 僕のパートナーが今年から携帯を使いはじめた。電源はほとんどオフ状態で、たまに出かけるときだけもち歩く。メールの転送などもセットしているのだが、最近やたらに出会い系サイトなどのジャンク・メールが届くという。NTTは着信にお金を取るから、もうそのたびに腹を立てていて、携帯のアドレスを変えた。
  • ジャンク・メールに対する苦情は、まずは差出人に向けられるべきものだろう。男女の殺傷事件などで話題になっているこんな時期に、メールを無数に出しまくる出会い系サイトには、強い非難が向けられて当然だ。いったい何を考えているのか、と思う。けれども、それで収入を得ているNTTはなぜ知らん顔なんだろう。僕はこっちの方がよっぽどおかしいと思っている。もっともこのような姿勢は、ダイヤル伝言板やダイヤルQ2が社会問題になったときから一向に変わっていない。簡単にいえば、無責任な金儲け主義。
  • だいたいNTTにはパソコン通信をはじめたときから、腹に据えかねるような思いをくり返し持たされてきた。たとえば、パソコンを電話回線につなぐのに、電話と同じ料金を払わなければならないこと。このために、パソコン通信、あるいはその後のインターネットをするのに、毎月数千円から数万円の電話料を払わなければならなくなったこと。そのような理不尽さに批判が集中して、NTTがやっと重い腰を上げて「テレホーダイ」という中途半端なサービスをはじめたこと。だから、インターネットを落ち着いて楽しむためには、夜更かしをするか、早起きをするかしなければならなかったこと。もっとも、これもいまだに変わっていない。サービス精神の欠如。
  • もちろん不満はそれですむものではない。大学でインターネットにつなぎっぱなしという環境ができて、NTTにお金を払っているのは、インターネットへのゲートの通行料だということにあらためて気がついた。インターネットは個別のネットワーク同士がそれぞれ手をつなぎあって、それが世界大のクモの巣(WWW)に成長したもので、基本的にはアクセスにお金がかからないはずなのだが、その入り口まで行くのに高額の電話料を取られる。この意味ではNTTは関所を勝手につくって通行料を徴収した幕府と同じなのである。国営企業の体質まるだし。
  • 電話回線では通信速度にかぎりがある。そこでNTTが宣伝して利用を進めたのがISDNなのだが、韓国などでは既存の回線を使ったDSLというシステムで高速の環境を普及させていて、それが日本以上にインターネットへの関心を高めている。このようなことがほんの数年前に話題になって、DSLが日本で普及しない原因がISDNを放棄したくないNTTの都合によることが明らかにされた。ISDNにすれば、工事費や使用料などにそうとうのお金を取られる。それで多少のスピード・アップをしたことに喜んでいた人も多いと思うが、何のことはない。既存の回線ではるかにスピードの速いシステムがあったのである。自らの失敗のつけを利用者に負担させて知らん顔。
  • 携帯電話でメールのやりとりやインターネット接続ができるようになって、NTTはあたかも、その開拓者のような顔をしている。しかし、パソコン通信から現在までのプロセスを見ていると、NTTはくり返し、その利己主義的な体質で、その発展や普及の障壁になってきたことがわかる。まったくいい気なものなのである。ところが、契約合戦で熱かった「マイライン」はNTTの一人勝ち。藤原紀香や松坂慶子の説得もまるで通じなかったようである。しかしこれも、NTTが努力したせいではない。手続きをしなければ自動的にNTTと契約したことになるという、ハンディキャップつきレースだったせいにすぎない。
  • あまり話題にはされないが、IT社会への対応を急ぐという国の政策にとってNTTが大きな障壁になってきたことはまちがいない。実際接続料の高さを指摘されて国が動いたのはアメリカからの外圧だったりしたのだ。電話にもインターネット接続業にも民間業者が参入して一見、競争システムになっているかのようだが、NTTの既得権益の大きさに、どこも苦戦を強いられている。もうNTTなど使いたくない。僕は何年も前からそう思っているが、他に選択しようがなかったりするから本当にしゃくにさわる。
  • 2001年8月29日水曜日

