2004年10月19日火曜日

REM, Tom Waits and Mark Knopfler

 

・気になるミュージシャンのニュー・アルバムを続けて買った。どれもいいけれど、しばらくぶりなREMから。"Around the Sun"は前作の"Reveal"からは3年ぶりになる。もっともREM、というよりはマイケル・スタイプスについてはつい最近、「ドニー・ダーコ」でもふれたばかりだ。しばらくぶりに懐かしい声を映画で聴いて飛びついたのだが、別のミュージシャンだったという話だ。言いかえれば、ぼくのなかではそれだけ待ち遠しかったアルバムということになる。で、聴いた感じはというと、なんとも印象が薄い。印象の薄さを自覚するかのように、アルバム・ジャケットにはピンぼけ写真が使われている。そこにマイケル・スタイプスのどんな意図が込められているのか。何度も聴いて、歌詞を読んでみた。何とも頼りない心もちばかりが伝わってくる。
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ためらいが背中をつかんでいるから
君が僕を見ていなければ強くなれるんだけど
支えのない子羊のように混乱してしまう
"The Ascent of Man"
長い長い、長い道
で、どっちへ行ったらいいのかわからない
君がもし、もう一度手をさしのべてくれても、僕はたちさらなければならない
Make It All Okay"

・トム・ウェイツの"Real Gone"は前作同様、歌詞はやはり奥さんのキャスリン・ブレナンのようだ。"Alice"と"Blood Money"以来2年ぶりで、相変わらず仲良く歌作りをしている感じが伝わってくる。どの歌もストーリーをもっている。ブレナンが生み出すことばをウェイツが語る。聴いているだけでストーリーが理解できればいいのに、とつくづく思う。歌詞カードを見ながらでは、何ともじれったい。
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彼の有り金は3ドルで車はぼろぼろ
ましな暮らしを理由に別れた妻
彼女はボンネットにたまったほこりにグッドバイと書いた
で、どうなったって誰もが知りたがる話だ
"End"

・マイケル・スタイプスのつくる歌の主語はほとんど"I"で相手は"You"だ。それとは対照的にウェイツが歌うのはほとんどが"She"と"He"。じぶんへのこだわりの仕方、あるいはじぶんや他者をみつめるまなざしの違い。年齢の差かなと思う。ぼくはやっぱり、ウェイツの歌のまなざしに親近感をもつ。マイケル・スタイプはいつまでも若い、というより大人になりきれないといったらいいのか。

・もう一枚はマーク・ノップラーの"Shangri-La"。2000年に出た"sailing to philadelphia"以来だと思ったら、2002年に"The Ragpicker's Dream"というアルバムが出ていた。amazonのレビューを読むと、これもなかなか良さそうだ。
・シャングリラはカリフォルニアのマリブにあるスタジオの名前のようだ。サウンドは例によってアイリッシュとブルースの混じり合った独特のもので、ギターもなかなかいい。テーマは音楽と歴史。プレスリーやロニー・ドネガン、あるいはソニー・リストン(ボクサー)のことを歌っている。
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君が若くて美しかったとき
君の夢はすべてが理想だった
のちに、まったく同じでないにしても
すべてが現実になった
1600マイルを走って真実に後戻りすれば
はじめてレコードを作って母に捧げた君がいる
"back to tupelo"

・ じぶん自身をみつめる、こういうふりかえり方もあるんだと思った。もう一人のストーリー・テラー。よかったから"The Ragpicker's Dream"もAmazonに注文しよう。(2004.10.19)

2004年10月12日火曜日

テレビ取材体験記

 

・最近、取材をさせてくれないかという話が時々来る。専門分野のことについてはだいたい電話で、これは大学の研究室にかかってくる。家に来るのは、生活や暮らしの仕方についてのものだ。パートナーの陶芸についてなら大歓迎だが、僕のことならすべてお断り、ということにしているが、今回は話を聞いてみようかという気になった。理由はNHKの山梨ローカルで夕方の番組だったこと。もう一つは取材の理由がカヤックだったことだ。
・電話の相手は若い女性のディレクターで、河口湖周辺に住んでいて、なにかおもしろい生活をしている人をさがしているという話。カヤックを買った「カントリーレイク」の紹介だという。レポーターがカヤックを河口湖で見つけて乗せてもらい、その後工房で陶芸を体験するというシナリオ。だいたい5分ぐらいのレポートになるということだった。落ち合う場所と時間をうち合わせた。

