・電通総研がしたメディア信頼度についての調査によれば、日本人の72.5%が新聞や雑誌を信頼しているという。この数字だけでは特に気になることではないかもしれない。しかし、同じ調査結果を他国と比較してみると、その違いに驚いてしまう。つまり、メディアの信頼度はアメリカでは 23.4%、ドイツが28.6%、フランスが38.1%で、イギリスではわずかに12.9%しかないからである。この違いを、どう理解したらいいのだろうか。
・日本人のメディアへの信頼度の高さは、たとえば、民主党の支持率が昨年の衆議院選挙前に急上昇して自民党の惨敗を招いたことや、最近の鳩山政権や民主党の支持率の急落をみればあきらかだろう。世論はメディアの思うままに操作されていると言えばそれまでだが、しかし、こんな結果になるのは、そのメディア自体がまた、世論の動向に左右されているからで、そのことが、ことの表層にばかり注目して、本質を見失う結果をもたらしているのである。
・普天間基地をどうするかが鳩山政権の浮沈を大きく左右する課題だと言われている。沖縄が半世紀以上にわたって担ってきた負担をどうしたら軽減できるか。一番の目標はここにあるはずなのに、この点を議論の中心におこうとするメディアはほとんどない。本土にある既存の基地への移転のニュースが流れると、即座に「断固反対!」という声明が出されるが、そこには、沖縄が負ってきた犠牲をどうするかといった発想は見られない。そもそも米軍基地がなぜこれほどの規模で必要なのかといった議論も含めて、一から考え直してみようとする余地がまったく生まれないのはどうしてなのだろうか。
・疑問点はまだまだいくらでもある。佐藤栄作元首相がノーベル平和賞を与えられたのは、「非核三原則」が大きな理由だった。自民党政権はずっと、「非核三原則」の遵守を言い続けてきたのだが、それが嘘であることが明らかになったのである。しかも、残しておくべき機密文書の多くが見つからないのだという。メディアはこのことをなぜ、大きな問題にしようとしないのだろうか。
・本質ではなく表層をおもしろおかしく揶揄し、こき下ろし、嘲笑する。その特徴が顕著なのは週刊誌だろう、、新聞に載る週刊誌の広告には、毎週、民主党政権の駄目さ加減と、今すぐ転覆するかのような見出しが列挙されている。そんな「空気」にうんざりしていたのだが、「週刊朝日」の「「民主党チェンジ、じわり進んでいる」という見出しに「へえー」という思いを感じた。
・半年経ってもできないことではなく、できたことに注目してみる。自民党と変わらないことにではなく、変わったことを評価する。半世紀も続いた政権が代わったからといって、すぐに何でも変わるわけではない。そんな当たり前のことを、当たり前に主張することが、きわめて新鮮に感じられた。
・米軍基地や巨額な借金財政をどうするかといった問題は、その解決の道を、時間をかけて少しずつ模索していくほかはないことである。週刊誌は、そんなことにはお構いなしに、目先の売り上げばかりを考えるし、テレビは視聴率を上げることしか眼中にない。そんなメディアを国民の4人に3人が信頼しているというのは、国民もまた、自分の目先の利害を離れたことには無関心で無責任だということになる。
・メディアを信頼しないというのは、即、不信感をもっているということとは違う。それは、信頼できるかどうかをその都度自分なりに判断する批判的な態度で接触していることを意味している。メディアに対する72.5%という信頼度に見られるのは、何より、個々人が持つべき批判精神の欠如なのだろうと思う。メディアへの信頼度は個々のメディア、その都度の情報や、出来事に対する姿勢に対して、それぞれ判断すべきことなのである。