2008年11月9日日曜日

続・新譜あれこれ


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・ディランの海賊版シリーズもこれが8作目で、録音されたのは1989年以降だ。アルバムタイトルは "Tell Tale Signs" 。2006年のものまで入っているから、これで終わりなのかなと思う。2枚組みで27曲も入っている。古い歌もいくつかあるが、ほとんどは同時期に発売されてきたもので、アルバムでの歌い方やアレンジと大きくかわるものは少ない。その意味では、海賊版のおもしろさは、この時期まで来るとほとんど薄れてしまっていると言える。とは言え、長年のファンとしては、これはこれでなかなかいいと感じてしまう。もうすぐ70歳になるはずで、彼の全然衰えない創作意欲やイマジネーションにはおそれいるばかりだ。

mason.jpg・デイブ・メイソンが新しいアルバムを出した。26年ぶりだという。タイトルは"26Letters〜12Notes"。そういえば、彼のアルバムはトラフィックのものもふくめてレコードでしか持っていない。ということは当然、ぼくも20年近く、彼の声やギターを耳にしなかったということになる。そのしわがれた独特の声やギターに心地よさを感じていた時のことを思いかえすと、青年時代の僕の姿が浮かんでくる。それはメイソンも一緒で、アルバムには若い頃から最近までのさまざまな写真が載っている。その小さな一枚一枚を見ると、この間もずっと彼が歌いつづけてきたことがわかる。別にスポットライトがあたらなくたって歌は歌える。そんなことを言っているように僕には聞こえてくる。

souther2.jpg ・サウザーをじっくり聴いたのは、5月のコラムで書いたように、つい最近のことで、その出たばかりのベストアルバムに写っている顔をイメージしていたのだが、これも久しぶりの新曲ばかりのアルバム "If The World Is You" では、まったく別人の老人になっていた。スタジオ・レコーディングとしては25年ぶりのようだ。
・中に、大阪を題材にしたジャズふうの曲で語るように歌う歌がある。"Brown(Osaka Story)"。夜中にひとりで酒を飲んでいる。薄暗い十三だ。そこでひとりの女と出会う。彼女の車に乗って町を離れるといった話のようだ。「おーきに」「ごめんなせい」「そうですか」と、いくつか日本語も入る。彼の経験談なのかな、と思った。

browne3.jpg・ジャケットを見てびっくりは、ジャクソン・ブラウンの方が強烈だ。ライブ版のジャケットの顔とは全然違うから、別の誰かの顔なのかと思ったが、中をあけるとサングラスをはずした写真が載っている。白髭を蓄えた初老のブラウンだ。もっとも、声は昔と変わらないし、曲風にも格別の変化があるわけではない。昔ながらの、いつもどおりの彼の歌が聞こえてきた。
・アルバム・タイトルは"Time The Conqueror"、何事も結局は、時が解決したり、奪い去ったりする。自分の夢と重ねあわせて、それとは無関係に流れる時間の確実さや、それ故の冷たさや暖かさをテーマにしている。

emmylou1.jpg ・エミルー・ハリスの"All I Intended To Be"のジャケットにも、冬枯れの林を歩く白髪の彼女が写っている。彼女は強烈なメッセージを発するわけでもないし、個性ゆたかというわけでもない。ただ、アメリカのカントリーやフォークソングの良さを持っていて、それが一貫して変わらない。その良さはまた、誰と一緒でも変わらないから、いろいろなミュージシャンとデュエットする。僕が彼女を初めて知ったのは、ザ・バンドの解散コンサート版の"The Last Walts"だった。その可憐さに一目惚れしたのだが、歳をとっても、その雰囲気は変わらない。マドンナやシェリル・クロウとはまるで違うが、それはそれで、得難い個性なのだと思う。

