2002年8月5日月曜日
デビット・ゾペティの作品
2002年7月29日月曜日
暑中見舞い
・今年は河口湖も例年になく蒸し暑く感じます。昼は、素麺や冷麺が食べたくなります。相変わらず、富士吉田のうどん屋巡りをしていますが、頼むのはもっぱら、冷やしうどん。店屋によって違いますが、大根おろしとわさびに天かす、それにゆでキャベツが定番です。冷たいうどんはいっそう硬くて歯ごたえがありますが、店によって微妙に感触が違うので、同じ店ではなくて新しいところに行くようにしてきました。しかし、気に入った店がいくつかできましたから、そろそろなじみの店に固定しようかと思っています。
・今年の土用の丑の日は20日。しかし土曜日で混雑が予想されましたから、鰻は21日に食べに行きました。河口湖駅前の川津屋さんで、ここには引っ越して以来、時折通っています。350円のうどんと違って2000円ですが、それでも東京で食べるよりは安くて、何よりおいしいです。お茶をつぎにきてはいろいろ世間話をするおばあちゃんがいて、フィリピン人のダリーさんと2歳の息子の海人(かいと)君がいます。
・21日の夕方に行くと「昨日は品切れになって、大変だった。予約のほかに飛び込みのお客さんがはいったから」とダリーさん。しかし21
日は客も数人。忙しいのは悪いことではないけれど、何も同じ日に苦労して食べなくてもいいのにと思ってしまいました。何しろここの鰻は、客の注文を受けてから、水槽で生きているのをつかまえ、さばいて、串にさして、蒸して、焙るのです。誰も客がいなくても、食べられるまで30分はかかります。
・ときどき、観光客と一緒になりますが、いつまでたっても出てこない鰻に、ソワソワ、ハラハラしている様子に出会います。電車やバスの時間を気にしているのでしょうが、鰻重が吉野屋みたいにすぐでてくると思っていたのでしょうか。もっとも、東京で鰻屋にはいっても30分はかからないように思います。おそらく最初から串にさして、蒸してあるのでしょう。しかし、これでは鰻のおいしさは半減です。ぼくは川津屋に行くときには、いつでも、家から電話で注文して出かけることにしています。これだと、ほとんど待ち時間なしで食べられます。
・仕事は22日で終わりました。授業はとっくに終わっていたのですが、会議の連続、パーティ、それに研究室の引っ越しなどで、蒸し暑い東京に行くこともしばしばでした。段ボール箱をもった拍子にちょっとギックリ腰になりかかりましたが、軽くて助かりました。夏休み明けには研究室が1.5倍の広さになります。3部屋を2部屋に改造するからで、広くなるのは歓迎ですが、鍵型になるので使い方には工夫が必要になります。
・で、休みに入って1週間。今は翻訳の最終チェックをする毎日です。お盆までには何とか仕上げてしまおうと、がんばっているところです。直すところはほとんど表記の統一なのですが、いくつか笑ってしまうような誤訳がありました。
・アドルノのポピュラー音楽批判についての部分で「ブッシュマンの祭日」と訳したところがあって、アドルノが野蛮な行動の象徴として使っているのだとはやとちりしました。しかし、実は「バスマン(運転手)の休日」だったのです。ポピュラー音楽を野蛮なものと切りすてるのはアドルノがよくすることですが、ここでの意味はバスの運転手が休日にもまた、車を運転して過ごすということで、働くことと余暇を過ごすことのあいだに、何のちがいもないという主張だったのです。
・こういうのは、一度訳してしまうと自分では気づきにくいミスで、編集者のていねいな校正に感謝するばかりです。翻訳は夜なべ仕事で、時には眠い目をこすって一日に1段落だけやっておしまい、なんてこともよくあります。調子のいいとき、悪いときなどもあって、訳文にばらつきもでてしまいます。ミスを指摘されるのは気分のいいものではありませんが、見つけてもらわないと、後でもっと困ることになってしまいます。
