1997年6月23日月曜日
『ブルー・イン・ザ・フェイス』 ポール・オースター、ウェイン・ウォン
1997年6月16日月曜日
津野海太郎『本はどのように消えてゆくのか』(晶文社),中西秀彦『印刷はどこへ行くのか』(晶文社)
・ワープロからパソコンに乗り換えたのは、DTP(卓上印刷)が理由だった。ガリ切りから始まって新聞やチラシ、ミニコミを何種類も作ってきたぼくには、印刷を手作りするというのは、長年の念願だった。で、やっとスムーズに日本語が使えるようになったマックに飛びついたが、プリンタ、スキャナ、それにフォント(字体)などを買うと、お金が150万円を軽く超えた。もう9 年も前の話だ。現在のマックは5台目で、ポストスクリプトのレーザー・プリンターが自宅と研究室に一台づつ、学科の共同研究室にはカラーのレーザー・プリンターも入った。お金はもちろん、時間もエネルギーも、ずいぶんな浪費をしたが、おかげで今のぼくには、印刷屋さんに頼まなければならないことは何もない、とかなり自信をもって言えるようになった。
・津野海太郎は晶文社の編集長を長年やってきた。本作りのプロだが、一方でDTPを使ったミニコミ作りもしてきた。『小さなメディアの必要性』(晶文社)『歩く書物』(リブロポート)『本とコンピュータ』(晶文社)『コンピュータ文化の使い方』(思想の科学社)、そして『本はどのように消えてゆくのか』。彼が書いてきた本を読むと、文化としての本、つまり内容だけではなく、装丁や編集、印刷技術といったものに対する愛着心と、コンピュータを使った新しい印刷文化に対する好奇心が伝わってくる。まさに同感、というか、ほぼ同じ時期から、ほとんど同じことに関心を持ち、時間とエネルギーとお金を注いできたことに妙な親近感さえ感じてしまう。
・中西秀彦は京都の印刷屋さんの二代目である。そして、印刷業界のコンピュータ化に積極的に関わり、なおかつその印刷文化との関係を考え続けてきている。『印刷はどこへ行くのか』(晶文社)は前作『活字が消えた日』(晶文社)に続く、彼の2作目の本で、この二冊を読むと、印刷というか文字文化とコンピュータの間に折り合いをつけることの難しさにあらためて驚かされてしまう。
・先代、つまり彼の父親は、世界中の文字(活字)を集めることに熱中した人だった。だから1969年のカンボジア、タイ、香港からはじまって、死ぬ前年(1994年)のブルキナフォソ、ガンビアまで、文字(活字)を求めて訪れた国は軽く百ヶ国を越えている。京都には大学がたくさんあって、中西印刷にくる注文も大学や研究者からのものが多いようだ。当然、さまざまな言語の文字や豊富な書体の漢字が必要になる。だからこそ、どんな文字の注文にも応えられることが先代の誇りだった。中西秀彦はそのような父親の意志を受け継ぎながら、なおかつ、文字のデジタル化、つまり活字の放棄を決断する。
・ DTPを使って作れるものは新聞、雑誌、書籍、パンフ、チラシ、名刺と多様である。けれども、いろいろなホームページにアクセスし、また自前のものを作るようになってから、DTPが過渡的な方法だったのでは、という疑問をもちはじめた。DTPが活字を不要にし、レイアウトや切り貼りの作業をデジタル化したとは言え、最後はやっぱり、紙に印刷する。つまり、できあがったものは何世紀も前から作られていたものと変わらない。モニター上で作ったものを、紙に印刷して完成というのは、何かおかしくないか?そんな疑問を改めて、感じはじめたのである。ホームページに慣れるにつれ、モニタ上で読むことが、あまり苦痛でなくなってきたのである。この感覚の変化は、たぶん重要だ。