bruce1.jpg ・スプリングスティーンの "Magic" は去年出たアルバムだ。ダブリンでのコンサート版の評判がいいのでそちらを先に買おうと思ったが、やっぱり新しいものを聴いてみようと、こちらを手に入れた。Eストリート・バンドをバックにしていて、悪くはない。ただ、歌と同様アルバムの写真が昔とあまり変わらないところに、虚像としての彼を見てしまう。それはもちろん、ここにあげた他の人たちの老けようと比較しての感想だ。
・アメリカ大統領選挙ではスプリングスティーンはオバマにずいぶん肩入れしていたようだ。ブッシュの8年はアメリカはもちろん世界にとっても最悪で、僕は21世紀になって最悪の犯罪者はブッシュだと思っている。だからこそ、オバマにあれほどの人気が集まったのだが、ミュージシャンも俳優も、名の出た人は誰もが明確に、どちらを指示するかを表明していて、中には積極的に選挙活動に参加する人も少なくない。音楽でもアートでも演劇でも、何かを表現する人には欠かせない姿勢だと思うが、そこもまた日本人にはほとんど見つけられないところだ。

2008年11月3日月曜日

田舎暮らしの2冊の本

 

丸山健二『田舎暮らしに殺されない法』朝日新聞社
色川大吉『猫の手くらぶ物語』山梨日々新聞社

・田舎暮らしを初めて10年近くになる。あっという間の気がするし、ずいぶん経ったと思うこともある。このコラムに書いてきたように、おもしろいこともあったし面倒なことや辛いこともあった。で、これからもずっと、ここに住みつづけようと考えている。
・テレビで紹介される田舎暮らし(カントリー・ライフ)には、いいことばかりが描きだされる。特に、定年後の新しい生活といった時には、取れたての野菜でバーベキューとかバルコニーで珈琲やワインといったシーンがかならずはいる。それはたしかに誰もが最初にやりたがることで、それなりに満たされた気になることだが、あくまでたまにの話しで、しょっちゅうだったらすぐに飽きてしまう。そこは、定住するのと別荘としてつかう違いだといってもいい。

forest71-1.jpg・そんな日常と非日常の違いをよく見定めないで、田舎でのセカンドライフを夢一杯ではじめると、途中で挫折することが多いだろう。丸山健二の『田舎暮らしに殺されない法』には、田舎暮らしの怖さ、危うさ、イメージと現実、夢と実体のずれが事細かに、しかも身も蓋もないほど辛辣に書かれている。
・もちろん、書かれていることには、自分でも思いあたることが多いし、周囲の話しとして聞くこともたくさんある。だから決して誇張ではなく、実際にあったこと、ありそうなことばかりで、読んでいて、思わずげらげら笑ってしまったり、ふんふんとうなずいたりして、一気に読んでしまった。当然、なかには自分のことを言われているようなところもあって、耳が痛いと感じたり、ちょっとむかっとするところもあった。都市から田舎への移住を考えている人には必読の書で、これを読んで夢やイメージが壊れてがっかりするようなら、計画は見直した方がいいのかもしれないと思った。

・田舎暮らしはとにかく不便だ。近くにコンビニはないし、ケータイは繋がりにくいし、テレビの難視聴地域だったりする。自然以外にはなにもないところでは、やりたいことは自分で見つける必要があるし、それを持続させるのには、よほどのやりがいと我慢する気持が不可欠になる。地元の人は決してやさしくないし、突きあおうとすれば、理解に苦しむ風習や都会とは違った人間関係の仕方を受けいれなければならない。人家が密集していないということは、それだけ不用心だということで、町中以上に戸締まりや見知らぬ人の訪問には警戒する必要も出てくる。『田舎暮らしに殺されない法』には、たとえば、次のようなアドバイスがある。えー、と思うが、もし狙われたらと心配なら、このくらいの用心は必要なのかもしれない。もっとも、それは町中で暮らしていても一緒だろう。


