2005年5月24日火曜日

iPodを買った

 ・たいして欲しいと思わなかったがipodを買った。理由は写真を保存する機能がついたこと、ボイス・レコーダーをつければ録音機にもなることだった。今年は国内研究で出かけることも多くなる。デジタルカメラと録音機は携行したい。さあ、どこへ行って、誰に会い、何をしようか。そのためにはまず、1年間を有効に過ごすためのツールを揃えなければならない、というわけだった。


・とはいえ、大学を全休というわけではない。大学院に学生がいるから週に2日は大学に行く。ついでに学部のゼミもやるから、コマ数は二つ半の軽減でしかない。しかし、会議に出ないのは気楽だし、委員やその他の学務を免除されているから、気分はすごく楽になった。だからこの際、忙しくてできなかったビデオやCDの整理もすることにした。で、これも今まで興味がなかったDVDレコーダーを買った。蓄積したビデオは数百本ある。映画、音楽、そしてテレビのドキュメント、あるいはカメラで撮りだめたもの等々。それをDVDに移しかえはじめている。


・ipodはもちろん、音楽を大量に保存し、主としてイヤホンで聴く道具である。しかし、今のところ、イヤホンで聴く機会はあまりない。だから、研究室でラジカセにつないで流している。院や学部の演習をやるときのバック・ミュージックである。今年は講義はないが、「音楽文化論」でちょっと聞かせるのにも便利だろう。


・iipodは60Gですべて音楽で一杯にすると15000曲はいるという。試しに所有しているCDをはじから入れていった。結構時間がかかるし、Powerbookのハードディスクの残量が10Gを切ってしまったから、8000曲でいったん中止して、今度はいらない曲を消去することにした。しかし、これは聴いて確認しながらの作業だから、やたら手間暇がかかる。


・そうやって蓄積した曲を「シャッフル」(ipodの選曲任せ)で聴いていると、覚えのない曲がずいぶん聞こえてきて、新鮮な思いを何度も味わった。ジャンルの違う曲が脈絡なくかかるから、時折「ちょっと待ってくれ」と言ってパスすることもあるが、今のところは、埋もれていた曲を発見することの方が多い。だいたいもっているCDの大半は、もう何年も聴かなかったものがほとんどで、そんなことにも改めて気づく機会になった。


・ところが、ミュージシャンごとに入れていくと、もってないアルバムがあることにも気づいてしまった。なければ、当然ほしくなる。しかも、ないとはいってもCDの話で、レコードではもっていたりする。たとえば、ビートルズやボブ・ディラン、あるいは関西フォークといった60年代から70年代のもので、レコードからipodに入れられないかと考えたが、あきらめて買うことにした。先日亡くなった高田渡のアルバムも5枚ほど買ったし、ディランやビートルズも4,5枚ずつ。とんだ散在である。


・今、音楽はネットでダウンロードして購入するというスタイルに変わりつつある。Appleのサイトでは1曲が1ドル、アルバムなら10ドルで買える。各社が競争して値下げするようだから、CDより安い値段で手にはいることになるだろう。CD、ケース、ジャケット、歌詞カード等々が不要だというなら、音楽の購入形態はがらっと変わってしまうことになる。果たしてそうなるかどうか。


・LPレコードは60年代後半のロック音楽の台頭で普及した。1曲ではなくアルバムとして作品づくりをするようになったからだ。同時にジャケットにも工夫が凝らされるようになり、ポップ・アートの表現の場にもなった。CDに変わってつまらなくなったのは、そのジャケットが小さく貧弱になったことだったが、今はその小さなジャケットの消滅を嘆く人たちがいる。あるいはLP風の紙ジャケットが人気だともいう。そういえば、LPレコードもジャケットで根強い人気があるようだ。著作権と違法コピーやダウンロードの問題とあわせて、音楽の周辺は変化がめまぐるしい。


・もっとも、ipodで聴くようになった曲はもっぱらクラシックなロックやフォーク、あるいはカントリーで、あらためてそのよさを再確認したりしている。僕にとっては、ミュージシャンや曲は時代と切り離して聴くことはできないが、シャッフルが当たり前になると、若い人には聴く曲の時間差や時代背景は、ほとんど無意味なものになるのかもしれない。確実に、音楽の聴き方が変わるだろう。 