・津野も中西も、それぞれの本の中で同じような発言をしている。「印刷革命が最後までたどりついたと思ったのは、紙の上というごく狭い範囲の印刷でしかない。このあと印刷と出版は紙という呪縛から解き放たれる。」(中西)「この三年間は、私のうちでDTPへの関心がうすれ、それに反比例して、デジタル化されたテキストをDTPではないしかたで利用する方法への関心がつよまってゆく過程だったらしい。」(津野)
・辞書や事典などCD-ROMが充実してきた。膨大な情報量の中から一部分を検索するという作業はパソコンにとってもっとも得意なところである。紙に印刷された文章を1ページから順に読んでいくという作業がなくなるとは、もちろん思わない。けれども、そうやって読まなければならない印刷物は、実際には今でもすでに多数派ではない。ぼくは英語の本をかなり買うが、テキストの方がキイ・タームを検索しながら能率的に読めるのにと思うことがよくある。翻訳ソフトがもっと賢くなれば、一気に日本語に変換させて読むといったことだってできるはずだ。いずれにせよ、読書の質が変わっていくことは間違いないから、紙に印刷といった形態が主流でいられる時代がいつまでも続く保証はどこにもないはずである。せっかくDTPをわがものにしたぼくにはちょっと寂しいことだが、同時に、ホームページにもっともっと時間とエネルギーを割いてみたいという気もしている。
1997年6月10日火曜日
学生の論文が読みたい!!
1997年6月7日土曜日
『恋人までの距離』Before Sunrise 、『Picture Bride』
1997年5月31日土曜日
Van Morrison "The Healing Game"
・アイルランド出身のミュージシャンには個性的な人たちが多い。U2、エンヤ、シンニード・オコーナー、そしてヴァン・モリソン。サウンドはそれぞれにずいぶん違うが、彼/彼女らの誰もが、アイリッシュであることを表に出す。だから、アイルランドが政治や宗教、そして民族といったさまざまな問題を抱えた国であることが否応なしに自覚される。
・数年前にU2のコンサートに行ったときに、ボノが「今夜はみんなアイリッシュだよ」と言った。ぼくはそのことばにちょっと違和感を感じた。「ここはファー・イーストだよ。『血の日曜日』という曲は知ってても、アイリッシュの心に共感したくてコンサートに来たヤツなんていないだろ」。そう、ぼくにとって、アイルランドは遠いなじみのない国。だから、彼や彼女らの音楽にはたまらなく惹かれる気持ちを持っても、そこにいつでもつきまとう「アイリッシュ」には、できれば脇に置いておきたいという感じを持っていた。
・先日BSでアイルランドを訪れる番組を見た。黒ビールとパブとケルト人の遺跡を訪ねるのがテーマだった。ほとんど木が生えていない土地。というよりは、岩盤の上にわずかに堆積した土だけでできている土地。そこにしがみつくようにして生きてきた人たち。そんな土地からも追い出された人たち。そして、アメリカに逃げた人たち。アイルランドはアメリカに一番近いヨーロッパである。そのアメリカにはアイリッシュの子孫が数千万人も住んでいる。
・長田弘は『アメリカの心の歌』のなかでヴァン・モリソンにふれ「内なる土地」ということを書いている。生きるには厳しすぎる環境、だからこそ、かけがえのないものとして育まれた独特の文化。そんな土地からの追放という歴史が、自らの文化への愛着を持続させる。アイルランド人は心の中にもうひとつの土地を持つ。「内なる土地」は「どこでもない場所であるすべての場所」、「精神の国」。U2が僕らに言ったのはその場所、その国のことだったはずだが、ぼくにはそんなことはわからなかった。だとしたら、その時ぼくは、U2の音楽に何を聴いていたのだろうか?
