2005年5月10日火曜日

野球の夢、野茂の夢

 

・野茂のことを書きたくてうずうずしているのに、その機会がなかなかやってこない。日米通算200勝をしたらと思っていたのだが、足踏み状態で、もう我慢ができなくなった。

・野茂はドジャースを解雇されて、今年はデビルレイズに所属している。ヤンキースの10分の1しか予算のない弱小球団だ。野茂の年俸も去年の8億円から1億円以下に激減した。1年調子が悪ければ振り出しに戻る、そのドライなやり方に今更ながらに驚いたが、野茂は相変わらず、黙々と投げている。投げているが調子は今ひとつ。去年のようなことはないが、やっぱり不安で、テレビでのんびり観戦というわけにはいかない。

・野茂はメジャーに来て今年で11年目で、メジャーではこれまで120勝をあげている。去年は肩の手術の影響で4勝しかあげられなかったが、その前は2年続けて16勝だった。すでに速球投手ではなく、コントロールと配球で勝負する技巧派に変身してからの成績だから、調子さえ戻れば二桁は勝てるはずだと思う。そんな期待をしながら、一方では、力のない球をスタンドに放りこまれることが多いから、やっぱりどきどきしながらテレビを見たり、ネットで速報やチャットをチェックしたりしている。200勝したら、もう十分なのではという気持ちと、もっともっと投げてほしいという思いが交錯する。

・ところが、そんな一ファンの気持ちとは関係なく、野茂はまだまだ投げ続けたいようだし、その自信もあるようだ。連敗続きで最下位にいるチームなのに、ワールド・シリーズにいけるようがんばるといった発言をする。周囲の誰もそんなことを期待していないのにまじめな顔でそういうから、彼のゴールはワールドシリーズでの登板なのだと、つくづく思う。だったら、彼と一緒にそれを願って応援しようと思うのだが、いかんせん弱い。第一、監督のピネラの今年の目標は5割なのである。

・もっとも、今年はヤンキースも弱い。デビルレイズと最下位争いをしていて、こちらの方がチーム状態は深刻のようだ。松井も調子が出ない。年齢も年俸も高い選手を補強しては、期待を裏切られている。だから先発投手が毎年がらりと変わる。しかし誰を呼んでも満足のいく成績を残せない。あのランディ・ジョンソンでさえそうなのだから、ヤンキースのユニフォームを着ることがかなりのプレッシャになっているといえるのかもしれない。その証拠に、ヤンキースから出された選手のほとんどが、他チームに移って大活躍をしているのだ。資金が潤沢だからとはいえ、これではいいチームは作れない。その意味で言えば、マイナーで若手を鍛え、多少の失敗は目をつむってメジャーで成長させる。そういう方針しかとれないデビルレイズの方がはるかに健全な気がする。

・デビルレイズのローテーション・ピッチャーは野茂以外にはすべて若い選手ばかりだ。カズミアーという投手はまだ21歳で、野茂がノーヒット・ノーランをした試合を見て感激したという。高校生の時で、そのあこがれの選手と一緒にプレイできることを何よりの励みにしているようだ。野茂はハードな練習を黙々とこなすから、そんな態度もいい手本になっているのだと思う。野茂よりもはるかに速い球を投げる。そんな投手たちが大変身すれば、チームは途中で大化けするかもしれない。そんな期待を抱いている。

・200勝が近づいて、野茂の投げる試合の中継では、彼のデビュー当時やノーヒット・ノーランの試合の映像を合間に挟んだりすることが多くなった。今と比べると若い、細い、躍動感がある。その違いに10年の歳月を改めて感じさせられてしまう。もうすっかりおじさんで、おなかもかなり突き出ている。練習しているというのになぜ太るのだろう。痩せて腰の切れをよくすれば、もっと速い球が投げられるだろうに。自分の腹の贅肉は棚に上げて、ついついそんな注文もつけたくなってしまう。

・そんな野茂を見ていると、番長気取りで500号に感激している清原の内弁慶ぶりや、高額の年俸をとりながら野球に熱の入らない佐々木がいっそう対照的に映ってしまう。ひたむきに夢を追い続ける。その単純さが野茂を魅力的にしたいる。

