2006年4月10日月曜日

野茂とイチロー

 

・WBCでの日本の活躍で、今年は春から野球を満喫した。韓国に連敗して「もうおしまい」と思ったところで生き返ったから、注目度はいっそう増したようだ。審判のおかしな判定、というよりはそれ以前に、中立国の審判をおかないという奇妙な大会への批判などもあって、改めて、野球のローカルさを露呈したが、アメリカが必ずしも強いわけではないことが証明されて、おもしろかった。

・ただし、「感動をありがとう」とか、日韓のナショナリズムをめぐるやりとりなどには閉口である。たかが野球、されど野球。それ以上でも以下でもないのに、やっているのは選手たちで、それ以外は見て楽しんでいるにすぎないのに、例によってメディアは騒ぎすぎで、それに乗って浮かれる人たちが多すぎる。何で帰国した選手たちを成田まで迎えに行こうなどと思うのか。ぼくは理解に苦しんでしまう。自分自身のまわりには何も夢中になるものがないのか、メディアに登場したものでないと心やからだが動かされないのか。そんな傾向がやたらと目立つ昨今である。

・とはいえ、ぼくも試合以外の野球関連のテレビ番組をよく見た。関心をもったのはイチローの豹変ぶりである。アメリカに行ってからの彼は、まるで孤高の武道家のように振る舞ってきた。それが、日の丸を背負ってはしゃぎまわったから、おやおやどうした心境の変化かと興味を感じた。王監督に敬意を示し、代表選手とのあいだに一体感を自覚する。勝つことに飢えていたのか、本当は意気投合できる仲間が欲しかったのか、とにかく、彼についての印象が様変わりしたことは間違いない。

・2月にBSでイチローと矢沢永吉の対談番組があった。タイトルは「ヒーロー〜」だったと思う。うんざりして途中でチャンネルを変えてしまったが、二人のナルシストぶりや、自分をヒーローだと信じて疑わない姿勢には呆れてしまった。人にはできない何ごとかをなした人間には、そのことを自慢して語る資格がある。かれらから伝わってくるメッセージは、その一点に尽きたが、お互いよく似た者同士であることがよくわかった。

・イチローはこの冬に、テレビドラマにも登場したようだ。役者としてのイチロー。ぼくはドラマは見ていないが、それは大いに可能性があると思った。彼はかっこうよくありたい、他人から羨望のまなざしで見つめられたい、ということをつねに意識してふるまっている。そんな特徴は以前から感じていたが、矢沢との対談で、そのことを確認し、WBCのはしゃぎぶりではっきりと確信した。実はぼくは、デビューした頃から、彼が大嫌いである。それは、ずっと、野茂に対する敬愛の気持ちと対照をなしてきた。

・野茂は去年デビルレイズで日米通算200勝を達成したが、7月には解雇されて、その後のシーズンをヤンキースのマイナーで過ごした。先発ピッチャーに穴が空けば、出場のチャンスもあったのだが、マイナーの試合ばかりでシーズンを終えた。メジャーで長年活躍した選手がマイナー落ちするのは屈辱である。プライドを気にする人ならとても堪えられることではない。しかし、野茂は例によって飄々として、メジャーで投げられるように頑張るとだけ言いつづけた。マイナーの選手であれば、練習や試合の後にグラウンドを整備したり、移動がバスであったり、食事がハンバーガーだけだったりする。しかし、野茂はそのことにつらさやみじめさを感じているそぶりは見せない。「借金かかえて大変だったんだよ。頑張ったんだよ」と自慢げに話す矢沢永吉とは大違いで、野茂の口からは、「メジャーでもっと野球をやりたいから」という以外のことばは出てこない。

・野茂は今年、なかなか所属先が決まらず、メジャーのキャンプが始まってずいぶんたってから、ホワイトソックスとマイナー契約を結んでキャンプ地に出かけた。ホワイトソックスは去年のワールド・チャンピオンで投手力のよさには定評がある。ローテンションに入りこむ可能性が一番厳しいチームをなぜ選んだのか。理解に苦しむが、ほかに受け入れてくれるところがなかったとしたら、ずいぶん見くびられたものだと思った。

