2002年9月16日月曜日

夏休みに読んだ本、読み残した本

講談社選書メチエ<br> 身体の零度―何が近代を成立させたか・何の予定もなく、たまたま見つけた本を、ただ楽しみだけのために読んでみたい。「読書の快楽」。ぼくの夏休みにしたいことの一つ。だが、一度も実現していない。夏休みはまとまった時間がとれるから、どうしても仕事のための読書の時間になってしまう。読むというよりは読まされる気分。読みたいではなく、読まなければの気持が強いから、楽しいというより、苦痛が先に立つ。今年もそんな感じで休みが終わろうとしている。

・今年の宿題は二つ。一つは翻訳で、これは同じところをくりかえし読む読書だ。何度も読んでいると、訳した文章に何の違和感ももたなくなる。ところが、人から指摘されて、原文と照らし合わせると、何?というおかしな訳になっていることに気がつく。たしかにわかりにくい、意味が通じない。で、いったん直すと、その前後も気になるから、時間はどんどん過ぎていってしまう。そんなことをやっていると、関係ない本が無性に読みたくなる。しかし、今年はもう一つの宿題があるから、一つに厭きても、またもう一つのねばならない読書をしなければならなかった。

・実は池井望さんと平野秀秋さんから「肉体論」で本を出すから君も書けと命令されているのだ。君の担当は「アドヴァタイジング・メディアとしての肉体」。そういわれれば、断るわけにはいかない。といって、あらかじめ問題意識があったわけではないから、「さぁ、何を書こうか」と考え、めぼしい本を探してそれを読むことからはじめることになった。キイワードは「セクシャリティ」か、と思って数冊を用意して、ぼちぼちと読みはじめた。

・まずは歴史から。『挑発する肉体』(H.P.デュル、法政大学出版局)『性の歴史I,II,III』(M.フーコー、新潮社)『文明化の過程』(N.エリアス、法政大学出版局)『フランス革命と身体』(D.ウートラム、平凡社)………。どれもヨーロッパの歴史で、近代化の過程で変容した体やそれに関わる生活習慣、あるいは行動パターンと近代化(のイデオロギー)との関係についてふれている。清潔感の誕生や性にたいする禁欲的な意識の意味などそれぞれ面白い。しかし、まだすべてを読み終えたわけではないが、書こうとするものには直接役にたちそうもない。

・N.O.ブラウンの『ラヴズ・ボディ』(みすず書房)はもう20年以上前に原文で読みはじめて、難しくてやめた本だ。フロイト派の哲学者で60年代にはW.ライヒの『性と文化の革命』とあわせて、よくとりあげられていた。どちらも抑圧された性意識の解放を提唱する本だが、ライヒの方が行動的で、ブラウンは性を思索する。

・ところがある。彼によれば、文化は、体を加工し、そこに意味づけをすることと切り離せない。現代は、その文化的に強制される身体加工の呪縛が解けた時代で、それを「身体の零度」と名づけている。「自然な体」。しかしその自然はまた、テクノロジーや科学と密接に関係せざるを得ないし、文化的意味を捨象した身体加工は一種の流行として復活している。この本を読んでやっと、こんなところで書けそうかな、という気がちょっとだけした。しかし、まだまだ漠然としている。

・アンソニー・シノットの『ボディ・ソシアル』は、面白そうだと思って買ったまま積んどいた本だ。「社会的身体と物理的身体との対立」。最近は健康に対して誰もが自覚的だ。運動をしなさい、歩きなさい、不規則な時間の過ごし方はやめなさい、バランスのある栄養を摂りなさい、と周囲の人もメディアもうるさくいう。ぼくも子どもに、ちゃんと食べてるかなどと、ついつい言ってしまう。しかし、健康志向もやっぱり社会的身体が求める理想からくるもので、それが本当に物理的身体にいいのかどうかわからない。第一、物理的身体にとって「いい」とはどういうことなのか。この本を読みながらそんなことを考えた。