・当日の天気は今にも雨が降り出しそう。シナリオではまず僕が河口湖でカヤックをしていなければならない。組み立てには30分ほどかかるから、撮影を始める1時間前には湖畔に出かけた。しばらく漕いでいると女性が二人、手を振っている。岸に近づけて、打ち合わせもなしに本番。レポーターの女性と話をして、オールの持ち方、漕ぎ方を教え、ライフジャケットをつけた後、さっそく、彼女を乗せて湖に出る。ところがしばらくすると雨。10分もたたずに岸に着けて慌てて片づけをはじめる。雨が激しくなって、撮影どころではないが、一応、パートナーが陶芸をやっていて体験ができるというやりとりをしなければならない。それをしないとわが家に移動という筋道がつけられない。びしょ濡れになって、片づけながらのやりとり。
・わが家に着くと工房に案内して、パートナーを紹介する。ビデオは回っているが、ほとんど気にせずふるまう。うまく撮れているのかどうか、編集できるのかどうか。スタッフは若い女性二人だけで、ディレクターは今回が初仕事だという。レポーターもまだ新米だ。工房の撮影をする前に、二人でこれまでの反省とこれからの段取りを話しあっている。

・聞けばディレクターはまだ23歳。短大を出てプロダクションに就職して、今年、NHK山梨放送局の下請け仕事に配属されたという。レポーターは26歳だが、再就職して今年から仕事をはじめたばかり。二人のやりとりを聞いているうちに、学生の実習活動を見守る教師になってしまった。
・わずか5分のレポートのシナリオをどうするか。やりとりのなかでレポーターが聞くべき質問は何か。僕らが京都から引っ越してきたこと。僕が東京まで車で通勤していること。パートナーが陶芸をはじめた理由などを喋りながら、同時に彼女たちの話も聞く。ディレクターはその間、撮影をしたり、ビデオを止めて話に加わったり。陶芸体験もまねごとで簡単にすます予定だったのだが、体験教室の費用を払って、しっかり作ることになった。
・昼過ぎにはじまった撮影は、結局6時間もかかった。終わったときには外は真っ暗。ずいぶん長い時間ビデオを撮ったようだが、それをどうやって5分にまとめるのだろうか。途中で独り言のように手順をつぶやいていた姿がおもしろかったが、また初々しくもみえた。レポーターも土遊びに夢中になると、喋ることを忘れる。それを指摘されて、やりなおし。端で見ていて何度も笑ってしまった。

・テレビのワイドショーやバラエティ番組、あるいはニュースには短いビデオ・レポートが頻繁に登場する。それを作っているのは、彼女たちのような下請けのプロダクションに働く若い人たちだ。おもしろい仕事だとは思う。しかし、テレビに映るほど華やかではないし安直でもない。手間がかかるし、力もいる。ディレクターは細いからだでビデオカメラをまわしつづけ、三脚を持ち歩いた。レポーターもその場その場で臨機応変のやりとりを心がけなければならない。うまくいかなければやり直し。
・結果的に長い時間つきあわされたが、取材されているとか映されているとかいう意識をほとんどもたずに、おもしろい体験をした。これは、何となくテレビに憧れる学生に話して聞かさなければ、と思う。もっとも、わが家ではNHKのUHFは見ることができない。

2004年10月5日火曜日

中沢新一『カイエ・ソバージュ』講談社選書メチエ

 

nakazawa1.jpeg・中沢新一は八〇年代に「ニューアカデミズム」の代表としてデビューした宗教学者だ。それ以降も意欲的な仕事を重ねてきているが、大学での「比較宗教学」の講義内容が最近、五冊の本にまとめられた。半年分が一冊のボリュームで、語り口調だから、深遠な内容が分かりやすくまとめられている。
・題名の「カイエ・ソバージュ」は「野生のノート」といった意味で、それぞれはまた、『人類最古の哲学』『熊から王へ』『愛と経済のロゴス』『神の発明』『対称性人類学』と名づけられてもいる。

