2005年8月30日火曜日

英国だより

 

uk1-1.jpg・イギリスに来て1週間ほどすぎた。地下鉄爆破事件などがあって心配したが、今のところ快適に過ごしている。確かに、地下鉄に乗ると、改札口や車両に警察官の姿が目立つ。目つきも鋭いから緊張するが、予測していたほどではない。もっともロンドンの地下鉄は駅によってはものすごく深いところにあるし、トンネルが小さく、電車も狭いから、かなりの圧迫感がある。何か起きたら一瞬でとんでもないパニック状態になることは、容易に想像がつく。事件が起きたときのキングスクロス駅は大変だったと思う。もっとも地下鉄は時折地上にも顔を出す。これは最初に作ったときが蒸気機関車で、煙を地上に出す場所が必要だったせいだ。何しろロンドンの地下鉄は日本が江戸時代だったときに作られたのである。
・二階バスはそれに比べたらずっと開放的だが、何しろ渋滞がすごくて、都心部ではいつになったら着くのやらという感じだし、ルートがなかなかわからない。なぜ二階なのかというのは知らないが、なかなか眺めはいい。特に最前列の眺めはパノラマで、運転手がかなり強引な運転をするからひやりとすることが多い。渋滞だからよけいに狭いところに強引に進入するし、自転車も多い。都心部に車を乗り入れると税金を取られるようだが、爆破事件以後に車を使う人が増えたのだろうか。
・気にしていたことはもう二つ。誰に聞いても食事がまずいと言っていたから、期待はしなかったが、とんでもなくまずいものを食べるのは避けたいと思ってきた。で、今のところ、特にまずいものにあたってはいない。というより、おいしいものの方が多い。イタリアンははずれがないし、コンビニで買うサンドウィッチも、日本で買うのよりましだと思う。一つ気がついたのは、何でも薄味なことだ。ただそれは、好みで塩や胡椒やビネガーを足せばいい。ただ問題は物価高だ。1ポンドは200円ちょっとだが、値段を見る限りは100円で計算した方がいいほどで、カフェで珈琲とサンドウィッチを注文しても10£ (2000円+α)もする。いったいイギリス人の平均収入はどのくらいなのだろうか。

uk1-2.jpg・イギリスの食事がまずいという評判は、もちろん最近のものではない。ジョージ・オーウェルがそれに反論して、イギリスを代表する料理として「プディング」と「パイ」の種類の多さをあげている。確かにそうで、いろいろなものがある。豚の血を固めた「ブラック・プディング」は見た目はともかく、なかなかの美味だった。「プディング」と「パイ」の違いは前者が蒸したもの、後者が焼いたものだと思っていたが、必ずしもそうでもないようだ。オーウェルが美味の代表としてあげていた「ヨークシャー・プディング」はまだを食べていないが、どう見てもパイだ。食べたのは、パイ皮に野菜や肉や魚、そしてチーズを入れて焼いたコニー・ペイスティ。イギリスの南西部のポピュラーな食べ物で油っぽいけど、暖かいうちはおいしい。
・気になっていたもう一つの点は、タバコだった。飛行機では吸えないし、成田空港でも吸える場所が少ないことはわかっていた。だから、飛行中の12時間+αは我慢をしなければならないと覚悟しいていたのだが、問題はイギリスに着いてからどの程度吸えるのか、ということだった。で、結果はというと意外なほどである。街中での歩行喫煙が多いし、吸い殻のポイ捨ても当たり前である。アメリカとはずいぶん違うし、最近の日本とも違う。ただ、一歩屋内にはいると、どこでも全面禁煙に近い。だから、吸うのはもっぱら外でだが、今のところイギリスに着いてから2箱目で、1日5〜6本しか吸わない。吸えなければそれで仕方がないという感じだから、これを機会にタバコをやめるのは難しくないと思う。
・イギリス人は歩きながらや電車の中での摂食行動を平気でやると言われている。確かに目につくし、ロンドンでは電車やバス、あるいは歩行中の携帯も気になった。手の爪にマニキュアを塗って、周囲にシンナーの臭いをかがしている女性もいたから、公共の場での対人儀礼にはアメリカ人ほど気を使わないのかもしれない。もっとも、ロンドンですれ違う人たちの人種の多様さはアメリカ以上で、価値観や習慣の違いにどう折り合いをつけているのか興味を持った。