・精神と肉体、内面と外見。その分離が曖昧になったり、前者の優位性が薄れているのが現在の傾向で、人はますます容貌や姿形で、その人間性を判断したり、されたりするようになってきた。だからこそ、「アドバタイジングとしての肉体」か。と考えたら、ちょっと方向が見えてきた気がした。

・ところで、日本ではもっぱら、この手の話は「身体論」と名づけられていて、けっして「肉体論」とは言わない。英語ではどちらも「ボディ」なのだが、どうしてか。「身体論」の方が格好いいということなのか。しかし、ぼくは「身体」と聞くと「身体検査」「身体測定」を連想してしまう。「肉体」の方が、ずっと興味をそそりそうなのだが、その興味をそそる肝心の部分、つまり「セクシャリティ」を避けて通ろうとするためなのかもしれない。インテリの抑制だとしたら、もったいない話だ。

2002年9月9日月曜日

夏休み回顧

 

forest19-1.jpeg・回顧というのはちょっと大げさかなと思う。特にどこかに行ったわけではない。夏休みのほとんどを自宅で過ごした。そのあいだに何か特別なことをしたわけでもない。しいてあげれば翻訳の仕上げだが、これはまだ終わっていない。実は2版の改訂版が9月1日に発売になるとAmazon comに載って、それを待って仕上げをと思って中断したのだが、結局誤報だとわかって慌てて再開したりしたのだ。もう夏休みもあとわずかだし、終わりにしたいと思って、ここ数日はがんばっている。
forest19-7.jpeg・その他に何をやったかなーと考えると、ほとんど何も出てこない。といって毎日惚けていたわけでもない。外出したのは数日で、あとはほとんど家にいた。もちろん客は数組あったから、暇だったわけでもない。何もしなかったわけでもないのに、何をやったか記憶にない。今年の夏休みはそんな感じで終わろうとしている。

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・東京からは、暑くて何もする気にならない、という話が聞こえてきた。河口湖も例年になく暑かった。日中は2階の書斎にはとてもいられないほどだったし、夜も窓を開け放して寝る日があった。去年までとはずいぶん違うと感じた。けれども、おかげで冷麺に素麺、それに蕎麦を満喫した。つまり、冷たいものを食べたいなと思うほどには暑かったということだ。冷蔵庫の製氷はわが家では夏でも無用の機能だったが、今年は重宝に使った。
・丹精込めて育てた向日葵とコスモスは過保護がたたってか寂しいかぎりの成長に終わった。この二つの植物は何より日差し。一日中太陽にさえ当たれば、あとは何もいらない。そのことがよくわかった。家のまわりの森のなかでは、どんなに手を入れても育たない。来年もう一度、日当たりの良い場所を選んで挑戦したいが、肝心の種をまたふきんから調達してこなければならない。


forest19-4.jpegforest19-3.jpeg・やり残したことといえば富士登山。パートナーの膝の状態が良くなくて、これはまた来年以降に持ち越し。何しろ下り坂をちょっとでも歩くと膝が痛くなるのだから、それを直さなければとても無理。そのかわりに下の息子が来たときに五合目まで車で行って御中道(おちゅうどう)をちょっとだけ歩いた。五合目には富士山をぐるっと一回りする歩道がある。いまは西側の大沢崩れで道は寸断されてしまっているが、以前は登山とは違うもう一つの富士山の楽しみ方の一つだった。
・雲がかかって下も上も見にくかったが、時折のぞく山頂や本栖湖や精進湖はきれいだった。麓に流れるように続く樹海の緑と空の青、それに真っ白な雲、時折かかる霧。爽快感をたっぷり味わった。

forest19-5.jpeg・夏休みの間にしておこうと思ったことがもう一つ。薪の確保も思うほどでなはなかった。周辺を車やバイクで走ったときには伐採した木ばかりを探しているのだが、これがなかなか見つからない。あっても重すぎたりながすぎたりして車に積めなかったりする。チェーンソーを持ちだして切り刻むのは大げさで、のこぎりを使うのだが、ちょっと太いと一つ切ったらもう腕がなまってしまう。若い客がきたらさあ、行くぞ、とはりきるのだが、都会育ちの若者は今ひとつ力にならない。
・9月の声を聞いたら急に忙しくなってきた。スポーツ社会学会からは査読の依頼がきたし、マスコミ学会では反対に何人もの人に査読のお願いをしなければならなくなった。院の集中講義の準備もしなければならない。気持と体を仕事モードに変えなければならないのだが、そう考えると憂鬱になって胃が重たくなってくる。毎年のことだが、この時期は本当にメランコリーの秋だ。

