2009年11月2日月曜日

秋の山歩き

 

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パノラマ台から本栖湖、その向こうの山は龍ヶ岳と雨ヶ岳

・10月になってから毎週山歩きをしている。車で出かけて3〜4時間ほど歩くのだが、すべて、付近の山ばかりだ。当然、山頂に登って見るのは富士山ということになる。冠雪して消えたと思ったら、また冠雪。そのたびに、雪の量が多くなり、やがて根雪になって、上半分が真っ白になる。山に登ると、そんな経過がいっそうよくわかる。

photo53-2.jpg・富士吉田市の東に杓子山がある。河口湖インターから高速に乗ると、すぐに右手に見えるひときわ高く、尖った山だ。いつも気になっていたが、その登山ルートの途中にある高座山(たかざす)まで行くことにした。明見(あすみ)から忍野に抜ける山道を鳥居地峠まで車で行くと、歩くのは1時間ほどで頂上に着く。ただし、ほとんど一直線の山道で、ロープがなければ上り下りが難しい場所もあった。木を切った後の茅場からは、忍野の村と北富士演習場、そして富士山が間近に見えた。長年、入会権を巡って闘ってきた「忍草母の会」のシンボル的な存在だった天野美恵さん(85歳)が亡くなったという記事を見たばかりだった。演習場からは大きな砲撃音が聞こえた。頂上には必死に登る小学生の一群。


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・百藏山(ももくら)は中央線の猿橋駅の北にある。中央高速で岩殿トンネルを抜け葛野川橋を渡る頃に左手に見えてくる山だ。大月市の百藏浄水場に車をとめて歩いたが、ここもきつい登りだった。汗びっしょり。1時間半ほどで頂上に着くと、眼下の桂川と遠くの富士山がよく見えた。

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・パノラマ台は精進湖と本栖湖の間にある。三つ峠から続く御坂山系の西端で、富士山に向かって突き出ている。この先にもうひとつ烏帽子岳があるが、眺めはまさにパノラマで、360度見渡せる。広葉樹の森はブナやケヤキなどをはじめ種類が多様で紅葉もすばらしい。栗やドングリがいっぱい落ちていて、栗ご飯用に十粒ほど拾った。

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左から精進湖、王岳、十二ヶ岳、遙かに三ツ峠、西湖、河口湖、手前の烏帽子岳、眼下の樹海、富士山、朝霧高原、龍ヶ岳

2009年10月26日月曜日

恩人の死

・仲村祥一さんが亡くなった。もう一月ほど前のことで、「誰にも知らせるな」という遺言だったようだ。ご高齢(85歳)とは言え、井上俊さんからのメールを読んだ時には驚いたし、からだから力が抜けた思いだった。

・仲村さんと僕の関係については、彼が75歳の時に出された『夢見る主観の社会学』(世界思想社)をレビューした時にふれた。読み返してみると、それ以降、年数回の手紙のやりとりだけで、一度もお会いしなかったことに気がついた。勤務先の大学を変えて引っ越す前にお会いした時に、「今生の別れになるかもしれん」と言われて、まさかと思ったが、本当にあの時が最後だったわけで、一度お訪ねすべきだったと、今になって反省している。


教員生活を50年してきたが、納得しがたい命令に従うのが嫌いでこの業界に入り、抵抗できる他者には我を通し、妥協の余地ない組織からは身をそらし、「思想の科学研究会」的な勝手連は別として、どのような政治団体にも加わらず、教え子たちにも我が見るところは明言しても好き勝手に勉強せよと励ます式に五つほどの大学を転々としてきた。私はしたくないことをできるだけ回避し、したいことが可能な方へと生活を導いてきたらしい。

・非常勤の時代から数えれば、僕の教員生活もすでに30数年になる。仲村さんの生き方を真似たわけではないが、ほとんど同じ思い、同じ姿勢でここまで生きてきた。「したくないことをできるだけ回避し、したいことが可能な方へと生活を導く」。こんな自分勝手な生き方は、仲村さんと出会わなかったらできなかったかもしれない。その意味では、彼は僕にとって一番の師と言える。

・歳相応と言えばそれまでだが、身近な人や気持ちの通じる人がいなくなるのは寂しいことこの上ない。今年はそんな二人が続いたから、心にぽっかりふたつ、穴が開いてしまった気がしている。

