アーサー・ビナード『亜米利加にも負ケズ』新潮文庫、他
・日本に住む外国人で、公に活動している人はたくさんいる。けれども、僕が信頼しているのはそれほど多くない。
・ピーター・バラカンはロックやブルース、それにワールド・ミュージックをラジオなどで紹介し続けてきた人だ。実際僕も、彼の勧めるミュージシャンのアルバムを買ったことが何度もある。『ラジオのこちら側で』は、イギリス人の彼が日本に来たいきさつから始まって、日本でこれまでどんな仕事をしてきたのかを綴った内容になっている。
・大学を出た後しばらくぶらぶらしていた彼が日本に来るきっかけになったのは、音楽業界紙に載った東京の音楽出版社の人材募集の記事だった。大学で日本語を専攻していたこともあって、応募したことが、その後40年間、日本に住んで音楽を中心に仕事をする方向を決めた。
・そんな彼が日本でしてきたことは、一言でいえば、質のいい洋楽の紹介である。『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)といった著書があるように、歌が伝えるメッセージを紹介することにも熱心だった。日本人は音楽の歌詞にはあまり興味を持たないし、とりわけ洋楽については顕著だが、彼には、そんな傾向を改めてやろうという野心があったのかもしれない。
・僕はそんな彼の姿勢にずいぶん前から共感して、彼のラジオ番組や書いたものに注目してきたが、残念ながら、日本人の歌のメッセージを軽視する傾向は、改まるどころか、ますますひどくなっている。というよりは、若い人たちが洋楽そのものを聴かないことが当たり前になった感さえある。その意味では、彼がラジオで訴えようとしてるメッセージは、彼と同世代の洋楽好きの日本人にしか伝わっていないのかもしれない。
・アーサー・ビナードはアメリカ人で、大学では英米文学を専攻していたのに、卒論を書くためにたまたま出会った漢字や日本語に興味を持って来日した。そのまま日本に居続けて、詩などの文学を通して日本語に興味を持ち、自ら日本語で詩やエッセイを書いたり、日本人の詩や童話を英訳、あるいは英語の本の日本語訳などをしたりしている。
・『亜米利加ニモ負ケズ』を読むと、彼の言語に対する感覚の鋭さや日本の歴史や文学の知識の多さや深さに驚かされる。たとえば飲み物の「ラムネ」は「レモネード」から転じた和製英語だが、炭酸のあるなしで味はまるで違う。しかし、彼は、だから「ラムネ」は偽物だとは言わない。それどころか「ラムネ」は仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』に登場し、鴎外の小説や虚子の俳句にも詠れている。日本人にとっては夏の風物詩や季語として扱われていることに敬意を表することを忘れない。
・彼は毎日の食事に、豆腐や梅干しや納豆が欠かせないと言う。あるいは、日本の自然や文化に対する愛着の程度もかなりのものである。そんな彼は、ビキニ諸島でアメリカがした核実験で被爆した「第五福竜丸」を題材にした『ここが家だ』(集英社)という絵本を作り、福島の詩人の若松丈太郎と『ひとのあかし』を翻訳している。また、原発再稼働を阻止する運動に出かけ、沖縄の辺野古にも行って基地建設に反対する集会に参加している。
・彼は自らを愛国主義者だと言う。ただしそれは盲目的な愛国ではなく、母国の短所を見抜き、指摘して改善を促すという意味での愛国である。盲目的な愛はエゴイスティックで、そのことに無自覚だから、時にストーカーにもなりかねない。そんな「盲愛国主義者」は美化したものを本物として見なして国の批判を許さない。今の日本がこんな状況になりつつあるなかでは、彼のようなスタンスこそが大事だろう。
・彼の愛国主義はアメリカだけでなく、日本にも向けられている。そしてその姿勢を、多くの日本人は忘れてしまっている。と言うよりは、自覚したことがないのかもしれない。