2010年10月4日月曜日

そうかな?って思うことばかり

・ここのところ、目にするニュースに首をかしげることが多い。僕がへそ曲がりのせいなのかもしれないが、どこでも、誰もが同じようなことを言い過ぎる。余りに儀礼的であったり、社交的であったりするし、また無礼であったり、偉ぶっていたりもする。だから、そのたびに、「そうかな?違うんじゃない?」とつぶやいてみたくなる。

・例えばイチローが今年も200本を越えるヒットを打った。ものすごい記録だと思う。しかし、彼が所属するマリナーズは今年も地区最下位で、早々と優勝戦線から脱落している。孤軍奮闘のように書かれたりするが、本当にそうなのだろうか。野球はチーム・スポーツだから勝つことが一番で、そのためにどう貢献したかが最大のポイントになる。イチローの今シーズンの成績は、安打数は一番だが四死球は60位以下、得点は50位台で安打数だけが突出していることがわかる。

・マリナーズに来ると成績ががた落ちして、よそに移るとまた活躍する。そんな選手が結構いる。理由はわからないが、マリナーズには優勝に向かって選手の気持ちを鼓舞して一つにするリーダーが見あたらない。それは誰よりイチローが果たすべき役割のはずである。もっとも、その役割を担ったWBC では、極度の不振と胃潰瘍に悩まされたから、彼の一番苦手なところなのかもしれない。

・白鵬が千代の富士の連勝記録を超えて、今場所も全勝優勝をした。朝青龍とは違って心技体の備わった名横綱だと賞賛されている。来場所には伝説的な双葉山の69連勝を越えるかどうかで大騒ぎになるのだろうと思う。しかし、朝青龍が辞めさせられずに続けていたらどうだったかと考えると、彼の記録は、朝青龍に浴びせられた非難や批判があったればこそではないか、と言いたくなってしまう。白鵬が強いのではなくて、他の力士が弱すぎる。だからニュースにはなっても盛りあがらない。先場所はともかく今場所も、客席は閑古鳥の日が多かった。

・相撲について気になることをもうひとつ。魁皇が今場所もやっと勝ち越して、次の九州まで首をつなぐことができた。その姿勢に大絶賛で、死力を尽くしてよくがんばったと言った声が繰りかえされた。しかし、彼はもう何年も前から8番程度しか勝てない大関で、引退した千代大海同様、相撲をつまらないものにした張本人でもあったのである。

・とは言え、一番首をかしげるのは、何と言っても政治に関連した出来事だろう。尖閣列島を巡る中国と日本のやりとりについて、中国の強硬さには驚きを感じたが、それに対応した日本政府のだらしなさを批判する声にも驚くやらあきれるやらで、その感情的で短絡的な反応におもしろさと怖さの両方を感じてしまった。確かに、船長釈放の後に「謝罪と賠償」を請求されたり、フジタの社員が拘束されたりと、日本がやられっぱなしと言う印象は明らかだ。けれども、中国の態度は日本に向けられているばかりでなく、それ以上に、国内にも向けられている。そのことの意味を感じ取らずに、ただただ負けて悔しい、恥ずかしいと言った反応ばかりがめだったようだ

・政治はドラマであり、またゲームである。中国をはじめとした旧共産圏の国では、そういった色彩が過度に強調されてきた。そのわざとらしさは現在の北朝鮮の様子を見れば一目瞭然だろう。それに比べて日本の政治は、ドラマとしては三文芝居のようにお粗末で、客席からはヤジのかけ放題だ。政治家を名指しで「アホ」呼ばわりし、腰抜けだとバカにする。確かに、今の日本にはまともな政治家はいないのかもしれない。しかし、逆に言えば、誰がなってもうまくはいかないほどむずかしいのだとも言える。

・日中の問題は、中国の強硬さに対する欧米の政府やメディアの批判によって、ちょっと局面が変わってきた様子だ。ひょっとしたら日本の弱腰が「負けるが勝ち」「損して得取れ」といった流れになるのかもしれない。そうだとすると、それは日本人の得意なパターンだが、最初からそれを狙っていたわけではないはずだから、政治家は相変わらず、バカにされる対象でしかないのかもしれない。

2010年9月27日月曜日

iphoneに竹製のケースはいかがですか?

