2009年2月23日月曜日

グリーン・ニューディールを本気でやるには

・100年に一度の大不況だそうだ。最初は日本にはたいした影響はないという予測もあったが、GDPが年率で12%も下落という事態で、対岸の火事どころではなくなった。原因をつくったアメリカでは、新大統領のオバマがさまざまな手を打ち始めている。その中に、「グリーン・ニュー・ディール」ということばがあって、ネーミングに興味をもった。

・「ニューディール政策」は大恐慌に対してフランクリン・ルーズベルト大統領がとった政策の総称で、公共事業の他に、市場主義を制限して国家が介入すること、労働時間や賃金についての法制度の整備や社会保険の制度化などが有名である。不況は実際には、第2次大戦の勃発による軍需景気で解消されているから、本当のところどの程度の効果があったのかは定かではないといわれている。けれども、市場経済に対して国家の監視が必要であること、国民の仕事や生活を守ることを主眼に置いたことなど、第2次大戦によって疲弊した西側諸国が戦後の政策に取りいれた部分も少なくない。

・国家が経済を管理すれば、自由な成長には足枷になる。社会保障や福祉制度の充実は、国の財政負担を重くする。そんな停滞状況を打破するために出てきたのがアメリカのレーガン大統領とイギリスのサッチャー首相で、そこから、国ではなく民間主導の市場主義という流れがはじまった。ここにはもちろん、ソ連や東欧の共産主義の崩壊という要因もある。日本でそれを積極的に進めたのが小泉首相だった。それで確かに、経済は活気づいた。ところが、マネー・ゲームの加熱によって起こったのが、今回の大不況である。

・経済の落ち込みによって一番影響を受けているのは自動車産業で、アメリカのGMもフォードも破産寸前の状態にあって、生き残るためには国からの財政支援が欠かせない。トヨタもここ数年の黒字から一転して大赤字で、他の自動車メーカーも同様か、もっと深刻な状況にある。輸出の柱だった家電も同じ状態だから、日本の経済状態はそれこそ、お先真っ暗という他はない。であれば、この不況を乗り越える策は、落ちこんだ消費をどうやって回復させるかということに尽きるのだが、そうとは言えない大きな課題がもう一つある。地球の温暖化や環境破壊、あるいは資源やエネルギーの問題を早急に改善させなければならないというテーマである。

・これまで、こういった議論は、省エネや循環型の再生可能なエネルギーの開発、太陽や風といった自然からのエネルギーの利用などに限定される傾向にあった。しかし、本質的な問題は、資源やエネルギーを使い放題にして消費を拡大してきた傾向や、豊かさや便利さの追求を最善の目的にするライフスタイルを変えることにあって、その意味では、消費の大きな落ち込みこそ、変革の好機といえる。少なくとも日本では、この消費の落ち込みが、必要だけど我慢するとか、買えない、というのではなく、買うのをちょっと控えようといった気持の結果であることは間違いない。「もったいない」という気持が、倫理感ではなく、素直な生活感として出ているのだから、それをまた、消費欲求や行動にもどす必要はないはずで、経済の回復とか雇用の増大は、資源や環境を考えたものとして見直していく必要があるはずである。

・不況のなかで一番の課題は、雇用を確保するということにある。しかし、さして必要ではない道路や鉄道の建設といった公共工事ではなく、また自動車や家電といったモノでもなく、流行によって消費を促進させる衣料でもないとしたら、いったい何があるだろうか。高齢化社会に必要な仕事、医療のなかでの人間的な関わり、つまりコミュニケーションを本業とする仕事、新しい農業や林業、そして環境を監視し保全する仕事………。

・今は、これらを本気になって考える絶好の機会だと思うのだが、政治家の口からはこんな発言は全く出てこない。去年北海道でやった「環境サミット」はなんだったのか、と今さらながら、白々しい思いがする。もっとも、アメリカがオバマ大統領の政策のもとで、資源やエネルギーを浪費しない国になるだろうかと考えると、それはそれでまたほとんど信じられない気になってしまう。その意味では、景気は中途半端に回復しない方がいいのかもしれない。