・そんなわけで、原稿の読み直しは念入りに。そのためというのではありませんが、テラスに置く椅子を買いました。カナダ製で、組みたてなければならなかったのですが、見た瞬間に気に入って衝動買いしてしまいました。組みたててしばらくは居間に置いて使っていたのですが、大きすぎて邪魔になるので、外に出すことにしました。白木にヤスリをかけて、ニスを塗って、今はもっぱらそこに座って訳の点検作業をしています。ちなみに、この椅子の名は「ゴシップ・チェア」。二人用で、あいだに小さなテーブルがついていますから、おしゃべり好きの人が二人座ったら、いつまでも話が終わらないかもしれません。
2002年7月22日月曜日
Patti Smith "Land(1975-2002)"
・パティ・スミスがベスト・アルバムを出した。2枚組で30曲。ぼくはほとんどもっているのだが、ライブがかなりはいっている。で、仕方なく買ったのだが、一気に聴くと、またちがった感じがしてなかなかいい。デビューは1975年だから27年間の総括ということになる。しかし、彼女は後ろは振り返らないという。
私は過去とファックはしない。
いつも未来を相手にしてきたから
私が愛撫したステージや壁が私の胸に傷をつけた
その木に刺さった一本一本のボルトが
丸太と同じくらい好きだった
・パティは積極的にライブ活動をしていて、日本にもやってくるようだ。ぼくは97年に大阪で彼女のライブを見て以来だから、行きたいのだが例によって、断念した。もっとも、去年のフジロックはWowowで見た。苗場なのに「フジ、フジ………」としきりにいう。富士山の霊験を呼び寄せているかのようだったから、「そこはフジじゃないよ。誰か教えてあげればいいのに」といいながら見た。ニール・ヤングともども、ありったけのエネルギーを振り絞るようなパフォーマンスだった。
・"Land"を買ってから、通勤中の車の中や、仕事部屋でボリュームを思い切り上げて、何度も聴いている。エネルギッシュでパワフルだから、ついついアクセルに力がはいって、気がつくとびっくりするようなスピードになってしまう。はっと、我にかえって足の力を抜く。魔女の誘惑………くわばらくわばらである。
夢のなかで夢を見た
輝きと望み
眠りからさめても
夢は明るい峡谷の姿をして
私にまとわりついた
澄んだ空気と新しく自覚する感覚
人びとが力を取り戻した
力をもった ("People have the power")
・アルバムには若死にした前夫、リチャード・ソールの写真とスーザン・ソンタグの手紙が添えられている。「ここにある声はどれも矛盾している。異なる歌が同時に響きあっている。………退屈ではない。失望もしない。女たちは生意気で、セクシーだった。あなたのおかげ。大切な友だち。音楽はどこにでも入りこむ。口の中。脇の下。股の下。音楽は飛びあがり、飛び過ぎる。………あなたはどこかに行って、また戻ってきた。あなたは歯をむき出しにする。その笑いはいまでも魅力的でたまらない。夜に戻り、あなたの生活に戻りなさい。気勢を上げ、うずくまり、飛び上がって、叫べ。征服者に向かって。」
・ "Land"の一枚目は、ファンがパティのために選んだもの、そして二枚目はパティがファンのために選んだもの。確かに、一枚目はヒット曲が多く、アルバムからの再録がほとんどだ。二枚目はライブやデモテープが多い。もちろんぼくは、パティが選んだ二枚目の方が好きだ。
2002年7月15日月曜日
佐渡の荒海
・日本マスコミュニケーション学会が新潟であったから、ついでに佐渡まで足を延ばした。学会会場の新潟大学は国立だからか冷房がない。台風の影響で気温は33
度。シンポジウムの会場はうだるような暑さで、頭がもうろうとするほどだったから、9.11以降のメディア報道という興味深いテーマも、ほとんど上の空だった。新潟は暑いところだと思ったが、懇親会場に移動するバスも冷房が弱いし、懇親会場のイタリア軒ホテルも暑い。どうもいつもとはちがう異常な暑さだったようだ。
・新潟から佐渡に行くフェリーの港は信濃川の河口にある。日本一長い川だけあって川幅は広い。その河口から日本海に出ていくあいだ、カモメの群が見送ってくれた。彼らは客の投げるカッパエビセンが目当てで、食いしん坊のやつは佐渡島が間近になるまでついてきた。ひょっとすると、フェリーとともに毎日何往復もしているのがいるかもしれない。