uk1-4.jpg・最後に建物と街の雰囲気について。とにかく建物のほとんどが石と煉瓦でできていて、その赤や黄色の色合いが美しいし、また趣がある。コンクリート・ジャングルとはだいぶ違う雰囲気を作っていて、街の印象としては東京とはだいぶ違うと思った。どこに行っても大学のキャンパスのよう、と言ったらわかりやすいだろうか。新しい建物ももちろんあるが、多くは数百年前に建てられている。汚れが目につくが、それほど汚い感じはしないし、色を塗ってまた感じを変えていたりする。すぐに壊して作り直しという日本人の発想とはだいぶ違うことが一目でわかる。そういえば、いろいろなものを修理する店も多い。
・もっとも、建物の屋根にはたくさんの煙突が並んでいて、かつてはそのすべてから、もくもくと煙がでていたことも想像できる。ロンドンがスモッグの街と呼ばれた名残だし、森林のほとんどを伐採してしまった原因の一つでもある。イギリスの気候は日本に比べると、夏涼しく、冬は暖かい。それでも冬の暖房が欠かせなかったのは、石や煉瓦の建物のせいなのかもしれない。また、住宅は長屋が基本で、それぞれがあまり大きくない。これも、石の家だからこそ、容易に建て増しなどはできないということなのか。
・などと、いろいろ気づいたこと理由を考えながら、のんびり旅をしている。ネットにつなげる機会があれば、また近いうちにアップするつもりだ。次回は「アイルランドだより」になるかもしれない。

2005年8月22日月曜日

やれやれ、今度は………

 ・ステレオに続いて、Power Bookが故障した。数日前から、おかしい症状はあった。それに発熱がすごくて、さわると熱いほどだった。ディスク修復などしてみてもダメで、さっそくAppleのサポート・センターに電話をした。例によってなかなか繋がらない。やっと繋がると、アドバイスは有料でチケット購入が必要だから、HPのTIL(技術情報欄)に載っている対処方法を試せと言う。もう長いことマックを使っているから故障の原因がソフトかハードかは感覚的に分かる。だから修理に出したいと言ったのだが、試してからもう一回電話をしろという。ムッとして電話を切った。


・書いてあることは一応試したが、全部ダメ。それでまた電話をすると、まだ幾つか対処法があるので試せと言う。こちらがハードの故障だと言っても認めない。それでまた電話を切って、やってみたのだが効果なし。で、3度目の電話。なかなか繋がらない。


・繋がると、最後にもう一回、電話を切らずに試して欲しい対処法があると言う。いい加減にしろと思ったが、相手の受け答えが前の二人より丁寧だったから素直に従った。しかし、やっぱりダメ。それでやっと、ハードディスクの故障だと判断してもらい、発送の手順などに進んだ。この間、4時間余り。イライラして胃が痛くなってきた。マックが不調の時に出る症状で、1年ぶりのことだった。不幸中の幸いで1年保証の期限切れ半月前。修理の受付にハードルを課したのは、そのせいかもしれないが、何とも面倒なことである。


・すっかり食欲もなくなったのだが、食事の最中に見た夜のテレビで、暑さでパソコンがダウンするケースが急増しているというニュースをやっていた。河口湖は30度にもいかないが、今年は湿気が多くて蒸し暑い。発熱量が多いのはPower Bookの基本的な欠陥だから、日本の夏に弱いのはあたりまえだろう。去年の夏はデスク・トップのマックが壊れて、いそいで同じ型の中古を探したから、夏は鬼門の時期なのだとあらためて思った。


・故障はこれで何とかなるのだが、保存したデータは全部取り出せない。外付けのハードディスクにバック・アップしているが、ここ数日のものはダメだ。読書ノートをかなり打ちこんだが、それもやり直し。ブラウザーのブックマークや保存したメールもだめ。戻ってきたら、ソフトも入れ直しで、考えるとうんざりしてしまう。戻ってくるまではipodの同期もできないし、ディジタル・カメラもだめだ。
・その読書ノートだが、『ヘンリー・ソローの日々』という伝記があった。700頁を超える大著で9500円もしたが、書き抜いたノートも多かった。仕方ないから、またやり直し。大変だが、書き抜く文章には、心を落ち着かせよ、と諭すものが多い。

