2003年8月25日月曜日

夏は来なかった


forest27-1.jpeg・八月もあと一週間でおしまいというときになってやっと暑さが訪れた。僕は暑さは大の苦手だが、それでも今年のように肌寒いほどの日が続くと、夏はもっと暑くなければと、ちょっと寂しさも感じていた。もっとも、天気が悪いあいだの気温は東京とほとんど一緒だったから、例年にない冷夏を実感したのは東京に住む人たちだったのかもしれない。
・今年の河口湖の8月の気温は最高が25度程度で、最低は15〜6度。過ごしやすい気温だが、雨ばかりでじめじめしているから、けっして快適ではなかった。それがここ数日、青空が見えはじめて、気温も30度前後にまで上がるようになった。静かにしていてもじっとりと汗をかく。長年京都に住んできたから、そんな感じにならないと夏になった気がしない。

forest27-2.jpeg・子どもが来たから尾花沢産の大きなスイカを買った。播州の素麺も食べた。珈琲も冷やして飲んだ。急いでやらないと夏はまたすぐに逃げていってしまう。そんな感じで、貴重な暑さを味わった。もっとも、去年は堪能した桃が今年はおいしくない。甘くないし、置いておくと熟さずに腐り始めてしまう。雨ばかりで気温が上がらないのだから、無理もないと思うが、生産者にとっては死活問題だろう。そういえば、近くの田んぼは稲穂をつけはじめているが、背丈が低いし、米がつまっていそうもない。
・最近になってニュースが、今年の冷夏が外米を食べた年以来であることに注目して、不作を問題にしはじめている。しかし、今年の天気の不順さは春先からのもので、植木屋さんなどはこんな事はなかったとその時から言っていた。前回のこのコラムでも書いたが、今年の梅雨は連休明けからはじまっていたのに、気象庁はなかなか梅雨入り宣言をしなかったし、今年の夏は例年通りと予想した。おまけに8月のはじめに数日晴れると慌てて梅雨明け宣言である。でお盆の期間はまた肌寒い雨。別に例年通りに区切れ目をつけることはないと思うが、そうしないといけない決まりでもあるのだろうか。

forest27-3.jpeg・この涼しい夏もまた、僕はその大半を家で過ごした。今年こそ野茂の試合を見にロスに行こうと考えたりしていたのだが、翻訳の校正があったし、肉体論(メディアとしてのからだ)の締め切りも気になった。編者の池井望さんからは夏休みにはいるとすぐに、「原稿の方よろしく」という確認メールが入ったのに、ほとんど何も書くことが決まっていない。米国に行って野球を見て、原稿書けませんでしたでは、大目玉を食らってしまう。そんなことが気になったのだ。
・「行けばいいじゃない。一週間ぐらい遊んだって、関係ないでしょ」とパートナーに言われたが、気になるものは気になる。30代の頃とちがってどうも冴えない。ひとりでに浮かんでくるといった感覚がなくなって、むりやり絞り出すという感じがここ数年続いている。才能が涸れたかスランプか、あるいは読書量の減少のためのなか。大学の忙しさのせいにしたくなるが、半分隠遁者のような生活をしはじめて、あれこれ考えることに興味を感じなくなったのかもしれない。

forest27-4.jpeg・もっともこのHPのコラムは毎週欠かさず掲載していて、ちょっと考えただけですぐできてしまう。この文章も、そろそろ書こうかとパソコンの前に坐って1時間ちょっとでここまで来ているのだ。短くて気ままな文章を書いていると、長くて練ったものが書きにくくなるのかもしれない。だったら、このコラムをしばらくやめてみようか、とふと考えたりもする。
・とは言え、原稿は7割程度のところまで何とか進んできた。からだをメディアとして考える。清潔さや健康を過剰に意識する最近の傾向について、からだと衣服の関係について、はだかや性について、病気について、心とからだと感情の関係について考えているが、池井さんからは表層的すぎるとクレームがつくのではと、ちょっと心配している。学生の論文指導ではきついことをズケズケいうが、いわれるのはやっぱり気になるし、へこんでしまう。8月末までには終わらせたいがうまくいくかどうか。