・台風が来ているから当然、天気は悪い。しかし時折、陽が差したりもする。波もそれほどでもないから、車に積んできたカヤックで海での初乗りができるかもしれない。そんなことを期待しながらフェリーでの2時間半をぼんやりと過ごした。
・佐渡島は北東から南西にのびる二つの大きな島がくっついた形をしている。港の両津はその島と島のあいだの平地にあって近くには湖もある。今は繋がっているが、大昔は別々の島だったのかもしれない。地形を見ながら、そんなことを勝手に考えた。北側は山が険しく、有名な金山がある。南はなだらかな山が続いている。くっついてはいるが、北と南の山並みはずいぶん景観がちがう。
・せっかく来たのだからと、まずは北側の山をめざして車を走らせ、金山を通り過ぎて、後は海岸沿いに南西の端の小木までひとっ走り。所々に露出している山肌は、いかにも金銀その他がとれそうな、さまざまな色の地層をしている。
・宿は陶芸家が体験者用にはじめたという民宿。佐渡には無名異焼という赤土を使った焼き物があるが、宿の主人は自分で佐渡の土を探して、自分で薪窯を作って、自分の作風を見つけだしたというこだわりの人だった。古い民家を移築して作った宿、大木を自分で切って作ったテーブル、あるいは巨石を積み上げた蟷螂など、なかなか面白いところだった。
・小木と直江津のあいだには航路がある。港には観光用のたらい船もあったから、ぼくもカヤックをと思ったのだが、たらいにのって女性たちが漁をするという場所は、ご覧のとおりの荒海。断崖の上から恨めしそうに眺めて、あきらめることにした。地元の人に、やっぱり日本海は荒々しいですね、というと、台風の影響だからで、いつもは凪状態だという応えがかえってきた。そう聞くとますます残念だが、しかし、打ち寄せる波の景色は、それはそれで見ごたえがあった。
・近くには千石船を作った船大工の村がある。朝早起きをしてその宿根木に散歩をした。険しい断崖の入り江にある集落で、茶色い家が密集している。家の造りも独特で、装飾もある。集落の真ん中には川が流れていて両側は石畳。道の一番奥にはよく手入れされた庭のある寺。かつて栄えた村だということがよくわかった。
・佐渡は車を飛ばせば一日で一回りできる。しかし、一泊では何とももったいないほどいろいろなものがある。フェリーの料金も高い。しかし、もう一泊というわけにもいかないから、また来ることにして帰ることにした。
・「荒海や 佐渡によこたう 天の川」(芭蕉)。そういえば、泊まった夜は7月7日の七夕。あいにく夜は時折すさまじい雨が降って、空など眺める気にもならなかった。しかし、夜遅く河口湖に着くと、富士山に山小屋の明かりが点々とついていて、まるで北斗七星が下まで降りてきたようだった。空には満天の星………。
2002年7月8日月曜日
ラベンダーと紫陽花と蚕
|
|
|
|
2002年7月1日月曜日
携帯その後
2002年6月24日月曜日
「メディア・イベント」の極み
・日本と韓国で開催されているWカップは、世界最大のメディア・イベントだといっていい。オリンピックはすでに何度か経験してきたが、Wカップはサッカー一種目だけでオリンピック以上の関心を集めている。しかも、あれで負けてもこれで勝てばという多様性がないから、一つの勝敗、というより1点をめぐって世界中が一喜一憂することになる。こんなイベントを目の当たりにするのは、ぼくにとってはじめてのことだ。テレビの世界同時中継が可能にした大騒ぎで、まさにメディア・イベントの時代であることを実感させられた。
・もちろん、メディア・イベントの歴史は長い。それは、新聞の創生期から、読者の関心を集めるものとして認識されてきたし、ラジオやテレビの時代になって、いっそう際だつようになったものである。たとえば、日本の新聞が一挙に購読者を増やしたのは「日露戦争」の報道だったし、甲子園の高校野球は朝日新聞が作りだしたものだ。戦争とスポーツを一緒にはできないかもしれないが、事実の報道にも、出来事を脚色し、物語を作りだして人びとの関心を惹きつけ、夢中にさせるといったやり方が強調されるから、メディア自体が作りだしたイベントと、そうではない出来事とのあいだには、実際、それほどの違いはないのである。