風が葦の間で囁くのが聞こえるだけの、池の近くで、すぐにでも暮らしたい。自分を置き去りにできれば成功だろう。しかし、友人たちは、そこへ行って何をするのかたずねる。季節の移りかわりを見るだけでも十分に、仕事ではないだろうか。(p.181)
・『ヘンリー・ソローの日々』は翻訳されたばかりだが、書かれたのは1962年で、著者のウォルター・ハーディングは「ソロー協会」の会長でもある。だから、ソローが書き残したノートやメモを駆使した詳細な伝記に仕上がっている。ソローがある講演でした自己紹介を読んで笑ってしまった。僕もこういう自己紹介がしてみたい、と思った。
怪物の頭を幾つか紹介しましょう。学校教師、家庭教師、測量士、庭師、農民、ペンキ屋、大工、石工、日雇い労働者、鉛筆製造業、紙ヤスリ製造業、作家、時には三文詩人のこともあります。(p.323)
・家のまわりに摘んだ薪に棒を立てかけて朝顔を植えた。もう3年目だが、それが8月になって咲き始めた。今は毎朝20〜30の花を咲かせている。モンゴル産の朝顔で気候があっているせいか、雑草の伸びにも負けずに成長する。ムクゲも花盛りで、こちらも一日咲いたら落ちてしまうが、次々と花を咲かせている。




・部品待ちとかで10日も待たされたPowerBookが、やっと戻ってきた。あんまり遅いから電話をして、催促した結果だった。旅行にもっていけるのでホッとしている。やれやれ………。

日時:2005年8月22日 

2005年8月15日月曜日

Sinead O'connor "Sean Nos Nua"

 

sinead1.jpg・シンニード(シネイド)・オコーナーはアイルランドの歌姫と形容されたりする。けれどもまた、人騒がせな過激な言動でもよく話題になる。たとえば、僕が彼女を最初に知ったのは、BSで見たボブ・ディランの30周年記念コンサートだった。ヤジの中をステージに出て沈黙。全員がディランの持ち歌を歌うはずが、一人だけ、ボブ・マーリーの「ウォー」をアカペラで歌った。終わると泣きながら舞台の袖に行き、待っていた司会役のクリス・クリストファーソンに抱きかかえられて、その胸でまた、ひとしきり泣いた。ヤジの理由は、テレビ出演時に、妊娠中絶を認めないローマ法王に抗議して、その写真を破り捨てた行動にたいするものだった。坊主頭に鋭いまなざしと、それとは裏腹の涙。強さと弱さの混在。僕にとってのシンニードの印象は、そのとき以来変わっていない。
・彼女の歌にも、同様のアンバランスさがある。そして、過激なメッセージよりは素直なラブソングにいいものが多い。たとえば"Nothing compared to you"。プリンスのつくった曲だが、シンニードの代表曲になっている。

あなたがここにいないのは
歌わない鳥のようにさみしい
医者は楽しいことをしなさいというけれど
ばかなこと
あなた以上のものはなにもないのだから

sinead2.jpg・"Sean Nos Nua"はアイルランドの伝統音楽を素材にしている。ダブリン育ちの彼女にとっては足元を見つめ直すといった作品だが、ゲール語で古いスタイル(Sean Nos)と新しさ(Nua)を意味するタイトルに見られるように、彼女自身の雰囲気をのこしたアルバムに仕上がっている。ジャケットには庭のハーブに囲まれた、ちょっと太って顔も温和になった彼女が映っている。もっとも彼女は最近引退を宣言して、引退盤と銘打った"She who dwells in the seacret place of The Most ........"という長いタイトルの2枚組みのアルバムもだした。一枚はダブリンでのライブで、収録されている曲の多くは伝統音楽である。感情をおさえた静かな歌い方だが、歌詞には悲惨なアイルランドの歴史が刻みこまれたものもある。

飢えに苦しみ、貧しさに打ちのめされている
だから、アイルランドを出ようと考えたんだ
馬と牛、それに子豚と雌豚を売った
父から譲り受けた農場も手放した
………………
アメリカへ
"Paddy's Lament"

・アイルランドの民謡はアメリカのフォークソングの源流の一つになっている。移民が持ち運んだものだが、移住の最大の理由は貧困と飢えだった。特に19世紀半ばの飢饉には、ジャガイモがほとんどとれなくて餓死者が続出した。それをきっかけに増えた移民と合わせて、アイルランドの人口は20世紀の初めには4分の1に減少したと言われている。音楽もすっかり衰退したのだが、その伝統がアメリカで生きながらえ、20世紀の後半に里帰りして復活した。だから、現在歌い演奏されている民謡にはアメリカの匂いがして、そのぶん聞きやすく、入りこみやすい。ヴァン・モリソンやU2など、ロックの大御所がやっても全く違和感がない。シンニードのアイリッシュ音楽も同様に、彼女の歌そのものになっている。まさに「伝統の発明」の見本といえるだろう。引退も撤回したようだから、まだまだ歌い続けてくれるだろう。