日時:2005年5月24日

2005年5月17日火曜日

「考えられないこと」という姿勢

 

・JR西日本の事故について、その後の対応、あるいは組織の体質などが厳しく問われている。問題にすること自体は当たり前だと思う。しかし、新聞やテレビでの論調には強い違和感をもつことが多い。とりわけ、記者会見の場での記者の態度が気になる。きわめて感情的で、ののしるような、罵声を浴びせるような発言が目につく。
・信じられないような事故だったから、当然、「なぜ」ということが知りたい。まず注目されたのは運転手。その個人的な資質が事故の原因としていろいろ取り上げられた。停車位置の行き過ぎとその過少申告。その遅れを取り戻すためのスピード超過。そういった状況説明がまるで運転手と車掌を犯罪者扱いのようにしてされたから、車掌は精神的にひどく参っているという。死んだ運転手の家族の気持ちを考えると、そんなに早く行動の善悪や白黒を決めつけ、人格非難に集中する報道自体に、大きな犯罪を感じ取ってしまった。
・事故はやがて、安全よりは利益優先のJR西日本の方針、事故に対する鈍感な反応の企業体質に及んだ。過密ダイヤと遅れの厳禁、と同時に遅れを取り戻すためのスピード超過の運転と急ブレーキの常習化。事故の起こった現場は運転手の間では危険な箇所として常識だったという。しかし、JR西日本はそんな運転手たちの声に耳を貸さなかったようだ。反面で、運転ミスや遅れに対しては厳しい罰則が科され、陰湿ないじめそのものの再教育が行われた。安全装置に対する予算の軽視、事故の電車に乗り合わせて、そのまま出社したJR社員、宴会やゴルフ、あるいはその他の会合をいつも通りやりつづけて中止しなかった職員たちの鈍感さ、そういった次々に出てくる事例から、JR西日本は命を預かる公共交通機関としての責任感のなさを厳しく批判されてきている。
・それらはどれもこれも、一つ一つ、徹底的に問題にすべきことだと思う。しかし、「考えられないこと、信じられないこと」という疑問が、事故そのものに向けられるのではなくて、JR西日本を悪玉に仕立てる姿勢になって、それが定着してしまっている。こういう流れに違和感をもつが、それは何度も繰り返されてきた報道姿勢でもある。トラックの欠陥が頻発した三菱自動車、飛行機では日本航空、あるいは競争が激しい運送業者と交通事故……。ちょっと前には日本ハムや雪印乳業などの食品産業もやり玉に挙げられた。こんな事例はここ数年だけでもかなりの数に上る。そしてそこにあったのは、利益優先と安全性の軽視、何かことが起きたときの隠蔽工作と自己保身、あるいは責任回避の行動など共通するものが多かったはずである。
・だとすれば、それは一部の企業にのみ当てはまることではなく、どこにでも見られることではないのか。そういう発想があって当然だと思うが、そんな意見は滅多に聞くことがない。これはどうしてなのだろうか。