大きくてこわそうな犬を飼う
家の造りを強固に(特に寝室の窓に鉄格子、ドアに内側からの錠前)
合法的な武器を用意(手製の槍)

forest71-2.jpg ・もう一冊は、都会から田舎に移り住んだ老人たちがつくる、ほのぼのとした助け合いクラブの話だ。著者は僕が勤める大学の看板教授だった人で、退職後に癌を告知されて、八ヶ岳でのひとり暮らしを決心したという。ここでの暮らしが功を奏して、癌は進行せずに元気に暮らしているようだ。
・「猫の手くらぶ」に参加する人たちは全員が都会からの移住者で、インテリで、自立心が強く、それなりに裕福な人たちだ。だからひとり暮らしの身ではあっても、むやみに人に頼ろうとはしない。困った時に気兼ねなく助けをお願いするが、そのために必要なのは、何より、お互いに重荷と感じないような距離感だという。もちろん、そのためには、楽しいことも適度におこなわれるが、山歩き、スキーなどと、およそ老人たちらしくない。
・読んでいて、あまりにうまくいきすぎて一種のユートピア物語のように感じたが、たぶん、嘘や虚構はないのだと思う。選りすぐりのメンバーがつくる特上のコミュニティ。80歳をすぎてもこんなふうにしてひとり暮らしができる場所をつくるのは田舎はもちろん、都会でだってむずかしい。
・2冊の本の内容は両極端だが、読みとった教訓は一緒だ。都会から田舎への移住は、自立心と持続力、それに、適度な距離で助け合える人びとのネットワークが欠かせないということだ。これからもずっと住みつづけるために、肝に銘じたい教えだと思った。

2008年10月27日月曜日

迷惑電話とスパム・メール

 

・ 研究室に勧誘電話がよくかかってくる。用件も聞かずに「お断り」しているのだが、くりかえしかけてくるしつこい電話がある。一声聞けばわかるのだが、とぼけて「初めてです」などという。だから余計に腹が立って、「ここは研究室で、そんな電話は迷惑」というと、「ではご自宅に」などと返してくる。さも自宅の電話も知っているかのような口ぶりだ。そういえば、仕方がないと用件を聞く場合があるのだろうか。「そんなのはもっとお断り」といって勝手に切ってしまうと、翌週にまたかかってくる。
・狙いはマンションの売り込みだ。この手の電話は他にもあって、「投資目的で買いませんか」といった話しが多い。ここ数年景気が上向いて、都心のマンションは上昇していたが、アメリカ発の株価暴落や大恐慌以来の不景気がやってくるのでは、といった状況で、マンションの値が急落しているようだ。売れないから何とかしていいカモを見つけようというのだろうが、ストーカーのようにくりかえし、しつこく電話したのでは、きらわれてしまうばかりなのに、と思うと、その必死さがかえって納得できたりもする。断る理由など話す気もないが、残念ながら、僕には東京にマンションなどまったく必要がないし、投資で金儲けといった話は大嫌いなのだ。

・電話での振り込め詐欺が急増して、被害者が後を絶たないという。「おれおれ」の次が「税金の還付」だという。うっかり欺されそうな話しをよく思いつくものだと思う。もっとも、税金の還付は、こちらが必要な書類をそろえて申告しなければ、まずありえないことだ。僕は毎年確定申告をして、しっかりとられすぎの税金を取りもどしているから、税務署の姿勢はよくわかっている。親切に、税金が還付されますなどといって電話をしてくるようなところではまったくないのである。とはいえ、詐欺はコミュニケーションとして考えるのにはきわめておもしろいテーマで、一度その手口を体験してみたいのだが、残念ながら、そんな電話は一度もかかってこない。

・もっとも電話に比べようもないほど、迷惑なメールは相変わらず、たくさんやってくる。メールソフトも大学のサーバーもしっかり選別してくれるから、来てもゴミ箱に直行して、ほとんど気にならなくなった。とはいえ、大学のサーバーに処理能力を超えるような大量のスパム・メールが送られてきたりもするようだ。そのために、必要なメールの遅延が生じたりもしていて、迷惑程度はかなり悪質化しているといった側面もある。で、迷惑としてはじく基準もどんどん高くなっているようで、大事なメールがスパムとして処理されるケースがよく生じている。主として英語でやってくるもので、ネットで予約した飛行機のチケットがゴミ箱に行ってしまって、届かないと問いあわせて再発行してもらったこともあった。
・最近でも、5月にやってきたカナダの友人から、メールをずいぶん前に送ったけど、届いていないのかといった電話がきた。会ったときにチャールズ・テイラーの話をしたから、役にたちそうなサイトを教えてくれたのだが、スパムでゴミ箱に直行してしまったようだ。こんなことがあるから、いつでもゴミ箱を点検しなければならなくなった。学生からのメールも発信場所によってはスパムと判断されてしまうことがあるようだ。自宅から大学経由でメールを出すことができなくなった面倒さも、迷惑メールを排除するためと納得したのだが、電話と同様、不愉快な思いをしたり、迷惑したり、こまったりすることは少しも解消されない。

