2009年3月30日月曜日

大学のテキスト

 

・大学で勉強する時間とエネルギーの半分以上は、自分で本を読むことに割くべきである。新学期の開始時に必ず話してきたことだが、伝わらないな、という印象を年々、強く感じるようになっている。疑問を感じたこと、興味をもったことについて、自分が選んだ学部、ということは専門領域に目をむけて、そこから参考になりそうな本を見つけだす。そんなことをする学生は、少なくとも学部レベルでは、僕が知る限りもうほとんどいないと言っていい。

・もちろんゼミでは、卒論を書き上げるために、自分が選んだテーマに関連して、何冊も読むことになるのだが、放っておくと、ネットで簡単にすまして読まずじまいといった例も目立ってきた。しかも、そこに横着をしているといった自覚がほとんどないのも最近の特徴で、ネット(ケータイ)とコンビニで育った世代の典型的な傾向だな、とつくづく感じてしまっている。

・こういった、何でも手軽にすまそうとする意識を何とか変えてやろうと思うのだが、歳とって、気力も体力も衰えて来たことを実感する身としては、もう面倒だと諦めの気持ちにもなってしまう。けれども、大学で教員の仕事を続ける限りは、できる限りのことはやらなければ、と思い直すこともある。その一つは、授業に準拠して使いやすいテキストを自前で作ることだ。

・もうすぐ新年度がはじまるが、去年から担当している「コミュニケーション論」を多数の学生が受けている。大勢の学生に興味をもって聞いてもらえる講義をするのは大変だが、そのために、内容をまとめた資料を毎回準備して配布するのもひと仕事で、いっそ、教科書を作ってしまうかと考えた。で、今準備中で、来年度に間に合うようにと進めている。

ms.jpg ・そんな折に早稲田の伊藤守さんから『よくわかるメディア・スタディーズ』(ミネルヴァ書房)をいただいた。みんな同じようなことを考えているのだ、と改めて認識したが、その題名はもちろん、中身のレイアウトの仕方を見ながら、それが予備校のテキストや受験参考書と同じ形式であることに気づかされた。これまでのものは教科書とはいっても、複数の執筆者に一つの章(20〜30頁)を分担させて一冊にまとめた論文集がほとんどで、授業で使うというよりは、予習・復習として学生が自分で読むことを前提にしたものだった。しかし、それでは学生には使いこなせない。「今日は〜の章で、〜頁から」と指示し、さらにここは大事とか、自分でさらに調べろとか念を押して、宿題や授業中の小レポートなどもやる必要がある。テキストは、それをスムーズにできるものでなければならないのだが、『メディア・スタディーズ』は、そのことを十分に考えた編集をしている。

・ただし、ざっと見ながら疑問に感じた点も多い。その一つは、盛りだくさんすぎて、入門書としては手に余るほどだし、専門書としては一つ一つの内容に物足りなさを感じてしまうことだ。入門、概論、原論のどれにでも使えるし、検索項目も丁寧に作ってあるから、辞書的にも使えるといったメリットもある。しかし、いざこれに準拠して講義をと思うと、なかなかむずかしい。一年の授業回数ではとてもカバーできないし、取捨選択をして部分的にということになると、やっぱり補充の資料が必要になってくる。

・大学の講義は、高校までと違って、標準的な教科書があるわけではないし、各科目に、共通して盛りこまなければならないテーマがあるわけでもない。要するに、担当者が独自にシナリオを作り、それをもとに独演するのが一般的である。だからこそ、教科書選定は難しいわけで、自分の担当する講義に使うテキストはじぶんで作るしかないということになる。さて、コミュニケーション論についてどんな教科書を作るか。この春休みは、そのことのために多くの時間を費やしている。

2009年3月23日月曜日

K's工房個展案内(京都)

 

・K's工房の個展が京都で開かれます。3月24日(火)から29日(日)までで、場所はアートステージ567 。地下鉄丸太町駅近くにある町屋を改造したギャラリーです。今回のテーマは「ジーンズの体温」。実は、このイメージをかきたてたのは、僕が脱ぎすてたジーンズでした。2年ぶりの個展に是非、お出かけください。僕も、28日に京都に行って、会場にいる予定です。


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2009年3月16日月曜日

イラク戦争とは何だったのか?