・野茂はそのキャンプでも目立った成績を残せずに、シーズンをマイナーではじめた。果たしてメジャーにあがれるのか、マイナーで投げつづけるのか。メディアはほとんどなにも伝えてこないから、すでに忘れられた存在になってしまっている。しかし、ぼくはそれを見捨てられたなどというふうには思わない。野茂は、瞬間的なヒステリーと記憶喪失症が常態化したメディアからは無関係なところにいて、誰がどう思うかなどということは気にせず野球を楽しんでいる。こういう人を現代の「ヒーロー」というのだと改めて感じた。 (2006.04.10)

2006年4月3日月曜日

古本屋さんからのメール

 

・「アマゾン」で本を探して、古書で買い求めることが多くなった。品切れ本が多いのが一番の理由だが、新品に比べて安いのも大きな魅力になっている。傷みがひどいものなど一度も届いていないから、使う頻度はますますふえそうだが、驚くのは、読んだ痕跡がほとんどないような本が多いことだ。帯やカバーももちろんついているものが多い。これはぼくにはとても考えられないことである。
・ぼくは本を買うとまず、帯を捨ててしまう。これは売れるまでの広告としてあるものだと思うし、本棚に並べて出し入れしているうちにどうせ破けてしまうからだ。第一、読んでいるときには邪魔になる。以前には、硬表紙の外側に薄紙のカバーがかかっているものがあったが、これも読みはじめる前に外して捨ててしまっていた。
・で、読みはじめると、書き込みをし、マーカーやボールペンで印をつけ、さらに付箋を貼り、頁の角を折ったりもする。手を洗ってから読むといったことはしないから、読み進むと本の下部(地)に読んだところだけ手あかがつく。習慣でどうしてもそうしてしまうのだが、汚れていくのが読んだことの証のように感じられてしまうから、いまさら改める気にもならない。
・こんなことを意識したのは、ユーズドの本の様子が「多少使用感あり」とか「書き込み少々」「日焼けあり」などと説明されていたからだ。当然、その汚れの程度によって、同じ本でも値段がちがってくる。だとすると、ぼくのもっている本は、古書店に持ちこんでも安く買いたたかれてしまうものばかりになる。売る気はないが、買うばかりで研究室も家も本で溢れかえって整理に困るほどだから、ぼちぼち処分することも考えなければならないのだが、どれもこれも二束三文では、いちいち選択して古書店に持ちこもうなどとは思わない。
・アマゾンでユーズド本を買うと、売り主からメールが届く。大体古書店であることが多い。ネットではどこにある店かはわかりようもないから、メールに書いてある住所を見て驚くことが少なくない。札幌から鹿児島まで、注文するたびにまちまちで、こんどはどこから来るか、楽しみだったりもし始めている。そんなメールに「処分したい本があったら引き取ります」などと書いてあると、読んだ本の汚さがいっそう気になったりもするのである。
・もっとも、蔵書には買っただけで、読んでないものや一度もあけてない本もかなりある。そのときは必要と思ったけど、結局読まなかった本、読みはじめたけどつまらなかった本、むずかしくて放り出してしまった本。そういうものなら売ってもいいし、きれいだから、それなりの値段をつけてくれるかもしれない。思いがけず高値がついているのがあるかもしれない。そんなことも思って、すでにもっている本の値段を調べたりもするようになった。もっとも、本棚の整理をやろうという気まではおこっていない。
・古書店からのメールには、「お探しの本がありましたら、お申しつけください」などとも書いてある。それが鹿児島だったり福島だったりすると、大丈夫か、と思ったりするけれども、欲しい本が日本全国から探せるというのは、何とも便利になったものだと思う。しかし、それはまた、ネットやブック・オフのような古書のチェーン店ができたことによって、本屋さんの商売が、店頭だけでは成り立たなくなったことも意味している。
・京都に住んでいる頃は、特に探している本がなくても古書店はよくのぞいていた。京大や同志社の周辺には専門書がおいてある店がいくつもあった。大阪に出かけることが多くなった頃には梅田のガード下にある梁山泊や有名な天牛といった店にもよく出かけた。たまに東京に出かけたときには神田の本屋街に行くのが決まりだった。けれども、今は古書店はもとより、本屋自体に出かけることがない。
・ぼくのようにアマゾンなどのネットで買い物をする人が増え、一方で、大型の書店が目立つようになっている。そんな意味では、ネットでの商いは、街の小さな本屋さんが生きのびる数少ない道の一つなのかもしれない。だったら、なるべく古書で買おうか。きれいな本が安い値段で来るんだから、新品を買う必要もないし。今日届いた本は、新潟からやってきた。何となく、楽しい気がするのは、どうしてだろうか。