2009年10月19日月曜日

祭日と授業日数

・今年度から、大学の年間の授業回数が1科目30回になった。もちろん、文部科学省からの指導で、日本全国、どこの大学でも、そのスケジュールに改変させられている。とは言え、回数が増えたわけではない。祭日などで減る授業数を、減らさずに実行しろというお達しなのである。しかし、そのために、年間のスケジュールはきわめてタイトで変則的にならざるを得なくなった。とりわけひどいのは月曜日だ。他大学に勤める友人や知人とのメールのやりとりでも、このことがまず話題になることが多くて、どこも対応に苦慮していることがよくわかる。

・後期の授業は9月の第3週から始まった。しかし5連休で月火水が最初から休みで、月曜日はその後も10月12日、11月23日と祭日がある。それに加えて11月の第1週は大学祭で2日が休みになる。つまり、11週で4回休みになるわけだが、その分をどこかで穴埋めしなければならないのである。一方で月曜日を祭日にしておきながら、他方で授業回数を減らすなという国の政策は、まさしく「ダブルバインド」で、奇妙なスケジュールを組むことを強いる結果になっている。つまり、祭日でも授業をおこなうとか、他の曜日におこなうといったもので、これまではあまり気にする必要のなかったスケジュールの確認や、他の仕事との調整に気をつかわなければならなくなったのである。

・おかげで夏休みの開始が8月になってからになったし、学年末のスケジュールも、試験期間、採点や成績の提出が入学試験と重なって、春休みも短縮された。さまざまな業務で飛び飛びに出校しなければならないから、休みという感じがしないままに、新学期が始まるようになった。これでは落ち着いて仕事もできないし、長期間の旅行もままならない。文科省は一方で大学教員の研究業績にもシビアな目を向けるようになったから、大学の教員は教育と研究の二つの仕事について、これまで以上に勤勉になることを強いられている。

・しかも、学生の獲得を巡る競争は大学間でますます熾烈になっている。少ないパイを定員増という形で奪い合うから、条件のよくない魅力に乏しい大学は定員割れで存続の危機にも立たされている。そんな大学が全国で半数近くになろうとしているのが現状なのである。教育と研究の他に学務や広報に時間とエネルギーを割くこともまた、大学にとっては重要なことだから、大学の先生は、どこも休む間もなく働かされるのである。

・授業の回数を増やして、休まずにやる必要が出てくる原因は、大学生の学力低下にある。しかし、皮肉なことに、大学生はますます、授業さえ出ていれば勉強をしていると錯覚するようになっている。知的好奇心にしたがってさまざまに関心をもつことはもちろん、自発的に予習や復習をやることもない。問題意識を持たずにただ教室に来て座っているから、言われなければノートもつけないし、注意すると、話したことは何でもメモをするようになる。手取り足取りでやれば、それだけ受動的で他力本願な態度になるのは当然で、そういう扱いを、生まれた時からずっと受け続けているから、自主的になどと言ってもどうしたらいいのかわからずに、途方に暮れてしまうのである。

・大学が大学と言える場ではなくなってきている。文化の発信基地ではないし、魅力的な人材が育つ場でもない。忙しくて、息苦しくて、何をやっても徒労感ばかりが募ってしまう。大学は時間に余裕がある場だからこそ、新しいものが生まれ、人も育つ。形式的な勤勉さは百害あって一利なしなのである。

2009年10月12日月曜日

団塊再び

・民主党が政権を取ったことで、また、「団塊」ということばを目にするようになった。鳩山をはじめ政権の中枢部に団塊世代が多いからだ。そういえば、自民党には団塊世代と言える有力な政治家は見あたらない。大学紛争やカウンター・カルチャーの世代だったから、当たり前かと思うけれども、改めて、自民と民主の違いに気づかされた

・選挙後の動向を見ていると、政治が大きく変わりはじめていると思う。僕は民主党を支持しているわけではないけれども、その変化には、これまでにない新鮮さを感じて、期待したい気がしてしまう。予算の使い方の大幅な見直しやアメリカとの関係の仕方といったことはもちろんだが、何より、イメージとして印象が強いのは、テレビに映る鳩山夫妻の姿だろう。