2003年8月18日月曜日

スーエレン・ホイ『清潔文化の誕生』紀伊国屋書店、藤田紘一郎『清潔はビョーキだ』朝日文庫

 

dirt1.jpeg・木に囲まれた生活をするようになって変わったことの一つに生ゴミを捨てなくなったことがある。庭のあちこちに穴を掘っては埋けるようにしたのだ。けっして捨てているわけではない。生ゴミは地中でバクテリアに分解されて土壌の肥やしになる。そこに花や木を植えれば、ゴミは植物の成長の助けになる。何でもないことだが、これが都会の生活では難しい。
・藤田紘一郎の『清潔はビョーキだ』には日本の農業がかつては人糞を肥料にしていて、そのために日本人のおなかのなかには必ず回虫などが住みついていたことが書かれている。このことはもちろん、僕にとっても記憶にあることだ。野菜にまかれた糞には虫の卵がついている。その野菜を食べるから、またおなかのなかで成長する。そのサイクルが便所の水洗化によって一掃された。
・この本によれば、その水洗化が始まった60年代から花粉症やアトピー性皮膚炎の患者が出始めたのだという。もちろんそこには、環境を無菌、無臭状態にするのが清潔で健康な生活には不可欠で、できればじぶんのからだそのものも無菌、無臭にしたい、という考えが伴っていて、清潔であることは文化的な生活の第一の基準になっていった。
・たとえばO-157のような病気が流行すると、小さな子供を持つ親などは特に過敏になって、手を洗ったり、うがいをしたりしてますます清潔であることを心がける。ところが、新しく登場する病気は、清潔にしたために免疫力が低下したことが原因である場合が多いのだ。極端なことをいえば、このような病気にかからないためには、清潔であることにこだわらずに、幼い頃から抵抗力や免疫をつけさせることが一番だということになる。実際、『清潔はビョーキだ』には回虫などには花粉症やアトピー性皮膚炎に対する抗体があると書いてある。
・とは言っても、今さら人糞をまいて寄生虫の卵のついた野菜を作ることもできないだろうし、誰もそれを食べる気にはならないだろう。清潔であることはもはや常識であり、現代の生活文化の大きな柱になっているから、それを外したら、生活の形が土台から崩れ去ってしまう。だから新しい病気の対応策は、新薬の開発と一層の清潔志向ということにならざるをえない。何とも皮肉な現象で、笑い話として片づけたくなるが、病状が深刻である場合も多いから、笑ってはすまされない問題として認識しなければならない。
dirt2.jpeg・スーエレン・ホイの『清潔文化の誕生』には、人びとの生活がなぜ、清潔志向に傾いていったのかという問題が、19世紀にさかのぼって、歴史的に詳しく論じられている。たとえば、移民によってつくられたアメリカでは、人びとは土地の風土病や外からもちこんだ伝染病によって悩まされた。病気の流行の原因は何より、水とゴミや排泄物。だから、町ができ、人が多く住み始めれば、何より問題となるのは上下水道の完備だった。ペスト、コレラ、腸チフス、あるいはマラリアや結核………。これらの病気はすでにその何世紀も前からヨーロッパの人口を半減させるほどに流行しておそれられてきたが、それらが伝染性のものであり、飲む水や排泄物、ゴミ、あるいは蚊や蠅などを媒介にして感染することが明らかになるのは19世紀から20世紀にかけての頃である。
・清潔志向がアメリカで浸透しはじめるのはホイによれば1930年代以降のようだ。それは、学校教育とそこでの衛生教育、それに石鹸や洗剤、自宅用の上下水道、トイレやバスルームなどの普及と重なる。第二次大戦後の50年代になると、洗濯機や冷蔵庫等の家電製品が次々と家庭の必需品になって、そこで生まれ育った人たちには清潔で衛生的な暮らしが当たり前になっていった。このような傾向は日本でも60年代に現実化した。
・清潔志向はその後、清潔であるかどうか、健康的であるかどうかということよりも、清潔に見えること、感じられることという方向に徹底されていく。食品のパック包装は、消費者にとって衛生的に見えるばかりでなく、セルフ・サービスのスーパーが大量に販売するために考案した戦略だし、ギフト商品の売上げ増加にも紙の包装やリボンでの飾りが重要な役割を果たした。あるいは、石鹸や洗剤はテレビCMのスポンサーとしてもっともおなじみになって、アメリカでは「ソープ・オペラ」といった番組ジャンルが定着するようになった。サラサラの髪、すべすべの肌、真っ白のタオル、ぴかぴかの歯、石鹸の匂い………。
・森の中に生活していると、最近の清潔志向が意味のないことのように感じられて、テレビのCMに強い違和感をもつことが少なくない。白さやすべすべ、さらさらを気にしなければ、洗濯でも食器洗いでも洗顔でも、あるいは風呂に入っても石鹸や洗剤はごく少量でいいし、必ずしも使わなくてもいい。家の中に消臭剤をまく必要性もまったく感じない。それはちょうど、庭に雑草を生い茂らせ、山のような落ち葉をそのままに放置しておくことと同じなのかもしれない。放っておけば、それは結局、土に帰るのだが、都会ではそんなわけにはいかない。清潔感というのは、結局、都会で暮らすためのルールで、現在の生活を念頭におきながら2冊の本を読むと、そのことがよくわかる。