2006年3月28日火曜日

森にも春が来た

 

forest50-3.jpg・昼の気温が10度を越えるようになって、毎日、午後の2時間ほどを外で過ごすようになった。やるべきことはまず、薪割り。この冬は10月後半からストーブを使い始め、12月からは一日中つけっぱなしにしたから、薪の消費量は例年の5割増しにもなった。いつまでも暖かい秋が、一気に真冬になり、それが1月中旬まで続いた。それに、灯油の価格も5割増しで、例年通りのペースで使うと毎週1万円近くになってしまう。最後まで持つかどうか心配だったが、家の暖房は薪中心で行くことにした。いつもより多めに乾燥させておいたのが正解だった。
・で、燃やしたら、乾燥させるための棚に薪を補充する。これを春先にやっておかないと、十分に乾いた木にならない。毎年の春休みの日課である。割って乾かす木は今年も十分にある。東京の植木屋さんが提供してくれた木を、去年の夏から大学の帰りに車に積んで、何度も運んだからだ。スバルのワゴンは足腰が丈夫で荷台も広い。しかし、高速道路を走るから屋根までいっぱいではなく、バックミラーが使えるほどにして積んだ。すでに15万キロを走っているが、快調に走ってくれる。20万キロまでは働いてもらおうと思っているが、壊れなければ、25万でも30万キロでも乗るつもりだ。

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forest50-4.jpg・木が豊富であることと、スプーンや孫の手、あるいは表札などをつくる木工にちょっと飽きたこともあって、今年は外に何か作ろうと思った。入り口に門柱を立て、門番をおく。とは言っても、追い払うためのではなく歓迎のためのもの。材料は白樺で、門柱は穴を掘って左右に2本ずつさしただけだが、なかなかいい感じになった。その脇には、あちこちで見かけたものをまねて、まず2匹こしらえた。チェーンソーで切って、釘で打ちつけるだけの、ごく簡単なものである。鹿か山羊のつもりだったが、できあがってみるとどう見ても犬。で、角を生やしたのは一匹だけにした。ついでに、去年バルコニーを作りかえたときに外した柱をつかって茶色の犬をもう一匹。しかし、これは子馬にみえてしまう。

forest50-6.jpg・パートナーが工房の入り口に「かわいい犬」が欲しいというので、こんどは最初から、犬のつもりで作った。耳も尻尾もつけたから、一番それらしいが、どれも感じが出ていてなかなかいい。こんな調子でいくと、春休み中にもう4,5匹増えてしまうかもしれない。
・実は本当は、生きた犬が欲しい。茶色か黒のラブラドール。パートナーからムササビがいるから駄目と言われてきたが、そのムササビが最近やかましかったり、複数になったりして、手に負えなくなったらと心配になりはじめてきた。後は、留守をするときにどうするか、という問題が残っている。長期の旅行はしばらくしないつもりだから、何とか説得したいのだが、生き物を飼ったことがない人を説得するのは、何ともむずかしい。

2006年3月21日火曜日

シエスタという生活スタイル

 