・Wowowで「オールド・ルーキー」を見た。35歳の高校教師がメジャー・リーグに挑戦する話だ。大学時代にドラフトされたが肩を故障して断念。高校の野球部の監督をしていたが、いつの間にか肩は回復して、速い球が投げられるようになった。無気力な生徒たちと約束して、地区で優勝したらメジャーに挑戦することになってしまうのである。もちろんマイナーからスタートするのだが、成績を認められて昇格したのがタンパベイ・デビルレイズだった。野茂が来ているのと同じユニフォームで、見ていて二人を重ね合わせてしまった。

・あるいは、ケビン・コスナーが主演した「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」は、峠を越えた40歳の大投手が引退を前にパーフェクト・ゲームをする話だ。13日にNHKのBSで放送するが、野茂ファンのなかにはもう一回ノーヒット・ノーランをと期待する人が多いから、やっぱりだぶって見てしまう映画だと思う。見逃さずに、僕ももう一回見よう。もちろん、野茂の試合にも注目だ。

2005年5月3日火曜日

メール・ソフトがいっぱい

 ジャンク、あるいはスパム・メールに相変わらず悩まされている。大半は海外からやってくる広告で、これが数十通、多い日には100を超えることもある。国内からのは大半が出会い系とアダルトサイト。これも、もう1年以上続いている。最初はいちいち差出人や題名を確認しながら削除していたが、マックのOS.Xに切りかえてから付属のメール・ソフトを使い始め、迷惑メールのトレーニングを始めた。最初はめちゃくちゃだったが、だんだん賢くなった。もっとも、やってくるメールもなかなかで、題名やら宛先人に工夫が見られるようになった。たとえば、

「夜のおかずマガジン」「累計掲示板3億4000万投稿」「重要なお知らせです」「ママさんバレーチームからのメールです」「知って得する情報」「会員様へお知らせです」「特ダネ!」「第13号、期間限定です」「お仕事ネット」「優良サイト案内」「社会人サークルのご案内です」「整理番号をお知らせいたします」「これから宜しくお願いいたします」「お疲れ!」「も〜温かくなって花見だね」「歴史雑学」「1通受信メッセージ」「花粉情報」「花粉対策」「花粉症対策特別号」「The Movie」「なんでも情報」「生活情報」「サクラ撲滅委員会」「こんなメールに要注意!」「少女更正機構」「登録ありがとうございます」「派遣バイトのお知らせ」「新入学おめでとう!」「GWの旅行日程決定しました」
つい開けて、うっかりクリック。これを狙っているのが見え見えだし、中には、まずは真面目に読ませる記事があって、最後に出会い系サイトの案内、などというものもある。個人名も多い。知りあいだと思わせようというのだろうか。もちろん、直接的な不倫や援助交際(逆援)の誘いも多い。アダルトサイトも相変わらずだ。

僕が使うパソコンは1台ではない。家で2台、大学の研究室でも2台。それぞれに、OS.9と、OS.Xがはいっていて、使っているメール・ソフトもバラバラだ。家では、パートナーと使い分けをしなければいけないから、1台に何種類ものソフトを入れることになる。これでは少し面倒で、何とか統一しようと思っているが、一長一短でなかなか踏ん切りがつかない。
一番使い慣れているのは「Eudora」だ。アドレス帳も一番充実している。しかし、迷惑メールを選別する機能がないし、複数で使用することができない。だから、捨ててしまおうと思うのだが、お金を出して買い続けてきたソフトだから、なかなか捨てがたい。「Outolook」はただでPCユーザーからのメールに便利だからと使ってきた。しかしOS.Xに対応していないから、古い機種でしか使えない。

先日職場の同僚に「Firefox」(ブラウザー)と「Thunderbird」(メール)の二つのソフトを教えてもらった。どちらもMOzillaが提供するフリーのソフトで、Netscapeの流れを汲む会社のようだ。さっそくダウンロードして使いはじめたが、これがどちらもなかなかいい。特に「Thunderbird」は最初から、迷惑メールをうまくはじいてくれる。必要なメールも迷惑にしてしまうことが時々あるから、確認しないわけにはいかないが、その割合も徐々に改善されてきている。