・飛行機のタラップから手をつないで降りる二人はきわめて自然で、わざとらしさがほとんどない。それが普段の生活そのままであることは、感覚的によくわかる。同様のことは菅直人夫妻にも以前から感じていたことだが、それは、僕自身が普段している夫婦の関係の仕方に共通した特徴であるからにほかならない。

・僕は「団塊の世代」というくくり方には、以前から異議を唱えてきた。それはこの呼び名が広まったのが、当の世代が三十代になろうかという時点だったことと、数が多いという以外に、何の特徴も意味していない、身も蓋もないことばだと思ったからだ。この世代は、「団塊」と名のつく以前には「全共闘世代」「ビートルズ世代」などと呼ばれていたし、アメリカでも「ベビーブーマー」のほかに「緑色世代」「ヒッピー」「対抗文化」等々さまざまな名がつけられていて、それらはすべて、中身の特徴をあらわしていたのである。

・僕にとってこの世代の特徴は、何より「ライフスタイル」への自覚にあると思ってきた。生活の仕方、人間関係の持ち方について、従来の常識を疑い、新しいものを模索する。それは一方で、社会全体に大きな影響を与える力も持って、今では当たり前のものになった部分もあるけれども、ほとんど忘れられてしまった側面も少なくない。結婚した夫婦が作る関係は、日本では明らかに後者に属していて、そのことは後の世代でもあまり変わっていないと言えるだろう。

・僕が結婚した頃に「ニュー・ファミリー」ということばがはやった。対等な関係で、家事や育児も分担する。そんな生活の仕方が注目を集めて、実践しながらそのことを本に書いた僕のところに新聞やテレビや雑誌がよく取材にきたのは、もう30年近くも前のことだ。僕はそのことをずっと自覚しながら生活スタイルを実践し、記録し、考察もしてきたが、実際に夫婦関係のスタイルは、30年たった今でも、あまり変わっていないと言える。特に僕の世代の人たちの多くは、昔ながらの関係に収まってしまっている。

・僕が鳩山や菅夫妻に感じるのは、「ニュー・ファミリー」の洗礼をライフスタイルとして実践し、定着させたカップルだという仲間意識に近い印象だ。それは「団塊」世代から始まったスタイルだが、「団塊」世代に共通したものでは決してない。むしろ、ごくごく少数の人だけに見られる特徴だろう。だからこそ思うのだが、世代が一緒であることで感じるのは共通性ばかりでなく、同じ時代を過ごしたのに「なぜ?」と思う違和感のほうが遙かに多いのである。保守とか革新とは何より、身近な生活の中でこそ検証できるものなのである。

2009年10月4日日曜日

自転車ブーム


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本栖湖を自転車で一周してカヤックを漕ぐ

・今年の夏休みには河口湖と西湖を、およそ30回ほど自転車で回った。距離にしたら650キロほどだろう。一年前のこの欄では河口湖を10周以上したと書いてあるから、この夏は去年の三倍も走ったことになる。せっせと漕いだおかげで、ベルトの穴二つ分だけ腹が締まったし、河口湖一周では2度ほど50分を切った。もちろん、今も続けていて、寒くなる11月の末ぐらいまでは続けられるだろうと思う。最近では、雨が降って出かけられないと、何となく物足りない気にもなっている。

forest78-3.jpg ・速く走るようになれば、転んだ時の怪我が気になってくる。で、夏前にヘルメットを買った。ところが、ちょうどその頃から、すれ違ったり、追い越されたり、追い越したりする自転車の数が目立つようになった。夏休みの週末などには、一周する間に数十台の自転車と出会うようになった。これは去年にはなかったことで、急なブームに驚いてしまった。しかも、半分以上の人はヘルメットを着けているし、そのまた半分はウェアも身につけている。年齢はというと、僕と同じか少し若い人たちが多い。メタボ解消に自転車を、といった意図がありありで、一緒に走るのがちょっと恥ずかしくなった。だから、走りたくても週末は我慢することもあった。