・G.オーウェルが差別について書いた文章のなかに、「差別」について考えるためには「差別意識」を他人のこととして非難するのではなく、「私にはどうして、それがあるのだろうか」という疑問を出発点にすることだとした部分がある。その前提になっているのは、人は自分のなかにあって忌避したいものを他人に押しつけ、自分にはない憧れを自分の内に取り込もうとする傾向の指摘である。社会学では前者のような行動を「投影」、後者を「同一化」といい、自分が自分であることを自覚し、他人に認知されるために必要な基本的な行動と考えている。人は何者かとして生まれてくるだけではなく、自分の力によって何者かになる。その「アイデンティティ」の形成はまさに「投影」と「同一化」によっておこなわれると考えてもいい。
・自分のなかにあって改めたいもの、乗り越えたいものは、もちろん、そう簡単には克服できるものではない。しかし、それを他人に押しつければ、少なくとも自分のなかにはないというふりはできる。オーウェルは「差別意識」の根本をここに見ているわけだが、それは何か問題が生じたときに、その原因や責任を特定の人や組織に押しつける傾向にも共通している。逆に言えば、だからこそ、人から批判されたり後ろ指を指されないために、その原因になるものは他人には見せないように気をつけるし、出そうになったら真っ先に隠蔽工作に走りがちになるというわけだ。
・マスコミの報道姿勢はこの「投影」と「同一化」の行く過ぎたやりかたに他ならない。その影響力は大きいから、たちまち、「世論」として一人歩きを始めてしまう。しかも、その影響力を誇示することはあっても、自省することは少ないから、始末が悪い。第一、同じような体質は、マスコミという組織、その経営者、そこで働くジャーナリストにもあるはずだが、そんな発想は皆無だと言っていい。他人の批判は声高にやるが、自分のことになると知らん顔をしたり、嘘や隠蔽工作で逃げようとする。NHKはJR西日本を非難するのならば、それが自らの体質に共通するものだという自覚を持つべきで、それはフジテレビやNTVだって同じだし、新聞社だって例外ではないのである。

・廃刊になった『噂の眞相』の編集長だった岡留安則が出した『「噂の眞相」25年戦記』(集英社新書)を読むと、新聞、雑誌、テレビといったマスメディアの体質がいまさらながらによくわかる。『噂の眞相』は何よりマスコミが隠蔽したり無視したことのなかに重要性をかぎ取り、それをスキャンダラスに暴露した雑誌だが、さまざまな圧力がかかったり、いかがわしい雑誌というレッテルを貼られたにもかかわらず、25年もの間出し続けてきた。企業からの広告がほとんどない中で黒字経営を続けられたのは、そこに他のメディアには出てこない一つの世界が明示されたからである。
・編集長が振り返る事例はどれも具体的で生々しい。『噂の眞相』で批判された組織や個人には、それなりの反論もあるのだろうが、この雑誌が個人の力によって25年も出版されたことを考えると、ここで書かれていることには強い信憑性が感じられるし説得力がある。ここでは、本多勝一も筑紫哲也も田原総一郎も形なしだし、小林よしのりは子供扱いされている。警察や検察だろうがそのトップだろうが、有力政治家だろうが、批判お構いなし。その姿勢は今更ながら痛快でさえある。もっとも、そうやって批判し続けてきても、マスコミの体質やそこで発言する人たちの姿勢は変わらない。相変わらずの、「人の振り見て我が振り直せ」が全く通用しない世界なのだとつくづく思う。

2005年5月10日火曜日

野球の夢、野茂の夢

 

・野茂のことを書きたくてうずうずしているのに、その機会がなかなかやってこない。日米通算200勝をしたらと思っていたのだが、足踏み状態で、もう我慢ができなくなった。

・野茂はドジャースを解雇されて、今年はデビルレイズに所属している。ヤンキースの10分の1しか予算のない弱小球団だ。野茂の年俸も去年の8億円から1億円以下に激減した。1年調子が悪ければ振り出しに戻る、そのドライなやり方に今更ながらに驚いたが、野茂は相変わらず、黙々と投げている。投げているが調子は今ひとつ。去年のようなことはないが、やっぱり不安で、テレビでのんびり観戦というわけにはいかない。

・野茂はメジャーに来て今年で11年目で、メジャーではこれまで120勝をあげている。去年は肩の手術の影響で4勝しかあげられなかったが、その前は2年続けて16勝だった。すでに速球投手ではなく、コントロールと配球で勝負する技巧派に変身してからの成績だから、調子さえ戻れば二桁は勝てるはずだと思う。そんな期待をしながら、一方では、力のない球をスタンドに放りこまれることが多いから、やっぱりどきどきしながらテレビを見たり、ネットで速報やチャットをチェックしたりしている。200勝したら、もう十分なのではという気持ちと、もっともっと投げてほしいという思いが交錯する。