Spain35.jpg・旅行者にとってシエスタという習慣はありがたくない。午後の3時頃になると店という店が閉まってしまう。にぎやかだったとおりが閑散とするから、無警戒でぶらぶら歩くこともできない。旅行ガイドの『地球の歩き方』には、スペインの治安の悪さがしつこく書かれていたが、その時間帯は夜以上に午後から夕方にかけてだった。マドリードやバルセローナではシエスタを取らない店も多いと書いてあったが、どうしてどうして、通りが軒並み休み、なんてところも結構あった。


Spain260.jpg・じゃあ、スペイン人は一体いつ働くのか?なんて文句も言いたくなったが、暗くなる頃には、また店が開き始めて、深夜遅くまで開いている。スペインでは昼食は2時過ぎ、夕食は8時過ぎからが普通で、サッカーも、その夕食をすませた10時過ぎから開始なんてことになる。しかし、夜更かししても、昼寝をしているから、朝寝坊ということもないようだ。ホテルの前の大通りは夜が明けるまえからラッシュ状態で、人びとの往来も始まる。朝の8時から2時まで働けば6時間。一休みしてまた数時間というのだから、けっして怠け者ではない。それで、食事にも睡眠にも十分な時間がとれるのだから、生活の仕方としては理にかなっている。冬はともかく、スペインの夏は暑い。マドリードは50度にもなるという。とても働けるような環境ではないのである。

Spain301.jpg・そんなことにちょっとしたカルチャー・ショックを感じたのだが、ふと自分の普段の生活を振り返って、ほとんど同じであることに気がついた。ぼくは食事をすると、横になって眠りたくなる。だから、外食はあまり好きではない。家にいるときには、昼食の後にごろり、夕食の後にごろりとして、数分から場合によっては数時間も寝てしまうことがある。もちろん、その分、夜の睡眠時間は短くなる。アー、同じリズムだ、と思ったら、妙に親しみを感じるようになった。そういえば、ぼくは立ち食いの蕎麦とか、お湯を差したりレンジでチンするだけの食べ物は好きではない。おいしいと思わないし、食べることをないがしろにしているように感じてしまう。

Spain302.jpg・オーウェルの『カタロニア賛歌』(岩波文庫)には、負傷して担ぎ込まれた病院での話があって、いかにもスペインではありそうだと納得してしまった。

・朝6時頃の朝食はスープ、オムレツ、シチュー、パン、白ワイン、コーヒーからなり、昼食はこれよりもさらに量が多く、民間人の大半がひどく食料に困っているときにこうなのだ。スペイン人は軽い食事などというものを認めていないようだ。病人にも健康な人と同じ食事を与える…………いつでも同じ濃厚な、脂っこい料理で、なんでもオリーブ・オイルにひたしてあった。(201p.)

Spain304.jpg・確かにそうだ。何でも量が多いし、何にでもオリーブ・オイルがかかっている。けれども、イギリス人だってかなりの大食いだし、何にでもバターが入っているように感じた。バターの代わりにオリーブ・オイルをパンに塗るのは、むしろあっさりしていて、身体にも良さそうだ。トマトをペースト状にしたジャムなんてのもあって、なかなかおもしろい。それに、肉ばかりじゃなくて、魚料理も豊富にある。簡素な朝食を「コンチネンタル」と称して、「イングリッシュ・ブレックファスト」を自慢にしたりするが、食べることについては、明らかに、イギリスよりはスペインの方が豊かだ。

Spain140.jpg・スペインのホテルではどこでも、朝食バイキングのメニューは豊富で、ぼくは朝から腹一杯食べた。で、昼食はミルクたっぷりの「カフェ・コン・レチェ」だけ。別に昼食をけちったわけではない。それだけ、朝のメニューが食欲をそそったのだ。生ハム、スモーク・サーモン、トマト、果物、それに何種類ものデザート………………。オーウェルが言うように、スペインでは当たり前の朝食メニューなのかもしれない。けれども、スペインでは昼が一番の食事なのだという。そんな大食いの割にアメリカで見かけるような巨漢を見ることが少なかった。栄養のバランスがいいのか、時間の使い方が健康的なのか。

