・ 大学院には多様な学生がやってくる。学部からまっすぐ上がってくるだけでなく、途中で寄り道して戻ってきたり、仕事と掛け持ちしたり。最近では定年後にもう一度勉強を、という人も少なくない。もちろん、アジア各地からの留学生もかなりいる。ぼくのところにいる学生たちも、そろって個性的だ。現役のミュージシャンがいるし、元お笑い芸人もいる。新聞記者もいたし、高校や看護学校の先生もいた。このコラムのイラストを描いている佐藤さんは、デパートのファッション部門で働いている。それに加えて、韓国や中国からの留学生と、現役の学生たち。
・ それぞれの経歴はもちろんさまざまだし、関心も、大学院に来た目的も同じではない。専門はもちろん、教養的な知識もでこぼこだし、語学力もまちまちだ。それに留学生には日本語習得という課題もある。一律に講義などという授業はとてもできないのが現状だ。だから、授業はすべてゼミ形式でやり、時間も延長して、それぞれの関心事を順に報告する形でやってきた。自由にやりたいようにやる。それが方針だが、それだけに、テーマを分析する方法や読むべき参考文献なども、各自にあわせて適切にアドバイスしなければならない。これがなかなか大変な作業なのである。
・ 大学院には2年間の修士課程があり、その後に3年間の博士課程がある。勉強や研究の成果は論文としてまとめられるが、ぼくは学術的なスタイルを強く要求しないことにしている。誰もが研究者になりたいわけではないし、なりたくても、その道は極めて狭く、競争が厳しいからだ。 「学術的であるより、読み物としておもしろいものを書け」。これが学生たちにくりかえし言うアドバイスだ。その甲斐(かい)があってか、お笑い芸人出身の瀬沼文彰君は修士論文をもとに『キャラ論』(スタジオセロ)を出版したし、ミュージシャンの宮入恭平君は『ライブハウス文化論』(青弓社)を書いた。
・ もっとも、修士論文を書いた大半の学生は、博士課程に進んで、勉学や研究を続けたがる。ぼくは極力反対するが、それで諦(あきら)めた学生はほとんどいない。将来のことを考えたら、気安く受けいれられることではないが、それを承知で続けたいというのだから、もう、反対する余地はない。新聞記者をやめて博士課程に進んだ加藤裕康君は、去年「ゲームセンターにおけるコミュニケーション空間の形成〜」で博士号を取得した。で、今は大学の非常勤講師として、東京と神戸の往復だ。大変な日々を向学心が支えている。(2008年04月07日掲載)
その5・対抗文化
・ ぼくの関心や発想の基本には60年代の対抗文化がある。そこで出会った音楽やアート、そしてライフスタイルにずっと愛着を持ちつづけてきた。その多くはもちろん、すでに対抗的なものではなく、社会に取りこまれ、消費文化として不可欠の存在になっているものが少なくない。たとえば、それはロックに代表されるポピュラー音楽であり、ポップアートであり、またジーンズやTシャツに代表されるファッションである。今では仕事や生活の必需品になっているパソコンやインターネットも、その発想の段階や開発当初には、社会に対して強い批判をもっている人たちが大勢集まって、あるべき世界を夢見るような時期があった。
・ 最近出版した『ライフスタイルとアイデンティティ』(世界思想社)は、そんな一つの文化の、誕生から現在の状況に至るまでのプロセスを、批判的にふりかえったものである。東経大に移る決心をした理由には、もちろん、コミュニケーションを主題にした学部に対する魅力があった。けれどもまた、個人的な問題として、都会生活から脱出して、長年憧(あこがれ)れてきた田舎生活をしてみたいという希望もあった。ちょうど子どもたちも大学生になって、一人暮らしができる年齢になってもいた。夫婦2人で、新しい生活をやり直す。『ライフスタイルとアイデンティティ』には、そんな生活ぶりを書いた章もある。
・ じぶんのこれまでのライフサイクルは、大きく三つに分けられる。親に扶養されていた時、仕事をして結婚し、子どもと暮らした時、それに現在である。この第3ステージをどう過ごすか。それはまさに、ライフスタイルとアイデンティティの問題である。パートナーは40歳を過ぎてから陶芸を始め、今では工房を持ってせっせと制作にいそしんでいる。土と戯れる楽しさは、端で見ていてもよく分かる。さて、ぼくは何をしようか。仕事はもう少し続けなければならないから、今は何でも、興味をもったらやってみることを心がけている。
・ 60年代に生まれたさまざまな文化は、どれも、既成の商品化したモノや暮らしや遊び方に飽き足らない気持ちから生みだされた。それが半世紀近く経(た)って、消費文化の主流になっているのは、何とも皮肉だが、それにまた退屈しているじぶんが確かにいる。大学で学生とつきあう限りは、うるさいと思われようと、そのつまらなさの理由を指摘して、もっとおもしろいことができるはず、という可能性を問いかけ続けようと考えている。(2008年04月21日掲載)