2010年3月8日月曜日

木村洋二さんを偲ぶ会


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・昨年の夏に肺癌で急逝された木村洋二さんを偲ぶ会が関西大学で催された。若い頃から親しくしてきた友人で、彼の死は僕にとっては驚きの出来事だった。そのことについてはすでに「友人の死」という題名で書いている。

・大阪に行くのは本当に久しぶりで、関大にはもう10年以上行っていない。だから懐かしい気がしていたのだが、朝からあいにくの雨。「笑い」の木村に似合わない天気で、「どうしちゃったの木村さん」と言いたくなってしまった。
・大学にはよく、正門にいたるまでの通りに、本屋や喫茶店、食堂や麻雀屋が軒を連ねる風景があった。関西では関大が一番気に入った通りだったのだが、日曜日とは言え、それらしい店がほとんどなくなっていて、何とも殺風景に感じた。もっとも、本屋や喫茶店、そして雀荘がなくなったのは、どこの大学でも一緒で、似通った看板のゲームセンターやコンビニが増えている。

・偲ぶ会は献花からはじまった。数百人もの人が集まる盛大な会だったが、涙を流す人は誰もいなかった。反対に、外の天気とは違って、話す人の誰もが一度や二度の笑いをとり、終われば拍手が起こるような雰囲気だった。スクリーンに映しだされた何枚もの写真に写った彼の顔はどれも笑っていて、ビデオからは高らかな笑い声が聞こえてきた。それにつられて、思わず笑ってしまったが、笑い声はあちこちから、ときにはどっとおこった。

・話をされた人たちに共通していたのは、木村さんが俗人ではなかったと言うこと。仙人のような風体はもちろんだが、絶えず何か考え事をしていて、何か思いつくとカードに書き込んでは考えこんでいたこと、誰とでも話をし、興味が湧けば時間も場も忘れて話し込み、議論もしたこと等々、ぼくにも思い当たることが多かった。

・人間や人間関係、そして人がつくる世界の不思議さに、いつでも子どものように夢中になる。いくつになっても、それこそが生きる意味であるかのように振る舞う人だった。偲ぶ会に集まった人たちに共通しているのは、そんな彼のイメージに対する愛着や憧憬、そして呆れの気持ちだったのかもしれない。その意味では彼は社会学者であるよりは哲学者であり、また世界や人間に距離を置く研究者である以上に宗教家であったと言える。もちろん、それは「笑う宗教」だ。

・笑いと拍手の偲ぶ会というのは、いかにも木村さんらしいものだと思ったが、それはまた、関西であればこそ生まれる雰囲気だとも思った。東京では決してこうはいかない。親しい人の死を偲ぶ気持ちは。本当はもっと生きていて欲しかったと思うから生まれてくるものだ。だからまず悲しくなるのだが、しかし、そこには、そう思うことが正しくてもっともらしいのだという暗黙の前提や強制が感じられることも多い。

・不意にいなくなって悲しいのは当たり前だが、それではなく、出会えてよかったと思えること、一緒にいて楽しかったと言えることを話題にする。だから、涙よりは笑い。木村理論を証明するような会だった。
・帰り道は途中から雪に変わる、数日前には初夏のような天気だったのに冬に逆戻り。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。