Spain9.jpg・食後のデザートも、その量は半端ではない。「クレマ・デ・カタルーニャ」はバルセロナの代表的なデザートで、皿一杯のカスタード・クリームの上に、砂糖を焼いてつくったキャラメルの板が乗っている。おいしいけど甘いし、量が多い。これでは、身体に悪いのではと心配するけれども、メインの料理にはほとんど甘みがないから、全体として糖分過剰ということはないそうだ。そう言えば、日本で外食をしたり、出来合いの料理を食べて思うのは、何でも甘い、甘すぎることだ。だから、最初の頃は食べるものがみなしょっぱく感じた。塩分の取りすぎではないか、と思ったが、ヨーロッパでは長寿の国に入るというから、実際にはそれほどではないのかもしれない。

・シエスタについて書くつもりが食事の話ばかりになってしまった。しかし、おいしく、楽しく食べ、消化する時間をたっぷりとり、そのエネルギーをまた楽しいことに費やす。仕事はあくまで、そのためにやらなければならないこと。こういう人生観をもって生きるというのは、何と豊かなことか。そういう意味で言えば、現在の日本人の生活は何ともみすぼらしい。

2006年3月14日火曜日

スペインについての本

 

堀田善衛『スペイン断章上・下』(集英社文庫),『バルセローナにて』(集英社),五木寛之『我が心のスペイン』(晶文社),G・オーウェル『カタロニア賛歌』(岩波文庫)

hotta1.jpg・スペイン旅行の余韻がまだ残っている。というよりは、強烈な印象のなかに「なぜ」「どうして」という疑問があって、帰国してから改めて何冊かの本を読んだ。一番は堀田善衛のものだ。彼は70年代からスペインに住んで、それを何冊かのエッセイにまとめている。スペインという地を実際に経験すると、書いてあることが実感としてよく伝わってくる。
・スペインで感じた驚きの一つは、その建物に見られる異文化や異宗教の混在だった。イスラムとキリスト、あるいはユダヤ教が共存していること、ローマ時代につくられた橋や水道や城壁があり、そこにゴシック建築の建物が継ぎたされたりしている。ものすごい歴史の積み重ねだと思うが、それは逆に言えば、独自の歴史ではなく、外部からの侵入によって生み出されたもので、堀田はそれを指して、スペインには歴史がないと言ったりする。


hotta2.jpg ・「スペインに歴史はない」とはいうものの、この国のないないづくし、たとえばルネサンスの影響はあっても、スペイン・ルネサンスというものはない。キリスト教同士の宗教戦争がない、宗教改革がない、フランス革命の影響はあっても、フランス革命の如き大変革はない、産業革命がないなどと数え立てて行けば、そのないないづくし自体が歴史を形成していることも明らかだろう。
(『スペイン断章』上・p.79)

・歴史がないという特徴は、また「断続の歴史」、あるいは「背骨のない歴史」といった言い方もされるようだ。しかし、スペインは外から侵略されるだけの国ではなかった。コロンブスがアメリカ大陸を発見したあと、中南米を侵略し、膨大な人びとを虐殺し、莫大な金銀財宝を持ち帰ったという歴史も持っている。ところが、それらがもたらしたはずの豊かさが、現在のスペインにはまるで感じられない。それを堀田は次のように言う。

hotta3.jpg・金銀は、この国の人民の頭越しに、ドイツとイタリアと低地諸国へどおっと流れていってしまったのである。(同書、p.132)
・多くの人々が冒険と金を求めて出て行ってしまい、エストレマドゥラ(地方)のみならずスペイン国全体は、新大陸の“発見”とその劫掠(ごうりゃく)以後に、それ以前よりもいっそう貧しくなってしまったのである。(同書、p.133)