・ところが、そんな一ファンの気持ちとは関係なく、野茂はまだまだ投げ続けたいようだし、その自信もあるようだ。連敗続きで最下位にいるチームなのに、ワールド・シリーズにいけるようがんばるといった発言をする。周囲の誰もそんなことを期待していないのにまじめな顔でそういうから、彼のゴールはワールドシリーズでの登板なのだと、つくづく思う。だったら、彼と一緒にそれを願って応援しようと思うのだが、いかんせん弱い。第一、監督のピネラの今年の目標は5割なのである。

・もっとも、今年はヤンキースも弱い。デビルレイズと最下位争いをしていて、こちらの方がチーム状態は深刻のようだ。松井も調子が出ない。年齢も年俸も高い選手を補強しては、期待を裏切られている。だから先発投手が毎年がらりと変わる。しかし誰を呼んでも満足のいく成績を残せない。あのランディ・ジョンソンでさえそうなのだから、ヤンキースのユニフォームを着ることがかなりのプレッシャになっているといえるのかもしれない。その証拠に、ヤンキースから出された選手のほとんどが、他チームに移って大活躍をしているのだ。資金が潤沢だからとはいえ、これではいいチームは作れない。その意味で言えば、マイナーで若手を鍛え、多少の失敗は目をつむってメジャーで成長させる。そういう方針しかとれないデビルレイズの方がはるかに健全な気がする。

・デビルレイズのローテーション・ピッチャーは野茂以外にはすべて若い選手ばかりだ。カズミアーという投手はまだ21歳で、野茂がノーヒット・ノーランをした試合を見て感激したという。高校生の時で、そのあこがれの選手と一緒にプレイできることを何よりの励みにしているようだ。野茂はハードな練習を黙々とこなすから、そんな態度もいい手本になっているのだと思う。野茂よりもはるかに速い球を投げる。そんな投手たちが大変身すれば、チームは途中で大化けするかもしれない。そんな期待を抱いている。

・200勝が近づいて、野茂の投げる試合の中継では、彼のデビュー当時やノーヒット・ノーランの試合の映像を合間に挟んだりすることが多くなった。今と比べると若い、細い、躍動感がある。その違いに10年の歳月を改めて感じさせられてしまう。もうすっかりおじさんで、おなかもかなり突き出ている。練習しているというのになぜ太るのだろう。痩せて腰の切れをよくすれば、もっと速い球が投げられるだろうに。自分の腹の贅肉は棚に上げて、ついついそんな注文もつけたくなってしまう。

・そんな野茂を見ていると、番長気取りで500号に感激している清原の内弁慶ぶりや、高額の年俸をとりながら野球に熱の入らない佐々木がいっそう対照的に映ってしまう。ひたむきに夢を追い続ける。その単純さが野茂を魅力的にしたいる。

・Wowowで「オールド・ルーキー」を見た。35歳の高校教師がメジャー・リーグに挑戦する話だ。大学時代にドラフトされたが肩を故障して断念。高校の野球部の監督をしていたが、いつの間にか肩は回復して、速い球が投げられるようになった。無気力な生徒たちと約束して、地区で優勝したらメジャーに挑戦することになってしまうのである。もちろんマイナーからスタートするのだが、成績を認められて昇格したのがタンパベイ・デビルレイズだった。野茂が来ているのと同じユニフォームで、見ていて二人を重ね合わせてしまった。

・あるいは、ケビン・コスナーが主演した「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」は、峠を越えた40歳の大投手が引退を前にパーフェクト・ゲームをする話だ。13日にNHKのBSで放送するが、野茂ファンのなかにはもう一回ノーヒット・ノーランをと期待する人が多いから、やっぱりだぶって見てしまう映画だと思う。見逃さずに、僕ももう一回見よう。もちろん、野茂の試合にも注目だ。

2005年5月3日火曜日

メール・ソフトがいっぱい

 ジャンク、あるいはスパム・メールに相変わらず悩まされている。大半は海外からやってくる広告で、これが数十通、多い日には100を超えることもある。国内からのは大半が出会い系とアダルトサイト。これも、もう1年以上続いている。最初はいちいち差出人や題名を確認しながら削除していたが、マックのOS.Xに切りかえてから付属のメール・ソフトを使い始め、迷惑メールのトレーニングを始めた。最初はめちゃくちゃだったが、だんだん賢くなった。もっとも、やってくるメールもなかなかで、題名やら宛先人に工夫が見られるようになった。たとえば、