・NHKのBSが続けて、イラク戦争や9.11をテーマにしたドキュメンタリーを放映した。大半は当事国のアメリカとイギリスが制作したもので、事実を突きとめながら、流れを検証するといった姿勢をとっていた。イラクへの侵攻はサダム・フセインが核兵器や化学兵器、あるいは生物爆弾を隠し持っていて、それが他国に脅威を与えていることが理由だった。結局、そのような兵器は何も見つからず、アメリカがイラクに侵攻するために捏造したものであったことが明らかにされた。

・そのことが明白になると、ブッシュは侵攻の目的を「イラクの民主化」に変更した。かつての日本を例に上げて、イラクも同じように西欧的な民主主義の国にするのだと言った。それはすぐに現実化しはじめるかのように予測されたのだが、イラクの現状は混迷するばかりで、民主化どころか国としての体をなしていないのが現状だ。そのブッシュは、最後にイラクを訪れた時の記者会見で靴を投げつけられ、オバマへの期待に隠れるようにホワイトハウスを離れた。

・何本も見たドキュメンタリーに共通しているのは、9,11以後に示したブッシュの政策のことごとくが失敗であったこと、根拠のない理由によって強引に進められたこと、それを多くのアメリカ人が信用して積極的に支持したことの検証である。もちろん、そんなことはアメリカ人以外には最初からわかっていたことで、ただアメリカだけが自分の主張を強行しただけのことだが、それが今やっと、アメリカ人にもわかって、冷静にふり返る余地が見えるようになったのである。

・自分たちがいいと思ってやったことでも、後からふり返ってその判断の是非を問う、という姿勢は評価できると思う。けれども、外から見れば、間違った判断であることはわかっているのに、そのような意見に聞く耳を持たないという姿勢は、これを反省にして改まるのだろうか。ヴェトナム戦争で負けて、その後遺症に悩まされたたこと、政治的、経済的、そして軍事的に介入してめちゃくちゃにされた国が数知れないことを見れば、これからも同じことを繰りかえすだけだと思わざるをえない。次々とドキュメンタリーを見続けながら思ったのは、そのことだけだった。

chomsky.jpg ・とは言え、アメリカにもずっと、自国の行為を暴挙として批判しつづけた人たちはいる。たとえば、ノーム・チョムスキーだ。彼の『すばらしきアメリカ帝国主義』(集英社)は2005年にアメリカで出版されたインタビュー集だが、9.11直後から、アメリカ政府とそれを熱狂的に支持するアメリカ人を強く批判してきた。彼は「生成文法」で有名な言語学者だが、9.11以降に出したアメリカやメディアを批判した本は数多い。彼は、アメリカのイラク侵略を「国際法に根拠のかけらさえもない予防戦争」だと言う。


つまり、軍事力によって世界を支配しようとするアメリカに挑戦しようとするものがあらわれた場合__それがさし迫っていなくても、あるいは捏造や空想であっても__それが脅威に発展する前に消滅させる権利がアメリカにはあるというのです。

・いくつも見たドキュメンタリーの多くは去年(2008)の後半に作られたものが多かった。それはブッシュが辞めて政権が交代する時期と無関係ではないだろう。で、さまざまに問いなおし検証して、事実を明らかにしようとする。けれども、そこで確かめられることは、外から見れば最初から自明だったことだ。世界中の国や人が反対するのに、自分の考えをごり押しして、それが正当だと主張する。チョムスキーはイランや北朝鮮ではなく、アメリカこそが「ならず者国家」だと言う。あるいは、そんな国にリードされる人類は「絶滅危惧種」だとも。

・アメリカは今、オバマに期待をしているが、チョムスキーは最近のインタビューで、ブッシュと基本的にはほとんど変わらないと切り捨てている。強い国家と大企業が、政治的にも経済的にも社会的にも世界をめちゃくちゃにした。だから、その解決策をまた強い国家や企業に託すべきではない。もっともな意見だと思う。

2009年3月9日月曜日

雪のない冬

 