・ヨーロッパに近代をもたらすきっかけになった新大陸発見の国でありながら、スペインはなぜ、中世のままでとどまってしまったのか。イスラムを追い出し、新大陸発見を支えたイザベル女王の後を継いだカルロス1世は、その財力をもとに神聖ローマ帝国の皇帝を兼務した。それが、財宝がスペインにとどまらなかった大きな原因だと言われている。しかし、それだけでは、もちろん、説明しつくされる問題ではない。

orwell1.jpg・スペインは、20世紀になって唐突に、革命の実現をめざす。市民や農民が立ち上がって、土地の集団化をし、貨幣経済をやめ、消費の共同化まで始める。国の否定と廃止。共産主義というよりはアナキズムに基づいた革命である。けれども、それはフランコとの戦争によって、あっという間に崩壊させられてしまう。オーウェルの『カタロニア賛歌』は、その戦争に義勇軍として自ら参加した際のレポートである。ぼくはこの本を旅行中にベッドで読み直していたのだが、途中のホテルにおいてきてしまった。で、帰ってから買い直して、また読み返した。オーウェルが感じたスペイン人とその文化や生活スタイルについての印象には、イギリス人との違いが如実に表れていてきわめて興味深い。それは案外、宗教改革や産業革命をいち早くした国とやらなかった国の違いを一番わかりやすく説明してくれるのかもしれないと思った。合理と非合理、理性と感情、したたかさと正直さ………………。

ituki1.jpg・五木寛之の『我が心のスペイン』は、五木独特の感性や想像力に彩られたスペイン論である。書かれたのがまだフランコが政権を取り続けている70年代の初めだったこともあって、30年代の市民戦争についても、自らの戦争体験に重ね合わされて、過去ではなく、現在のこととして語られている。チリの民主化とそれをつぶす軍部によるクーデターが大きな事件となった時期でもあり、またそれに触発されて『戒厳令の夜』を書いた時期でもある。それはまた、ぼくが五木を愛読した時期とも重なっている。しばらく忘れていたが、彼の書く文章にある独特の感性に懐かしさを感じ、それがたしかにスペインにも共通するものであることを再認識した。
・ピレネー山脈以西はアフリカだ、とする見方があるようだ。確かに、夏は暑く、大地は荒涼としているし、イスラム文化の影響も強い。けれどもまた、アンダルシアなどは、アメリカの西部やメキシコにほとんど違和感をもたないほどに似通っている。スペインとヨーロッパの関係は、日本における本州と九州の関係に似ているかも。五木寛之が愛着を示す所以かもしれない。

2006年3月7日火曜日

オリンピックにメダルが欲しいのは誰?

 