 

nakazawa2.jpeg・これらの本の中で問われているのは、きわめて基本的な疑問だ。たとえば、人間が他の生き物や自然とちがう存在であることを自覚したきっかけは何か。その自然の中に多様な神を感じていた人びとが、たったひとりの神を信仰するようになったのはなぜか。国という世界のとらえ方、王様という存在はいつ、なぜ登場したのか。そしてお金でモノやサービスを交換する経済の仕組みは、どのように発展したのか。単純な疑問だけに、説明はまたどれも、きわめてむずかしい。しかし、考える基本は、それぞれについて、その原初的な形態をおさえることだという。

 

nakazawa3.jpeg・人間はその大半の歴史を、自然のなかで他の生き物とのちがいよりはつながりを自覚して生きてきた。その万物にはそれぞれ神(精霊)がやどり、力のある者も自然の前では無力な存在であることを自覚していた。食べ物は自然からの授かりものであり、それは多くの人たちで分けあうものであった。著者はそれを「自然」と「人」を共存させる「対称性のシステム」だったという。そのシステムが、最近の数千年間の人間の歴史のかなで徐々に崩されてきた。近代という社会、国民国家、そして資本主義経済は、その対称性を崩した「非対称のシステム」だというのが筆者の分析である。

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・こうまとめるとむずかしそうに思えるかもしれないが、『人類最古の哲学』で一番多く話題にされているのは「シンデレラ」の物語である。それはヨーロッパに語り伝えられた寓話だが、同じ形式は米国大陸にもアフリカにも、オーストラリアにも、そして、もちろん、アジアや日本にも見つけられる。それは、アフリカに誕生したホモサピエンスが世界中に広がった結果であり、現世人類として同じ意識や思考の構造をもっていることの証拠でもある。

 

その人間が、近代化のなかで大きく発想を変えた。その結果が現代の社会であるのはいうまでもない。非常に豊かだが、またそれ以上に問題を抱えてしまった世界。著者が示す方向性は、当然、「対称性のシステム」の再発見、再認識、再構築ということになる。環境の破壊を憂いたり、自分のなかに失われた自然を取りもどそうとする。それは私たちのなかに自覚される「対称性」への思いだが、世界中に散在する神話や民話から「非対称」の現代の社会を問い直そうという試みは、きわめて刺激的である。

(この書評は『賃金実務』9月号に掲載したものです)

2004年9月28日火曜日

息子の結婚式

 