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・正月明けに雪が降り寒くなって、本格的になったと思ったが、1週間ほどしか続かずに2月になると春の気配が感じられるようになった。雪はほとんどなく、代わりに季節はずれの土砂降りの雨で、何とも物足りない冬だった。ただし、富士山の雪は今年はたっぷりで、ここだけが冬の景色になっている。富士山の雪は寒いと風に吹き飛ばされて、かえって地肌が見えたりするが、今年は湿雪のせいか厚く積もっている。

forest73-2.jpg・去年は雪がたっぷり降った。2月の中旬にイギリスとフランスに出かける時には、あたり一面真っ白だったのだが、3月はじめに帰ってくると、それが溶けて春になっていたのが印象的だった。この欄のバックナンバーを見ると、一昨年も暖冬だったと書いてある。冬を通して地面が見えたのは初めてだったと書いてあるから、その前には、少なくとも引っ越してきた2000年の冬以降はなかったことになる。温暖化現象なのかとすぐに思いたくなるが、どうなのだろうか。大雪に備えて買った雪かき機は、今年はとうとう使わずじまいで、動くことを点検するために数回エンジンをかけただけだった。これでは、宝の持ち腐れだし、場所ふさぎで邪魔なだけになってしまう。

forest73-3.jpg・厚くはった氷に穴を掘ってワカサギ釣りは、隣の山中湖で時々可能になる。今年はもちろんダメだが、ワカサギがいないわけではない。だからボートを出して釣る人は少なくない。河口湖はブラックバスで有名で、ワカサギはその餌になってしまうから、いないのだろうと思っていたが、そうではないようだ。
・家の前を流れる川が湖に流れ込む近くで、大量のワカサギが遡上をした。人工的にできた高い段差があるから、漁協の人たちがつかまえて産卵させて、稚魚にして放流しているようだ。この時期なら100匹ぐらいはすぐ釣れるらしい。卵の入ったワカサギは、何と言ってもフライが一番おいしい。小さくて面倒くさいが、それでも毎年この時期には、知人からわけてもらって食べている。

forest73-7.jpg・この川に遡上するのはワカサギだけではない。河口湖まで毎日散歩しているパートナーが興奮して帰ってきて、川に魚がうじゃうじゃいると言った。去年の夏の初め頃だったと思う。調べるとウグイでやっぱり産卵目的の俎上のようだった。この時期には腹が真っ赤になるから、赤魚と呼ぶ地域もある。あるいはハヤともよばれるらしい。調べると、独特の臭みと小骨があって食用には向かないとある。ただし、釣りの相手としては、よく餌に食いついておもしろいようだ。釣りをしないから、湖にどんな魚がいるのかよくわからないが、結構多様なのだと認識を新たにした。

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・雪のない冬、氷の張らない冬。まったく冬らしくないが、生き物は決まった時期に決まった行動をとる。せめてもの季節らしい出来事だ。もっとも、遡上した魚は、川にできた人口の段差に妨げられて数百メートルまでしかいけない。それがなければ、ひょっとすると我が家の前まで来るのかもしれない。と思うと、コンクリートの段差が何とも邪魔くさく感じられてきた。もっともここでつかまえて人工的に孵化させたほうが確実で、この段差はそのためなのかもしれない。

2009年3月2日月曜日

セブ島の海と人

 

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sebu2.jpg・河口湖は全然雪が降らないから、拍子抜けのような冬だ。だから、夏が待ち遠しいということもないのだが、セブ島に出かけた。僕の還暦を機会に、久しぶりに家族そろって旅行をしようと計画をしたのだが、二人の息子は海が好きなので、シュノーケリングのできるところという理由で、セブ島ということになった。

・実は、セブ島は義父が太平洋戦争で従軍して、ジャングルをさまよいながら米軍の捕虜になったところだ。その話を何度か聞いていたから、とても遊びに行く気はしなかったのだが、息子たちの世代には、全くちがう場所になっている。ちょっと抵抗はあったが、その落差を確かめるのもおもしろいかもと思って賛成して、計画を立てた。

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sebu6.jpg ・残念ながら、戦争の痕跡を見ることはほとんどなかったが、きわめて現代的な、もう一つの落差を目の当たりにした。滞在したのはリゾート地で、広大な土地とビーチを高い壁で多い、頑丈で厳重な警護をしたところだった。もちろん、中はきわめて快適で、砂浜で泳ぎ、シーカヤックをやり、船で小島を巡って珊瑚礁のある浅い海でシュノーケリングを楽しんだ。生け簀の魚やカニやエビをこちらの注文通りにおいしく料理してくれるし、果物も色とりどりで、大いに満足した。

sebu7.jpg・ところが、そのリゾート・ホテルは極貧地域の中にあって、ゲートを一歩出ると、まるで違う世界が広がっている。タクシー、ジプニー、それにバイクや自転車にリヤカーを着けたトライシクルの運転手たちが雲霞のように寄って来る。スーベニールを買え、食べ物はどうだと、次々声がかかる。「ノー、サンキュー」と言い続けるだけでくたびれるほどだ。大人から子どもまで、多くの人が何するでもなくたむろしている。鶏、山羊にブタが放し飼いにされ、野犬がうろついている。とてものんびり散歩というわけにはいかず、早々にまた、ゲートの中に退散した。