・スペインに出かけたのがオリンピックの始まる直前で、帰ってきたのは、もう終盤だったから、今回のオリンピックはほとんど見なかった。もちろん、旅行中も泊まったホテルの部屋にはテレビがあり、いくつものチャンネルを見ることができた。しかし、実際には部屋でテレビを見ている時間などなかったし、つけてもオリンピックを中継しているチャンネルは見かけなかった。スペインがあまり活躍しない大会だったせいかもしれない。イタリアのトリノはすぐ近くにあるのにどうしてと思ったが、ぼくもすっかり忘れてしまっていた。
・日本では大会の始まる何日も前からメダルはいくつ取れるか、金メダルは、注目選手はと持ちきりで、ほとんど見たことがない競技種目でも、出場選手の名は覚えてしまうぐらいだった。「今井メロ」なんて突然出てきた名前が連日テレビをにぎわしていたのに比べると、スペインのテレビの何という無関心さ。代わりにスポーツで繰り返し登場していたニュースは、やっぱりサッカーとバスケット・ボール、それにアルフォンゾというチャンピオンが出たF1 だった。ただし、芸能人をスタジオに呼んでゴシップについて質問や追求をするといった番組が目立ったし、若い女の子の裸が頻繁に登場して、日本のテレビと似ているところもあるなと思った。
・そんなわけで、旅行の前半はオリンピックなどすっかり忘れていたのだが、ネットに繋ぐことのできるホテルに泊まって、お気に入りのサイトをチェックすると、「日本メダルなしの可能性」などという悲痛な見出しが目に入った。日本選手の成績は良くても4位どまりで、話題になった選手も予選落ちした人が少なくないようだった。例の今井メロもお兄ちゃんの童夢も同様で、遠くから見ているとあまりにも騒ぎすぎ、という印象が強まるばかりだった。
・ところが帰国してテレビをつけると、さんざんな成績だというのに、オリンピックの番組が一杯。ニュースでもすべての放送局が同じことを同じように、しかも繰り返し伝えている。で、残された期待は女子フィギアだけという論調も同じで、3選手に期待して神頼みという感じである。一体メダルは誰のために取るものなのか。国民のため、視聴者のため、あるいはニュース・キャスターのため?何か勘違いをしていて、それを国中に振りまいているんじゃないの?メダルは誰より選手が目標にしているもので、それを応援し、取ったら祝福するものだと思うのだが、けっしてそうではないようだ。
・時差ボケも手伝って、もううんざりしてしまったが、荒川が金メダルを取ると、それまでに日本人選手の不成績がなかったかのような浮かれぶりで、荒川の「イナバウワー」をしつこく放映するから、またうんざり。彼女の帰国を待って成田空港には900人、例によって、テレビ番組にハシゴで登場させられて、同じような質問攻めにあう。荒川に集中して、一緒に帰国した他の選手はまったく無視だから、その極端さにもあきれるばかり。過剰な期待をしてメダル候補と煽ったのはテレビではなかったのだろうか。そんな反省は、例によって、どこからも聞こえてこない。
・もっともそれはオリンピックに限らない。政治も経済もそして事件も、すべて同じ調子で取りあげられ、好き勝手に料理されて、食い尽くされる。そんなこと百も承知で、おもしろいから、退屈だからつきあっている、というのがおおかたの人の感想なのかもしれない。けれども、そんな傾向やメディアの体質はやっぱりおかしい。しばらく日本を留守にしていると、その異常さがいっそう際立って見えてきてしまう。
・家に帰って久しぶりにテレビのスイッチをつけると、出かける前とほとんど変わらない人たちが、変わり映えのしない話題で盛り上がっている。けれども、懐かしいなどという気持ちはまるでなく、逆に、何となく距離を置いて見るから、奇妙なものを見ている気がしてしまう。と同時に、テレビなんて見なくても、日常生活に何の支障もないこともわかってくる。半月も日本を留守にしていて、その間、日本のテレビをまったく見ていないのに、何も困らない。テレビとは実際、そういうものなのだということがよくわかる。
・実際、世界中どこに行っても、ネット・カフェに行けば、いつもチェックしているサイトにアクセスすることができる。日本語が使える機種は少ないが、自分のパソコンを持ち歩けば、どこにいても家にいるのと変わらない。そんな時代になったことを実感した。ぼくは旅のあいだも、普段通りに内容の更新をしたが、それはホテルによっては部屋でコードなしでできるようにもなっている。そんな日進月歩で、次々変化するネットの世界が当たり前になっているのに、テレビは内向きの発想で、内輪の関心を煽ることにばかり精出している。巨額の利益をあげ、政治や経済や文化に大きな影響力をもつテレビというメディアは、実は「裸の王様だ」。中身はなにもないじゃないかという事実が露呈されているのに、誰もそう思わない。思っていても、そう言わない。そんな違和感は、たぶん時差ボケ以上にいつまでも、ぼくのなかに残りそうだ。