「夜のおかずマガジン」「累計掲示板3億4000万投稿」「重要なお知らせです」「ママさんバレーチームからのメールです」「知って得する情報」「会員様へお知らせです」「特ダネ!」「第13号、期間限定です」「お仕事ネット」「優良サイト案内」「社会人サークルのご案内です」「整理番号をお知らせいたします」「これから宜しくお願いいたします」「お疲れ!」「も〜温かくなって花見だね」「歴史雑学」「1通受信メッセージ」「花粉情報」「花粉対策」「花粉症対策特別号」「The Movie」「なんでも情報」「生活情報」「サクラ撲滅委員会」「こんなメールに要注意!」「少女更正機構」「登録ありがとうございます」「派遣バイトのお知らせ」「新入学おめでとう!」「GWの旅行日程決定しました」
つい開けて、うっかりクリック。これを狙っているのが見え見えだし、中には、まずは真面目に読ませる記事があって、最後に出会い系サイトの案内、などというものもある。個人名も多い。知りあいだと思わせようというのだろうか。もちろん、直接的な不倫や援助交際(逆援)の誘いも多い。アダルトサイトも相変わらずだ。

僕が使うパソコンは1台ではない。家で2台、大学の研究室でも2台。それぞれに、OS.9と、OS.Xがはいっていて、使っているメール・ソフトもバラバラだ。家では、パートナーと使い分けをしなければいけないから、1台に何種類ものソフトを入れることになる。これでは少し面倒で、何とか統一しようと思っているが、一長一短でなかなか踏ん切りがつかない。
一番使い慣れているのは「Eudora」だ。アドレス帳も一番充実している。しかし、迷惑メールを選別する機能がないし、複数で使用することができない。だから、捨ててしまおうと思うのだが、お金を出して買い続けてきたソフトだから、なかなか捨てがたい。「Outolook」はただでPCユーザーからのメールに便利だからと使ってきた。しかしOS.Xに対応していないから、古い機種でしか使えない。

先日職場の同僚に「Firefox」(ブラウザー)と「Thunderbird」(メール)の二つのソフトを教えてもらった。どちらもMOzillaが提供するフリーのソフトで、Netscapeの流れを汲む会社のようだ。さっそくダウンロードして使いはじめたが、これがどちらもなかなかいい。特に「Thunderbird」は最初から、迷惑メールをうまくはじいてくれる。必要なメールも迷惑にしてしまうことが時々あるから、確認しないわけにはいかないが、その割合も徐々に改善されてきている。


少なくともOS.X環境では、これで十分なようにも思う。だからOS.Xに付属する「Safari」もメールソフトもほとんどあけなくなったし、長年使い慣れて愛着のある「Netscape」も削除することにした。次は「Eudora」で、少なくともOS.X環境では不要だが、どうしようか迷っている。先日気づいたのだが、「Eudora」を販売している会社は「オン・ザ・エッヂ」である。ホリエモンの「ライブドア」の元会社だ。彼はこんなソフトも買収していたのか。そう思ったら、応援したい気もちょっとしたが、もっともっと改善してフリーで配布しなければ、消えてしまうのにとも感じた。買収して飼い殺しはだめですね。ホリエモンさん!