2003年8月11日月曜日

読書の衰退

 大学生が本を読まない、というのは、もはや当たり前のことになった。携帯などのコミュニケーション・ツールにお金がかかることもあるが、そもそも、本を読む必要性を感じなくなっているのだ。だから、講義やゼミでまず心がけるのは、本を読むことの必要性ということになる。


僕はゼミを研究室でやっている。理由の第一は、部屋の壁に並んだ書架の本に関心をもたせるためだ。たとえば学生に自分の興味や関心にそってそれぞれ発表させる。最初の発表では、本を読んで参考にしてくる学生はほとんどいない。だから、部屋にあるぼくの本を見せて、「これを読んでご覧」と貸し出すことにしている。必要なら図書館に行けばいいし、生協で買ってもいい。しかし、アドバイスをしないと本を探さないし、見つけてきても的はずれなものが多いのだ。それにインターネットという便利なものができたから、それを使って検索して、適当にまとめてしまう。自分で探して、自分で読んで、それで考える。放っておいたら、そんな作業はまずしない。そこを念頭において、学生とつきあわなければならない。そんな時代になった。


追手門で教えた卒業生のW君から近況を伝えるメールが来た。彼は仕事を何度か変えている。大学院で勉強しなおそうかとか、教員免許をとろうかとか、その都度相談をしてくる。何を選んでも厳しい道だが、迷いながら懸命に自分の道を探そうとしているから、ぼくもずっと気になっている。そんな彼が、高校の図書室で司書として働きはじめて感じたことを書いてきた。

この間は、閲覧室の壁際に大きなスペースを占めていた文学全集を部屋の奥に片付けて、代わりに芸術、芸能、スポーツ関係の本と日本の小説を入れ替えました。これ だけで、雰囲気はずいぶんと変わりました。
高校の先生方は、「子どもは本は読まない」と頭から決めつけているところがあって、前々任の司書の方も文学全集ばかり買って選書は年に一度という状態だったので ぼろぼろの新書・文庫やいかつい文学全集ばかりになっていました。読みたくない本 ばかりの図書館なんてはじめから興味をもたないわけで、その辺を変えていくことも 動機付けには大事じゃないかって思います。
あー、なるほどな、と思った。図書室が、本を読むきっかけになっていない。毎日通う学校がそうなら、市や町の図書館などは一層無縁だろう。だったら、大学に入っても図書館を利用しないわけだし、自分で本を買ったりもしないわけだ。W君の指摘からすると、授業のなかで図書室を利用して、ということもないのだろうし、先生が利用するということもないのかも知れない。詳細は忘れたが、朝日新聞で、高校の先生の読書時間が毎日30分以下、という調査を読んだ記憶がある。いったい、生徒に何を材料にして教えているのだろう、と疑問を感じ、あきれたことを覚えている。


たまたま、同志社の大学院で後輩だったM氏からメールが来た。彼は今、神戸の私立女子校(中高一貫)で社会科を教えている。本当に久しぶりのメールで、以前は職場でインターネットが使えるようになったから、試しに送りましたというものだったが、今回も自宅から出すはじめてのメール、ということだった。メールの中身は東京で研修があるから、ついでに河口湖に訪ねたいというもの。僕はそのメールを山形で受け取って、返事を書いた。