joseph.jpg・シンニードには作家の兄がいる。ジョセフ・オコーナーで、日本でも数冊が翻訳されている。その『ダブリンUSA』(東京創元社)はアメリカにあるダブリンという町を訪ね歩く旅日記だが、同時に、アメリカとの関係を意識せざるをえないアイルランド人の、アイデンティティ探しになっている。ジョセフにとってのきっかけは、子どものときにアイルランドで見かけた陽気で太ったアメリカ人たちで、彼らが歌うアイルランドの歌にたいする違和感だった。ジェット機でやってきて、地元の人にはつらくて歌えない深刻な歌をアメリカ・ヴァージョンで夢中で歌う。反感をもつ人がおおかったが、ジョセフにはかえって、それが魅力的に映った。彼は米国を縦断する旅で、アイルランド移民の残した足跡の多さや大きさに驚く。それはアメリカにあるダブリンという9つの町、という以上のものである。
・ジョセフ・オコーナーの最新作は"Star of the Sea"という。1847年の飢饉でアメリカに逃れたアイルランド人たちが主人公のようだ。題名はそのとき乗った船の名で、船のなかでくり広げられる人間模様が主題らしい。アイルランドに行ったら探して買おうと思っている。(2005.08.15)

2005年8月9日火曜日

ジャンクでステレオ探し

 

・少し前からステレオの調子が悪くなった。イコライザーの電源が入ったり、入らなくなったりし始めたのだ。昔からの習慣で、ちょっとたたいてみるとライトがついた。そんなことを数日くりかえしているうちに、たたく回数や強さが必要になってきた。上からではダメで、横から、あるいはひっくりかえして裏からと、だんだんエスカレートした。たたきながら、壊れるのは時間の問題だと思った。しかし、聞こえるようにするためにはたたくしかなかった。ねじをはずして中を見たが、どこが悪いのか見当もつかなかった。
・もっとも、何年も前からぼちぼち寿命になるかもとは感じていた。サンスイのシステム・コンポで、京都の寺町の電気街で買ったものだが、すでに15年ほどたっている。もっているCDは1000枚をこえたが、オーディオ・マニアではないから、音には十分満足してきた。特に河口湖に越してからは野中の1軒屋だから、マンション暮らしでは考えつかなかいほどの大きな音も出せる。それに、ログハウスで傾斜の強い屋根が幸いしたのか、音の響きがものすごくいい。高級オーディオ装置などは必要ないと思っていた。
・とは言え、なしではすまないから、代替品を探さなければならない。ネットで価格コムをのぞくと、4,5万円でそれなりのアンプ(CD+ラジオ・チューナー)は手に入りそうだとわかった。しかし、ついでにとMcintoshやAccuphaseといったメーカーの製品を見たのがいけなかった。一桁違う。しかも音は全然違うといったコメントがたくさん書き込まれてある。「この際、思い切って!」と、ついつい考えてしまう。スピーカーの配置まで想像し始めると、もうたまらない。一方で、イコライザーはたたいても、たたいても、なかなかいうことを聞いてくれなくなっていく。Mcintoshか Accuphaseか、迷うな……。
・しかし、「いやいや、もったいない」という声が水を差す。喫茶店を開くのならともかく、一人で聴くのに数十万円の投資は浪費以外の何ものでもない。スピーカーやらCDプレイヤーなどそろえたら、軽く百万円をこえてしまう。そう思うと、確かにそのとおり。ぼくは高級品を集めてにんまりするようなマニアではない。それでは、中古品はどうか。Yahooのオークションをのぞくことにした。そうすると、あるはあるは、さまざまなメーカーのさまざまな機種がつぎつぎと出てきた。McintoshやAccuphaseも半値やそれ以下の値段で並んでいる。けれども、一番気になったのは、もう倒産したサンスイの製品が異常に多かったことだ。Sansuiなら、いま聴いているステレオと同じだ、と思ったら、妙に親近感が湧いてきた。
・中古品の世界では、Sansuiは別格らしい。会社がつぶれて新製品がないせいもあるようだが、根強い人気は何より、その性能にあるらしい。10年も前に製造されたものでも、最高級でしかも限定モデルだったりすると10万円もしたりする。たとえばAU-X111MOS VINTAGE。もう20年も前に発売されたもので、その時の値段が33万円だったから、骨董品扱いのようである。へエー、と驚いたが、これはもちろんパス。大きさや重さ、品数の多さからAU-607のシリーズがいいと思った。しかし、これにもいくつも種類がある。値段も数百円から数万円まであって、説明を読んだだけでは違いがよくわからない。完動品とか美品と書いてあっても果たしてどれだけ信用できるものかどうか。保証なしで返品お断りが多いから、数千円のものでも即決というわけにはいかない。で、ここでまた思案することになる。
・買い物に出かけたついでに「HARD OFF」をのぞいてみた。そうしたら、オークションで見たのと同じものがジャンク品として売られていた。12000円。ジャンクにしてはかなり高いが、特に問題はないと書いてある。同じ機種で8000円の方はヴォリュームにガリありとか、左右のバランスに難ありと書いてある。だったら高い方かと思ったが、保証はないというから買わずに帰ってきた。それでまたYahooオークションを一眺め。そしてまた思案……。
・信用できないとは言ってもマックのpsプリンターだって、いま使っているPowerPCだって、壊れて困ってネットで買って、それぞれ快調に働いている。新品なら数十万円のものをそれぞれ3万円程度で買ったのだ。そう考えたら、迷うことはないと思い始めてきた。
・結局、「HARD OFF」で買ったのだが、コードやケーブルを接続して音を出してビックリした。音が全然違う。ヴォリュームをあげても割れないし、絞ってもクリアに聞こえてくる。スピーカーもCDもラジオ・チューナーもレコード・プレーヤーも、まるで新しくしたかのようだから、うれしくなってしまった。もちろん、年代物だからいつ壊れてもおかしくない。しかし、この値段なら、1年ももてばおつりが来る。というわけで、いつにもまして大きなボリュームで聴いている。もうほとんど聴かなくなっていたレコードなども引っ張り出してかけると、これもまたなかなかいい。だったら同じものをCDで買ったりしなければよかった、などと思ったりしたが、それはipodのためだったと思い出した。