少なくともOS.X環境では、これで十分なようにも思う。だからOS.Xに付属する「Safari」もメールソフトもほとんどあけなくなったし、長年使い慣れて愛着のある「Netscape」も削除することにした。次は「Eudora」で、少なくともOS.X環境では不要だが、どうしようか迷っている。先日気づいたのだが、「Eudora」を販売している会社は「オン・ザ・エッヂ」である。ホリエモンの「ライブドア」の元会社だ。彼はこんなソフトも買収していたのか。そう思ったら、応援したい気もちょっとしたが、もっともっと改善してフリーで配布しなければ、消えてしまうのにとも感じた。買収して飼い殺しはだめですね。ホリエモンさん!

日時:2005年5月3日

2005年4月26日火曜日

富士と桜





今年の桜は平年通りだったようだが、去年が早すぎたから、東京の桜はずいぶん遅れているように感じた。しかし、河口湖は意外に早く4月の中旬から咲き始めた。その後、寒さが戻って、夜明けに零下になる日もあったから、いつもより長く咲いている。ソメイヨシノ、富士桜、大島桜とそれぞれに、花の大きさも色も違うし、葉の出方も異なるから多様でおもしろい。




いつも通り、庭の春は蕗の薹からはじまる。雪がまだ残る庭の日だまりにしっかり芽を出してくる。それを摘んで苦みを天ぷらで味わう。もう少ししたら蕗のしぐれ煮だ。雪が消え、まだ茶色の庭にいち早く出るのは片栗。大きな二枚の葉っぱが地面から直接生えると、真ん中から紫の花がにょっきり顔を出す。今年は去年よりもだいぶ増えて20ほどの花が咲いた。2から4,4から8、8から12,そして今年は12から20。来年は30!となったら、もうしっかり群生地だ。片栗が消えると次々に草花が出てくる。踏まれても強いのがスミレ。小さいがきれいな青い花だ。


  

日時:2005年4月26日

2005年4月19日火曜日

追悼 高田渡

 

wataru1.jpg・高田渡が死んだ。享年56歳、僕と同い年だった。あまりに早い死だが、ずいぶん前から、体は悪かったようだ。酒を断たなければ長生きはできない。そういう忠告を間近で聞いたのは8年半ほど前だったが、その後もやめなかったようだ。
・BSで吉田類が各地の居酒屋を巡る番組「酒場放浪記」をやっている。毎日15分。僕は酒飲みではないが時々みている。しばらく前に吉祥寺の立ち飲みの屋台を紹介していて、僕も行ったことがあるから、興味深くみていたのだが、突然、カメラの前を高田渡が横切った。知らぬフリしてわざとやったのかもしれない。だとしたら、いかにも彼らしいいたずらで、僕は笑ってしまったが、同時に、昼間からしょっちゅう来て飲んでるんだ、と思って、体のことがまた気になった。
・僕が彼に最後にあったのは「中山容さんを偲ぶ会」だった。それについての文章に、彼との出会いを次のように書いた。

wataru2.jpg 30 年前、僕は予備校の授業をさぼって吉祥寺の南口にあった「青い麦」でフォークソングのレコードを聴いて過ごし、井の頭公園でギターの練習をした。そこで高田渡と何度か会った。彼をはじめて知ったのは四谷の野中ビルで開かれた「窓から這いだせ」という名のコンサートだった。その後、東中野や阿佐ヶ谷、あるいは豊田など中央沿線で小さな会場を借りたコンサートが行われ、僕も何度か歌った。会を設定し、若い歌い手を集め、歌の批評やアドバイスをし、相談に乗ったのが中山容だった。

wataru3.jpg・中山容は片桐ユズルと一緒にフルブライト留学生としてアメリカに渡り、ビートニクの影響を受けて日本でビート詩を書いた人だ。公民権運動や反戦活動とともにフォークソングが注目されると、ピート・シーガーやボブ・ディランの歌を訳して若い人に歌わせるようになった。場を設定して小さなコンサートを開き、やんちゃな連中を引率してフォーク・キャンプをして回った。そんな活動がやがて「関西フォーク運動」になったのだが、高田渡はひときわ脚光を浴びるフォークシンガーだった。
・高田渡に久しぶりにあったのは、その容さんを見舞いに行った京都の病院だった。中川五郎も来ていて、容さんは「渡ちゃん」「五郎ちゃん」と呼んで、懐かしい昔話に花を咲かせた。その時に、高田渡が死ぬほど体が悪くなり、琵琶湖の病院で療養生活を過ごしたことを聞かされた。原因は酒の飲み過ぎで、話したのは、同席したその病院の院長だった。彼もまた、学生時代にフォークソングにのめり込んでいた一人だが、その時のやりとりを中川五郎の小説をレビューしたときに次のように書いた。