2002年9月2日月曜日

Bruce Springsteen"The Rising"

 

・ブルース・スプリングスティーンが新しいアルバムを出した。Eストリート・バンドとは18年ぶりのスタジオ録音だそうである。だからといって、待望のという感じがしないのは、この間にコンサート盤やらベスト盤といくつも出したせいだろう。しかし、ギターの弾き語りだけだった"the ghost of tom joad"に感心して以来、ろくなものは出していないと思っていたから、ひさしぶりに聴いてみたいという気になった。
# もっとも、彼の歌を聴いて、やっぱりいいなー、と思ったことが、去年あった。ニューヨークの惨劇のあとにテレビで中継された「A Tribute to Heroes」で歌った曲。'My city of ruin"は、あの事件についてではないが、あのときの街の様子、人々の心に通じる感じがして、いいい歌だと思った。


bruce1.jpeg 冷たい黒い地面に 赤い血だまり
そして雨が降る
教会の扉が風にあいて オルガンが聞こえてくる
だが、集会は終わった
廃墟の街、 ぼくの街 "My city of ruin"

・ニュージャージー出身のスプリングスティーンは、地元での救援活動をやりながら、このアルバム"The Rising"をつくったようだ。だから、それとわかる直接的な描写をした歌もある。

空が落ちてきた 血の筋をつけて
君がぼくを呼ぶ声が聞こえたが
それっきり君は煙の中に消えてしまった
階段を上り、火の中へ "In to the fire"

どんなふうに感じたか覚えていない
街の新聞に載った自分の記事を読むとは思わなかった
赤茶けた煙の中で、勇敢な若者の人生がどう変えられたかだって
ダーリン、キスをして
ぼくは何者でもないのに "Nothing man"


・素直な描写がドキュメント・フィルムのように状況をリアルに描きだすようだ。これは彼の持ち味だし、アメリカのフォーク・ソングの伝統でもある。何か心を揺さぶるような社会的出来事に出会って、そのことを歌にする。このアルバムは、その典型のように思う。人を激励し、鼓舞することが得意なスプリングスティーンの人柄は、間違えると報復に突き進んだアメリカ人の発想と共鳴してしまう怖さをもつ。このアルバムも、そのように聴かれる危険を感じるが、そうではない一面も、たしかにある。彼が見つめているのは、ニューヨークであの出来事にさまざまな形で遭遇した人たちのそれぞれの素顔なのである。
・肝心のEストリート・バンドとの18年ぶりの共演だが、なつかしさも新鮮さもあまり感じない。といって、けっして悪いというのではない。もう何の違和感もなく、すーっと入ってしまって18年ぶりなどという広告の文句が奇異に聞こえるほどなのだ。歌がどんどん生まれてきて、それをほとんど凝ることなくそのまま音にした。そんな感じに仕上がっている。アルバムは商品だから広告するのは当然だが、内容とは無関係に18年ぶりの共演を売り物にしようというのは、何とも貧弱な発想だ。売りたいと思ったら、まず自分でも中身をじっくり聴いて味わう。レコード会社の人間にはそんな気持は皆無なのだろうか。ともあれ、これが今年のベスト・アルバム。来年のグラミーもこれで決まりかな、と思った。

2002年8月26日月曜日

携帯の怪

・相変わらず、AOLへのジャンク・メールはひどい。ほとんどがアメリカからのもので、アドレスの変更をするか、AOLをやめてしまうかどうか迷っている。対照的に大学宛のメールには怪しいものは少なくなった。携帯メールにはアドレスの工夫が功を奏したのかへんなメールはまったく来ない。前回も書いたが、ほとんど用なしでほったらかしてあるから、オフ・モードのままで何日もといったことがしょっちゅうある。必要になるのはだれかと会う約束をしたときとか、パートナーと出かけたときにする居場所の確認。あるいは子どもとの時折のやりとりぐらいだ。ぼくにとっては、そんな存在感のない携帯だが、ちょっと前にとんでもないめにあった。