・今回紹介する一つは、そのメディア・イベントについて書かれたものである。『戦後日本のメディア・イベント』(津金沢聡広編著、世界思想社)はその前作『戦時期日本のメディア・イベント』の続編で、範囲は戦後から1960年まで。そのなかでスポーツに関係するのは2編。「戦後甲子園野球大会の『復活』」(有山輝雄)と「創刊期のスポーツ紙と野球イベント」(土屋礼子)。その他にテレビの普及とあわせてよく話題になる「メディア・イベントとしての御成婚」(吉見俊哉)や、もっと地味な話題、たとえば「復興期の子供向けメディア・イベント」(富田英典)など多様な話題が取り上げられている。
・有山さんは今年から東京経済大学に来られて学部の同僚になった人だが、彼は、甲子園を、日本に輸入された野球を「正しく模範的」な「武士道野球」に作りかえた「道徳劇」の舞台としてとらえている。また一方で、甲子園は朝日新聞の宣伝イベントとしてはじめられたものだから、そこには「見世物興行」としての側面が強くあり、娯楽性や有名性といった要素がつきまとう、きわめて矛盾の多い形にならざるをえなかったというわけだ。
・甲子園野球は戦争の中断の後に復活する。その際に、軍国主義的な色彩の強い「武士道野球」という特徴は影に隠れるが、実体は、「スポーツマン精神」ということばに置き換えられてそのまま継続する。「戦時の野球を隠し、しかも隠していることを復活、再生の言説によって隠し………戦時中を脇に片づけてしまえば、野球はスポーツ化され、復活した大会は『平和の熱戦』となりえた」(44頁)。このイベントは、そのメッキがかなり剥げてしまっているとはいえ、相変わらず「汗と涙の青春のドラマ」として春と夏に甲子園をにぎわしている。前にも書いたが、ぼくはこの甲子園野球が生理的に嫌いだ。
・Wカップのテレビ中継や新聞記事を見ているかぎり、そこには甲子園のような「道徳劇」の要素は目立たない。むしろ、なじみの選手を応援して興奮したり、感動したり、格好いい、話題の選手に熱を上げたりといった話題が多い。また韓国での様子には感じられる強烈な「ナショナリズム」も、日本ではそれほどでもなかった。そのクールさが両国の成績の差になっているのかもしれないが、ぼくは、興奮もこの程度でちょうどよかったのではないかとおもっている。優勝候補だったイタリアやスペインが審判の判定を公に批判している。負けるはずのないチームが弱いはずの国に負けた。その現実を認めたくなくて、責任を他に転化させようとしているところがみっともない。ベスト4に残ったヨーロッパ勢はドイツだけ。これは、Wカップが本当に世界的な「メディアイベント」になった証拠だと言えるかもしれない。
・「メディア・イベント」として気になる点をもう一つ。競技場のフィールドの周囲はいくつもの広告ボードで囲われている。目新しい光景ではないが、Wカップでは、それを一枚置くのに数億円の費用がかかるという。テレビ中継でも、民放の場合には試合の前後や前後半のあいだの休みにたくさんの CMが流された。放映権料は前回のフランス大会にくらべて桁違いに高騰している。世界大のメディア・イベントがまた格好の広告の場になり、巨額の金が動く機会になっている。
・『スポーツイベントの経済学』(原田宗彦、平凡社新書)によれば、今回のWカップでFIFAにはいる金は、1500億円を超えるそうである。チケットの売れ残り騒ぎは、放映権料の高騰で入場料収入に無頓着になったせいかもしれない。いずれにしても、FIFAは濡れ手に粟。しかし、ホテルの予約キャンセルが多数出た韓国では、チームの盛り上がりとは裏腹に、Wカップ不況が心配されているようだ。いくつも作った巨大なスタジアムは、これから何に使って維持していくのか。韓国の諸会場はもちろん、新潟、大分、宮城、神戸、静岡……。ぼくは、祭りの後始末が心配になってしまう。
日時: 2002年06月24日-
12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
-
・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
-
・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...