・僕は結婚式は好きではない。だからなるべく理由をつけてお断りしてきた。ゼミの学生から仲人とか出席してスピーチとか頼まれることがあったが、これももちろんお断り。というよりまずこちらから、そういうものには出ないと宣言してきた。もっとも、学生たちも日頃の僕をみていれば、儀式が嫌いな先生だということはわかったようで、それほど頻繁に頼まれることもなかった。なにしろ僕は学生の前で一度もネクタイを締めたことがないのだから。それに口の悪い教師だから、晴れの場で何をいわれるかわからない。学生たちには、そんなふうに思われていたのかもしれない。
・僕の息子はすでに2年前から同棲をはじめている。だから今さら式を挙げなくてもと思ったのだが、けじめをつけたいようで、とくに反対はしなかった。仲人も頼まず、親戚も呼ばず、ゼミの先生や職場の上司も呼ばない。家族と友人、それに職場の同僚だけのうちとけた会にしたいという。堅苦しくなくて結構だと思った。しかし、服装は普段着というわけにはいかない。といって黒の礼服でもないだろう。滅多に着ることもないがスーツを新調することにした。ついでに黒の靴と白いシャツ。
・結婚式は神戸の異人館でおこなわれた。正直なんで異人館?と思ったがパートナーの希望だというから、あまりうるさいことは言わないことにした。女性にとっては、結婚式はやっぱり大事な出来事で、とやかく言ったら最初からしこりができてしまう。実は彼女のことを、息子にはすぎた相手だと思っている。仲良く暮らしてくれれば、それだけで十分なのだ。
・関西には1年数カ月ぶり。彼岸が近いというのにやっぱり暑くてむしむしする。新神戸駅から異人館まではそれほどの距離ではないが、衣装などの重たい荷物を持って急坂を登ると汗が噴き出してきた。控え室のクーラーの前で冷気にあたるが、ちっとも汗が引かない。久しぶりに息子に会うと頬がこけて顔色も悪い。「どうしたん?」と聞くと、すかさずパートナーが「三日前からプレッシャーで大変!」という。彼女の方はというと、いつもながらの平常心で元気いっぱい。「あー、やっぱり」と思った。息子は僕に似て、きわめて神経が細いのである。いい組み合わせだ。あらためてそう確認した。
・式は庭でおこなわれて、異人館を見物する観光客が塀越しに覗いていた。神も仏もいない「人前結婚式」。鳩の形をした風船を飛ばして、新郎新婦にシャボン玉を飛ばした。セレモニーのやり方にもいろいろある。そんな人ごとのような感覚で参加していたが、儀式張らない傾向は悪くはないと思った。風船が青い空に飛んでいくのを見送るのはおもしろかった。
・披露宴ではパートナーの弟君が「姉さんをどこの馬の骨かわからない男に取られる気分」といって会場をわかせた。おもしろい弟だし、兄弟仲がいいんだ、と感心した。それにひきかえ、わが家の兄弟は幼い頃から仲が悪かった。実はこの日は弟の誕生日で、祝ってもらう日になぜ祝わなければならないのか、ぶつぶつと文句を言っていた。そうすると、退席した新郎と新婦がウェディング・ケーキとは別にもう一つケーキをもってきて、「今日は弟の誕生日です」といって弟に差し出した。弟は突然のことにまごついたが、鞄もプレゼントされて、すっかりごきげんになった。「ほらみろ、いい兄貴じないか」そう言うと、「アー」といってうなずいた。
・二人はそれぞれの両親にもプレゼントをした。僕らがもらったのはハワイ旅行。ハワイは行ったことがないが、あまり行きたいところだと思ったこともない。しかし、せっかくもらったのだから、やっぱり喜んで行かなければ。いろいろ気を使いはじめたじぶんを自覚したが、気を使う度合いは息子たちの方がはるかに大きい。気のきかない、要領の悪い息子だと思っていたが、ちゃんと成長してくれた。そんなことを感じさせてくれる機会だった。
・結婚式は親にとっても晴の舞台だが、それは新婦の父親にこそいえる。彼はヴァージン・ロードを娘と歩き、式から披露宴のあいだに何度も涙をながした。僕には娘がいないから、そんな目にあうことはない。よかったと思う反面、ものたりなさもちょっぴり。娘をもった父親の気持ち。これは僕にとっては永遠の謎だ。

2004年9月21日火曜日

故障で大慌て

 この夏休みは、パソコンやネット関係でずいぶんふりまわされた。まず最初は、我が家の電話回線。ネットが時々つながらなくなった。モデムの故障かと疑ったがPowerbookの内蔵モデムでつないでも症状は一緒。電話にもやたら雑音がはいる。そこでNTTに電話して回線状態をチェックしてもらった。そうするとたしかに状態が悪い。調べてもらうと本線から家までの線が原因であることがわかった。本線から我が家までは線が地中に埋まっている。3組の回線があるから接続を別のものに変えた。簡単な作業だが、素人にはわからない。NTTの作業員は、「ほんとうはこれはうちの仕事ではないんだけど」と何度もしつこくくりかえした。


本線から家までの配線工事は一般の業者の仕事らしい。しかし、そんなこといわれたって、配線をどこの業者がやったのかわからない。仕事の領分があって、そこを侵したくないのかもしれないが、ぼくにはお役所仕事の名残のように感じられた。とはいえ、この際だからとISDNに切りかえてもらうことにした。当分ブロードバンドになる可能性はない。今さらISDNという気もするが、少しは早くなるし、つなぎっぱなしの環境になる。値段もそれほど高くはない。そんな理由で決断した。