・パートナーと二人で遠距離ドライブをしていた時のことである。彼女の携帯がアダムス・ファミリーの音楽を鳴らした。ところが、電話に出るともう切れている。例によってワン切りかと思ったが、電話番号を見てびっくり。何とわが家からかかってきているのだ。いったいどういうことか。二人で考えこんでしまった。いま、わが家には誰もいないはずで、そこからかかってくるということは、誰かが侵入したということ。しかし、たとえそうだとしても、彼女の携帯番号を知っていなければ電話は鳴らない。そうすると、「留守電にしてきたから、それをチェックすれば『お急ぎの方は………へ』で番号がわかる」と彼女。彼女はもうすっかり、泥棒に入られたと思いこんでしまっている。「どこから入ったんだろう」「鍵はかけたし、窓はどこも二重ガラスで、そう簡単には割れないはず」そんな彼女のことばを聞きながら、はっと気がついた。「あなたねぇ、電話に留守電中の転送をセットしているんじゃないの。」ところが「絶対そんなことはない」と彼女。「じゃー、なぜ泥棒がわざわざ、携帯に電話をしてくるの?」「近所にいるかどうか、確かめてるんじゃない?」「………」

・時間はちょうどお昼。実はアダムス・ファミリーが鳴るまでは、昼飯何を食べようかという話をしていたのだ。とにかくぼくは空腹だ。で、車を停めてラーメン屋に入った。ぼくは冷やしラーメンを注文してがつがつと食べたが、彼女はちっとも箸がすすまない。温かいラーメンだから、麺がどんどんのびてしまう。もったいないからそののびた麺を、ぼくが食べた。「近所のKさんに見に行ってもらうわ。」彼女は携帯で、Kさんにことの次第を話す。しばらくすると、Kさんから別に変わった様子はないという連絡が来る。窓から中を見ても、人がいる気配はなかったようだ。「でもどこかに隠れているのかもしれないし、外からは見えないところにいるのかもしれない。」不安は少しも解消されない。で、ドライブは取りやめて、急遽帰ることにした。

・宿泊予定を携帯でキャンセルし、Kさんにも「帰る」という連絡を入れる。泥棒が入ったとしたら、何を盗るか。現金はないし、モノは持っていかないだろう。そうすると心配になるのは預金通帳。「ハンコは一緒?」とぼくが聞くと、「そうだ」と彼女。そういう話になると、また新たな心配で頭は一杯になる。で、連絡して、引きだしをストップしてもらう手続きをする。もちろん携帯だが、あちこちとたらい回しにされる。車は高速道路を突っ走っているから、途中でつながらなくなってしまったりもする。ため息、イライラ。何回も電話して、やっと手続き完了。やれやれ………。

・都内の渋滞に巻きこまれたり、道を間違えてうろうろしたりして、やっとわが家に戻ったときは、もう暗くなっていた。ぼくは車に入れてある登山用のステッキ、彼女は折り畳み傘を手に持って玄関の扉を開けて中に入る。明かりをつけて用心深く中へ………。居間にもキッチンにも風呂場にもいない。ゲストルーム、2階の書斎、それから寝室とすべてを確認して、誰も侵入していないことを確信した。特に荒らされた様子もない。やっと、ほっと一息。

・留守電になっている電話を確認すると、携帯にかかってきた時間に一件入っていた。やっぱり転送のセットをしていたのか、と思ったが、パートナーは記憶にないという。翌日にNTTで調べてもらうと、転送以外には考えられないという。マニュアルをみながら確認すると、転送のセットがしてあった。やれやれ………。