2005年8月2日火曜日

スマイル〜ビーチ・ボーイズ 幻のアルバム完成

 

・ビーチボーイズのアルバムは、レコードもCDも1枚ももっていない。興味がないというより嫌いだった。大学紛争やヒッピー・ムーブメントが真っ盛りの時代に、サーフィン音楽なんかやっている意識の低いバンド。50年代から60年代前半の能天気なポップ音楽にロックを加味したようなサウンド、という印象だった。村上春樹の小説にはこの時代の音楽がよく登場して面白かったが、ビーチ・ボーイズだけは納得できなかった。だから、ずっと毛嫌いしてきたと言っていい。
・ただし、1曲だけ「グッド・ヴァイブレーション」は気になった。1966年に発表されたもので、この年にはビートルズが『リボルバー』、ボブ・ディランが『ブロンド・オン・ブロンド』を出している。フォーク・ソングとロックンロールの融合、もっと大きく言えば、政治と文化の融合、といったことが語られていた時代である。だから、気にはなったが、とてもレコードを買う気にはならなかった。他にほしいものがいっぱい出た年だったのである。
・NHKがBSで放送した「スマイル〜ビーチ・ボーイズ幻のアルバム完成」を見た。特に気になっていたわけでもない、たまたまである。しかし、画面に登場したブライアン・ウィルソンの表情が気になって、チャンネルを変えることができなくなった。「スマイル」とは無縁な、無表情。典型的な鬱病の顔。
・『スマイル』は2004年に発売されたアルバムだが、それは実際には1967年に出るはずだった。だから37年ぶりの完成ということになる。遅れた原因は、ブライアン・ウィルソンの心の病である。
・ブライアン・ウィルソンはすでに1964年頃から幻聴などに悩まされることがあり、ツアー活動をやめて曲作りに専念するようになっていた。しかし「グッド・ヴァイブレーション」が入った『ペット・サウンド』が大ヒットして、次の『スマイル』の製作には相当のストレスを感じたようだ。鬱病の進行とアルバムのお蔵入り。病気にはドラッグの飲用が大きく影響したともいわれている。
・ブライアン・ウィルソンが再起するのは80年代の末である。病気の克服には主治医だった精神科医の力が大きかったようだ。ところが、その医者との間に金銭的なトラブルが生じてしまう。ブライアンの心の病には、幼い頃の虐待や厳しいしつけなど、父親や母親との関係が指摘されていた。しかし、ステージ・パパだった父親との間には、発病以後にも、感情的な軋轢はもちろん、金銭的な問題があったようだ。
・「スマイル」のドキュメントは、散逸し、記憶の隅にしまい込まれてしまった曲やイメージなどを思い出し、再構成する過程、コンサートを目ざして集められたメンバーとのリハーサルを追いかける。ブライアンはスタジオの片隅で居心地悪そうにし、「楽しい?」などと聞かれて「楽しいよ」などと答えているが、心ここにあらずという感じで、表情にはまるで感情が映し出されていない。それが少しずつうち解けてきて、表情に笑みが浮かび始める。
・ドキュメントの最後はロンドンでのコンサートで、ポール・マッカートニーが楽屋に訪れる。ブライアンは「ぼくは君のためにやるんだ」という。66年から67年にかけてもっとも意識したライバル、ビートルズに聴かせたいという気持ちがありありとうかがえた。それだけに、楽屋ではいっそうの緊張と孤独感を漂わせる。その堅い表情はステージが始まってもほぐれないが、しだいに、無表情の中に時折、笑顔が出はじめる。そして、手拍子をうちながらのフィナーレ。ぼくは番組を見終わるとすぐに、アマゾンに『スマイル』と90年代に発表した数枚のアルバムを注文した。
・残念ながら、『スマイル』はいいとは思わなかった。途中に挟まれた「グッド・ヴァイブレーション」とその前後がまったく調和していない。むしろ、一緒に買った『イマジネーション』と『オレンジ・クレート・アート』の方が、ビーチボーイズの面影も残しながら、新しい面も出ていてずっとよかった。