    観光地の光と影

  • 8月が終わると、河口湖周辺は急に静かになる。まだまだ下界は暑いし、避暑地も9月の方が天候もよいのだが、なぜか人びとは8月に集中する。あれほどいた、湖畔の釣り人やキャンパーも、湖の水上バイクも嘘のようにいなくなる。ぼくはおかげで、広い湖をカヤックを浮かべて独り占めだ。
  • ものすごい不況で、観光客は減っていると地元の人たちは言う。「ユニバーサル・スタジオ」に客を取られたと言う人もいる。9月からは「ディズニー」に新しい呼び物ができる。そうなると、人はますますこなくなるのかもしれない。けれども、新聞にはこの夏の山梨県の観光客は微増だと書いてあった。ぼくもたしかに交通量が大したことないと感じていたが、この感覚のズレはどこから来るのだろうか。
  • 河口湖町は観光地として環境を整備することに積極的で、美術館やホール、それにハーブ園のたぐいをいくつも湖畔につくった。オルゴールの森美術館や猿劇場など、民営の施設も多い。だから、駐車場には観光バスが並んでいて、周辺はいつでも人の波が絶えないほどだ。道路の脇には花が植えられて、ていねいに管理されているから、冬をのぞけば、いろいろな花が楽しめる。あるいは、このような施設をつかった催し物の企画もある。たとえば、ラベンダーの花の咲く時期には、「ハーブ・フェスティバル」が数週間開催された。ぼくのパートナーも陶芸家のコーナーに作品をならべたが、訪れる客は多かった。
  • こういった客にあわせてうまい商売をする店もある。ぼくがよく行くスーパーには、キャンプでバーベキューをするための材料が、いつでも豊富にならべられている。だから地元の客に混じって、グループで買い物をする若い人たちや家族連れもよく見かける。コンビニでは釣り竿等も売っているから、手ぶらで来て、釣りとバーベキューを楽しんで日帰りすることもできる。河口湖漁協も釣り人から新しい税金を徴収しはじめたから、だいぶ収入が増えたようだ。
  • ところが、客の流れはこういうところに集中していて、古くからある商店街の人通りはほとんどない。昔ながらの洋品店や雑貨店には、いつでもシャッターを下ろしているところもある。収入はどうしているんだろうと心配になるほどだ。あるいは、湖畔にも倒産して廃墟化したホテルや旅館、レストラン等も多い。繁盛しているところとさっぱりなところが極端なのだ。
  • 隣の富士吉田では、今年も26日に火祭りがあって、大松明の並んだメインストリートは人でごった返した。しかし、街の寂れた様子はひどくて、ふだんはシャッター通りなどと呼ばれるところもある。観光客がこないうえに、地元の客を外から来た大型店に取られてしまっていて、ほとんど対応策もとれない状況のようだ。
  • 難しい問題だと思う。こうすれば解決できるなどという提案はとても出来ないが、よそから移り住んできた者として、気になるところがいくつかある。その一つは、この周辺地域に住む人たちの意識や人間関係に見られる閉鎖性だ。
  • 地元の商店で買い物をしたり、歯医者にいったり、あるいは仕事を頼んだりしてお金を払っても、領収書はめったによこさない。万単位であってもそうだから、スーパーやコンビニとの対照はずいぶん目立ってしまう。バイクの修理をしてお金を払ったあと、なおっていないことがわかってもう一回預けたことがあった。修理個所がわかったらおおよその見積もりを出して、いつ頃までに仕上がるかなどの連絡が来るのが普通だと思っていたから、再修理のときにいろいろ文句を言った。そうしたら、留守になおったバイクを持ってきて、それっきり。こちらから連絡する気はなかったので、結局、修理の明細も領収書もなしのままだった。たぶんよそ者で、やりにくい相手だと思ったのだろう。
  • こんな仕事のやり方をするのは、顔見知り相手の商売をしているからだろう。それはそれで他人行儀でなくていいかもしれないが、狭い世界でしか通用しないやり方だ。モノを売るにしても、修理やサービスにしても、地元の慣習が通じない人間を相手にできなければ、先細りになるのは明らかだ。
  • ぼくは、買い物をして、おつりをごまかされたことが何度かある。あるいは、噂では、他府県ナンバーの車にはガソリンを高く売りつけるスタンドがあるそうだ。そういう経験をすると、客はどんどん離れていってしまうと思うが、観光地で一見さん相手の商売と高をくくっているのかもしれない。こういったことは観光地ならどこにでもある話だろう。けれども、ここは東京から100kmで、くりかえし来る人も多いのだ。
  • 今年観光客の数が増えたのには、格安料金での日帰りバス・ツアーが人気を呼んだことが一役買っている。そのお客さんたちはコースで決められたたところにしか立ち寄らないし、日帰りだから、宿泊もしない。若い人たちには、コンビニさえあればあとは何もいらない。そうすると、どんな商売をするにしても、特徴をはっきり出して、ホームページなども出して、誰にでも通用するスタイルで客に接することをしないと、ますます観光客は寄りつかなくなってしまう。あるいは地元の客にしても、若い人たちは全国チェーンや個性的な店に足を向けるばかりだろう。
  • 社会の仕組みを変えることの難しさは、政治や経済の構造改革に限らないのだが、それは文化(人間関係や生活習慣)の変革を伴うから、本当に難しいのだな、と思う。これは小泉さんには期待できない自分自身の問題なのである。
  • 2001年8月23日木曜日