2006年2月28日火曜日

スペインの音楽

 

casals1.jpg・スペインの音楽といっても、チェロのパブロ・カザルスとフラメンコしか知らなかった。カザルスが1961年にホワイトハウスでケネディ大統領を前に演奏をしたCDには「鳥の歌」が入っている。80歳を過ぎていたが、息づかいが聞こえる演奏には思わず聴き入ってしまうほどの迫力がある。ソフトな演奏のミーシャ・マイスキーとは対照的に荒々しさを感じるサウンドには、80歳を過ぎているとは思えないすごみがあった。
・「鳥の歌」はカタルーニャの民謡で、クリスマスの祝い歌だという。しかし、その哀しみにあふれた旋律を聴くと、どうしてもスペイン市民戦争やフランコの圧政に苦しんだ人たちのことを連想してしまう。

camaron1.jpg・スペインに出かける前に入手していたフラメンコはカマロン一人だけだった。既に死んでしまっているが、現在でも強い人気で、バルセロナの CDショップのフラメンコのコーナーには彼のCDがたくさんあった。フラメンコをポップにしたジプシー・キングスに似ているが、もっとずっと泥臭くて、激しく、なおかつ哀切感がある。バックのギターがトマティートであるものを何枚か買い足したが、どれもいい。しわがれた声、演歌を思わせる小節、それに独特の手拍子。旅行中も、家に帰ってからも繰り返し聴いて、一緒に手拍子を叩いたりしている。

maytemartin1.jpg・フラメンコにももちろん、ニュー・ウェイブはある。マイテ・マルティンはバルセロナ出身の女性の歌手(カンタオーラ)だが、カマロンとは対照的に泥臭さがまるでない。中身も確かめずに購入した"Querencia"にはギターの他にチェロのバックもついていて、フラメンコとは違う曲風の歌もある。クラシックやジャズとのフュージョンなどもやっているし、詩に対するこだわりもあるようだ。気に入ったのでAmazonで調べたが、手にはいるのは1枚だけ。もうちょっと買っておけばよかった。


antoniovega1.jpg・スペインではフラメンコ以外にどんな音楽が流行っているのか。ネットで調べてチェックしていったのがアントニオ・ヴェガだ。マドリード出身でもうすぐ50歳になる。建築家を目指し大学にはいるが中退、パイロットや社会学者に方向転換をするが、結局音楽の道へという経歴を持っている。78年にバンドとしてデビューして90年代になってからソロ・ミュージシャンになったようだ。3枚のCDを買ったが、サウンドしてはフォーク・ロックでことば以外には、あまりスペインを感じさせるものはない。聞き慣れている音だから、何の違和感もなく聴ける。歌はどれも自作だと思うから、マイテとともに、ことばがわかればとつくづく思う。

tomatito1.jpg・バルセロナのカタルーニャ音楽堂はガウディのライバルだったモンタネールが造った建物だ。名所になっているがガウディびいきとしては比較にならないと感じたが、作られた当時はモンタネールの方が評価が高かったそうだ。しかし、後になって気づいたのだが、ここで10日にヴェガ、そして16日にトマティートのライブがあった。10日は無理だが16日はバルセロナに着いた日で、本当に近くをうろついていたから、何とも悔しい思いがした。入り口をもう少し丁寧に見ておけばなー……。

elgleo1.jpg・代わりにというわけではないが、うろついていたところで聴いたストリート・ミュージシャンのギターが気に入った。二人組のフラメンコ・ギターだが、そのうちの一人でEl Gleoという名の人のCDを買った。ちょっとはにかんだような顔をして、「グラシャス」と言ったような気がした。CD-Rに焼きつけた自家製版だが、ホテルに帰ってパワー・ブックで聴いてみると、驚くほどギターがうまい。スペインにはこんな人がごろごろいるのかもしれない。


elgleo2.jpg・もっとも、スペインの街にフラメンコが流れているというわけではない。タクシーやカフェで耳にした音楽はU2だったりREMだったりで、世界中どこに行っても同じ音楽が溢れているのだ、と改めて実感した。バルセロナの地下鉄ではローリング・ストーンズのコンサートの宣伝をやっていたから、日本とまるで同じで、彼らが世界中を飛び回って金稼ぎしていることがよくわかった。そんな意味でも、ロックに愛想がつきかかっている気持ちがますます増幅してしまった。去年の夏のアイルランド、そしてこの冬のスペイン。どこに行っても生きている音楽がある。ロックがそれを駆逐しないことを願うばかりだ。