・ヴァン・モリソンは「ゼム」のリーダーとして「ビートルズ」や「ローリングストーンズ」と同時代にロック・ミュージシャンとしてデビューしたが、1968年にソロ・シンガーとしてはじめてのアルバム『Astral
Weeks』を出した。『T.B.Sheers』(1973)『Wavelength』(1978)などの初期のものから『Irish
Heartbeat』(1988)『Avalon Sunset』(1989)などを経た最近の『Too Long in
Exile』(1993)に至るまで、歌のテーマもサウンドもほとんど変わっていない。変わったことがわかるのはアルバム・ジャケットで見る彼の外見だけである。
ここにまた俺がいる
この街角に戻ってきた
いつも俺はここにいた
すべてが同じ
何も変わっていない
この街角に戻ってきた
癒しのゲームの中で
・『The Healing games』は今年出た彼の最新のアルバムである。歌詞の通り、何も変わっていない。けれども、いつも新しい。というよりは新鮮と言うべきだろう。彼の歌にはいつでも、僕らがとっくになくした、あるいはいまだ手にしたことがない「ハートビート」が確かにある。 (1997.05.31)
1997年5月27日火曜日
ジョゼフ・ランザ『エレベーター・ミュージック』(白水社)
・「エレベーター・ミュージック」というのは聞き慣れないことばだ。エレベーターに音楽なんてあったかしら?そんなことを考えながら、この本を手にした。中身は BGMの歴史といった内容だった。おもしろそうな感じがして買って読んだが、BGMがこんなに多様な世界を作り出してきた(いる)ことに改めて驚かされた。
・クラシックは精神を集中させて聴く音楽だ。だから、コンサートでは物音一つたてられない。ロックは聴衆が一緒になって手をたたき、躍り、歌う。リラックスはしているが、やっぱり、心も身体も音楽に向かっている。そして、音楽の聴取とは、普通、このような聞き方を指す。けれども、それ以外に、僕たちはいろんなところで、いろんな音楽を聴く、あるいは聴かされている。
・ BGMの歴史は電話を使った有線放送に始まる。だから、この本はラジオとレコードに始まる音響メディアの歴史書だといってもいい。サーノフが作った家庭用のラジオ受信機は、はじめは「ラジオ・ミュージック・ボックス」と名づけられた。ある意味では、電話もラジオも音楽を聴くために考案されたということになるようだ。映画がトーキーになると映画音楽というジャンルが生まれた。映画にとって音楽はあくまで背景だが、それによって観客は、物語により没入しやすくなった。やがて職場や公共の場所に音楽が侵入しはじめる。仕事の効率、公共の場での秩序の維持、あるいはちょっとした心の平安、そして騒音の隠蔽.........。
・20世紀になって日常生活のなかに侵入しはじめた音楽は、一方では、人びとの気持ちをリラックスするものとして受け入れられたが、同時に、人びとを管理統制する道具としてもみなされた。公共の場での音楽は、そこに集う人びとのためにあるのか、あるいは、人びとをコントロールしようとする人間のためにあるのか。これは、BGMについて最初からついてまわる議論だが、そのような論争は現在にまで持ち越されている。
・BGMは、さまざまな社会的場面の背景を色づける。特に関心を持って聴くことはないが、否応なしに誰の耳にも入る。ユニークさというよりは最大公約数、味わいというよりは耳障りの良さを心がけて作られる音楽だ。だから、音楽としての評価を受けることはほとんどない。というよりは、音楽に関心のある人には、必ず軽蔑される種類の音楽だと言っていい。けれども、サティが「家具の音楽」と言ったときには、そこには、かしこまって聴くだけが芸術だとするステレオタイプ的な音楽観に対する批判が強くあった。
・20世紀の後半になるとテレビが登場し、若者たちの騒がしい音楽であるロックンロールが生まれた。街にはさまざまな新しい空間が作られ、駅や空港などが巨大化した。そのような場は放っておけば、たちまち騒音が渦巻く空間になってしまう。あるいは音のない、気づまりで気味の悪い時間を作り出しかねない。だから、一定のコンセプトにもとづく音づくりが必要になる。「エレベーター・ミュージック」「ミュージック・フォア・エアポート」。もちろん、音楽による空間の演出は、プライベートな場においても例外ではない。ラジオ、ステレオ、CDラジカセ、そしてカー・ステレオやウォークマンによる好みの音楽世界の持ち運び。