わが家に来た彼と再会して話したのは、まず、最近の中高生や大学生の状況とそれに対応する教師の姿勢。ここに引用したW君のメールの話をしたら、受験校では教科書以外のことを生徒に教える余裕はないんや、と一蹴されてしまった。入試問題に関係のあるものを徹底的に覚えさせ、理解させる。それを授業時間の中でやるのが精一杯で、それ以外のことをやったら、教科書が消化できなくなってしまう。彼によれば、諸悪の根元は入試方法を変えない大学にあるという。批判するつもりがかえって批判されることになってしまった。


もっとも、彼はそんな受験体制に逆らって、社会の問題を生徒に伝え、体験させる工夫をしようとしてきている。いわば、校内の反体制派なのだが、教師の中にそんな意識を共有できる人は少ないという。首にならないよう気をつけながら、いかにして授業を活性化するか。それはそれで、しんどい作業で、大学生に本を読む必要性を自覚させることに苦慮している僕以上に大変なのかもしれないと思ってしまった。

2003年8月4日月曜日

山形までドライブ


03summer1.jpeg・大学の仕事から解放されるのを待って、今年も東北小旅行に出かけた。東北にしたのはごく単純な理由で、あまり行ったことがないからだ。去年は会津と磐梯山まで行ったから、今年は山形まで。山に登るわけではないが、鳥海山と月山をみたいと思った。できればどこかでカヤックもやりたい。日本海の魚も食べたいし山形の牛肉も食べたい。
・ルートは関越道で新潟まで行って、日本海沿いを酒田まで北上する。次に新庄から尾花沢、寒河江、山形と南下。あとは東北道を戻ってくるというもの。およそ1500kmの行程。河口湖を出発した時には霧雨で肌寒かったが、関越の清水トンネルを抜けると夏の空と雲が広がっていた。トンネルを抜けると雪国ではなくて夏国。日本海側から先に梅雨明けするとは、今年はやっぱり天候がおかしい。

03summer2.jpeg・新潟は去年、マスコミ学会で来ているから今回は素通り。中条で高速は終わり。海沿いを走ろうとバイパスの国道7号を外れると、すぐに「屋根瓦」屋さんの看板が目に入った。裏山は削られて粘土層が露出している。陶芸をやるパートナーの指示で停車。土をもらい、所蔵の高価な骨董や木製品などまで見せてもらった。これは間違いなく「お宝」。屋根瓦は今は造っていない。新潟地震で登り窯が壊れたのを機会にやめたのだそうだ。
・村上から北への海岸線は素晴らしい。磯もあれば砂浜もある。ここで、塩を作って売る店を発見。「Salt &Cafe」。海水を釜ゆでにして塩にする。注文した珈琲に苦汁を数滴入れる。ちょっとしょっぱくて磯の香りがする。パートナーはここでも、不純物として出る石膏(硫酸カルシウム)を袋一杯もらった。

03summer3.jpeg・鶴岡から酒田へ。630km、10時間の行程だった。土門拳記念館によってから宿を目指す。筑豊に広島に室生寺。彼の写真は良くも悪くもリアリズムの迫力。真面目、真剣。筑豊の炭坑の子どもたちの写真をみて、今はもう、はるか彼方に行ってしまった世界のように感じた。夕食は居酒屋で刺身の盛り合わせとノドグロの煮付け、それに岩牡蠣。美味。
・二日目は最上川沿いに新庄から尾花沢へ。川幅が広くてゆったり流れている。日本海に注ぐ川の特徴なのかも知れないと思う。信濃川、由良川………。船での川下りがあったが、カヤックは徳良湖で。銀山温泉を経由し、サクランボ畑を抜けて月山へ。どこかでキャンプをするつもりだったが、雨が降り始めたので中止にして山形市内で宿泊。ホテルにはお相撲さんの一行がいて、夕食を食べた焼き肉屋にも鉄板を囲む大男たち。最近相撲を見ないが雅山だけはわかった。

03summer4.jpeg・三日目は宇都宮まで南下して大谷石資料館を見学。ここでもパートナーは石を切り出すときに出る粉を採取する。その後Uターンをして那須高原へ。ニキ美術館を見学し、温泉の強烈な臭いのする殺生石で湯ノ花(ミョウバン)を採取する。車の中はもう石や土だらけ。宿泊したリゾート・ホテルには子連れの家族が一杯。最近ほとんど見ない風景で、子どもを連れて旅行をした頃を思い出してしまった。大変だけど、一番おもしろかった時期。などと考えている自分に気づいて、年取ったことをあらためて実感する。
・四日目は千葉から都内を抜けて帰路。梅雨が明けたようで暑い。車の温度計は33度。やっと夏。河口湖に着くと猛烈な雨。ところが家の周辺の道は乾いている。梅雨の雨ではなくて夏の夕立。気温は22度。避暑地の夏がやっと始まった。

