・衆参同日選挙が真実味をおびてきた。18歳に選挙権が引き下げられて、高校生も国政に参加をする。その権利を行使するための判断材料は多様で、日本の将来を左右することばかりだから,若い人たちにとっては切実なはずだ。考えなければいけないことはたくさんあるし,そのために調べたり勉強したりすることも多い。友だち同士で,クラスで、あるいは外に出て議論をしたり,行動したりすることが投票に必要なことは明らかだろう
・ところが文科省は高校生の学外での政治活動に制限を加えるような通達を出したし、それに応える県の教育委員会も出始めた。たとえば愛媛県の教育委員会は、県立高校すべてに高校生の学外での政治活動を届け出ることを校則として定めて義務づけることを決めた。勉学に支障が出ないようにというのが表向きの理由だが、高校生の政治意識の高まりを危惧した処置であることは明らかだ。このような動きは今後も続出するだろうと思う。
・実際、「戦争法案」が国会で成立した時には大学生の「SEALD's」に呼応して高校生の「T-ns SOWL」が結成されて,各地でデモが行われた。文科省は18歳選挙権に伴って、政治活動容認という通達も出していて、「違法、暴力的になる可能性の高い活動」「学業や生活に支障がある場合」に限って制限や禁止としている。しかし、この基準は曖昧だから、高校生の政治活動が高まりを抑える理由に使われることはありうる。
・文科省の通達は校内での政治活動については、「授業や生徒会活動、部活動などを利用」を禁止しているし、「放課後や学校構内での活動」を制限している。あるいは「教員の個人的な主義主張を述べない」「特定の事柄を強調しすぎたり、一面的な見解を配慮なく取り上げたりしないよう留意」とも断っている。一見もっともらしいが,他方で高校で使う教科書に政府の見解を盛り込むようにといった要求もして、教科書の検定を行っている。あるいは国旗の掲揚や君が代の斉唱を義務化する動きも顕著だ。
・高校生が授業や課外活動の中で,政治について考えたり,議論をしたり,行動することは,本来禁止されてはいけないことである。それどころか、高校はもちろん、中学や小学校でも、政治意識というよりは、自分の考えをも持つことや,それをもとに議論することはきわめて大事なことのはずだ。しかし、日本の教育制度の中では、そのような授業はまったく設けられてこなかった。政治に無関心という傾向は、そうなるよう仕向けてきた教育の問題なのである。
・だからだろう。大学生が何によらず,自分の意見を持たない、持っていても主張しようとしない、他人の意見に反対しようとしないという態度は、十年一日変わらない傾向である。しかし、それは最近ますます強まってきたように感じられる。ゼミを活性化するには、意見を持つことの必要性や、学生個々を覆っているバリアを壊すことからはじめなければならないのだが、これは至難の業で、諦めてしまうこともしばしばあった。
・他方で「コミュニケーション力」やグローバル化に対応した「語学力」の養成が緊急のこととして叫ばれている。しかし、自己主張や議論を伴わない「コミュニケーション力」は単なる迎合の技でしかないし、「語学力」だって意味はない。そもそも英語は戦うための言語だから、話し聞く力以前に、自己表現や議論の能力をつけなければいけないのだが、そこがまったく理解されていないのである。
・選挙権が18歳に引き下げられ、もうすぐ国政選挙が行われる。国の政治は自分の生活や人生を大きく左右する問題だという意識を大学生はもちろん,高校生が自覚できるいい機会になると思う。それを公権力で歪めてはいけないのである。