・映画やテレビ・ドラマの世界にはいつでも音楽が流れている。そして、現在では、日常生活の中にどこでも、いつでも音楽が流れていることが自然になった。であれば、なおさら、音のデザインが必要になるはずだ。そんなふうに考えていたら、ふだん乗るエレベータにも音楽がほしくなった。
1997年5月25日日曜日
「矢谷さんと中嶋さん」
・矢谷さんと中嶋さんは職場の同僚だが、最近二人から、それぞれ、本をプレゼントされた。矢谷滋國『賢治とエンデ、宇宙と大地からの癒し』(近代文芸社)、鈴木・中道編『高度成長の社会学』(世界思想社)。いただいたものは読まなければいけないし、それなりの感想を述べなければならない。そうは思うのだが、実はこれがなかなかできない。読まなければいけない本、読みたいと思って買った本が山積みなのである。二人は同世代だが、矢谷さんは大阪、中嶋さんは福井の出身である。
・熟読したとは言えないが、しかし、一応がんばって読んだ。日頃から話として聞いたり議論している内容で、正直言って目新しさは少ないが、だからといってどうでもいいテーマだというわけではない。そこで、書評というよりは、感想を少し書くことにした。
・矢谷さんは現代の社会や生活の特徴を、自然のモノ化ととらえている。それが「作る人を賃金労働者に、作られたモノを商品に、使用する人を消費者に変形することによって、豊かないのちのつながりを分断してしまい、生命的な関わりを貧困化してしまった」と言う。彼は大学の近くに土地を借りて、学生と米や麦を作っている。あるいは学生を連れて山奥でキャンプをする。それは彼によれば、豊かないのちのつながりや生命的な関わりの再発見の試みである。
・中嶋さんは、矢谷さんとは違って近代化を肯定する。「貧しいことよりも豊かであることの方がより望ましいことは確かである。........一定の経済的豊かさのなかで、人はそれなりの選択肢を持つことができる。」農家の貧しさや仕事のつらさを知っている彼には、自然や農業に対する思い入れはない。
・中嶋さんは無類のパチンコ好きだが、矢谷さんから見れば、それは「日常生活の現実を一次的に忘れる」ものにすぎず、真の成長や変革をわれわれにもたらすものではない。しかし、そういう彼もしょっちゅう飲んだくれていて「日常生活の現実」を頻繁に忘れているように見えるし、中嶋さんから見れば、米づくりやキャンプとて、道楽の一つにしか映らないだろう。ちなみに矢谷さんは西宮のマンションに住んでいて、中嶋さんは奈良県の榛原である。山間に不似合いな新興住宅地だが、こちらの方が自然には恵まれている。
・こんなふうに書くと、二人のちぐはぐさを並べておもしろがっているみたいだが、しかし、そんなちぐはぐさは、多かれ少なかれ現代人が共有するものである。
・矢谷さんは現代の豊かさを捨てて昔に戻りたがっているが、中嶋さんはその意見には説得力を感じない。けれども、彼もまた、この豊かさにインチキ臭さを感じている。しかも、豊かさの追求は、今、アジアや中南米、そしてアフリカの人びとが抱く最大の関心事になり始めている。
・一体人間は、これからどこへ行こうとしているのか。地球はどうなるのか。そんなことを考えると、底知れない不安に襲われそうになる。けれども、いったん手にしたものを捨てる気になど、とうていなりそうもない。いいじゃないか、とことん行くところまで行って、それで人間が消滅すれば、それはそれでしかたないじゃないか。ぼくは基本的には、そう思っている。願わくば、その時にもし立ち会うことになったら、自分一人でも生き延びたいなどと、悪あがきはしたくない。と思うのだが、ちぐはぐな日常に半ば無自覚に適応しているぼくとすれば、最後の最後まで悪あがきをするのでは、という心配がないでもない。
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・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
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・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...