sebu8.jpg・僕はやらなかったが、パートナーが頼んだマッサージの女の子は、彼女の稼ぎで一家を養っているという。移動した車から垣間見ただけでも、子どもの数が多いことはわかるし、とにかく、道ばたでぶらぶらしている人が多い。街を歩いて見物など、観光目的の旅行者には危険の極みだな、と痛感した。ちなみに、フィリピンの日本大使館が出している安全対策には「殺人約12倍、強盗約2倍、強姦約2倍」と書いてあるそうだ。豊かさと貧しさが隣り合わせ。その豊かで安全な場所から見えた貧困。百聞は一見にしかずであることを改めて考えさせられた。

2009年2月23日月曜日

グリーン・ニューディールを本気でやるには

・100年に一度の大不況だそうだ。最初は日本にはたいした影響はないという予測もあったが、GDPが年率で12%も下落という事態で、対岸の火事どころではなくなった。原因をつくったアメリカでは、新大統領のオバマがさまざまな手を打ち始めている。その中に、「グリーン・ニュー・ディール」ということばがあって、ネーミングに興味をもった。

・「ニューディール政策」は大恐慌に対してフランクリン・ルーズベルト大統領がとった政策の総称で、公共事業の他に、市場主義を制限して国家が介入すること、労働時間や賃金についての法制度の整備や社会保険の制度化などが有名である。不況は実際には、第2次大戦の勃発による軍需景気で解消されているから、本当のところどの程度の効果があったのかは定かではないといわれている。けれども、市場経済に対して国家の監視が必要であること、国民の仕事や生活を守ることを主眼に置いたことなど、第2次大戦によって疲弊した西側諸国が戦後の政策に取りいれた部分も少なくない。

・国家が経済を管理すれば、自由な成長には足枷になる。社会保障や福祉制度の充実は、国の財政負担を重くする。そんな停滞状況を打破するために出てきたのがアメリカのレーガン大統領とイギリスのサッチャー首相で、そこから、国ではなく民間主導の市場主義という流れがはじまった。ここにはもちろん、ソ連や東欧の共産主義の崩壊という要因もある。日本でそれを積極的に進めたのが小泉首相だった。それで確かに、経済は活気づいた。ところが、マネー・ゲームの加熱によって起こったのが、今回の大不況である。

・経済の落ち込みによって一番影響を受けているのは自動車産業で、アメリカのGMもフォードも破産寸前の状態にあって、生き残るためには国からの財政支援が欠かせない。トヨタもここ数年の黒字から一転して大赤字で、他の自動車メーカーも同様か、もっと深刻な状況にある。輸出の柱だった家電も同じ状態だから、日本の経済状態はそれこそ、お先真っ暗という他はない。であれば、この不況を乗り越える策は、落ちこんだ消費をどうやって回復させるかということに尽きるのだが、そうとは言えない大きな課題がもう一つある。地球の温暖化や環境破壊、あるいは資源やエネルギーの問題を早急に改善させなければならないというテーマである。

・これまで、こういった議論は、省エネや循環型の再生可能なエネルギーの開発、太陽や風といった自然からのエネルギーの利用などに限定される傾向にあった。しかし、本質的な問題は、資源やエネルギーを使い放題にして消費を拡大してきた傾向や、豊かさや便利さの追求を最善の目的にするライフスタイルを変えることにあって、その意味では、消費の大きな落ち込みこそ、変革の好機といえる。少なくとも日本では、この消費の落ち込みが、必要だけど我慢するとか、買えない、というのではなく、買うのをちょっと控えようといった気持の結果であることは間違いない。「もったいない」という気持が、倫理感ではなく、素直な生活感として出ているのだから、それをまた、消費欲求や行動にもどす必要はないはずで、経済の回復とか雇用の増大は、資源や環境を考えたものとして見直していく必要があるはずである。

・不況のなかで一番の課題は、雇用を確保するということにある。しかし、さして必要ではない道路や鉄道の建設といった公共工事ではなく、また自動車や家電といったモノでもなく、流行によって消費を促進させる衣料でもないとしたら、いったい何があるだろうか。高齢化社会に必要な仕事、医療のなかでの人間的な関わり、つまりコミュニケーションを本業とする仕事、新しい農業や林業、そして環境を監視し保全する仕事………。