2003年7月28日月曜日

フィールド・オブ・ドリームズ


たまたま合わせたチャンネルで『フィールド・オブ・ドリームズ』をやっていた。もう何度も見ていて、原作も読んでいるのに、やっぱり、最後まで見てしまった。しかもまた、おなじみの場面、おなじみのセリフに、にっこりしたり、ジーンときたりして………。これはひょっとしたら、僕が一番好きな映画かも知れない。見ながらそんなことを考えた。
・なぜ、そんなにおもしろいのか。メジャー・リーグの話だから?伝説の選手、たとえば、シューレス・ジョーが出てくるから?あるいは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のサリンジャー(映画では別の設定)が登場するから?アイオワのトーモロコシ畑に野球場を造るから?ケビン・コスナー? W.P.キンセラの書いた原作(『シューレス・ジョー』文春文庫)がいいからか?
・答えはたぶん、全部だろう。すべてが合わさって、アメリカの良さ、魅力がつくりだされている。野球に文学、それに政治、あるいはカウンター・カルチャー。現在はもちろん、60年代の臭いもするし、20年代の面影も描きだされている。
・話は、主人公が聞くお告げに従って、野球が大好きな往年の名選手、夢やぶれてメジャー・リーガーになれなかった者たちに球場を造り、そこに来るべき人を捜して、連れて来るというものだ。主人公のケビン・コスナーは借金をしてトウモロコシ畑を球場に変える。するとトウモロコシ畑から往年の名選手が現れて練習をし、試合を始める。それを家族で眺める。
・この映画を見ると、つくづく、アメリカの魅力は野球の魅力だと思う。力が勝負の世界。だから今、世界中から自分の実力を信じて大勢の選手がメジャー・リーグを目指す。もちろん、夢が実現するのはごくわずかだが、夢が叶わなかった者にも、一つの「物語」が生まれる。「フィールド・オブ・ドリーム」は、往年の名選手とはいえ球界を追放された者、途中で挫折した者、力不足からあきらめた者たちが登場するドラマで、だからこそ、野球に対する思いが強い人たちばかりなのだ。
・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は最近、村上春樹によって訳し直された。僕はまだ読んでいないが、ついでに題名をなおさなかったのはどうしてなのかと不思議に思った。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は『ライ麦畑でつかまえて』ではなく、『ライ麦畑のキャッチャー』が正しいのだ。『フィールド・オブ・ドリーム』はトウモロコシ畑のキャッチャーだが、映画のなかでのキャッチャーは、主人公の父親だった。メジャー・リーガーの夢やぶれて、今度はその夢を息子に託す。主人公のコスナーは、それが嫌で嫌でたまらなかったという。早々と家を出て、帰ったのは父の葬式の時。そんな親子のすれ違いがトウモロコシ畑のグラウンドで和解する。父と息子と野球。これこそアメリカの神話なのである。
・ところで、この映画を見た日の昼に、久しぶりに野茂の試合を見た。今年はものすごく調子が良くて、投球回数はリーグ1位。勝利、三振、防御率、被打率などのすべてが5位以内というものだ。これでどうしてオールスターに選ばれないのか、と腹も立ったし、何よりドジャースのリーグ最低の打撃陣にはシーズンの最初から愛想が尽きていた。しかし、野茂は何もいわずに飄々と投げて、この日も勝利。11勝8敗。3点とってくれれば勝った試合が5試合ほどもあったから、本当ならもう15〜6勝はいっているはず、と文句ばかりだが、彼のおかげでメジャー・リーグの楽しさを、もう9年も堪能させてもらっている。野茂の夢はワールド・シリーズで投げること。それを何とか早く実現してもらいたい。まさに「フィールド・オブ・ドリーム」である。
・オールスター前に新庄がマイナー落ちした。田口は今年もほとんどマイナー暮らし。一方でオールスター・ゲームにはイチロー、松井、長谷川が出場した。それぞれの「フィールド・オブ・ドリーム」。野球は単なる玉遊びではないのである。