 

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・僕は道具を買うと必ずケースも買うことにしている。愛用のブラックベリーも皮のケースに入れているが、iphone用の竹製のケースを見ていっぺんで気に入ってしまった。ただし、残念ながらバラックベリー用はないから、つけかえることはできない。

chaboo1.jpg・実は、このケースを作っているのは、僕の友人の息子さんたちだ。そのK君は日本生まれだが、父親の仕事の関係で幼い頃にアメリカに行き、ポートランドで育って、家具などを作る工房をはじめて自分の仕事を自分で見つけだしてきた。竹を素材にし、日本の卓袱台(ちゃぶだい)をモチーフにして作った家具のシリーズには"Chaboo"という名前がつけられている。

logo.png ・どういういきさつかは知らないが、K君が竹を素材にしたiphoneのケースを思いついてネットで販売しはじめると、あっという間に 3000を越える注文が舞い込んできたそうだ。友人たちに呼びかけて起業した会社が途端に忙しくなり、本格的な生産を始めたのである。会社名は「grove」で竹の葉をあしらったロゴも作った。弟のY君もサイトの構築に力を発揮して、兄弟でがんばっている。

・そんな彼らのところに1週間ほどお邪魔をした。3000のオーダーをさばくのに懸命で、僕も、最後のオイル塗りを手伝い、彼らの作業場を何度か訪ねたりもした。若い人ばかりの熱気のある場は楽しそうだったが、K君は作業の工程、製品のできばえ、そしてスタッフの仕事ぶりなどをチェックして、弟のY君と議論を重ねていた。起業をして、仕事が動き出した時に若い経営者がどんなことに悩み、気をつかい、さらなる野心を抱くか。そんな様子が間近にできて興味深い時を過ごすことができた。

・訪ねてからすでに一月以上が過ぎた。オーダーをさばいて発送することができたのだろうか。さらなるオーダーが順調に来ているのだろうか。スタッフとの関係はうまくいっているのだろうか。ガールフレンドを放りっぱなしにしてはいないだろうか。寝る間も惜しんで仕事に追われていたから、体も心配だ。と、まるで親が心配するように気になるが、きっとうまくやっているのだろうと思って、あえて聞かないことにしている。

・このケースはもちろん、インターネットで注文できて、アメリカから日本へ発送が可能だ。裏面には自分の好みのデザインが注文できるから、気に入った人は「grove」に出かけてみて欲しいと思う。

2010年9月20日月曜日

アナログ、デジタル、有線、無線

・テレビ画面の上下に、アナログ放送の終了を告げるテロップが常時流れるようになった。何とも邪魔くさいから、見えないように画面調整すると、今度は字幕が読めなくなってしまったりする。まったく迷惑な話で、ますます地上波を避けるようになった

・すでに何度も書いてきたが、我が家は難視聴地域にあって、アナログの電波も届きにくかった。それはデジタル化しても同じで、アンテナを立てても見えない可能性の方が高いという。総務省はすでに、難視聴地域用にBSのチャンネルを使った地デジ放送を開始しているが、地域の選定は遅々として進んでいないようだ。やることをやらないでおいて、国民にはさっさと対応するよう請求する。だから邪魔なテロップを見るたびに腹が立ってしまう。

・そもそも、この地デジ化の方法は、将来の多様な電波利用の可能性を考えて決められたものではない。デジタル化にあたって最も考慮されたのは、既存の放送局の既得権を守ることだったようだ。だから多額の費用がかかり、国民に負担も強いている反面で、インターネットやケータイ電話に周波数を割り当てるという、将来的な可能性にはあまり目が向けられることがなかった。国会でほとんど議論されずに決められ、新聞もテレビも既得権のために、ほとんど問題にしてこなかった。こういう姿勢は、何も電波行政に限ったことではないが、ボーダレスにグローバル化したネットの現状は、狭い世界の既得権など無意味にしてしまうほど進んでもいるのである。

・3週間アメリカとカナダを旅行している間に見られなくて気になったテレビ番組が二つあった。NHKの「龍馬伝」と「ゲゲゲの女房」(パートナーのみ)である。ポートランドの友人宅でそのことを言うと、日本のテレビはほとんどネットで見ることができるという返事で、喜ぶやら驚くやらしてしまった。で、出発後に放映した二つの番組を、しっかり見たのである。これはもちろん、アメリカだから可能だったというものではない。ブロードバンドでネットに接続してれば、日本でも、そして世界のどこにいても可能なサービスで、契約などしなくても接続することのできるサイトがいくつも存在するのである。ちなみに、「龍馬伝」には韓国語の字幕がついていた。

・我が家はまだISDNという化石のような回線を使ってネットに接続している。だからネットでテレビというわけにはいかないのだが、アメリカでの経験で、日本の地デジ化がいかに意味のないものであるかということが、はっきりわかった気がした。電波のデジタル化は、テレビやラジオ、電話やネットといった既存の区別を無意味化する。それぞれが融合した形で、どのように進化するかが、今後の方向なのだとすれば、テレビの地デジ化が、きわめて古くさい発想の元におこなわれたものであることがわかるはずである。何年もたたないうちにテレビの地デジが廃止されるといったことが起こったとしたら、その責任はいったい誰が取るのだろうか。

2010年9月13日月曜日

P.F.スローンって知っていますか?