ISDNが使えるようになって、便利さを実感した。しかし同時に、これがADSLだったらもっといいのにとうらめしくも思った。森のなかに住んでいて便利さを求めてはいけない。そう思う一面で、ネット環境は僻地ほど充実させるべきだと思う。だからNTTや自治体には不満が募る。それはともかく、ちょうど『ポピュラー文化を学ぶ人のために』のファイルをやりとりしなければならなかった時期だから、64kでもずいぶんましで、何メガものファイルをやりとりできた。昼でも夜でも時間を気にせずできるのがいい。家にいても、メールに即座に返事が書ける。


ところが、肝心の大学のサーバーが入れかえのために数日間停止して、そのあと、設定もパスワードも変わってしまった。再開したあともいろいろ不具合があったり、不安定だったりして、使いにくい。研究室で使うと確かにスピードは速くなった。数十メガのダウンロードでも数秒ですんでしまう。設備がよくなるのは結構だが、それだけに電算室の担当の人にはがんばってほしいと思う。日頃お世話になっているし、大変なのは十分に承知しているが、サーバーが頻繁にダウンしたのではこまってしまう。


ネットにつなぐことが多くなって負荷をかけすぎたのか、家のマックが壊れてしまった。立ち上がっているのだがモニターに映らない。画面が9分割になったり残像が重なって訳が分からなくなってしまう。AppleJapanに電話をして症状を話すと、ロジックボードの故障ではないかという。それでは修理をお願いしますというと、しばらく間があって、すでに供給中止になった部品だからなおせないという返事。ショック!仕方がないからpowerbookの一番小さい12インチを購入することにした。
それでネットはつかえるようになったのだが、印刷ができない。家のプリンターはUSBやEthernetでは接続できないのだ。ポストスクリプトでまだまだつかえるからプリンターまで買い直す気はない。ぼくはAppleの純正のレーザープリンターをつかいつづけているから、他社製品は今ひとつ信用できない。研究室でつかっているEPSONの レーザープリンターもOSXではうまく印刷してくれないから、だいたいはOS9でつかっている。


そんなわけで、大学まで出かけていってパソコンとプリンターを持ち帰ってきた。重くて大変だったが、これで何とか印刷もできるようになった。しかし、もうすぐ大学がはじまる。そうするとまた、パソコンとプリンターを大学にもどさなければならない。そこで、おなじ機種を中古で探すことにした。Powermac G3 MT300。すぐに見つかったが、ここでもトラブル。最初に注文したところから、確認のメールが全然来ない。そこで、どうなっているのかメールを出したのだが、何も返事がない。で、電話をしたら、留守番電話になっている。翌日も電話をしたがやっぱり留守。メールで注文の解約をして、別のところに注文することにした。金額は4万円。


今度はすぐ確認があって翌日には配送されてきた。あまりの速さにまたビックリ!しかし梱包を解いて接続しはじめたらまたトラブル。モニターのケーブルがうまく接続できない。近づいてよく見るとネジ受けがない。仕方がないから壊れた機種からはずしてとりつける。壊れた機種から移しかえたのはほかに内蔵のハードディスク、MO、ビデオ入力のボード、ファイアーワイヤーのボード等々。メモリーは512mbあったが、それもさらに640mbまで増やした。


こんな作業をしたのは、もちろんはじめてのことで、どことどこをつなぐか、使える部品はどれか、壊さないように、間違えないように。夕方からはじめた作業は、夕飯もそこそこに再開。で、どきどきしながらスイッチ・オン。見事に立ち上がり、ハードディスクのアイコンも二つ。MOも使えてビデオの入力もできた。プリンターとの接続も大丈夫。ホッとしたときには夜中になっていた。やれやれ………。 


僕が一番使うのはDTPソフトのInDesignで、G3では遅くてつかいにくいのだが、印刷はこれでないとだめだから、生き返ってとりあえずはほっとしている。これで何とか落ち着いてやれやれだが、もうすぐG4とEPSONのプリンターを大学にもどさなければならない。ぎっくり腰にならなければいいな、と願っている。