goro3.jpg 2年半ほど前にボブ・ディランの訳者の中山容さんが死んだが、ぼくは入院先の病院でたまたま彼と会った。高田渡ともう一人、滋賀県の病院長をしている人と一緒に容さんを近くの喫茶店に連れだして話をした。みんな関西フォーク運動を経験した仲間達で、年長の容さんには世話になった。その時、渡ちゃんか五郎ちゃんかどちらかが、「なまじ音楽の才能がない方が出世したみたいだね」と言った。確かにこのメンバーでは、才能がなくて早々音楽の道をあきらめた者が医者や大学の教員になっている。「あー、そういうことになるのか」と思ったが、それはあくまで30年も経った後の話でしかない。

wataru4.jpg・高田渡にも中川五郎にも「容さんを偲ぶ会」以来会っていない。しかし、彼らの歌は最近のCDの復刻版で改めて聴くようになった。高田渡の歌は、明治時代の演歌士添田唖然坊の歌詞をフォークやブルースの古い曲に乗せたものであったり、黒人の詩人ラングストン・ヒューズの詩であったり、あるいは金子光晴や山之口貘の詩であったりもする。しかし、どんなものも、彼の手にかかると高田節になって違和感なく聞こえてしまう。しかもそれは、もう三十数年前に吉祥寺の井の頭公園で聴いた時の印象から変わらない。大学ノートに書き込んだ歌詞をめくって次々歌ってくれて、その場で腹を抱えて笑ったのを今でもよく覚えている。その時から、僕よりずっと年上の人に思えたが、枯れつきてしまうのもまたあまりに早すぎた。ご冥福をお祈りします。

2005年4月12日火曜日

S.ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房)

 

sontag1.jpg・スーザン・ソンタグが死んだという記事を目にして、驚いた。9.11以降のアメリカを危惧して活発な活動をしていたのに、なぜ、あー、残念という気がして悲しくなった。『写真論』『ラディカルな意志のスタイル』(晶文社)や『反解釈』(筑摩書房)、そして『隠喩としての病い』(みすず書房)など、彼女の本から得たものは少なくない。何より、思慮に富んで歯切れがいい文章が好きだった。で、まだ読んでいない本を何冊か買って読んだが、報道写真をテーマにした『他者の苦痛へのまなざし』がおもしろかった。
・9.11以降、戦争によってもたらされた悲惨さを記録した写真やビデオを見る機会が増えた。これでもかという愚行のくりかえしに、暗澹とした思いにさせられる。けれどもまた、食傷気味という感じを覚え、その説明のつきにくい矛盾した感情にとまどう自分も自覚してしまう。暗澹とした思いはわかる。しかし、食傷気味とは、どういうことなのだろうか。たまに見て刺激にしたいということなら、バイオレンス映画に期待するものと変わらない。いったい僕は戦場の悲惨の写真に何を見ているのだろうか。
・『他者の苦痛へのまなざし』には次のような文章がある。


写真は混じり合った信号を発信する。こんなことは止めさせなさい、と写真は主張する。だが同時に写真は叫ぶ。何というスペクタクルだろう。(p.75)