君はぼくの心にふれ/魂にさわる
君の泣き声がぼくの心を傷つけ、二つに砕いた
君を一人にしておけない
"CRY"

2005年7月25日月曜日

伊藤守『記憶・暴力・システム』(法政大学出版局)


itoh1.jpg・最近のテレビには気になるところがずいぶんある。たとえば、事件が起きたときにくりかえされる、きわめて感情的な報道、バラエティ番組の多さ、というよりは何でもバラエティ形式にしてしまう安直で画一的な作り方、特定の話題、人物への極端に偏った注目等々、あげたらきりがない。

・テレビは一見、新しいモノゴトをいち早く伝えるメディアのように思われるけれども、そこにはきまって、古いおきまりの味つけがされている。常識はずれをやっているように見えても、またきわめて常識的な枠取りがされている。だから、わかりにくさは排除されるし、多様性は無視される。その意味で、テレビは保守的なメディアだが、このような傾向が、ますます顕著になっている気がする。テレビなんてしょせん、そんなしょうもないメディアだ!と言ってしまえばそれまでだが、一方でその影響力はものすごく大きい。

・伊藤守の『記憶・暴力・システム』は、そんなテレビの力を、それをささえる社会やテクノロジーのシステム、介入する政治的・経済的権力、そこで使われる「言説」の特徴や作り出される「テレビ的リアリティ」の分析をテーマにしている。テレビについて批判理論を展開させようとする意欲作だと言える。この本が最初に問題提起しているのは、おおよそ次のようなことだ。

・だれかが何か発言しようと思う。あるいは発言せざるを得ないと感じたとする。それはおそらく、大多数が共有する価値や見解とは相容れないか、あるいははずれたものだ。そうすると、どういうことが起こるか。メディア、とりわけテレビはまず、それを無視しようとする。無視できないものであれば、大多数が共有するはずの「常識」を盾にして、あるいは矛にして批判し、押しつぶしにかかる。あるいは論旨のすりかえといったこともあるだろう。その意味で、テレビに自由で気ままが許されるのは、あくまで「常識」の範囲内のことにかぎられる。

・大多数が共有する価値や見解を「常識」として押し付ける強力な圧力を形成するメディア、日々の経験を自明なものに編制し、しかもその自明性を、変化をともないながら組み替える強力なパワーをもったメディアに焦点をおきながら、メディア文化の生産と消費をふくむコミュニケーション構造全体の問題と、それを消費するオーディエンスの行為を考えることが本書に収録した文章の狙いだった。(p.vii)

・政治的な対立点が曖昧になり、ことの善悪も真偽もわかりにくい世界になっている。そんな中でテレビは、一方でなかば無意識のうちにおこる感情や欲望に訴えかけ、他方でまたきわめてわかりやすい常識や慣行を持ち出してくる。みずから火をつけ、事を荒立てておきながら、またあたかも裁判官のような態度をしめして、それを沈静化させようとする。テレビは曖昧な世界をますます増幅させるが、そうであればこそなおさら、それをわかりやすくすることにも懸命になる。まさに「マッチ・ポンプ」の世界である。