日時:2005年5月3日

2005年4月26日火曜日

富士と桜





今年の桜は平年通りだったようだが、去年が早すぎたから、東京の桜はずいぶん遅れているように感じた。しかし、河口湖は意外に早く4月の中旬から咲き始めた。その後、寒さが戻って、夜明けに零下になる日もあったから、いつもより長く咲いている。ソメイヨシノ、富士桜、大島桜とそれぞれに、花の大きさも色も違うし、葉の出方も異なるから多様でおもしろい。




いつも通り、庭の春は蕗の薹からはじまる。雪がまだ残る庭の日だまりにしっかり芽を出してくる。それを摘んで苦みを天ぷらで味わう。もう少ししたら蕗のしぐれ煮だ。雪が消え、まだ茶色の庭にいち早く出るのは片栗。大きな二枚の葉っぱが地面から直接生えると、真ん中から紫の花がにょっきり顔を出す。今年は去年よりもだいぶ増えて20ほどの花が咲いた。2から4,4から8、8から12,そして今年は12から20。来年は30!となったら、もうしっかり群生地だ。片栗が消えると次々に草花が出てくる。踏まれても強いのがスミレ。小さいがきれいな青い花だ。


  

日時:2005年4月26日

2005年4月19日火曜日

追悼 高田渡

 

wataru1.jpg・高田渡が死んだ。享年56歳、僕と同い年だった。あまりに早い死だが、ずいぶん前から、体は悪かったようだ。酒を断たなければ長生きはできない。そういう忠告を間近で聞いたのは8年半ほど前だったが、その後もやめなかったようだ。
・BSで吉田類が各地の居酒屋を巡る番組「酒場放浪記」をやっている。毎日15分。僕は酒飲みではないが時々みている。しばらく前に吉祥寺の立ち飲みの屋台を紹介していて、僕も行ったことがあるから、興味深くみていたのだが、突然、カメラの前を高田渡が横切った。知らぬフリしてわざとやったのかもしれない。だとしたら、いかにも彼らしいいたずらで、僕は笑ってしまったが、同時に、昼間からしょっちゅう来て飲んでるんだ、と思って、体のことがまた気になった。
・僕が彼に最後にあったのは「中山容さんを偲ぶ会」だった。それについての文章に、彼との出会いを次のように書いた。

wataru2.jpg 30 年前、僕は予備校の授業をさぼって吉祥寺の南口にあった「青い麦」でフォークソングのレコードを聴いて過ごし、井の頭公園でギターの練習をした。そこで高田渡と何度か会った。彼をはじめて知ったのは四谷の野中ビルで開かれた「窓から這いだせ」という名のコンサートだった。その後、東中野や阿佐ヶ谷、あるいは豊田など中央沿線で小さな会場を借りたコンサートが行われ、僕も何度か歌った。会を設定し、若い歌い手を集め、歌の批評やアドバイスをし、相談に乗ったのが中山容だった。

wataru3.jpg・中山容は片桐ユズルと一緒にフルブライト留学生としてアメリカに渡り、ビートニクの影響を受けて日本でビート詩を書いた人だ。公民権運動や反戦活動とともにフォークソングが注目されると、ピート・シーガーやボブ・ディランの歌を訳して若い人に歌わせるようになった。場を設定して小さなコンサートを開き、やんちゃな連中を引率してフォーク・キャンプをして回った。そんな活動がやがて「関西フォーク運動」になったのだが、高田渡はひときわ脚光を浴びるフォークシンガーだった。
・高田渡に久しぶりにあったのは、その容さんを見舞いに行った京都の病院だった。中川五郎も来ていて、容さんは「渡ちゃん」「五郎ちゃん」と呼んで、懐かしい昔話に花を咲かせた。その時に、高田渡が死ぬほど体が悪くなり、琵琶湖の病院で療養生活を過ごしたことを聞かされた。原因は酒の飲み過ぎで、話したのは、同席したその病院の院長だった。彼もまた、学生時代にフォークソングにのめり込んでいた一人だが、その時のやりとりを中川五郎の小説をレビューしたときに次のように書いた。

goro3.jpg 2年半ほど前にボブ・ディランの訳者の中山容さんが死んだが、ぼくは入院先の病院でたまたま彼と会った。高田渡ともう一人、滋賀県の病院長をしている人と一緒に容さんを近くの喫茶店に連れだして話をした。みんな関西フォーク運動を経験した仲間達で、年長の容さんには世話になった。その時、渡ちゃんか五郎ちゃんかどちらかが、「なまじ音楽の才能がない方が出世したみたいだね」と言った。確かにこのメンバーでは、才能がなくて早々音楽の道をあきらめた者が医者や大学の教員になっている。「あー、そういうことになるのか」と思ったが、それはあくまで30年も経った後の話でしかない。