・この自転車ブームの火付け役は、いったい誰なのだろうか。そういえば、夏にNHKのBSでは、ウィーンからプラハまで500キロ(茂山宗彦と黄川田将也)とフランス国境からからローマまで1200キロ(蟹江一平と猪野学)のツーリングをやっていた。若いから上り坂でも思いっきり漕いで登るし、雨でも走ったようだ。ツールド・フランスに日本人の選手が出て活躍したり、レーサーの片山右京もサイクリング・ツアーのコラムを新聞に書いている。車やオートバイよりエコだし、マラソンよりは体への負担が軽いからだろうか。

forest78-2.jpg ・漕ぐのに慣れて、それなりに早く走れるようになると、もっと速く走っている人が気になるようになる。だから、すーっと追い抜かれたりすると無気になって追いかけたくなるが、それはきっと、自転車のせいだと思って追わないことにした。僕の自転車はロードとマウンテンに共用できるクロスバイクだからタイヤが太いし、折りたたみだから部品も多く、フレイムも頑丈にできている。当然重いわけで16kgもある。ロード専用の自転車はタイヤが細くて、フレイムも軽量にできているから8kgほどしかない。速く走ろうと思ったら軽い自転車にするのが一番だが、値段は10万円を越えるのが普通だ。

・仕事が始まって少し疲れが残っていたが、10月になって最初のサイクリングは、西湖まで行ってきた。途中80mほどを一気に駆け上がるので大変だが、その一番きついヘアピン・カーブを登り切ったところで、大きな山栗を二つほど見かけた。しかし、止まってしまうと後が続かないので、そのまま漕いで帰りに拾うことにした。西湖を一周して帰り道を下ってくると、大きな栗の木があって、その下に、栗の実がいっぱい落ちていた。ポケットいっぱいに詰め込んだが、思わぬ収穫だった。我が家の周辺で採れる栗の何倍も大きな栗だから、皮をむいたら冷凍にして、正月の栗きんとんにとっておくことにした。

 

2009年9月27日日曜日

BOSEの音


・夏の間も、一枚のCDも買わなかった。だから、このコラムで紹介する CDもないのだが、Amazonで探しても、気になるものは何もない。ビートルズのリマスター盤が話題になったり、マイケル・ジャクソンが相変わらず売れていたりといった状況は、音楽の夏枯れそのものを象徴しているように思えてしまう。もうCDも溢れるほどあって、毎日聴くものに困ることもないのだが、新しいものがないと、何となく物足りない。

beck1.jpg ・ジェフ・ベックとエリック・クラプトンが2月に日本で競演をした。それにあわせてNHKが放送したジェフ・ベックのライブが気に入ったのですぐに購入した。もう60代半ばだというのに昔のままの痩せたからだで、ピックを持たずに演奏する姿に興味を持った。隣でベースを弾いていたのが孫ほども年の違う少女だった。実は、彼のCDは一枚も持っていなかった。レコードもロッド・スチュアートがヴォーカルをやっていた当時の"Truth" (1968)一枚だけだから、懐かしいと言うよりは、はじめてじっくり聴いたという感じだった。その後何枚かCDを買ったのが、最近購入したCDということになる。

・iTunesにGeniusという機能がついて、一つ曲を選ぶと類似したものを集めてくれるようになった。 iPodでは、それを使って作ったリストばかりを聴いている。だから、CDそのものは、買ってしばらくの間だけということになってしまっているのだが、そのCDを何ヶ月も買っていないから、CDをかけないことが普通になってしまった。こんな状態が続くと、音楽をCDで買う習慣も忘れてしまうかもしれないと思ったりもしている。とは言え、まだ一度もiTunes Storeで買ったことはない。

bose1.jpg ・もっとも、パートナーの工房ではCDがかかっている。しかし、そのCDプレイヤーが壊れて、新しいものを買うことになった。彼女はシンプルで安いのでいいと言ったのだが、僕は前から気になっていたBOSEのWave Music Systemを勧めた。以前に御殿場のアウトレットで聴いて、いい音が出ると思っていたからだ。コンパクトだけど他社の製品に比べると随分高いし、まったく値下げをしない。性能に自信があるのか、薄利多売を嫌っているのかわからないが、Amazon経由で買うことにした。