・電話に限らず、いろいろ便利な機能がついていて、これはいい、おもしろいとセッとしてみることが多い。覚えていれば、どうということのない機能だが、いったん忘れてしまうと、とんでもない不安を呼び込んでしまう。歳のせいか、最近、二人とも物忘れが激しい。何かを思いついて居間から2階の書斎に行く。階段を上がりながら、何をしに来たのか迷ってしまう。書斎を見回して下に戻る。すぐには思い出せない。で、しばらくすると、ハッと思い出す。そんなことが日常的だから、特に必要でもない便利な機能はセッとしないこと。それが今回の珍事件の教訓である。

・携帯について奇妙なケースをもう一つ。これもドライブ中のことだ。運転しているぼくの携帯が珍しく鳴った。運転中だからとパートナーに渡したのだが、どうしたらいいのかわからないからと何もしない。もう長時間の運転でくたびれていたこともあって、ぼくはかっとして口喧嘩になった。それで家につくまで二人は無言。着いてから携帯をチェックすると、何とパートナーからの電話だった。「あなたからだよ」「どうして?」パートナーの携帯もチェックすると、同じ時間に発信した記録が残っている。二人が車に同乗していて、一方がもう一方に電話をした。受けた携帯は確かに鳴ったし、記録にもそう残っている。しかし、実際には、そんな電話はしていない。この怪の理由はいまだに突きとめられていない。

・ぼくにとってやっぱり携帯は、無用の長物、というよりはやっかいなものでしかない。そんなことを再確認した二つの事件だった。

2002年8月19日月曜日

東北小旅行と高速道路

 

inawasiro2.jpeg・義兄が猪苗代に別荘をもっているので、そこを訪ねることにした。河口湖から東北方面に行くためには、どうしても東京を通過しなければならない。暑いし渋滞もある。で、ルートをいろいろ考えた。途中で平に住む義母も訪ねる。最短距離は中央高速から首都高速、そして常磐道だが、早朝に河口湖を出ると、首都高で通勤ラッシュにぶつかる。そこで、八王子で降りて、圏央道から関越道、外環状経由で常磐道にはいることにした。大回りで、料金が倍以上かかるが、時間はたぶん半分ぐらいになるだろう、と思った。


・ところが、八王子から圏央道の日の出インターまでが大渋滞。中央道と圏央道は現在工事中でそのうち中央道と高尾でつながる。そうなれば、 5分とかからないところで1時間近くかかってしまった。圏央道と関越道は順調に進んだが、外環状に入るとまた渋滞。特にひどかったのは常磐道に入る三郷ジャンクション。ここはいつでも渋滞している欠陥個所だ。ここまでで、河口湖を出てから4時間近く。これでは都心を通っても時間は変わらなかっただろう。後は順調。常磐道を平まで行って、義母にあった後、磐越道を猪苗代まで。

inawasiro1.jpeg・仕事に使っている中央高速は、府中まではほとんど渋滞したことがない。しかし朝の通勤時には下高井戸から調布までは必ず混んでいる。その先の首都高は一日中渋滞だ。高速道路は渋滞しては意味がないのだが、混まないと料金収入は十分ではない。現在黒字の高速道路は東名と名神、それに中央道だそうだ。ふだんはがらがらの中央道だが、週末には必ず渋滞する。正月やお盆の時期は大渋滞。だから頻繁に改善の工事をしているのだが、渋滞は解消しない。


・解消の原因の一つは料金所で、そのためにETCを開発したのだが、さっぱり普及しない。機器を自分で購入しなければならないからそのメリットがほとんどないのだ。もちろん、ぼくもつけてはいない。毎週400kmも走るのにである。高い料金にうんざりしているが、今のところ、5万円のハイウェイカードが一番割引率が高い。ETCを普及させようと思ったら、これよりお得なものにしなければならないはずだが、そういう発想を持たないところが道路公団のどうしようもないところだ。