2009年2月16日月曜日

歌とことば


・オバマ大統領の就任演説に熱狂するアメリカ人を見て、言葉がもつ力とそれを信じる国民性を改めて実感した。大不況という最悪の状況で船出した政権がこれから何を目指し、どんな国にしていくのか。「できる」とか「やる」といった単純なことばに積極的に反応するのはいかにもアメリカ人的で、楽観主義の見本みたいだが、「気分」や「空気」ばかりに反応する日本人には、状況や見方を変える気もないし、あってもどうしたらいいかわからない。政治家の発言にポリシーのはっきりしたメッセージが何もないことは今に始まったことではないが、こんな状況でも、さまざまな現状を批判する歌一つ出てこないのは、何とも不思議な感じがする。

ry1.jpg・この欄で、ライ・クーダーの"My Name is Buddy"を紹介したのは一昨年の7月だが、その後で、これがカリフォルニア三部作のなかの一つであることを知った。猫が主人公の"My Name is Buddy"が歌うのは、20世紀の30年代で、大恐慌で失業者が溢れた世の中に、フォークソングが社会批判や抗議の武器として再生した時代だった。そのアルバムにはピート・シーガーも参加していたが、もう90歳になる彼は、オバマ大統領の就任を祝うコンサートの最後にステージに上がって、「わが祖国」の大合唱をリードした。恐慌に苦しみ、疲弊した人たちの気持ちを勇気づけるために、ウッディ・ガスリーがつくった歌である。ちなみに、原題は"This Land is Your Land"だから、賛美するのは大地であって国家ではない。

ry6.jpg・"Chaves Ravine"は40年代から50年代のロサンジェルスが舞台になっている。第二次大戦で労働力が不足して、メキシコから大量の出稼ぎ移民がやってきた。チャベス・ラバインはその人たちが住みついてチカーノのコミュニティになったところだ。ところが50年代になると、その場所は市の再開発地域となり、立ち退きを命じられて、跡地にはドジャーズを招くためにスタジアムがつくられた。このアルバムには、強制立ち退きに抵抗する歌、マッカーシーの赤狩りに乗じて、共産主義者を理由に弾圧するさまや、「赤と呼ぶな」といった訴えが叫ばれる。ことばはもちろん英語だけでなく、スペイン語も混じり、音楽にはラテンやジャズ、そしてR&Bが使われている。チャベス・ラバインのコミュニティ、反対運動で集まる人の前で砂塵をあげるブルドーザー、そしてドジャース。記憶から消されてしまった場所と歌と音楽の再現………。

ry5.jpg ・三作目の"I,Flathead"は、2008年にリリースされている。時は60年代で、このアルバムには自作の小説もついている。アルバムはいわば、その小説のサウンドトラックという趣である。残念ながら、僕は小説のついていないCDを買ってしまったから、その内容についてはよくわからない。ヒッピー文化が登場する直前の60年代前半のカリフォルニアが舞台で、ホットロッドのカーレースや、女の子とのデートなどが、さまざまな音楽と共に語られる。ラジオから流れてきたジョニー・キャッシュの歌に夢中になって、勉強も手につかなくなったことなどが歌われていて、このアルバムが彼の少年時代の追想であるようにも聞こえてくる。

・この三部作を聴いていると、音楽や歌をアルバムとしてまとめることが、一つの世界の創造であること、その多様な可能性が、まだまだいくらでもあるんだということがよくわかる。じぶんにとってなじみのある音楽と場所をテーマに20世紀という時代の変化を描きだす。音楽が何より好きで、それを通して世界を見、描き、主張する。こんなミュージシャンとアルバムは、日本からは絶対生まれてこない。そんなことばが思わず口をついて出た。ポピュラー音楽は、映画や小説やマンガに負けない表現手段である。そう思わないから、ことばに意味をもたせないで平気だし、すぐに転身してしまう。音は似ていても中身は全く非なるもの。日本のポピュラー音楽を聴くたびに、いつでもそう思う。