wataru4.jpg・高田渡にも中川五郎にも「容さんを偲ぶ会」以来会っていない。しかし、彼らの歌は最近のCDの復刻版で改めて聴くようになった。高田渡の歌は、明治時代の演歌士添田唖然坊の歌詞をフォークやブルースの古い曲に乗せたものであったり、黒人の詩人ラングストン・ヒューズの詩であったり、あるいは金子光晴や山之口貘の詩であったりもする。しかし、どんなものも、彼の手にかかると高田節になって違和感なく聞こえてしまう。しかもそれは、もう三十数年前に吉祥寺の井の頭公園で聴いた時の印象から変わらない。大学ノートに書き込んだ歌詞をめくって次々歌ってくれて、その場で腹を抱えて笑ったのを今でもよく覚えている。その時から、僕よりずっと年上の人に思えたが、枯れつきてしまうのもまたあまりに早すぎた。ご冥福をお祈りします。

2005年4月12日火曜日

S.ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房)

 

sontag1.jpg・スーザン・ソンタグが死んだという記事を目にして、驚いた。9.11以降のアメリカを危惧して活発な活動をしていたのに、なぜ、あー、残念という気がして悲しくなった。『写真論』『ラディカルな意志のスタイル』(晶文社)や『反解釈』(筑摩書房)、そして『隠喩としての病い』(みすず書房)など、彼女の本から得たものは少なくない。何より、思慮に富んで歯切れがいい文章が好きだった。で、まだ読んでいない本を何冊か買って読んだが、報道写真をテーマにした『他者の苦痛へのまなざし』がおもしろかった。
・9.11以降、戦争によってもたらされた悲惨さを記録した写真やビデオを見る機会が増えた。これでもかという愚行のくりかえしに、暗澹とした思いにさせられる。けれどもまた、食傷気味という感じを覚え、その説明のつきにくい矛盾した感情にとまどう自分も自覚してしまう。暗澹とした思いはわかる。しかし、食傷気味とは、どういうことなのだろうか。たまに見て刺激にしたいということなら、バイオレンス映画に期待するものと変わらない。いったい僕は戦場の悲惨の写真に何を見ているのだろうか。
・『他者の苦痛へのまなざし』には次のような文章がある。


写真は混じり合った信号を発信する。こんなことは止めさせなさい、と写真は主張する。だが同時に写真は叫ぶ。何というスペクタクルだろう。(p.75)

・写真にたいする二つの相反した反応。ソンタグはそれを、前者は理性や良心にもとづくもの、後者は身体が暴力を受けるイメージにつきまとう性的な興味だという。もちろん常識的には、誰もが前者を肯定し、前面に出し、後者を否定、あるいは隠蔽する。しかし、忌まわしいものではあっても、あるいは、忌まわしいものであるがゆえに、後者は誘惑力を持つ。
・このような指摘は、もちろん全く新しいというものではない。新聞が部数を増やしてマスになったのは、世界中どこでも、戦争の報道がきっかけだった。惨事があれば売れる。それは現代の新聞でも変わらないし、何よりテレビに明らかだろう。今や、ニュース・レポーターが戦車に乗って生中継する時代なのだから。
・だから、特にテレビによる報道のスペクタクル化が批判されたりもする。そこで言われるのは、残忍な行為や犯罪を記録した写真は楽しみではなく、義務として、事実を直視するために見るべきものということだ。それは正論だが、正論でしかないから、またほとんど、説得力を持たない。そうは言っても、心の底から湧き出てくる関心や興奮は抑えがたいからだ。
・ソンタグは、そう考える基盤にあるのは、平和が規範で戦争を例外とする倫理観だという。そして、人間の長い歴史を見れば「戦争は人間が常習的に行うもの」だったことがわかるという。

現実がスペクタクルと化したと言うことは、驚くべき偏狭な精神である。それは報道が娯楽に転化されているような、世界の富める場所に住む少数の知識人のものの見方の習性を一般化している。(p.110)