2003年7月21日月曜日

Madonna "American Life"

 

madonna1.jpeg・マドンナのニュー・アルバム『アメリカン・ライフ』がアメリカでアルバムの1位になったそうだ。彼女のデビューは1982年だから、もう20年以上、トップ・ミュージシャンの位置に居つづけていることになる。今さらながらに、すごい人だと思う。
・デビューの頃はマリリン・モンローの音楽版と言われたり、その歌詞の内容や言動から、道徳的、倫理的、あるいは宗教的な意味で反発を買ったりしてきた。僕はそんな彼女に興味を持ちつづけてきたが、そのアルバムを買ったのはずっと後になってからだった。
・理由は、聴くよりも踊るための音楽だったこと。マイケル・ジャクソンとほとんど同時期にブレイクして、音楽状況は完全に一変されてしまった。MTVがミュージック・ビデオ専門のケーブル・テレビ局として人気を集めて、ビデオがおもしろくなければCDが売れないという状況になった。多くのミュージシャンがそのような状況を批判したが、僕もあほらしい感じがして、一時期、ポピュラー音楽自体に関心をなくした。再び聴き始めたのはU2やスティングなどに興味を持ちはじめた80年代の終わり頃からである。
・そんなことがあったから、マドンナの歌自体にはほとんど興味をもたなかったのだが、マドンナのファンが若い女性で、「ウォナビー」(マドンナのようになりたい)というのだという話を耳にしたあたりから、どんなことを歌っているのか、興味をもつようになった。
・魅力的な女になるのは、男のためではなく、自分のため。自分を表現し、自己実現するため。マドンナはセクシーさを舞台でパフォーマンスしながら、同時にジョギングをやり、フィットネスをして体を鍛えた。男を誘惑しながら、男に頼らない。男中心で保守的なものへのあからさまな反発。若い女の子たちが憧れるのはごく自然なことだが、それは男にはもちろん、頭でっかちのフェミニストにも予測のつかない現象で、フェミニズム以上に、女の子たちの意識を変える役割を果たした。
・マドンナはその後映画にも出演し、女優としても才能のあるところを見せたし、出すアルバムはほとんど大ヒットした。しかし、グラミー賞はいまだにとれていない。これはスピルバーグがなかなかアカデミー賞を取れなかったのと似ているが、エスタブリッシュメント(体制)にとって受け入れがたい存在であったことは、スピルバーグ以上だといえるかもしれない。
・彼女は常に戦う人だったし、今でもそうだという評価をする人がいる。音楽業界の慣行に対して、男たちの好色的な目に対して、女たちの嫌悪や嫉妬の目に対して、社会の保守的な意識に対して、あるいはポップ音楽の世界のトップに君臨するために、自分をセクシーで美しく、なおかつ強い存在にするために………。
・前置きが長くなった。『アメリカン・ライフ』だが、なかなかいい。ビデオクリップでは、マドンナは女兵士になってブッシュ大統領にそっくりな男に手榴弾を投げるというシーンがあったそうだ。これはイラン侵攻の時期と重なって修正されたようだが、それでも、ビデオは放送自粛となっているらしい。マドンナの反戦!の意思表示。ただし彼女は、アメリカやアメリカ軍の批判ではなく、もっと本質的な意味での反戦と反物質主義がテーマだという。そのあたりは微妙で、マドンナも誤解をされないように苦労しているようだが、僕からすれば、それは同じことにすぎない。アメリカ軍に所属する若者たちが、無益な戦争にかりだされたことはまちがいないのだから。
・もっとも、アルバムにおさめられた歌のなかには、もっと素直に現代人の心を表現したものもある。アコースティック・ギターの弾き語りで、マドンナの新しい側面を聴いた気がした。マドンナはその持ち歌のほとんどを自作しているが、そのことを知っている人は意外と少ない。ただ歌い行動する人ではなく、彼女は思索する人でもある。


あなたのそばにいると、私は私でなくなる
あなたが話してくれないと、私は私でなくなる
夜一人でいても、人混みのなかにいても
私は私でないから、どうしたらいいかもわからない "X-Static Process"