2009年2月10日火曜日

2008年度卒論集『大学で勉強した証しと言えるかな』

 

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1.「空気論」……………………………………………………鍛治田芽生子
2.「仮面店員のホンネ」…………………………………………中嶋千尋
3.「美容院の変遷と役割」………………………………………土屋亜樹
4.「図書館の存在価値」………………………………………柴田あかね
5.「新宿の発展における百貨店とファッションビル」………糸谷里美
6.「アイルランド 人と伝統音楽」……………………………賀嶋紀子
7.「浜崎あゆみ 様々な角度から」…………………………山内志保子
8.「バンドとアニメのコスプレ表現」………………………… 庄司美希
9.「米軍基地が果たした文化的影響」…………………………森嶋美帆
10.「アウラの行方」……………………………………………… 與良正隆
11.「刺青tattoo」…………………………………………………雪山恭代
12.「どうして彼女はモテるのか」………………………………木下早弥
13.「コーヒーがもたらす文化と社会問題」……………………松野みどり
14.「スポーツからみたルール」…………………………………秋山友宏
15.「邦画と泣ける映画について」………………………………杉林里奈

3年生レポート
1.「シンデレラの神話」……………………………………………倉田萌未
2.「日本のハンドボールはなぜマイナーなのか」………………池田慎矢
3.「模倣音楽」…………………………………………………… 村尾 慎太郎
4.「保育の現場」………………………………………………………田中成美
5.「仮面をつけた人々」…………………………………… ……張ヶ谷里美
6.「プロ野球独立リーグの改革」…………………………………秋元俊哉
7.「戦争と甲子園」…………………………………………………櫻井美央
8.「メディアリテラシーの重要性」………………………………尾川貴幸
9.「ボランティア活動の実態」……………………………………石川佳奈
10.「親の観察」………………………………………………… 小野寺啓太
11.「腐女子について」…………………………………………… 鈴木梓
12.「『頑張る』について………………………………………… 松本彩乃
13.「クラブの問題と現状」………………………………………溝呂木和彦
14.「『千と千尋の神隠し』が映す現代家族」………………… 飯村理代
15.「現代はストレス社会なのか」……………………………… 高橋沙織

2009年2月9日月曜日

浅間山噴火

 

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photo50-1.jpg"・朝起きたら、テレビで浅間山が噴火したというニュースをやっていた。しばらく引きこもって仕事をしていたこともあって、即座に、「見に行こう!」という気になった。家からは甲府に出て、八ヶ岳を横目に見ながら北上する路程で、およそ2時間半だ。今年は暖冬で、道路の脇にも雪がほとんどない。この日も暖かくて、野辺山高原あたりでも5度ほどあった。浅間山は、その野辺山高原からも見ることができた。白い噴煙が上がっている。 ・佐久で昼食をとったあと軽井沢へ向かう。風向きのせいか、火山灰が路面に積もってはいることもない。浅間山の白い煙も、まるで雲のようにゆっくりと上がっている。少々がっかりした気がしたが、写真の写せるところまで近づくことにした。写したのは早稲田大学のセミナーハウス入り口だ。広大な土地で手入れも行き届いている。この程度なら、もっと近づけるかも、と思ったが、ここで引き返すことにした。
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・野辺山高原を北上すると、左(西)に八ヶ岳がある。いつもはそちらにばかり目が向くのだが、今回は右(東)の山並みが気になった。まっ白に雪化粧をして、一番高い山はマッターホルンのようにとんがっている。何という名の山なのだろうか。帰って地図で確認すると男山と天狗山の名があった。どちらにしてもあれふれた名だが、登ったら眺めは良さそうだ。

・帰り道に佐久穂町で脇道にはいると、地酒の酒蔵があった。資料館には、酒の仕込みを人形で見せたり、民具や陶器やガラスの展示があって、なかなか見応えがあった。ちなみに酒の名前は「井筒長」。