2008年10月19日日曜日

ポール・ラファルグ『怠ける権利』平凡社

ジグムンド・バウマン『新しい貧困 労働消費主義ニュープア』青土社
N.ラティンジャー、G.ディカム『コーヒー学のすすめ』世界思想社

lafargue.jpg・ポール・ラファルグの『怠ける権利』が平凡社ライブラリーで復刊された。最初に日本語訳が出たのが1972年で、僕はそれを読んだ記憶はあるのだが、肝心の本を紛失してしまって、ずっと、読み直したいと思っていた。復刊された理由は、やっぱり、最近のフリーターやニートの問題にあるようだ。で、たまたまバウマンの新刊本『新しい貧民』と続けて読んでみた。『怠ける権利』は 1880年に刊行されていて、『新しい貧民』は初版が1998年に出版されている。翻訳は2005年に出た第二版だが、このふたつの本には、その百年以上の時間を感じさせないほどの共通性が感じられた。

 若くてたくましく、敏捷で健康で、くったくのない陽気な若者を「資本」はつかまえ、製造工場や織物工場、鉱山に何千人となく監禁する。そこで彼らを、大窯でふんだんに燃やす炭のように消費し、彼らの血肉を、石炭や織糸、器械の鋼に混ぜあわす彼らの生命力を木石に注ぎこむのだ。彼らが自由の身にされた時は、擦り切れこわされて、歳でもないのに老けてしまっている。(p.86)

・ラファルグが糾弾するのは、「労働倫理」という名の下に、非人間的で過酷で低賃金の労働を強制した18世紀から19世紀にかけての資本主義体制だ。ここでは「消費」はもっぱら新興の中産階級に任されていて、労働者階級は排除されている。消費が下層に浸透しはじめるのは20世紀に入ってからで、本格化するのはふたつの世界大戦を経た後に経済的な発展を遂げた国々だった。平等を大前提にする社会主義の国が生まれ、資本主義の国でもさまざまな社会保障制度が整備され、貧富の格差は是正されかけたが、共産圏諸国の崩壊や国の負担を軽くして市場に任せる「ネオリベラリズム」の登場で、格差がふたたび助長されるようになった。バウマンが『新しい貧民』で指摘するのは、そういった過程でもたらされた現状の分析だ。

bauman2.jpg ・「労働倫理」は仕事を、まっとうな人間なら当然、就くべきものにした。仕事は「わたしはだれ」というアイデンティティの中心におかれ、それは自分が歩く人生の道そのものになった。もちろん、仕事自体に歓びや満足を見つけだすことも意味のあることとされた。けれども、がんばって働けば、楽しみや満足は「消費」という形で得られるようにもなった。しかし、そこにはまた、得られる金銭的な報酬や余暇としてすごせる時間の差も生まれた。で、低賃金で過酷な労働に就く者には、そうなったのは自分の責任だという判断が下された。

 いかなる美的な満足感ももたらさない仕事を受け入れる。かつて労働倫理の下に隠されていたむき出しの強制力が、今や、露骨であからさまなものとなっている。他のケースでは間違いなく有効で動機づけになる消費社会の伝達手段である欲望の誘惑や興奮も、このケースでは、非常に不適切で有効性に欠ける。すでに消費主義に転向した人々を、審美的なテストに受からなかった仕事に就かせるには、選択肢のない状況や、最低レベルの生活の強制、そのための戦いを人工的に生み出さなければならない。ただし、今回は道徳的向上という救いの恩寵なしに。(p.69)

