堀田善衛『スペイン断章上・下』(集英社文庫),『バルセローナにて』(集英社),五木寛之『我が心のスペイン』(晶文社),G・オーウェル『カタロニア賛歌』(岩波文庫)
・スペイン旅行の余韻がまだ残っている。というよりは、強烈な印象のなかに「なぜ」「どうして」という疑問があって、帰国してから改めて何冊かの本を読んだ。一番は堀田善衛のものだ。彼は70年代からスペインに住んで、それを何冊かのエッセイにまとめている。スペインという地を実際に経験すると、書いてあることが実感としてよく伝わってくる。
・スペインで感じた驚きの一つは、その建物に見られる異文化や異宗教の混在だった。イスラムとキリスト、あるいはユダヤ教が共存していること、ローマ時代につくられた橋や水道や城壁があり、そこにゴシック建築の建物が継ぎたされたりしている。ものすごい歴史の積み重ねだと思うが、それは逆に言えば、独自の歴史ではなく、外部からの侵入によって生み出されたもので、堀田はそれを指して、スペインには歴史がないと言ったりする。
・「スペインに歴史はない」とはいうものの、この国のないないづくし、たとえばルネサンスの影響はあっても、スペイン・ルネサンスというものはない。キリスト教同士の宗教戦争がない、宗教改革がない、フランス革命の影響はあっても、フランス革命の如き大変革はない、産業革命がないなどと数え立てて行けば、そのないないづくし自体が歴史を形成していることも明らかだろう。
(『スペイン断章』上・p.79)
・歴史がないという特徴は、また「断続の歴史」、あるいは「背骨のない歴史」といった言い方もされるようだ。しかし、スペインは外から侵略されるだけの国ではなかった。コロンブスがアメリカ大陸を発見したあと、中南米を侵略し、膨大な人びとを虐殺し、莫大な金銀財宝を持ち帰ったという歴史も持っている。ところが、それらがもたらしたはずの豊かさが、現在のスペインにはまるで感じられない。それを堀田は次のように言う。
・金銀は、この国の人民の頭越しに、ドイツとイタリアと低地諸国へどおっと流れていってしまったのである。(同書、p.132)
・多くの人々が冒険と金を求めて出て行ってしまい、エストレマドゥラ(地方)のみならずスペイン国全体は、新大陸の“発見”とその劫掠(ごうりゃく)以後に、それ以前よりもいっそう貧しくなってしまったのである。(同書、p.133)
・ヨーロッパに近代をもたらすきっかけになった新大陸発見の国でありながら、スペインはなぜ、中世のままでとどまってしまったのか。イスラムを追い出し、新大陸発見を支えたイザベル女王の後を継いだカルロス1世は、その財力をもとに神聖ローマ帝国の皇帝を兼務した。それが、財宝がスペインにとどまらなかった大きな原因だと言われている。しかし、それだけでは、もちろん、説明しつくされる問題ではない。
・スペインは、20世紀になって唐突に、革命の実現をめざす。市民や農民が立ち上がって、土地の集団化をし、貨幣経済をやめ、消費の共同化まで始める。国の否定と廃止。共産主義というよりはアナキズムに基づいた革命である。けれども、それはフランコとの戦争によって、あっという間に崩壊させられてしまう。オーウェルの『カタロニア賛歌』は、その戦争に義勇軍として自ら参加した際のレポートである。ぼくはこの本を旅行中にベッドで読み直していたのだが、途中のホテルにおいてきてしまった。で、帰ってから買い直して、また読み返した。オーウェルが感じたスペイン人とその文化や生活スタイルについての印象には、イギリス人との違いが如実に表れていてきわめて興味深い。それは案外、宗教改革や産業革命をいち早くした国とやらなかった国の違いを一番わかりやすく説明してくれるのかもしれないと思った。合理と非合理、理性と感情、したたかさと正直さ………………。
・五木寛之の『我が心のスペイン』は、五木独特の感性や想像力に彩られたスペイン論である。書かれたのがまだフランコが政権を取り続けている70年代の初めだったこともあって、30年代の市民戦争についても、自らの戦争体験に重ね合わされて、過去ではなく、現在のこととして語られている。チリの民主化とそれをつぶす軍部によるクーデターが大きな事件となった時期でもあり、またそれに触発されて『戒厳令の夜』を書いた時期でもある。それはまた、ぼくが五木を愛読した時期とも重なっている。しばらく忘れていたが、彼の書く文章にある独特の感性に懐かしさを感じ、それがたしかにスペインにも共通するものであることを再認識した。
・ピレネー山脈以西はアフリカだ、とする見方があるようだ。確かに、夏は暑く、大地は荒涼としているし、イスラム文化の影響も強い。けれどもまた、アンダルシアなどは、アメリカの西部やメキシコにほとんど違和感をもたないほどに似通っている。スペインとヨーロッパの関係は、日本における本州と九州の関係に似ているかも。五木寛之が愛着を示す所以かもしれない。