・写真にたいする二つの相反した反応。ソンタグはそれを、前者は理性や良心にもとづくもの、後者は身体が暴力を受けるイメージにつきまとう性的な興味だという。もちろん常識的には、誰もが前者を肯定し、前面に出し、後者を否定、あるいは隠蔽する。しかし、忌まわしいものではあっても、あるいは、忌まわしいものであるがゆえに、後者は誘惑力を持つ。
・このような指摘は、もちろん全く新しいというものではない。新聞が部数を増やしてマスになったのは、世界中どこでも、戦争の報道がきっかけだった。惨事があれば売れる。それは現代の新聞でも変わらないし、何よりテレビに明らかだろう。今や、ニュース・レポーターが戦車に乗って生中継する時代なのだから。
・だから、特にテレビによる報道のスペクタクル化が批判されたりもする。そこで言われるのは、残忍な行為や犯罪を記録した写真は楽しみではなく、義務として、事実を直視するために見るべきものということだ。それは正論だが、正論でしかないから、またほとんど、説得力を持たない。そうは言っても、心の底から湧き出てくる関心や興奮は抑えがたいからだ。
・ソンタグは、そう考える基盤にあるのは、平和が規範で戦争を例外とする倫理観だという。そして、人間の長い歴史を見れば「戦争は人間が常習的に行うもの」だったことがわかるという。

現実がスペクタクルと化したと言うことは、驚くべき偏狭な精神である。それは報道が娯楽に転化されているような、世界の富める場所に住む少数の知識人のものの見方の習性を一般化している。(p.110)

2005年4月6日水曜日

「男」と「女」

 

・テレビのニュースでは事件の容疑者の性別に「男」「女」をつかっている。たとえば、「殺人の容疑で逮捕されたのは〜。この女(男)は………」といったようにだ。実際、いかにも悪いことをしたヤツという印象を受ける。いつからこうなったのかはっきりしないが、最近変えたのだとしたら、それ以前は何と言っていたのだろうか。とにかく、この呼び方、特に「女」が気になって仕方がない。もちろん不快にである。
・ニュースでは容疑者と区別して、被害者には「女性」「男性」という呼び方をするから、「女」「男」は明らかに敬称なしという扱いである。しかし、新聞で読むぶんにはさほど気にならないのに、耳からはいる「おんな」「おとこ」からはどうしても、侮蔑や叱責のニュアンスを感じてしまう。読むと聞くの違いか、あるいはアナウンサーやキャスターの読み方の問題なのだろうか。
・僕が気になるのは、容疑者の人権といったことではない。「女」と「男」ということばの扱いかたについてである。これではニュートラルな意味での「女」「男」の使用を躊躇せざるをえない。「女性」「男性」を使えばいいではないかと言われるかもしれないが、僕は以前から「性」をつけることの方に抵抗感をもっている。
・「ウーマンリブ」の運動が社会的に認知されたときに、「ウーマン」は「婦人」や「女性」ではなく「女」なんだと教えられたし、丁重な言い方が隠す蔑視や差別の意識の方が問題なんだということにも気づかされた。たとえば、排泄の行為を直接示す「便所」の代わりに「手洗い」が使われたり、「トイレ」や「レスト・ルーム」が使われたりする。しかし、ことばを婉曲的にしても、それが指すこと、示すもの、あるいは行為に変化があるわけではない。
・確かに「女」には、男にとっての「性の対象」(いい女)、あるいは「男の所有物」(俺の女)といった使い方がある。「あの女」と言ったら、そこには敬意は感じにくいかもしれない。しかし、「いい女」「あの女」は誰がどこで誰にどんなふうに言うかによって多様だし、「俺の女」は所有物として考える男の意識の方が問題なのである。
・ニュースでの「男」「女」の使い方は、こういったニュアンスを無視して、叱責ばかりを強調する。このような使い方が定着すると、「男」「女」は「便所」と同じような使いにくいことばになってしまう。僕はあくまで抵抗して、「男」「女」を使うつもりだが、いったいいつまで可能なのだろうか。
・そんなことを考えていて、今まで見過ごしていたことに気づいた。「ウーマンリブ」が「フェミニズム」と名前を変えた理由は何だったのだろうか。一部の人たちの運動から一般的な意識への広まりにともなった婉曲的な言いかえだったのだろうか。ちょっと調べてみたくなった。「フィメイル」や「メイル」には「雌」「雄」という意味があって、人間以外にもつかわれる。英語のニュアンスとしてはどうなのだろうか。
・ついでに「性」に関連して、気になっていることをもう一つ。院生や若い研究者がやたら「〜性」ということばを使いたがる点だ。たとえば「関係」と言わずに「関係性」と言ったりする。「男と女の関係」ではなく「男と女の関係性」。ここにどのような意味の違いがあるのか、よくわからない場合が多いのである。「性」をつけるとそれらしく感じられるということなのだろうか。一種のアカデミックな婉曲語法なのかもしれない。しかし、これははっきり言えば「曖昧さ」と「深遠さ」の取り違えである。僕はこんな使い方にも不快感をもってしまう。