2004年9月14日火曜日

ガビチョウと薫製

 

forest36-1.jpeg・今年の夏はにぎやかだった。といっても観光客や別荘の住人のことではない。早朝から鳴く鳥のことだ。僕はてっきりセンダイムシクイだとばかり思っていた。「ショーチューいっぱいグイー」と鳴くから、「朝から、この酔っぱらいが」と応えていたのだが、どうも泣き方がちがう。しかも、これまで聞いたことがない。そんなふうに思っていたら、たまたま近くに見慣れない鳥が現れた。さっそくビデオに収めて、野鳥図鑑で調べたが、それらしいのは載っていない。
・世界思想社の中川さんにこの写真を送って尋ねると、「メジロ?」という返事。図鑑でみつかる似た鳥はたしかにメジロしかないが、目の形がだいぶちがう。黒目も白目もかなり大きいし、白い部分が後ろに流れている。隈取りをしたような派手な目だ。身体全体の色もちがう。第一、日本の野鳥らしくない。
forest36-2.jpeg・そこで友人のバード・ウォッチャーに聞いてみた。もう20年以上のキャリアをもっているからさすがだが、得意そうな文面で「ガビチョウと思われます」という返事がきた。「?」聞いたことがない。彼によれば外来種で東京の高尾山でよく見かけるという。さっそく、ネットで検索してみた。
・そうしたら、たしかにそのとおり。特徴がまったくおなじだ。中国やインドに生息して、日本にはペットとして持ちこまれたが、それが野生化したようだ。最初は高尾山や多摩地区で観察されたが、最近では、広く東日本や九州でもみつかるという。参考までに、ガビチョウを紹介したサイトを載せておこう。鳴き声の聞けるサイトはここだ。
・サイトの説明には「篭ぬけ鳥」ということばがあった。逃げ出して野生化したということだろうか。かなり広い範囲で見かけるのだから、生命力の強い鳥なのだと思う。たしかに鳴き声はエネルギッシュだ。最初はほほえましさを楽しんでいたが、だんだんうるさくなって、外来種と知ってからは不快に感じるようにもなった。ずいぶん勝手な話だが、「ガビチョウって、ガングロのヤマンバギャルみたいな顔してますね」などという描写に妙に納得すると、その奇妙な風貌自体も、なにやらうさんくさく思えるようになってきた。
・意識して見聞きするせいか、最近では群をなしているところを見かけたりする。渡り鳥ではないから、ずっとここにいるのだろう。そうすると、ほかの野鳥が近づかなくなるのではないか。ぼくのなかでは、もうすっかり害鳥あつかいである。

forest36-3.jpeg・この夏の話題をもう一つ。薫製作りにチャレンジしている。といってもまだはじめたばかりで、それらしいものを作れていない。買ってきた生鮭をただいれて煙をまぶせばいいぐらいに思っていたのだが、チップがなかなかいぶらないし、味も薫製らしくない。そこでやっぱりネットで検索。そうするとあるはあるは、世の中には凝り性の人は多い。で、読んでいるうちに納得。これは典型的な「スローフード」で、まず下ごしらえに数日かけなければならないのだ。塩、こしょうに各種のハーブを調合してつけ込んで、その後に乾燥させる。夏場は冷蔵庫内で一晩。煙にあてるのも1回とはかぎらない。すこし堅めのしっかりとしたスモークサーモンにしようと思ったら、何日にも分けて燻さなければならないようだ
forest36-4.jpeg・豚のバラ肉をつかってベーコン、冬に近くなったら新巻鮭を1本買おう、その前にサンマの薫製はどうだろうか、などと想像力ばかりが先走りする。しかし、これは腰を落ち着けて、ゆっくりとした気持でやらなければ………。もっとも、短時間で一気に燻して表面だけを薫製にして、中は半生といったやり方もあるようだ。
・薫製機(スモーカー)は市販のものだが、これはセゾン・カードのポイントで手に入れた。高速道路の料金をETC払いにしたから、ポイントは黙っていてもたまる。チップは桜や胡桃の木だというからじぶんでつくることも可能だ。しかし、とりあえずはホームセンターで数袋購入した。これからしばらくの楽しみができた。