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2009年1月26日月曜日

『地下鉄のミュージシャン』(朝日新聞出版)

 

スージー、J.タネンバウム著、宮入恭平訳

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・アメリカはもちろん、ヨーロッパでも、街中の人通りのあるところで音楽を耳にすることは珍しくない。気に入れば、ちょっと立ち止まって、束の間の聴衆になる。で、コインを置いて、また歩きはじめる。

・たとえばアイルランドのダブリンのように、音楽を観光の目玉にして、ミュージシャンがずらりと並んで腕や喉を競うところもあるし、スペインのバルセロナでは銅像や彫刻を模して立ち続けるパフォーマンスが目立った。これはもちろん、観光客を目当てにした新種の仕事だが、ストリート・パフォーマンスの歴史は決して新しいものではない。というよりは、都市におけるポピュラー文化の出発点は、ストリートにあると言ってもいいのである。『地下鉄のミュージシャン』を読むと、ニューヨークという街と音楽に代表されるストリート文化の関係が、現状はもちろん、歴史的にもよくわかる。

ny.jpg ・ニューヨークの地下鉄でパフォーマンスをするためには、それを管轄する組合に登録しなければならない。また、場所と時間も指定される。つまり、それぞれの駅のそれぞれの場所がステージとして管理されていて、いつどこで誰のパフォーマンスがあるかがプログラムされているのである。これが地下鉄の犯罪の減少にもずいぶん役にたっていて、通い慣れた乗客たちにも強く支持されている。その意味で、ニューヨークの地下鉄が安全で魅力的である理由の一つが、音楽にあることは間違いない。けれども、そうなるまでの歴史は、決してスムーズなものではなかった。『地下鉄のミュージシャン』は、くりかえし禁止して排除を試みた市当局や地下鉄と、公の場での表現活動の権利を主張したミュージシャンたちの闘いの物語なのである。

・アメリカの憲法は、公共の場での表現活動を認めている。ストリート、広場、そして駅等でそれなりの空間がありさえすれば、そこで通りすがりの人たちに向かって演説してもパフォーマンスをしてもいいのである。もちろん、その場を管理する市当局や警察は、交通の邪魔になるとか、スリなどの犯罪の原因になるという理由で取り締まって排除しようとする。この本を読むと、自由や権利があらかじめ自明なものとして与えられ、提供されるものではなく、主張し、闘って勝ち取るものであることがよくわかる。それこそが、アメリカが建国以来貫いている、民主主義の柱であることはいうまでもない。

・アメリカのポピュラー音楽は、働く場や生活の場で歌い継がれてきたものだが、形をなしたのは都市においてであり、多くはストリートや広場やカフェだった。ブルースやジャズにはそういう場しかなかったし、フォークソングは各地に伝わる歌を蒐集して、貧富の差や人種差別を批判するための武器として再生されたという性格が強いから、ホールよりはストリートや広場、そしてもちろん集会やデモで歌うことの方が大事だった。そこからウッディ・ガスリーやピート・シーガーといった先達が登場し、60年代の公民権運動やヴェトナム反戦運動のなかからボブ・ディランが出現した。

・ポピュラー音楽は巨大な文化産業になり、一握りのスーパースターばかりが目立つ状況に変質した。けれども、ニューヨークの地下鉄音楽などにふれると、ストリートから大ホールやスタジアムで歌うミュージシャンまでの間に、やはり一本の道があるように感じられる。新しい動きや波はストリートから始まる。それが感じられなくなったら、ポピュラー音楽は死ぬしかないのだと思う。