・注文すると数日で届いた。さっそく工房のロフトにおいて聴いてみたが、確かに音がクリアで低音が効いている。建物(鉄骨、モルタル床)のせいか音が堅い感じがする。置き場所にもよるのだろうと思って、母屋に持ってきて聴いてみた。ある程度ヴォリュームをあげると、室内によく響く気がした。しかし、壁に吊ったBOSEのスピーカーのほうがやっぱりいい。本体にはボタンが一つもない。すべてはリモコン操作だが、ヴォリューム以外に音質を調整する機能は何もない。いい音はこれ以外にないという姿勢だが、場所によって音は随分違うから、聴く者に選択する余地を持たして欲しいと感じた。

・工房の決まった場所で、同じヴォリュームで、作業の邪魔にならない程度に心地よい音楽を鳴らす。そういう意味では、悪くないと思う。

2009年9月21日月曜日

模倣とミラーニューロン

 

Tarde.jpg・「模倣」という行為は、得てして低い評価をされがちだ。コピーではなくオリジナル、偽物ではなく本物、ものまねではなくクリエイティブなものをというのが、一般的な発想だろう。しかし、人間にとってほとんどの能力は、まず「模倣」から始まるのも事実なのである。そしてその重要性は、さまざまな社会学者によって繰りかえし強調されてきた。

・たとえば、群集や公衆の分析で有名なタルドは、その『模倣の法則』のなかで、「模倣」が生殖に匹敵する社会的な反復作業だと指摘している。つまり、生殖が遺伝子情報の伝達であるように、「模倣」は社会や集団に記憶された情報の伝授だというのである。誰に習わなくても本能としてできることと、まねをし、学習をして身につけることの違いと考えたら、それは生物全般に共通した、生きるために必要なふたつの情報や能力だということはわかるだろう。そして、人間には、他の生物に比べて、圧倒的に、後天的に身につけなければならないものが多いのである。

・このことは、自分が誰であるかを確認する「アイデンティティ」ということばに注目したらよくわかる。それは何かに「同一化」することによって自分を確定させる行為であって、もともとあったものを見つけることではないのである。これはフロイトの「超自我」、G.H.ミードの「me」、そしてエリクソンの「アイデンティティ」などに共通した認識である。ただし、そうして自覚していく「私」という意識が、自分のからだ、とりわけ脳のなかのどこにあるのかということは、つい最近になるまでほとんど問題にされてこなかった。脳のどこかと考えることはあっても、それは何か神秘的な領分として、曖昧にされたままだったのである。

neuron2.jpg ・ところが、最近の脳科学のめざましい進歩が、人間の意識や能力について、脳のどこの部分のどんな働きによっておこなわれ、制御されているのか、といったことが明確になりつつある。脳のなかで情報の処理と伝達をおこなう組織は「ニューロン」と呼ばれる「神経細胞」である。その動きは、具体的には電気と化学物質によっておこなわれるから、さまざまな実験をして、その動きを突きとめれば、何をした時に脳のどの部分でどんな働きが起こるのかがわかるのである。

・「ミラーニューロン」は別名、「ものまねニューロン」と呼ばれている。他者が何かをしている時に、それを見るという行為のなかで、脳が反応する部分は、同じことを自分がする時にも同様の反応をする。それはたとえば、何かを手に持つという行為や、何かを食べるという行為など、ありとあらゆることに及ぶものである。しかも、同様の反応は猿などにも見られるが、人間は比較にならないほど強く複雑であるようだ。もっとも、発見のきっかけになったのは猿を実験した時の思わぬ結果からだった。

neuron1.jpg・「ミラーニューロン」を発見したのは、『ミラーニューロン』の著者であるイタリアのパロマ大学に所属する、ジャコモ・リゾラッティとコラド・シニガリアを中心としたチームである。もう一冊の『ミラーニューロンの発見』はアメリカのUCLAに所属するマルコ・イアコボーニが書いている。その発見の当事者たちと、研究仲間という違いがあるが、二冊の本に書かれていることはよく似ている。

・「ミラーニューロン」は人間という生き物に特に顕著に見られる脳の組織で、「模倣」という行為に大きく関連したものである。ということは、「模倣」は常識的に考えられているように低級な行為ではなく、きわめて高度な能力なのだということになる。だからこの本を読んでの教訓は、けっして「模倣」を馬鹿にしてはいけないということだろう。人間のクリエイティブな能力は、「模倣」によって獲得した土台があってはじめて発揮されるものである。そうであれば、オリジナリティへの評価は、もっと相対化して考える必要がある。