・もう一つの原因はドライバー。週末や夏休みに渋滞するのは決まってトンネルや坂道で、そこでかならずスピードは落ちてしまう。しかも、ドライバーはそのことに気づかない。だから、そこからつまってしまうのだ。中央高速だと下りは坂道手前の八王子バス停と談合坂、上りは猿橋バス停と小仏トンネル。ふだん走っていると、何でこんなところから渋滞がはじまるのかと首をひねってしまう。仕事で走るトラックなどがイライラするから、事故の原因にもなる。しかしこれはどうしようもないから、ぼくは大渋滞になるときは高速を走らないようにしている。


inawasiro3.jpeg・話が横道にそれた。肝心の猪苗代である。別荘は裏磐梯に行く道の途中にあった。標高は600Mで森の中にある。河口湖の自宅周辺とよく似ていて、遠くに来たという感じがしなかった。もっとも、倒木があちこちにごろごろしていて、よだれが出そうになった。この周辺は豪雪地帯だから、冬に利用する人は少ないのかもしれない。そんなふうに思ったが、周囲にはスキー場がたくさんある。利用しても暖炉やストーブの前でのんびりというのではない過ごし方をするのかもしれない。


・最初は猪苗代湖でカヤックを、と思っていたのだが、大きすぎて趣もない湖なので近くの秋元湖に出かけた。周辺にはその他にも河口湖より大きい湖がいくつもある。夏休みだというのに、湖や岸にいる人の数は河口湖とは比較にならないくらい少ない。モーターボートの波を気にすることもなく堪能。そのあと、近くにあるダリの美術館へ行く。その建物や所蔵作品にびっくり。(興味ある方は直接お訪ねください)


・翌日は会津若松へ。ここは標高が300mほどの盆地で、猪苗代とちがって暑かった。そんなとところも河口湖と甲府に似ている。野口英世と青春通り。蕎麦を食べて、お酒を買って、倉を改造した喫茶店で珈琲を一杯。観光客の一日。

inawasiro4.jpeg・帰りは高速を使わないことにして、また早朝に出発。会津若松から日光街道(118号)を南下。とはいえ、阿賀野川を上流に進む道である。会津鉄道が並行して走っているが電車にはほとんど出会わない。信号もほとんどなくて、快適。栃木県との県境が分水嶺になっていて、トンネルを超えると今度は川は下りになる。鬼怒川だ。阿賀野川は新潟で日本海にそそぎ、鬼怒川は利根川と合流して太平洋に流れる。


・日光で東照宮にたちよって、いろは坂から中禅寺湖、華厳の滝を見て120号線を沼田に抜ける。標高2000メートル近い金精峠からの眺めは壮観だった。沼田から関越道に乗って藤岡から上信越自動車道で佐久まで。そこから140号線で野辺山高原から清里。このあたりまで来ると帰ってきたという感じになった。須玉から中央高速に乗って甲府南。そこから上九一色村から精進湖に抜けて帰宅。12時間近いドライブだったが、山道を十分に楽しんだ。
・ 高速道路の問題が国会をにぎわしている。たしかに、高速道路が整備されていれば、どこへ行くのも便利だ。けれども、どこも一般道の整備が進んでいるから、急がなければ、特に高速を利用する必要もない。あちこちドライブしていると、そういう状況がよくわかる。むしろ整備しなければならないのは都市部。東京の都心に車で行く気は更々ないが、東京をパスして先に進みたくても、否応なしに万年渋滞の首都高速を走らざるを得ない。放射状の道路ばかりつくってそれをつなぐ環状道路ができていない。道路を走ると、東京やその周辺が都市計画なしにできあがった街であることがよくわかる。