・もちろん、視聴者である私たちは、そのような意図にまったく無自覚だというわけではない。むしろ、そんなテレビをけなし、冷ややかに嗤うことを視聴態度の一つにさえしている。けれども、できるのは、その程度のことでしかない。テレビに映ったものへの関心度に比べて、映らないものへのそれが、ほとんどゼロに近いとすれば、どんなに批判的な態度をとったとしても、テレビに囲い込まれていることに違いはないのである。

・天皇の戦争責任を追及して開かれた「女性国際戦犯法廷」をNHKがドキュメントして放送した。2001年の話だが、この番組は、「法廷」の内容を改竄したと主催者に訴えられた一方で、今年になって、番組を制作したNHKのディレクターによって、自民党の政治家から、内容変更についての強い圧力があったというリークもされている。この問題を大きく取りあげた朝日新聞とNHKとの間、さらにはそこに安部、中川の自民党議員が加わった議論があって、しばらく音沙汰なかったが、7月25日の朝日新聞で、リーク記事以降の経過がまとめられた。

・記事によれば、自民党議員、とくに中川昭一ははっきりと、変更した番組の放送中止を求めているし、NHKの予算をとおすべきではないと言っている。偏向しているから放送をしてはいけないというのは、一見もっともらしいが、偏向であるかないかの規準がどこにあるのかははっきりしないし、それ以上に、多様な考えや主張を偏向という名で閉め出したのでは、結局、常識という名の体制的な考えで一色に染まってしまうことになる。権力の側にたつ者が判断した「偏向」のレッテル張りは明らかに、逆サイドへの偏向である。NHKはもちろん、反論したが、夜の7時のニュースでは、トップではなくスポーツに移る前だった。

・『記憶・暴力・システム』には、「法廷」とそのドキュメントとの間にあるずれをテーマにした章がある。2003年に発表されたものだが、そこで問われているのは、テレビ的リアリティが歪曲する「記憶」の問題である。


・この改竄問題から、私たちはなにを読みとるべきなのだろうか。それは、「天皇の戦争責任」、そして日本軍「慰安婦」といった事柄を、私たちが想起すべき過去の記憶、公共の記憶としてはふさわしくないものとして構造的に排除するコミュニケーション構造の暴力性である。(p.95)

・天皇を戦犯にしたくない、してはいけないとする考え方が、公共の記憶を、天皇の戦争責任を問わない方向で作り上げてきた。あるいは外国人に強制した従軍慰安婦などはなかったことにとしたいという気持ちが、その事実を公共の記憶から消し去ってきた。「女性国際戦犯法廷」はそこを断罪し、NHKのなかにも、それを放送する必要性を自覚する人がいたわけだが、またそれは、公共の記憶を否定する告発であったために、政治権力の介入を招くことにもなった。

・私たちは、こういった問題にどうしようもなく鈍感になっている。あるいは、自覚し、共感していても、それを話題にすることにわずらわしさを感じるようになっている。それはテレビが提供する常識的でわかりやすいリアリティに安住しているほうが圧倒的に楽だからだ。「テレビ的リアリティ」は「あまりに日常の一部となっているために真剣に意識されて行われているわけではないテレビを見るという行為と、公平と客観性のスローガンの下に本質的な対立点や論争点を曖昧化するテレビジョン特有のテクスト構成、という二つの相補的な関係性から成立する。」(p.98)

・著者は、それが分厚い皮膜のようになってテレビとその視聴者を覆っているという。テレビ的リアリティこそが唯一の現実ということになったら、それこそオーウェルが描いた逆ユートピアそのものだが、皮肉なことに、テレビがもたらすリアリティは、そこに安住していればそれなりに自由で幸福な生活を実感させてくれたりもする。皮膜の分厚さをいまさらながらに思い知らされる気がするが、それが見えないものではなく、目に見える形で露骨になっている。 (2005.07.25)

2005年7月19日火曜日

ネット予約の便利さと不安

 ネットでの買い物が当たり前になって、クレジット・カードの情報を提供することに抵抗感がなくなってきた。と思っていたら、アメリカでカード情報が盗まれる事件が起きた。VISAやMASTERは世界共通だから、当然、日本にも害は及ぶ。特に海外旅行をして買い物をした人は気をつけるようにと言われて、とたんに不安になった。3月にハワイに行っているし、海外のサイトで買い物もしている。さっそく連絡して、カード番号を変更してもらうことにした。