coffee121.jpg ・バウマンは、その貧富の格差が先進国内で顕著になっただけでなく、グローバルな形でも大きく進行したのが、最近の現象の特徴だという。それを身近で実感できるのは、僕にとっては何より、コーヒーだ。これもたまたま一緒にぃ読んだラティンジャーとディカムの『コーヒー学のすすめ』には、コーヒーを飲むという習慣や飲む場(カフェ)の登場がヨーロッパの近代化に大きな役割を果たしたと同時に、その生産が多くの奴隷の労働を必要としたことが書かれている。民主主義の発展が奴隷制度を土台にして達成されたというわけだが、その構図はいまでも変わらないようだ。過酷で低収入の生産労働者とそれを商品化して売る巨大企業、そして、ほんものの違いを味わう知的でおしゃれな人びとである。この本を読むと、スタバでコーヒーを飲むのが心地よいものではなくなるはずだ。

・働かざる者食うべからずという倫理観は、おそらく世界中に行き渡って、それが大きな秩序や規律の源泉になっている。けれども、それでは食う(生きる)ために、いったいどれだけ働いたらいいのだろうかと問い直すと、必要以上に働かされている状態が浮かび上がってくるはずだ。ラファルグは1日 3時間で十分だという。あるいはトマス・モアは『ユートピア』で、1日6時間、19世紀の末に書かれたベラミの『かえりみれば』では義務教育を終えた後の 20年間としている。そんな時代からはるかに豊かになった現代で、なぜ過重に働かされることから解放されないのか。富の偏りと、そのことを正当化して見えにくくするイデオロギーの存在は、ちょっと視点や発想を変えれば、きわめて見えやすいやすいものになる。そのことを気づかせてくれる3冊である、

2008年10月13日月曜日

20万キロ越えに感謝!

 

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legacy1.jpeg ・乗っている車が20万キロを越えた。買ったのは1999年で、8月に4回目の車検を済ませたところだった。スバル・レガシー・ランカスター、もう自分の足の一部のように感じている。レガシーは2台目で、最初の車は初代だったこともあって、高速走行中に大きな故障が2回あった。加えて、エアサスペンションの空気が抜けたり、直進走行がままならなくなって、12万キロ走ったところで乗り換えた。だから、今度も 10万キロを目安にしていたのだが、大きな故障はほとんどなく、15万を越え、20万キロに達した。

journal4-114-2.jpg ・車の性能が向上したことが一番だが、走行距離の7,8割が高速道路だったことも大きいと思う。1年に2万キロ以上走ったことになるが、その大半は速度が100キロ前後のクルージング走行だった。中央高速はカーブや坂が多い。スバルの4駆は安定しているから、減速などせずに駆け抜ける。そんな走りを楽しむことも多かったが、ガソリンが高騰してからは、極力おとなしい運転を心がけるようになった。抜かれても平気、煽られても気にしない。バイクあがりのドライバーにありがちな、急発進、急加速もやめたが、もったいないとか無駄と言うより、歳のせいかな、と思ったりもしている。おかげで、燃費はリッターあたり2キロも向上した。

snow10.jpeg ・ふり返れば、この車でずいぶんあちこちと出かけた、佐渡島に行き、東北にも3度出かけた。京都や大阪へは何往復しただろうか。長野や周辺のドライブは数え切れないほどだ。雨でも雪でもよく走る車だが、何度かえらい目にもあった。大雪でスタックをして、助けてもらったこともあったし、走行中にマフラーが落ちて、そのまま販売店まで引きずって運転もした。ちょっとした事故は一回だが、擦り傷は数え切れないほどある。あるいは、薪を満載しての走行もしょっちゅうだから、内装も汚れや傷がいっぱいだ。そろそろ乗りかえの時期かなと、数年前から思いはじめていたが、なかなかそうはいかない。

subarudiesel.jpg ・第一に、まだまだ快適に走っている。それに、乗り換えたい車が見つからない。実はスバルがヨーロッパで発売しはじめたディーゼル・ターボのレガシー・アウトバックがお目当てなのだが、日本での発売は早くても2010年になるという。最低あと2年は待たなければならない。この時差の原因は日本の排ガス規制が世界一厳しいことにある。これ自体は悪いことではないが、厳しいのはディーゼルには公害をまき散らすというイメージがあるせいでもある。しかし実際には、ガソリン車と変わらないかむしろクリーンでもある。何より、燃費が格段にいい。ディーゼルのレガシーは満タン(64L)で1000キロ以上(18k/L)走るようだ。こんな理由でヨーロッパでは、すでにガソリン車以上に普及しているのだが、日本ではまだまだのようだ。