2002年8月12日月曜日

BSデジタル放送の不満と満足


  • BSデジタルを見はじめて1年たった。見るテレビのほとんどはBSだから、チューナーを購入して正解だったと思う。ワールド・カップは幅広画面で堪能したし、映画の番組もよく見る。デジタル用のテープ・レコーダーも買ったから、きれいな画面そのままに録画できるようになったし、必要なら、パソコンに取りこむこともできるようになった。何より、見たい番組を探す選択肢が多いのは楽しい。
  • けれども、チャンネルはもっとたくさんあってもいいと思う。実際、民放には使えるチャンネルが三つあるのだが、Wowow以外はどこも一つしか使用していない。3チャンネルで別々の放送しているNHKにも、じつはもう一つ隠しチャンネルがあって、時折、別放送をしている。
  • この使われていないチャンネルで、何か別放送をしたらいいのにと思う。新しい番組を制作するのではなく、地上波ですでにやったものを再放送するとか、地上波の番組を同時放送するとかすれば、それほどのコストはかからないのではないだろうか。実際、ワールド・カップの中継では同時にやったのだし、TV東京はニュースを同時に放送したり、人気番組を週遅れで放送している。NHKがニュースを同時放送しているのは、実験放送の段階からだった。地上波の映りが悪い地域では、格段にきれいな画面で見られることになるのだから、これは、是非実現して欲しいと思っている。
  • 一番の不満は、へー、と思うような実験的な番組が全然ないこと。他チャンネル化になれば、視聴者は数百万ではなく、数万とか数千になる。それで十分にペイする番組を模索するような姿勢が見られない。地上波の番組作りの発想からちっとも抜け出せない感じだが、地上波ももうすぐデジタル化しなければならないのだから、発想を転換しないと、他チャンネルは宝の持ち腐れになってしまう。
  • もちろん、各放送局が視聴者を増やす努力をしていないわけではない。一番宣伝しているのは双方向サービスだが、これはクイズやゲームといったものがほとんどで、たわいがないからつきあう気にはならない。あるいはテレビショッピングも多いが、ぼくはテレビ番組の中でこれが一番嫌いだから、ほとんど見ない。もっとも、テレビのもつ宣伝や洗脳の力をこれほど露骨に出す番組は他にないから、研究テーマとしては面白い材料だとは思う。何しろ、テレビ局が手っ取り早く収入をあげる手段であることは、UHFなどで証明済みなのだから。
  • デジタル化がもつポイントは多様化の中の競争だが、ワールド・カップで協力態勢を組んで成功したからなのか、今度は好きな映画の投票をさせて、人気のあったものを各局がそれぞれ放送するという企画を組んだ。「BSデジタル映画祭」。この試みは選択肢を増やすいいアイデアだと思う。全局で300本の映画を放映するそうだ。おかげで、どの時間でも、どこかで映画をやっているという状態になった。だからWowowとあわせて、ついつい映画を探して見てしまうことになった。
  • 上映している映画のほとんどは、すでに見たことがあるものばかりだったが、『運動靴と赤い金魚』ははじめてでおもしろかった。イランという国はイスラム教とあわせてわからない国といわれる一つだが、映画で描かれる人間模様はものすごくよくわかる。運動靴を買ってもらえない家庭の子供がくり広げる悲喜劇。男の子と女の子の大きくて澄んだ瞳そのままに、貧しいけれど、温かい世界がある。
  • そのほかに前回Book Reviewで紹介した『いちげんさん』も放映された。昔見た「 keiko」に似た素人くさい感じの画面作りだった。場所も同じ京都だったから、どうしても重ね合わせて見てしまった。後、行き当たりばったりでみているから題名も忘れてしまったが、ロビン・ウィリアムスやブルース・ウィリス、スーザン・サランドーン。夏休みだからこそ、できるカウチポテト。でも、いい気になっているうちに、もう8月も半分過ぎてしまった。
  • 2002年8月5日月曜日

    デビット・ゾペティの作品

     

