・日本マスコミュニケーション学会が新潟であったから、ついでに佐渡まで足を延ばした。学会会場の新潟大学は国立だからか冷房がない。台風の影響で気温は33
度。シンポジウムの会場はうだるような暑さで、頭がもうろうとするほどだったから、9.11以降のメディア報道という興味深いテーマも、ほとんど上の空だった。新潟は暑いところだと思ったが、懇親会場に移動するバスも冷房が弱いし、懇親会場のイタリア軒ホテルも暑い。どうもいつもとはちがう異常な暑さだったようだ。
・新潟から佐渡に行くフェリーの港は信濃川の河口にある。日本一長い川だけあって川幅は広い。その河口から日本海に出ていくあいだ、カモメの群が見送ってくれた。彼らは客の投げるカッパエビセンが目当てで、食いしん坊のやつは佐渡島が間近になるまでついてきた。ひょっとすると、フェリーとともに毎日何往復もしているのがいるかもしれない。
・台風が来ているから当然、天気は悪い。しかし時折、陽が差したりもする。波もそれほどでもないから、車に積んできたカヤックで海での初乗りができるかもしれない。そんなことを期待しながらフェリーでの2時間半をぼんやりと過ごした。
・佐渡島は北東から南西にのびる二つの大きな島がくっついた形をしている。港の両津はその島と島のあいだの平地にあって近くには湖もある。今は繋がっているが、大昔は別々の島だったのかもしれない。地形を見ながら、そんなことを勝手に考えた。北側は山が険しく、有名な金山がある。南はなだらかな山が続いている。くっついてはいるが、北と南の山並みはずいぶん景観がちがう。
・せっかく来たのだからと、まずは北側の山をめざして車を走らせ、金山を通り過ぎて、後は海岸沿いに南西の端の小木までひとっ走り。所々に露出している山肌は、いかにも金銀その他がとれそうな、さまざまな色の地層をしている。
・宿は陶芸家が体験者用にはじめたという民宿。佐渡には無名異焼という赤土を使った焼き物があるが、宿の主人は自分で佐渡の土を探して、自分で薪窯を作って、自分の作風を見つけだしたというこだわりの人だった。古い民家を移築して作った宿、大木を自分で切って作ったテーブル、あるいは巨石を積み上げた蟷螂など、なかなか面白いところだった。
・小木と直江津のあいだには航路がある。港には観光用のたらい船もあったから、ぼくもカヤックをと思ったのだが、たらいにのって女性たちが漁をするという場所は、ご覧のとおりの荒海。断崖の上から恨めしそうに眺めて、あきらめることにした。地元の人に、やっぱり日本海は荒々しいですね、というと、台風の影響だからで、いつもは凪状態だという応えがかえってきた。そう聞くとますます残念だが、しかし、打ち寄せる波の景色は、それはそれで見ごたえがあった。
・近くには千石船を作った船大工の村がある。朝早起きをしてその宿根木に散歩をした。険しい断崖の入り江にある集落で、茶色い家が密集している。家の造りも独特で、装飾もある。集落の真ん中には川が流れていて両側は石畳。道の一番奥にはよく手入れされた庭のある寺。かつて栄えた村だということがよくわかった。
・佐渡は車を飛ばせば一日で一回りできる。しかし、一泊では何とももったいないほどいろいろなものがある。フェリーの料金も高い。しかし、もう一泊というわけにもいかないから、また来ることにして帰ることにした。
・「荒海や 佐渡によこたう 天の川」(芭蕉)。そういえば、泊まった夜は7月7日の七夕。あいにく夜は時折すさまじい雨が降って、空など眺める気にもならなかった。しかし、夜遅く河口湖に着くと、富士山に山小屋の明かりが点々とついていて、まるで北斗七星が下まで降りてきたようだった。空には満天の星………。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。