・というわけで、当分は、お役目ごめんにするわけにはいかない。最低あと2年、5万キロは走ってもらわなければならない。せいぜい丁寧に乗って、整備にも十分気をつかわなければと思っている。

2008年10月5日日曜日

新宿・風月堂

 

・NHKのBSで「伝説の喫茶店(カフェ)物語」を見た。3回シリーズで、「新宿・風月堂」「シャンソンの殿堂・銀巴里」「“熱狂”のステージ・銀座ACB」とやったが、見たのは1回目の「風月堂」だけだった。

・風月堂は60年代の終わりに「フーテン」のたまり場として有名になった。アメリカから起こった対抗文化運動や、その中心になった「ヒッピー」に影響された人たちが、新宿の東口広場にたむろし、マスコミの格好の取材対象になったが、新宿に現れた理由が、「風月堂」だったからだ。

・「風月堂」は昭和21年にクラシック音楽を聴かせる喫茶店として開店した。オーナーが集めていたレコードや絵画を利用したこの店は、戦後間もない新宿には場違いな「文化的な空間」になり、やがて、若くて無名の画家、作家、音楽家、詩人、役者、そして映画青年などが集まり、知らない者同士がさまざまな話題を議論する場になった。
・番組では三国廉太郎と山崎朋子の会話を中心に進み、状況劇場の唐十郎や、作曲家の三枝成彰、そして舞踏家の麿赤児といった人たちの思い出話がはさまれ、当時の店内の様子をうかがわせる写真や、時代状況を移したフィルムが紹介された。山崎朋子はそこでウェイトレスとして働き、唐十郎は一杯の珈琲を何時間もかけて飲みながら芝居の台本を書いた。

・新宿は戦後に登場した新しい文化や芸術と関連の深い街だ。この番組を見ると、それが「風月堂」という「場」に関わるものであったことがよくわかる。ただしこの店は、あくまで、知る人ぞ知る場所にすぎなかった。ここに「フーテン」が集まったのは、「風月堂」が日本にやってきたアメリカ人のヒッピーたちが訪れたからだが、それもまた、50年代の「ビート」に影響された日本人の詩人や小説家の集まる場所だったことに原因がある。
・ところが、「フーテン」が集まるようになり、マスコミが取り上げるようになると、常連客たちは敬遠するようになり、店の雰囲気は一変してしまう。同様に、ここにはベトナム戦争に反対する「ベ平連」の人たちもいたのだが、やがて、学生運動の活動家たちに占領されてしまうことになる。で、 1973年(昭和48年)に閉店された。

・僕は「風月堂」には一度も行っていない。「フーテン」で有名になった後だったから、店の前を通って、なかを覗いたことはあるが、入りたい気にはならなかった。この店を懐かしく思うのは、僕より一世代や二世代も上の人たちだが、早川義夫の歌を聴くと、同世代にも早熟な人がいたのだと思う。番組では彼の歌が最後に流れてきた。


どこからともなく、やってくる
みんなひとりでやってくる

詩人とか、絵描きとか
でもだれも名を知らない

みんな自分の夢に生きていた
新宿風月堂


・ただし、ぼくも早川義夫が歌うような場の雰囲気を、京都の「ほんやら洞」で経験している。どこのだれかわからないのに、誰かがはじめた話しの輪の中に入って、時にそれが白熱した議論になる。あるいは、そこから新しいイベントが始まったりしたこともあった。そもそも、ロンドンやパリで人びとが集まる場としてにぎわった「カフェ」は、そういう場所だったはずだ。ところが、「喫茶店」が「カフェ」と呼ばれるようになって気づくのは、知らない者たちは無関係なままで、仲間同士だけで互いに孤立する世界だろう。その最たるものがネットカフェやカラオケボックスなのは言うまでもない。だからやっぱり、早川同様、つぶやきたくなる。「あんなところ、いまはない。あんな空気いまはない」と。