2005年3月30日水曜日

ホリエモンの魅力と怖さ

 もう一ヶ月以上、テレビのニュース番組が「ホリエモン」でにぎわっている。ニッポン放送を買収し、次はフジテレビ。ホリエモンこと堀江貴文はまだ30代の前半で、そんな若造が巨大なメディアを相手に乗っ取りを仕掛けたというのだから、話題になるのは当然だろう。喝采も多いが反発も強い。僕は興味もってずっと見守ってきた。


ホリエモンを最初に見たのは「オリックス」に吸収合併される「近鉄」の買収に名乗りを上げたときだ。僕はそれまで、堀江貴文はもちろん、「ライブドア」という会社もネット上のサイトも知らなかった。それはネット・ビジネスの急成長を認識させられる機会でもあった。ところが、日本のプロ野球機構は「ソフトバンク」と「楽天」は認めても、「ライブドア」をまっとうな相手として認めようとしなかった。


堀江はその後メディアにしょっちゅう登場して童顔の太った風貌から「ホリエモン」という愛称で呼ばれるようになった。ところが、そのポケットからとんでもないものが飛び出して世間を驚かせ当惑させることになったのである。
僕がホリエモンで特に関心をもったのは、彼がネクタイを締めないことだった。それはどこで誰に会う場合でも徹底しているから、彼の中では強いポリシーになっているのだと思う。ささいなことに見えるかもしれないが、ネクタイは、大人たちがフォーマルな関係を持つ際には必ず身につけなければいけないアイデンティティ・キットとしてみなされている。だから、ノーネクタイは、守ることが前提とされているもろもろのルールや慣行が、暗黙の了解事項ではないことの意思表示にもなる。


ホリエモンの手法は実際に、このノーネクタイに象徴されるように、暗黙の了解事項を無視したり、積極的に打破することを基本にしているようだ。つまり、彼はプロ野球機構、日本の企業形態、日本のマスメディア、そして株取得の意味や方法について、明文化されたルールではないが常識化した慣例を無視し、それに異議を唱えるスタイルで行動をおこしてきた。だから反発も強いのだが、彼が切り崩そうとする壁は実際に、老朽化や腐敗などのさまざまな問題を引き起こしてもいる。


たとえば、国土計画と西武鉄道の問題は、堤義明が同族経営を維持して株式を他人に支配されないように画策した行為が犯罪として追求されている。けれども、これは程度問題で、どんな会社も乗っ取りを恐れて関係のある会社と株を持ちあうことはしている。あるいは創業家の威光が大企業になっても弱まらないところも少なくない。だからホリエモンの行動が「他人の家に土足で上がりこむ」といった言い方で非難されるわけだ。しかし、株式とは公開されたものだから、「他人の家」といった意識そのものが極めて日本的なのである。


日本的といえば、小さな国土計画が大きな西武鉄道の親会社になっているという形態も奇妙だ。同じことはフジテレビとニッポン放送の関係にも言えるが、どちらも組合を持たない企業であったという点でも共通している(フジテレビにはあった)。ニッポン放送の社員は今度の事態で急遽組合を結成して、乗っ取りに反対する声明を出した。それに同調して、出演を拒絶する人たちも出はじめたが、まったく家族主義的な発想だと思う。ビジネスは公的なもので家族といったプライベートなものとは違うはずだが、日本の社会には、そのけじめがほとんど存在しないのである。


この点の善し悪しは、「家族的」を「私物的」と読みかえたら、ずっとはっきりするだろう。プロ野球の球団を持つオーナー達の発想が一般の野球ファンから反発を買った点がここだったはずである。そしてニッポン放送やフジテレビ、あるいはマスコミ関係者が共通感覚(常識)として訴えようとしているのも、まさにこの点に他ならない。 

日時:2005年3月30日