今のところ、送られてくる支払いの明細書に不審なところはないから、たぶん大丈夫だと思うが、しかし、不安が完全に消えたわけではない。高額な商品の購入はもちろんだが、外での食事やスーパー、あるいはガソリン・スタンドまで、僕はほとんどカードで払うことにしている。そうすると、店によってサインを求められたり、求められなかったりする。最初のうちは「サインはいいの?」と尋ねることもあったが、最近は慣れて、聞くこともなくなった。しかし、どこかでちょっと、不安に感じてもいた。


アメリカから知人の家族が訪ねてきて、カードが話題になった。そこで指摘されたのは、カード社会になってからの日米の時間差だった。アメリカではカードの不正な利用、悪用は日常茶飯事だから、覚えのない支払いにはクレームをつければ、全額保証される。きちんとチェックをして、不審な点があれば問い合わせをし、おかしければそのように主張する。それができれば、何も不安に感じることはない。そんなふうにきっぱり言われてしまった。確かにそのとおりなのだが、どこかにやっぱり不安感が残るのは、使い慣れていないせいなのだろうか。
夏にイギリス旅行を考えていて、大半は旅行社で手配してもらったのだが、一部に予約のできないものがある。小さな町のホテルやローカルの飛行機などである。バックパックで旅行した20代や30代の頃には、宿の予約などは一切せずに出かけたのだが、最近は、出かける前に旅程を組んで、予約できるものはすべてすませておくことにしている。パック旅行をする気はないが、体力にも気力にも自信がなくなっているから、やっぱり安全志向ということになる。


で、まず、ネットでイギリスからアイルランドに飛ぶ飛行機の予約をすることにした。そうしたら、最終の確認を電話でやれという。僕は自信がないからパートナーに頼んだのだが、出てきたオペレーターが地名を知らないと言う。スペルを言え、と言ってきたりもしたようだ。「アイルランドのコーク、Cork!」「何でこんな事わからないの?」といったやりとりをしていたが、どうも、地元とは関係ないところでやっているようだ、ということがわかってきた。何より、発音にくせがあって聞き取りにくいという。ひょっとしたらインドあたりに予約センターがあるのかもしれない。そう考えはじめたら、信用しかねる気がして、結局、予約はやめることにした。ネットの時代だから、どこにつながり、誰と交渉しているのか、場所はまったくわからない。ニセのサイトでペテンにかけることを「フィッシング」というが、これでは、よほど慎重にやらないと、どこで引っかかるかわかったものではない。そんな状況を実感した体験だった。


次にしたのは、目的地のホテルを探し、値段や空き室状況や評判をチェックしてメールを出すことだった。しかし、なかなか返事がこない。来ても、すでに満杯だというのやら、連休中だから3泊以上でないとだめといったものばかり。それでもあきらめずにいくつか出しているうちに、やっとOKの返事が来た。しかし、確定させるためにはクレジット・カードの番号を知らせろという。支払いを請求するのは宿泊したあとで、今はただ予約が本当であることを確認したいのだという。あちらにすればもっともな話で、勝手にキャンセルなどされたらたまらないだろう。不安な気持ちを感じながら書き込んでメールで送ることにした。


イギリスと日本は夏の間は時差が8時間ある。だから昼間メールを出すと、翌日の朝には返事が届くことになる。予約確認のメールが届いたのだが、念のためにとやっぱり電話をすることにした。ひとつはセント・アイブスというブリテン島の南西の端、半島の突端にあるリゾート地だ。日本の民芸運動の影響を受けたバーナード・リーチやルーシー・リーが陶芸をする場所として選んだ土地である。もうひとつはコッツウォルズのバイブリー。ウィリアム・モリスゆかりの地で、古いイギリスが残された場所だ。ここのお城のようなマナ・ハウスに予約した。


と言うわけで、目下、旅の準備を楽しんでいる。ネットは、あれこれ面倒なことや不安はあるが、必要な情報があっという間に見つけられるし、コンタクトもとれる。旅の経験者のページなどもかなりあって、探し始めると時間のたつのを忘れてしまう。旅程をあれこれ考えて、もうすでに何回も模擬旅行をしてしまった。旅のおもしろさは、まず、プランを立てて、あれこれ思いをめぐらすことにある。ネットはその楽しさを何倍にも増幅させてくれるから、ついつい夢中になるが、こんな調子でやっていると、出発前にくたびれてしまうことになりかねない。 

日時:2005年7月19日