forest36-5.jpeg・楽しみといえば、ミョウガ。今年は暑かったからたくさんできて、多い日にはザルに一杯ということもあった。スーパーでは一つ百円ほどで売っているからこれは貴重品なのだが、薬味やテンプラ、あるいはサラダにと、毎食のように食べて堪能した。実はミョウガがどんなふうにしてできるのかといったことも、ここで初めて知ったのである。
・今はもう採れないが、ぼちぼち栗の季節になってきた。これも今年は豊作で、木にはいがぐりがたくさんできている。これはザルというより大篭に何杯も収穫できるだろう。栗ご飯にスモークサーモン、梅酢に漬けこんだミョウガ。食欲の秋が何とも待ち遠しい。
・もっとも夏休みのあいだに腹の脂肪がいっそう気になりだして、湖一周のサイクリングにも数回出かけた。それでなにか効果があったかはわからないが、食べたいものを食べる口実にはなるだろう。

2004年9月7日火曜日

鷲田清一『ことばの顔』中公文庫

 

washida2.jpg・鷲田清一は現代の身体やモード、あるいはコミュニケーションをユニークに読み解く哲学者だが、また、哲学者の視点はもちろん、自分の記憶、関西人の笑い、あるいは京都人の皮肉さを駆使するエッセイイストでもある。その彼の『ことばの顔』が文庫で出版された。
・扱われるのは哲学者の名文句、流行語、そして現代を読み解くためのキーワード、また、すでに使われなくなった死語といったものである。それが鷲田流に調理されると、オリジナルな一品料理になる。
・「人間は天使でも獣でもない。」これはパスカルの人間の二重性を説いたことばだが、著者は生まれ育った京都の島原の思い出からこのことばを料理する。あでやかな舞妓さんとみすぼらしい格好の坊さんがいる町。化粧を落とした舞妓さんがお宮でじっと祈る姿、この世を超えた世界を説く僧侶。人間は一面ではわからないし、また人生も一本道ではない。その不確かさ、不均衡、不釣り合い。著者はそれこそ、「現実というもののいちばんリアルな感触なのかもしれない」という。
・携帯電話はもうすっかり、多くの人の必需品になった。もたずに出かけたりすれば不安でたまらない。そんな声もよく耳にする。人混みの中でのたがいの無関心と、携帯を使った親密なやりとり。そんな光景に出会うと、著者は寺山修司の「いまわたしたちが失いかけているのは『話しかけること』ではなくて『黙りあい』だ」を思いだすという。人混みでの無関心は、実は無関心ではない。不要な接触を避けるために、互いに細心の注意を払うことが必要な場で、結果として沈黙が訪れるのである。携帯を使ったきわめて紋切り型の親密そうなやりとりが、人混みを本当の無関心の場にする。社会が根っこのところで壊れだしている無気味さ。
・学生と話していて、時に通じないことばを喋ってしまうことがある。難しい専門用語や外国語ではない。ごく日常的に使っていたはずのことばで、いつのまにか使われなくなってしまったものだ。たとえば下着の名前。ズロースやシミーズがすでに死語であることは承知している。しかしパンツをズボンと同義に使う学生たちのことばには、今でも違和感をもってしまう。もちろん、ズボンは死語だが、著者によれば、パンツを下着に使ってきたのが間違いだったらしい。パンツはパンタロンの略語で、もともとズボンの意味だった。
・すでに死語と化したことばとして、この本では「ヤング」「TPO」「ボイン」などが上げられている。ことばとその意味の流動化の激しさを実感するが、そのことを一層強く感じさせるのは、この本で取りあげられている「いまのことば」がすでに半ば死語と化していることである。「援助交際」「ソッコー」「なんか」「プリクラ」。一時言われた語尾上げも、今では学生はあまり使わない。ことばや話し方がわずか数年で使い捨てにされる。この本を読みながら、そのことをあらためて考えさせられた。

(この書評は『賃金実務』8月号に掲載したものです)