・今は、これらを本気になって考える絶好の機会だと思うのだが、政治家の口からはこんな発言は全く出てこない。去年北海道でやった「環境サミット」はなんだったのか、と今さらながら、白々しい思いがする。もっとも、アメリカがオバマ大統領の政策のもとで、資源やエネルギーを浪費しない国になるだろうかと考えると、それはそれでまたほとんど信じられない気になってしまう。その意味では、景気は中途半端に回復しない方がいいのかもしれない。

2009年2月16日月曜日

歌とことば


・オバマ大統領の就任演説に熱狂するアメリカ人を見て、言葉がもつ力とそれを信じる国民性を改めて実感した。大不況という最悪の状況で船出した政権がこれから何を目指し、どんな国にしていくのか。「できる」とか「やる」といった単純なことばに積極的に反応するのはいかにもアメリカ人的で、楽観主義の見本みたいだが、「気分」や「空気」ばかりに反応する日本人には、状況や見方を変える気もないし、あってもどうしたらいいかわからない。政治家の発言にポリシーのはっきりしたメッセージが何もないことは今に始まったことではないが、こんな状況でも、さまざまな現状を批判する歌一つ出てこないのは、何とも不思議な感じがする。

ry1.jpg・この欄で、ライ・クーダーの"My Name is Buddy"を紹介したのは一昨年の7月だが、その後で、これがカリフォルニア三部作のなかの一つであることを知った。猫が主人公の"My Name is Buddy"が歌うのは、20世紀の30年代で、大恐慌で失業者が溢れた世の中に、フォークソングが社会批判や抗議の武器として再生した時代だった。そのアルバムにはピート・シーガーも参加していたが、もう90歳になる彼は、オバマ大統領の就任を祝うコンサートの最後にステージに上がって、「わが祖国」の大合唱をリードした。恐慌に苦しみ、疲弊した人たちの気持ちを勇気づけるために、ウッディ・ガスリーがつくった歌である。ちなみに、原題は"This Land is Your Land"だから、賛美するのは大地であって国家ではない。

ry6.jpg・"Chaves Ravine"は40年代から50年代のロサンジェルスが舞台になっている。第二次大戦で労働力が不足して、メキシコから大量の出稼ぎ移民がやってきた。チャベス・ラバインはその人たちが住みついてチカーノのコミュニティになったところだ。ところが50年代になると、その場所は市の再開発地域となり、立ち退きを命じられて、跡地にはドジャーズを招くためにスタジアムがつくられた。このアルバムには、強制立ち退きに抵抗する歌、マッカーシーの赤狩りに乗じて、共産主義者を理由に弾圧するさまや、「赤と呼ぶな」といった訴えが叫ばれる。ことばはもちろん英語だけでなく、スペイン語も混じり、音楽にはラテンやジャズ、そしてR&Bが使われている。チャベス・ラバインのコミュニティ、反対運動で集まる人の前で砂塵をあげるブルドーザー、そしてドジャース。記憶から消されてしまった場所と歌と音楽の再現………。

ry5.jpg ・三作目の"I,Flathead"は、2008年にリリースされている。時は60年代で、このアルバムには自作の小説もついている。アルバムはいわば、その小説のサウンドトラックという趣である。残念ながら、僕は小説のついていないCDを買ってしまったから、その内容についてはよくわからない。ヒッピー文化が登場する直前の60年代前半のカリフォルニアが舞台で、ホットロッドのカーレースや、女の子とのデートなどが、さまざまな音楽と共に語られる。ラジオから流れてきたジョニー・キャッシュの歌に夢中になって、勉強も手につかなくなったことなどが歌われていて、このアルバムが彼の少年時代の追想であるようにも聞こえてくる。

・この三部作を聴いていると、音楽や歌をアルバムとしてまとめることが、一つの世界の創造であること、その多様な可能性が、まだまだいくらでもあるんだということがよくわかる。じぶんにとってなじみのある音楽と場所をテーマに20世紀という時代の変化を描きだす。音楽が何より好きで、それを通して世界を見、描き、主張する。こんなミュージシャンとアルバムは、日本からは絶対生まれてこない。そんなことばが思わず口をついて出た。ポピュラー音楽は、映画や小説やマンガに負けない表現手段である。そう思わないから、ことばに意味をもたせないで平気だし、すぐに転身してしまう。音は似ていても中身は全く非なるもの。日本のポピュラー音楽を聴くたびに、いつでもそう思う。