  • デビット・ゾペティは日本語で小説を書くスイス人だ。名前からもわかるようにイタリア系だが、京都に来て、同志社大学で日本文学を学んでいる。彼が学生の頃、ぼくは同志社で非常勤講師をしていたから、ひょっとしたらキャンパスですれ違っていたかもしれない。確かに同志社にはさまざまな国からの留学生がいて、ヨーロッパからの留学生も珍しくはなかった。
  •  ぼくが彼の存在に興味をもったのは「ニュース・ステーション」のレポーターとしてだった。世界中に出かけていってさまざまな取材レポートをする。その報告が日本人のものとはちがって新鮮な印象を受けた。ところがいつの間にか見かけなくなって、しばらくしたら『いちげんさん』という小説の著者として再登場してきた。「すばる文学賞」をとった作品で、外国人が日本語で書いたことが評判になった。ぼくは読もうかと思ったが、何となくその機を逸してして、忘れてしまっていた。
  • ところが、今年の春先に西湖から毛無山に登ったときに、偶然彼とすれ違った。立ち止まって、なにやらメモを書いている。それが日本語だったから、おや?と思い、どこかで見た顔だと思って、ちょっと考えて、すぐに思い出した。一緒に登ったパートナーに彼のことを話すと、彼女は興味津々で話しかけた。
  • 彼の話では、つぎの小説の取材のために何度か周辺を訪れているということだった。富士山とその周囲の自然や景観にひかれて、ここを題材にした小説を書きたいと何年か前に思い立ったのだという。家族を失った主人公の中年の男が、ここで再生する話。ぼくは面白そうだと感じたが、彼の作品を読もうと思って、まだ買ってもいないことに気がついた。これは読まねばとさっそく買ったのだが、またしばらく、時間がなくて積んだままにしてしまった。いいわけがましいが、本当に忙しい気がして、小説を読む気にならなかった。ところがまた彼のことが話題になった。『旅日記』がまた賞を取ったのだ。もうこれはどうしても読まねば、という気になった。
  • 『いちげんさん』は題名の通り、京都を舞台にしている。同志社大学に留学した主人公が盲目の女性を好きになる。淡い恋愛小説だが、小説に描かれる京都に妙な懐かしさを覚えた。出てくる地名はもちろんだし、大学の中の建物について、あるいは学生がよく行く食堂や飲み屋など、読んでいて「あー、あそこかな」と連想させるような描写が楽しかった。
  • 面白かった点がもう一つ。これはこの小説の主題といってもいいのだが、京都の排他性に対する憎しみにも似た感情だ。主人公は食事をしてもカラオケを歌っても、「外国人が和食を食べてはる」「白人が日本語で歌ってはる」と感心されたり、奇異に思われたりする。中にはそのことをしつこく問いかけて来る者がいて、そのことに強く反発する。
  • あるいは、知らん顔をしているふりをして、こちらをじっとなめるように観察する京都人特有の視線に対する違和感………。これは、何も外国人に限るものではない。よそから京都に入った者が誰でも感じる思いである。「いちげんさん」ということばには、たしかに、よそからきた奇妙なやつ、信用のできないやつという蔑視がこめられている。
  • ぼくも、この主人公と同じような経験を何度もしている。そして、京都には30年住んだが、結局「いちげんさん」のままだった。だから何の未練もなく、また関東に移り住む気にもなった。あと何年かたったら、ちょっと長い旅をしていたような感じで、京都のことを考えるのかもしれない。読みながらそんな気にもなった。
  • 『旅日記』は題名の通り、彼が旅をした記録である。テレビ番組での取材もあるが、不意に思い立ってという旅の話もある。アラスカやノルウェイといった極地への旅が好きなようだ。それはそれで面白かったが、ぼくが興味をもったのは、彼が生まれ育った土地を離れて旅立つきっかけと、日本にたどりつくまでの過程だった。
  • 高校を卒業し、徴兵の義務も果たした後、ゾペティはアメリカを旅し、日本にもやってきた。その日本体験が気に入って、ジュネーブ大学の日本語科に入学。ところが、また日本にやってきて、今度は日本の大学に入ることにする。一年間の語学と受験勉強。そのスタンスの軽さと自分に対する自信に感心してしまった。
  • 『旅日記』の受賞にさいして、彼は、外国人なのにこれだけの文章を書くという評価がいまだについてまわることにもつ違和感を口にしたようだ。確かに、『旅日記』を読むと、彼にとって、自分がどこに住んで、何語を話して、どんな仕事をするかということが、自分の自由な選択の結果であることがよくわかる。
  • おおかたの日本人は、こういう自由さにうまく対処できないから、抵抗なく受けいれることができない。ゾペティは「いちげんさん」の作家で終わらずに、2作目の『アレグリア』を書き、そして、その次の準備もしている。もうそろそろ日本語で小説を書く外国人というレッテルが剥がれてもいいのに、と思う。もちろんこれは、ゾペティではなく、私たちの問題なのである。