・『地下鉄のミュージシャン』には、一人のミュージシャンのパフォーマンスをきっかけにしてできる人の集まりと、歌を一緒に口ずさんだり、踊ったりすることでできる、見知らぬ人間同士の関係やコミュニケーションについてふれたところがある。誰もが互いに無関心でいることが暗黙のルール(「儀礼的無関心」)となり、目を合わせたり聞き耳を立てたりしないこと(「焦点の定まらない相互行為」)を了解しあうなかでは、ミュージシャンの存在は、まるで人混みの砂漠の中にできるオアシスのような働きをする。そこに見知らぬ人間同士の間に束の間できる関係(「焦点の定まった相互行為」)が、ニューヨークという街にどれほどの安心感と和みを生み出しているか。この本を読むと、久しぶりにニューヨークに行って、音楽を聴くために地下鉄に乗りたい気になってくる。

2009年1月19日月曜日

寒波到来

 

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・1月9日に雪が降ってから寒い日が続いている。最低気温は-10度、いつものこととは言え、この気温になると、かなり寒い。出校日に朝車に乗ると-6度で、府中のインターでは6度になっていた。温度差12度で、そのためか、久しぶりに風邪を引きこんだ。

・一度雪が降ると、なかなか消えない。日陰の雪は表面が固くなっているし、道路の雪は踏み固められて凍っている。歩く時も、車に乗る時にも、滑らないようにと気をつけないと、転んだり、スリップしたりすることになる。毎年のことだが、やっぱり最初は感覚が鈍っている。それにもちろん、1年ずつ歳をとっていくから、できたはずの対応ができないと言うことだってある。まず、そう自分に言い聞かせてから行動に出る。還暦を機に、そうするように心がけることにした。

forest72-1.jpg・毎年同じことのくりかえしでも、なにかが違う。それは我が家から見える山の雪景色でも変わらない。だから何度見ても感動する。残念というか、幸いというか、上の写真のような山の雪景色は、長くは続かない。山の木の枝に積もった雪はすぐに落ちて、また葉の落ちた茶色一色の風景に変わってしまうからだ。もっと短い、ほとんど一瞬とも言える風景が右の写真で、山の稜線が白く縁取りされている。山が雲に隠れている日の翌朝、天気が好転して急激に冷え込むと、木についた水が凍りつく。霧氷というやつだ。これが出た日はまた、いつでも、しばし見とれてしまう。

・外がこんな風景だと、家の中を暖かくするのは大変だ。寒暖差が25〜30度にもなるからだ。こんなこともわかっているのに、昼間のちょっと暖かくなった時に気を許していると、夕方から一挙に家中が冷たくなって来る。慌てて、暖房全開にしても、すぐには回復してくれない。1階と2階の温度差が4〜5度あるから、2階で作業していて、あたりが暗くなった頃に下に降りて、そこではじめて、室内の気温が下がっていることに気づいたりするのである。

・いつもやり慣れている、見慣れている。そういう行為や景色は当たり前になって、特に意識をせずにやり過ごすし、見過ごしてしまう。それはそれで、日常生活をスムーズに過ごすためには便利だが、単調さはまた退屈の原因になる。その意味で、四季の鮮やかで大きな変化は、大変だけど、何度くり返しても飽きない自然のサイクルだ。

・歳のせいか、物忘れの症状をよく自覚するようになった。たとえば、コーヒーを入れる時に、豆を入れ、水を注ぎ、スイッチを入れる。ただこの行程だけなのに、水を入れ忘れることがある。ほんの数十秒前のことなのに、水を入れたかどうか不確かになったりすることはしょっちゅうだ。出かける時に、車まで歩く間に、忘れ物に気づいて後戻りする。鍵をかけたかどうか不確かになる。ほとんど自覚なしに自動的にやっているからそうなるのだが、その作業の間に、別のことを考えたり、やったりすると、もう、その自動的な行程が不確かになる。

forest72-2.jpg・河口湖が例年よりかなり早く結氷した。去年は2月中旬だったから1ヶ月も早い。その氷に映った逆さ富士は氷のでこぼこにあわせて歪んでいて、まるで油絵のようだ。いつもながらの富士だが、いつもとは違う富士。こんな景色を見ると、いつもどおりのことができなくても、それはそれでいいじゃないかと思うようになる
・80歳を過ぎた両親が今も元気に二人で暮らしている。毎週一度、泊まりがけで訪ねるが、ボケの様子は当然、僕以上で、毎回笑いの種になっている。ボケも大事にならなければ結構楽しくておもしろい。自覚しているうちは大丈夫と思うことの根拠である。