P.F.Sloan "Sailover" "Here's Where I Belong: Best of the Dunhill Years"
Jimmy Webb "Just Across The River"

sloan2.jpg・P.F.スローンは高校生の頃に気に入ったミュージシャンの一人だった。とは言え、最初に彼の名前を知ったのは、バリー・マクガイヤーが歌った『明日なき世界』のソングライターとしてである。「破壊前夜」(Eve of Destruction)という原題の通り、ヴェトナム戦争や保有する核を競う米ソの冷戦などを強く批判した反戦歌で、アメリカでは1965年に大ヒットしている。その彼が歌った『孤独の世界』が翌年発表されて、僕はすっかり気に入って、『明日なき世界』とともに日本語に訳して歌ったりした覚えがある。その時はわからなかったが、この歌はアメリカではまったくだめで、日本だけでヒットしたようである。それも、66年ではなく、69年のようだ。気に入ってから3年もたってのヒットだったのだが、その辺の記憶は僕にはない。

・「孤独の世界」の原題は"From a Distance"である。直訳すれば「遠くから」とか「遠く離れて」となるのだろう。これがなぜ「孤独の世界」になるのか、訳して歌おうと思った僕を悩ませた問題だったように思う。学校の教科書にある英文には興味はないが、歌を訳すことには夢中だった僕にとって、この歌の出だしの'Have you ever heard a lonely church bell ring'が教科書に出てくる'Have you ever~'(〜したことがありますか)という文型と重なって、すぐに訳せたし、後々忘れなかったことなど、今ふり返ると、思い出すことは少なくない。

sloan1.jpg ・すり切れてしまったドーナツ盤のレコードしかもっていないから、もう何十年も聴かなかったのだが、Amazonでふと思い出して検索してみると、若い頃のレコードをCD化したものだけでなく、最近のものもあることを見つけて、さっそく購入した。ジャケットに写っている顔はそれなりに歳を取っている。歌う声もずいぶん違うから、聴いていて懐かしいというよりは新鮮な感じがした。『明日なき世界』などの古い曲ばかりでなく、新しい歌を今でも作っていることもわかって、気に入って何度も聴くようになった。

webb1.jpg ・アメリカから帰ってすぐに、FMの「バラカン・モーニング」を聞いていると、「P.F.スローン」という題名の曲がかかってびっくりした。歌っているのはジミー・ウェッブとジャクソン・ブラウンで、ウェッブのアルバム"Just Across The River"におさめられているという。さっそくAmazonで購入することにした。ジミー・ウェッブはシンガーよりはソングライターとして名高い人で、この歌では、70年代以降すっかり忘れられてしまったスローンがウェッブのヒーローであったことが明かされている。

・70年代以降のポピュラー音楽には、ニール・ヤングやジェームズ・テイラー、そしてジョニ・ミッチェルといった内省的な歌を歌うミュージシャンが数多く登場したが、そんな雰囲気を先取りしたP.F.スローンはなぜか消えてしまった。ウェッブが歌うそんな思いは一緒に歌っているジャクソン・ブラウンにも共通したものだったようだ。この歌の説明として、ウェッブがかつて住んでいた家がジョニー・リバースの家だったことが書かれている。ジョニー・リバースにはいくつもヒット曲があるが、その中にはウェッブの他にスローンが作ったものもある。意外な曲だが、"Seacret agent Man"(秘密諜報員のテーマ)というよりは『スパイ大作戦のテーマ』である。二人はジョニー・リバースを仲介にして重なり合うわけで、この意味でも、ウェッブにとってスローンが消えてしまったことが気になっていたのである。

・だからウェッブの歌は「ぼくはP.F.スローンを探していた/彼がどこに行ってしまったのか、誰も知らない」で始まっている。カムバックしたP.F.スローンがこれからどんな曲を作り、どんなアルバムを作るのか。そんな期待を感じさせる曲であることは間違いない。

2010年9月6日月曜日

旅の終わりに

 