    夏休みに読んだ本

    当然だが、夏休みの時間は自由に使える。ただし、何かまとまったことをしようと思うから、気ままに見つけた本を読むということは少ない。めったに出かけないから、本屋をのぞいて新刊本をさがすこともほとんどない。だから、そろそろブック・レビューの番だなと思ったのに、取り上げてもいいような本がない。といって、本を読んでいないわけではない。大学に行っているときよりもはるかに長い時間、本を手にしている。
    一つは『ポピュラー文化を学ぶ人のため』の翻訳。そのために、引用された文章で、翻訳のあるものには逐一あたらなければならない。R.ホガート、G.オーウェル、R. ウィリアムズ。フランクフルト学派のアドルノ、マルクーゼ、そしてベンヤミン。構造主義のレヴィ・ストロース、ソシュール、それに記号論のR.バルト。それぞれの代表作を次々に読み飛ばしている。もっともこれらは読んだとは言えないかもしれない。引用個所をさがして、そこを抜き出す作業で、ごく一部にしかふれていないからだ。それにほとんど、以前に読んだものばかりだ。
    『ポピュラー文化を学ぶ人のため』はカルチュラル・スタディーズの理論的基礎を概説するもので、一章が大衆文化論、二章がフランクフルト学派、そして三章が構造主義と記号論となっている。ぼくの担当部分はここまでだが、これ以降は四章がマルクス主義とアルチュセール、五章がフェミニズム、そして六章がポストモダニズム、という構成になっている。二人の共訳だが、ぼくが全体の責任を持たなければならないから、これから、後半についても、文献にあたっていかなければならない。だから、コマ切れの読書はこれからもしばらくは続けなければならない。
    で、翻訳だが、粗訳はすべてできていて、今はそれぞれ手直しをしている。これがすんだら、あとは全体を通して、もう一回読み直しをして、編集者に渡すということになる。9月末にはできあがるようにする予定だったが、ちょっと手間取っているし、じっくりやりましょうという編集者のアドバイスもあるから、時期はもうちょっと後になるだろうと思う。実は、今回の本の作成過程についても、このHPで紹介しようかと考えている。
    翻訳は自分で書くのではないから楽だが、しかし、その分、間違いは許されないし、訳者の創作もできない。そのあたりを訳者と編集者で点検しなければならない。その作業が面倒だが、それを、掲示板でやるつもりだ。乞う、ご期待。

  • ぼくが英語の専門書をはじめて読んだのは、学部の「英書講読」の授業で、たしかE.フロムの『自由からの逃走』だった。ベストセラーの翻訳があったから、ほとんど日本語だけで理解したように記憶しているが、英語の勉強だからというのではない読み方をはじめて経験した。そのあと大学院に行って、英語の文献を読むことが否応なしに必要になったが、日本語の本を読むのと変わらない、当たり前の習慣のように感じはじめたのは、もう20代も最後の頃だった。
    今、大学の学部では、英語をテキストにして専門科目やゼミをやるのはほとんど不可能になっている。英語で読む必要もなくなったわけではなく、学生の拒絶感が強いからだ。インターネットがこれほど普及して、英語はますます必需品になっているのに、学生にとっては、大学入試でサヨナラ、という感じなのだ。まったく困ったものだが、アレルギー状態でやる気がないのはどうしようもない。
    だから、英語をテキストにするのは大学院からということになる。院の入試にはそのための英語の試験もある。しかし、やっぱり抵抗力はかなりある。必要性を説明して読み始めても、内容を理解する以前の英語力しかないという学生もいて、なかなか思うようにいかない。力をつけようと思ったら、ほとんど英語づけ状態で何ヶ月もがんばるといった時期が必要だから、ぼくはかなりのボリュームのページを全訳することを勧めている。しかし、報告の直前に徹夜で訳してくるといった例がほとんどで、これでは、実際、ほとんど力はつかない。一冊の本を翻訳するのに、どれだけの時間とエネルギーと根気が必要か。そのあたりを、掲示板でのやりとりでわかってもらえたら、と思う。
    話が横道のそれたが、もう一つの課題「ポール・オースター論」も苦戦している。「孤独」をH.D.ソロー、「アイデンティティ」を「ユダヤ」、そして「アメリカ的」な特徴をベース・ボールとブルックリンに関連づけて考えてみようかと思っているのだが、まだまだ読む本が多くて、書きはじめるところまで進んでいない。というより、読む本が次々と出てきてしまってきりがなくなってしまっている。
  • 例えば、野球について書こうと思って、映画の『フィールド・オブ・ドリームス』を見て、その原作の『シューレス・ジョー』(W.P.キンセラ)を読んだ。そうしたら、サリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』も、となった。野球といえばMLBの中継を毎日のようにやっているから、それを横目でちらちら、なんてこともしてしまう。また、ブルックリンやユダヤ人なら、W.アレンの映画も見なければ、あるいはエリア・カザンの『ブルックリン横町』、小説ならP.ハミルの『ブルックリン物語』というふうに………。
  • もちろん、オースターを読み直すこともしているから、時間はどんどん経ってしまう。もう8月も終わり。そろそろ章立てぐらいは作りはじめないと、締め切りに間に合わなくなってしまう。オースターの小説はおもしろい。けれども、切り取るとなるととりとめはなくて、何をどう書いたらいいのか、さっぱり良いアイデアは出てこない。困ったものだ。