・マドンナは『アメリカン・ライフ』で当然、グラミー賞を取るはずだと思う。こんなに不作の状態が続く音楽業界のなかで取れないとしたら、もうグラミー賞など存在価値はないに等しいのだから。ところが音楽批評家の評判はきわめて悪いという。サイトで探したら次のようなコメントが見つかった。やっぱり………。音楽批評家というのは米国でも日本でもしょうもない存在で、まったく救いがたいが、マドンナはそんな悪評をバネにさらに飛躍する。

グラミー賞関連の著作があるトーマス・オニール氏は、マドンナはこれまで真面目なシンガーやアーティストとしての評価を受けておらず、今後も受けることはない、としたうえで「マドンナはポップミュージック界で、吸血鬼に等しい不死身の存在。(アーティストとして)既に終わっているとする悪評や予測を超越しているようだ」と述べている。(ロイター)

2003年7月14日月曜日

雑草のたくましさ


forest26-1.jpeg・梅雨はまだ明けない。前回も書いたが今年は雨が多い。連休明けから梅雨入りの感じだから、もう2ヶ月以上になる。朝起きて、重たく雲がたれ込めていると、がっかりする。雨で濡れていては倒木集めにも出かけられないが、集めた木を切って割ることもできない。


・日が出ないから、家の回りの植物にも異変があった。ライラックが花を咲かせなかったし、三つ葉ツツジも申し訳程度にしか咲かなかった。買ってきて植えた植物のなかには、根腐れをおこしたものもある。垣根にしている樅の木に若葉が生えてこない。しかし、こんな天気でも元気な植物はあるし、こんな天気だから一層元気になるものもある。

 

forest26-2.jpeg・積んだ倒木にはかびが生え、キノコが出始めた。周囲の雑草が積んだ倒木の山を覆いはじめた。木にからまりつく蔦やアケビの蔓は気味が悪いほど勢いがいい。川沿いの道はもう歩けないほどびっしり草が生い茂っている。歩いて踏み固めたはずのところも、ちょっと歩かないでいると、道は消えてしまう。森の植物の生命力は本当にものすごい。空き家にして何も手入れをしなければ、家そのものが植物に呑み込まれてしまうにちがいない。そんなことが実感としてわかる。そう考えると、雑草はたくましいというよりは、恐ろしい。

 

forest26-3.jpeg・とても放っておけないから、草を刈った。電気の草刈り機はあるが、コードに限りがある。エンジンのを新しく買うほど広範囲に刈る気はない。で、ホームセンターに行って柄の長い草刈り鎌を買ってきた。とりあえずは川沿いの道。ここは重たい荷物を運び込むときにしか使わないが、放っておけば、雑草の幹が太くなって、秋にはタイヤに刺さるほどになってしまう。それから、倒木を運び込むための進入路。ここは隣の空き地だが、もうすっかりわが家の土地の一部になっている。手で刈ったのでは、きれいに刈り揃えることができないが、それでも、歩いたりするのに邪魔ではなくなった。

 

forest26-4.jpegforest26-5.jpegforest26-6.jpeg

 

・庭や森の花は、次々と入れかわっている。現在咲いているのは上のような感じ。山紫陽花に蛍袋や撫子。湖畔ではラベンダーが満開で向日葵なども大きく育っている。コスモスも咲き始めた。雨が多くても、いつものように咲くから不思議だ。ストーブ用に積んである薪のところに朝顔を植えた。もう少ししたら咲き始める。育って欲しいものと、じゃまくさいほど育ちすぎるもの。もちろんその判断は人間がする。保護してやるものと、ばったばったとなぎ倒すもの。僕は森の世界に君臨する暴君だな、とふと思ってしまう。


・しかし、畑や田んぼではちょっとした雑草も生きられない。最近流行のガーデン作りでも一緒だろう。文化(culuture)の語源は「耕す」だから、雑草との闘いのなかではぐくまれたもののことである。ぼくはその「文化」を研究するものの一人だが、雑草を刈るのは必要最小限にすることにした。だから今年は森の草むらには手をつけないでおくつもりだ。下の写真の草は、今1メートルほどに育っているが、夏の終わりにはどのくらいになるのだろうか。楽しみのような恐ろしいような………。


forest26-7.jpegforest26-8.jpegforest26-9.jpegforest26-10.jpeg