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・旅の終わりはシアトルで、最後の日はワシントン・レイクを散歩して、夕食後に夕日を見にリッチモンド・ビーチまで出かけた。シアトルにはボーイングやマイクロソフト、それにアマゾンコムなどの大企業の本社がある。そのせいか湖畔を望む場所に大邸宅が並んでいるし、ヨットや水上飛行機の数がやたらに多い。それに、緑が多い。森の中に街があるという感じで、それはポートランドにも共通した特徴だった。アメリカで一番暮らしたいところというキャッチふれイズに偽りはない気がしたが、どちらの街にもホームレスや物乞いが目立った。貧富の格差がよくわかる街でもあった気がする。

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・シアトルとポートランドで気づいたことがもうひとつ。僕が愛用するスバルがやたらに目立ったことだ。雪が降って坂道の多いポートランドでは、確かに4駆のスバルは有効だろう。そう言えば、宿泊したティンバーライン・ロッジの広報車も新型のアウトバックだった。少なくともこの二つの街では、スバル車はトヨタやホンダに負けていない。アウトバックのモデルチェンジがアメリカ好みになったのも頷ける気がした。ちなみに、僕の車は旅行中三週間以上、成田空港近くの駐車場に置かれたままになっていて、24万キロ越えのご老体だからバッテリー上がりでもしているのではと心配したが、キイを入れると元気よく動き出した。

 


forest86-3.jpg・それにしても日本の夏は暑い、暑すぎる。そのことは飛行機から降りた瞬間に実感した。まるでサウナ風呂に入ったような感覚で、さわやかなシアトルの風が懐かしくなった。もっとも首都高速の大渋滞を我慢して河口湖に帰ったら22度で、ほっと一息。ただし、閉め切った家の中はカビの大繁殖で、掃除に数日間追われることになった。雑草も伸び放題で、庭の通り道がなくなってしまっているほどだった。薪を運ぶ進入路もごらんの通りで、今さらながらに植物の生命力にびっくりしてしまった。

forest86-4.jpg・インターネット環境の変化は海外旅行するたびに驚くことの一つである。5年前にイギリスとアイルランドに行った時には、ホテルでお金を払って接続したし、アイルランドではネットカフェを探すのに苦労するほどだった。それが翌年のスペイン旅行では、場所によってはワイヤレスで繋がるホテルもあってびっくりした。さらにその2年後のフランス旅行では、パリのホテルでロビーに行けばワイヤレスで繋がるのが当たり前になった。

 

forest86-5.jpg・で、今回のカナダ・アメリカ旅行ではWifiである。成田は限定的だったがサンフランシスコもシアトルもバンクーバーも、空港ではどこにいても繋がったし、それは鉄道の駅や図書館などの公共の場でも多かった。スタバは当然だが、カフェやレストランでも同様のサービスをしていたから、毎日ブログを更新したいパートナーにとっては大歓迎だった。もちろん、滞在した友人の多くもワイヤレスでどこでもネットが使えるようになっていたから、家にいるときよりも便利に使えた。

・何よりありがたかったのはスマートフォン(ブラックベリー)が使えたことだった。ケータイでは海外で使える手続きをして高額な使用料を払わなければならないが、Wifiが利用できればネットに接続することができる。このサービスがiPhoneをはじめとしたスマートフォンの爆発的な普及にあることは明らかだ。僕は日本ではほとんど街中に行かないし電車にも乗らないが、接続料のいらないWIFI環境は、どの程度に普及しているのだろうか。
・ともあれ、家に戻って、いまだにISDNで接続している我が家のネットの遅さに戸惑ってしまっている。ケーブルTVと契約して、ワイヤレスで家のどこでもつなげられるようにしようかと思い始めているが、パートナーがその気でないから実現できるかどうか。

2010年8月30日月曜日

スタッズ・ターケル『自伝』原書房

 

terkel1.jpg・スタッズ・ターケルはインタビューを得意にしたジャーナリストだった。ごく普通の人から普通でない話を聞き出す名人だが、ぼくは彼の著書の一部を、もう20 年以上前に訳したことがある。100人を越える人びとへのインタビューによって一冊の本を作るというスタイルで、彼は何冊もの本を書き、ピューリッツー賞も取ったが、2008年に亡くなった。その彼が2007年に出したのがこの自伝である。日本では2010年の3月に翻訳された。