2008年9月28日日曜日

紙ジャケの誘惑

 

・レコードからCDに変わって、ジャケットに対する興味が消え、iPodとiTunesを使うようになって、CDそのものがじゃまくさくなった。僕が持っているCDのほとんどはつかっている4台のパソコンのiTunesにはいり、iPodで持ち歩けるようになった。だからわざわざCDで聴くことが面倒になった。
・とは言え、アルバムの曲だけをダウンロードして買う気にもならない。やはりアルバムには、一つの形ある存在を期待しているのだ。なのに、買って手もとに来ればパソコンに落として、後はしまっておくだけ。用はないけど、ないと寂しい。アルバム・ジェケットは、そんな何となくアンビバレントなところにいる。

radiohead4.jpg ・ただし、紙ジャケットにはレコードの面影がして、これだけは別に置いておきたい気にもなる。そう思う人が多いのか、最近紙ジャケでリリースされるアルバムが増えた。たとえば、Radioheadの "In Rainbows" や Coldplayの "Viva la vida" 、REMの "Accelerate"、それにシェリル・クロウの "De tour" など、売れ筋のものも多い。あるいはジャクソン・ブラウンの "solo accoustic vol.1-2" やブルース・スプリングスティーンの "We shall overcome" 、Grayson Cappas "if you knew my mind" "songbones"、そしてニール・ヤングの "Massey Hall 1971" などのフォーク系も多い。そういえば、最近のトム・ウェイツやルー・リードのアルバムはすべて紙ジャケだった。つまり、ぼくがほとんどのアルバムを持っているミュージシャンばかりで、だからいっそう気になるのかもしれない。しかも頻繁に、アマゾンからお知らせのメールが届く。


morrison7.jpg ・ここのところ目立つのは、ヴァン・モリソンの古いアルバムだ。もちろん、すでに持っているものばかりだから、新たに買いたいとは思わない。第一、ジャケットが違っても、中身に代わりはないのに、また買おうという人がどれだけいるのだろうか。実はちょっと前に、彼のベルファストでのライブ版を見つけて買ったところだった。1984年の録音でCDでは1994年に発売されている。値段は1742円。ところが買っててしばらくして、その紙ジャケ版が発売されるというメールが入った。値段は2800円と高額だ。僕が買ったアルバムもまだ同じ値段で売っているから、1000円の違いは紙ジャケの付加価値ということになる。
・ところでこのアルバム自体だが、もちろん悪くはない。ただ場所がベルファストだから、アイリッシュを期待したのに、全然なかったのがちょっと残念な気がした。もっとも84年で、彼がチーフタンズと"Irish Heart Beat"を出したのは88年だから、「アイリッシュなんかやらん」と公言していた時期である。それ以降のアルバムでもアイリッシュの曲はほとんどないから、やるはずはないのだが、どうしても期待してしまうのは、僕の身勝手なのかもしれない。

bebo&cigala.jpg ・最近買った紙ジャケアルバムで気に入っているのは、bebo&cigalaの"La`grimas Negras"で、フラメンコとアフリカ系キューバ音楽のコラボレーションだ。勧めてくれたのはカナダ人の友人で、ものすごくいいと言われて期待した。 Cigalaのフラメンコはあくまで泥臭いが、beboのピアノはかなり洗練されていて、モダンジャズの感じもある。だから合わない印象を受けるのだが、聴いているうちにそのミスマッチが逆におもしろくなった。
・フラメンコとキューバ音楽というのは、考えてみれば、ものすごい関係だ。フラメンコはロマの音楽と踊りだが、ロマはもともとアフガニスタンあたりにいて、西に追われて、長い時間をかけてスペインまで来た。そのスペインから船出したコロンブスが発見したのがキューバだった。そのキューバにアフリカ系の音楽が生まれたのは、アメリカに奴隷を移送する中継基地だったからだ。音楽の伝播は戦争、侵略、交易、移民、そして奴隷などいろいろ理由がある。フラメンコとキューバ音楽の出会いから、そんなことを考えた。