2009年1月12日月曜日

還暦に思う

・じぶんが還暦を迎えたという実感は全然ない。けれども、60歳という年齢になったのは事実で、少し前に、年金の手続をする書類の入った封筒が私学共済からやってきた。もちろん、年金生活を始めるのはまだ先のことで、生活自体に特別な変化があるわけではない。けれども、もうずいぶん長く生きてきたことを自覚させられる機会であることを実感した。

・60年は確かに長い。けれども、今まで生きてきた道筋をふり返っても、たとえば30年ほど前のことが、つい昨日のことのように思い出せたりする。先日も、30歳になった息子が、子どもの頃に叱られてばかりでほめられちゃことがなかったと言った。するとその情景が鮮明に甦って、なぜそうだったのかを説明し、腹を抱えて笑いながらも、時に真顔になって言い合ってしまった。

・記憶は時の経過に沿って正確に記録されているわけではない。つい数年前のことでも、ずいぶん昔のように感じることはあるし、何十年前のことでも、古さを感じないこともある。もちろん、それは人それぞれだ。だから、同じことを経験しているのに、じぶんだけ鮮明に覚えていたり、逆にじぶんだけほとんど覚えていなかったりすることがある。で、話をするうちに、記憶の戸棚の奥深くにしまい込まれていたものに気づいたりもする。もちろん、思いだされたことに対する解釈や評価もまた、人それぞれだ。二人の息子と昔話をして、一つの経験が互いの立場によって、ずいぶん違うものとして記憶されていることを実感した。

・学生が書く卒論には、当然、テーマによってそれぞれ、僕が生きた時代のことにふれる歴史の部分がある。本を数冊見つけて、それを引用しながらまとめるのだが、読んで違和感をもつことが少なくない。どんな歴史も、誰が、どこから、何を視点や中心にして読みとり、再現したかによってずいぶん違ったものになる。ところが、一つの見方が一般的になると、それがフィルターの役割をして、歪んだ像が現実そのものであるかのように定着し始めてしまう。その典型は、無数に出た「団塊論」だし、レトロな風景として再現される昭和の風景だろう。

tokyounder.jpg ・ロバート・ホワイティングの『東京アンダーワールド』(角川文庫)には、僕とは全く無縁な戦後の日本の歴史が展開されている。進駐軍とそれに寄生してビジネスを企むアメリカ人、あるいは、CIA。他方で時にはそれらに対立し、また協力もし合うヤクザ、警察、そして政治家たちの生々しい話。舞台は主に、赤坂や六本木、あるいは銀座になっている。表には出てこない歴史だが、戦後の日本の進路に大きな影響を与えた人や出来事の物語であることはよくわかる。有名人の表とはずいぶん違う裏の顔、闇市から成り上がった実業家や政治家、あるいは一流レストランのいかがわしい成り立ち方など、戦後のどさくさから経済成長という過程に特有のものにも思えるが、こんな一面は、現在の日本にも確実にあるはずだ。

・一つの時代を共に生きたということ、一つの時代感覚を共有したということが、あまりに安易に了解されすぎる。それを先導し、増幅させて、事実のようにしてしまうのがテレビの常套手段だ。テレビの歴史は街頭テレビの力道山から始まるのがお決まりだ。その力道山の素顔がどんなものだったのか、『東京アンダーワールド』には、その行状がひんぱんに登場する。現実には表で目立ったものと裏に隠れたものがある。強調されるものと無視されるものがあり、一つ一つに対する解釈もまた、その多様性は無視されて、一つのわかりやすいものがひとり歩きをする。僕の生きた60年は、テレビが生まれて、その力を強大にした時代と重なりあう。だからといって、じぶんの歴史を、テレビというフィルターを通して見る必要はない。それは現実認識でも、もちろん、変わらない。