・ターケルは「口述の歴史家」と言われる。しかし、彼はみずからを歴史家などとは規定しない。確かに、彼が出した本は、大恐慌や第二次大戦をテーマにしているが、それは多くの人へのインタビューを通して、歴史を研究するためではなく、一人一人の人との心の交流を大事にするからだ。要するに「わたしは人の話を聞くのが好きなのだ。それに、話を聞きながら自分もしゃべれる。」

・『自伝』にもまさにそんなふうにして、彼の歴史というよりは、折々の出来事と、そこで出会った人たちの話が語られている。ニューヨークで生まれたが9歳でシカゴに引っ越した後、彼の生きる場はずっとシカゴだった。シカゴ大学のロースクールを出た後弁護士にはならず、芝居の役者やラジオのDJ、あるいは番組のシナリオライターなどをやり、取材の時に培ったインタビューの術が生かされて、本を書くようになった。

・その本のテーマは、シカゴを題材にした『ディビジョン通り』、大恐慌をふり返った『つらい時代』、第二次大戦を語った『よい戦争』、公民権運動と『人種問題』、そして、レーガン大統領以降に現実化した『アメリカの分裂』、あるいは人びとが日々感じた『仕事!』の中での喜びと屈辱や『アメリカン・ドリーム』、そして『死について!』と続いた。どの本も、その分厚さが目立つ大著だが、それはまさに、おしゃべり好きのターケルならではという、話の連続になっている。

・『自伝』もまた400ページを越える大著だが、その中身の多くは大恐慌から第二次大戦後の赤狩りの時代に割かれている。この本に登場する出来事とそれにまつわる人びとは、彼にとって語るに値する人間たちである。その理由をターケルは次のように書いている。

わたしの人生観を変えた経験は‥‥‥政治的な面だけでなく、あらゆる面で‥‥‥大恐慌だ。わたしはその場にいて、そのこんなんな時代がまともなひとたちにどんな打撃をあたえたかを目の当たりにした。そして人生観を変えた大発見とは、人は特殊な状況に置かれたときどうふるまったかが問題で、どんなレッテルを貼られたかは問題ではない、ということだった。誰かを「共産主義者」「赤」「ファシスト」と呼ぶのはたやすい。しかし人として真価を問われるのは、ある瞬間にどんな行動を取ったかということなのだ。(242頁)

terkel2.jpg・どんなめにあってもへこたれない、どんなにつらい、厳しい状況におかれても諦めない。ターケルの本からは一貫して、こんなメッセージが読み取れる。そのことを前面に出してテーマにしたのが『希望』だ。原題は「希望は最後に死ぬ、むずかし時代に信念を持ちつづけること」である。
・その中に登場するフォーク・シンガーのピート・シーガーのことは、『自伝』の中でも何度も語られている。大恐慌の時代と労働運動、赤狩りの時代への抵抗、そして黒人差別に反対した公民権を求めた活動‥‥‥。そのピート・シーガーは90歳を過ぎた今でも健在で、オバマ大統領の就任式では元気に『我が祖国』を歌った。2008年の10月に死んだターケルは、オバマ候補の出現をどんな風に感じていたのだろうか。そのことを彼の言葉として聞くことはできないが、シカゴを地盤にしたアメリカ初の黒人大統領の実現は、彼にとって希望を託す存在になったのは間違いない。

2010年8月23日月曜日

ポートランド、Mt.フッド

 

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photo56-2.jpg・ポートランドは森に囲まれ、大きな川が流れるきれいな街だ。ここを訪れるのは2回目で五年ぶりのことになる。滞在した友人宅は小高い丘の上にあって、街を眼下に見下ろせるが、家の周りは大きな木がいっぱい生えていて、森の中に住んでいるようである。近くにある動物園も、もともとの森をいかして、うまく作られている。だから一通り見て回るのに、たっぷりと3時間歩いた。平日だったが親子連れで賑わっていて、子ども達が興味深そうに動物を見ていたのが印象的だった。
・けれども、街中にはホームレスや物乞いが目立って、景気の悪さも感じさせた。老若男女、さまざまな人たちが、金をくれとせがんでくる。

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・ポートランドの東にMt.フッドがある。富士山に似た火山で先が尖ったきれいな形をしていたが、出かけてみると、その様子はまるで違っていた。火口の半分は南側で崩れ落ちていて、万年雪が多く残る斜面には、夏でも滑れるスキー場があった。宿泊したTimberline Lodgeはジャック・ニコルソン主演の「シャイニング」の舞台になったところだ。木製の重厚な山小屋で、スキー客で賑わっていた。早朝散歩に出て、スキー場まで400mほどあがって日の出を見たが、すでに滑っている人がいた。

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