2009年5月18日月曜日

ディランとラジオ


dylan11.jpg・アマゾンから「Bob Dylan Radio Radio」という名の新譜の案内が入って、てっきり新しいアルバムだと思って買ってしまった。4枚組みだから、また海賊盤シリーズかと思ったのだが、聴いてみるとディランの歌はなく、50年代のポピュラー・ソングやブルースばかりだった。サブタイトルにある"Theme time hour"をネットで検索すると、これがディランがDJをした衛星ラジオの番組で選んだ曲を集めたものであることがわかった。
・ディランが現在のポピュラー音楽の原点に目を向けているのは、最近のアルバムからもよくわかっていた。しかし、このラジオ番組を聴くと、その熱意のほどが一層伝わってくる。曲目の全てはディラン個人のコレクションだというが、一度も聴いたことがなかった曲が少なくない。もっとも、ディランが伝えたいのは、そんな古い曲を聴き直すことではなく、ラジオというメディアがポピュラー音楽の発達に果たした役割だ。

・アメリカのラジオ放送局は、テレビの登場と共に、3大ネットワークから安価に売却されて、50年代には、小さなエリアをカバーするローカル局が独自の放送をするようになった。ナイトクラブやレコード・ショップなどを営むオーナーが、その宣伝手段に使ったから、局によって、地域によって、さまざまな音楽が発信されることになった。それが夜中であればかなり遠くまで届き、多くの若者たちが周波数をあわせて、お気に入りの局を見つけ、音楽を楽しむことになった。当然、それまでは肌の違いによって分離されていた音楽の垣根も取りはらわれたのである。黒人のブルースやR&Bから白人のロックンロールへという流れに果たしたラジオの役割の大きさは、すでに歴史的な事実として理解されていることだ。

dylan10.jpg・ディランがこの時期の音楽にこだわるのは、音楽があまりにも大きなビジネスとして生産され、有名性やお金にばかり左右されて、ろくな音楽が出てこない、最近の状況を危惧し、批判するからだ。その思いは、彼がここ数年発表する新しいアルバムにもこめられている。最新の"Together Through Life"でも、サウンドは50年代というよりもっと昔を感じさせるし、ことばも象徴的で抽象的な難しさは消えて、素直な気持ちのラブソングといった内容になっている。そんな地味なアルバムが、アメリカはもちろん、イギリスのほか、ベルギー、オランダ、フィンランド、スウェーデンなどで1位になったそうだ。

・このアルバムには、ラジオ番組そのものを記録したCDと、やはりラジオ番組に関連したDVDが付録されている。だからアルバムにたいする評価がそれらをあわせたものであることは間違いない。ディランの訴える、最近の危機的な音楽状況に共感する声だといってもいいのかもしれないと思う。もうひとつ、ディランについて驚くことがある。それは彼が世界中を回るコンサート・ツアに多くの時間とエネルギーを費やしていることだ。彼の公式サイトを見ると、今年のコンサート・ツアは3月から5月の初めまでヨーロッパ(スカンジナビアからドイツ、フランス、スイス、イタリアなどをめぐり、イギリス、そして最後はアイルランド)をまわり、7月からはアメリカ国内を1ヶ月半回る予定だということだ。その会場は決して大きなところばかりではない。
・ラジオと共に広まったブルースやフォーク、そこから生まれた新しいロックなどの音楽の力とその意味、そしてなによりそのすばらしさを、アルバムに表現し、ライブで歌い、語り、説いて回る。70歳になろうかという老人が自覚する使命感や発散するエネルギーに感服するばかりである。

2009年5月11日月曜日

ニート、クール、クリエイティブ

 

リチャード・フロリダ『クリエイティブ資本論』(ダイヤモンド社)

・翻訳したクリス・ロジェクの『カルチュラルスタディーズを学ぶ人のために』(世界思想社)のなかに、「ニート資本主義」をテーマにした章が二つある。「ニート」というと日本では、働く気のない若者に対する呼称を思い浮かべられてしまう。しかし、そのneetではなく、もともと英語にある、きちんとしたとか洒落たといった意味のneatで、従来の資本主義とは違う新しい流れを指摘したものだ。本の中では、その例として、イギリスの「ヴァージン」、「ボディショップ」、アメリカの「アップル」そして出版社の「ルートレッジ」などをあげている。
・その源流は60年代の「対抗文化」にあって、「ヴァージン」のリチャード・ブランソンはロンドンで始めたレコード店を出発点にして、飛行機や鉄道などに拡大させているし、「アップル」のスティーブ・ジョブスはパソコンのマッキントッシュから 最近のiPodやIPhoneなどでデジタル文化をリードしてきた。60年代の「対抗文化」はその名の通り、既成の政治や経済のシステム、そして既存の文化に対して「ノー」を突きつけたムーブメントだったが、そこから生まれた新しい文化が80年代から90年代にかけてビジネスとして台頭し、現代では大きな産業に成長した。「ニート資本主義」はその潮流を指して名づけたものだ。

florida.jpg ・この流れには、「クール資本主義」「ニューエコノミー」など、他にも幾つもの名前があって、「クリエイティブ階級」というのもその一つだ。リチャード・フロリダの『クリエイティブ資本論』(ダイヤモンド社,2008年)は2002年に書かれていて、「新しいアイデアや技術、コンテンツの創造によって、経済の成長を担う知識労働者層」の増大がひとつの階級を形成し始めていることを指摘したものだ。パソコンが普及し、インターネットが世界をつなぐようになった90年代から00年代を考えれば、このような傾向を理解するのは難しくない。けれども、そこで見逃せないのは、クリエイティブ階級を形成する人たちに共通した好みや傾向があることだ。
・フロリダは第一に、仕事と生活、あるいは遊び(余暇)を区別しない点に注目する。常識的には、糧を稼ぐ仕事は楽しいものであるとはかぎらない。だから、稼いだお金を生活や遊びの中で使ってリフレッシュする。けれども、この新しいクラスの人たちは、何より楽しいこと、夢中になれることを仕事にしようとするのだという。あるいは、形式や礼儀、組織的忠誠心などに対する拒絶感もある。だから、衣服は職場でも家でも一緒だし、仕事につまれば、職場の近くを散歩したりジョギングしたりもする。社内で出世するという上昇志向は稀薄で、むしろより興味深く働ける先をもとめて水平的に転職をする。と同時に、生活する場所自体に対するこだわりもある。そこはまた、自分の創造力を刺激する場所でなければならないからである。実際、アメリカの都市の盛衰は、このクリエイティブ・クラスの人たちを引きつけるために、企業を誘致し、文化的な活気に溢れた街づくりをすることにかかっているというのである。この本によれば、その魅力的な街は、ニューヨークやサンフランシスコ以上にワシントンDC、シアトル、そしてテキサスのオースチンのようだ。

・フロリダが強調するように、生き方としては悪くないと思う。けれども、ここには大きな落とし穴がある。楽しければ報酬にはあまりこだわらないし、就業時間も気にしない。そして安定や出世にも無頓着になる。これは雇う者には好都合の発想で、仕事環境を整えて居心地良く働ける場にすれば、そこは「人に優しい搾取工場」になる。有能な人材を留めておくにはかなりの努力がいるが、用がなくなれば、役立たずだと判断すれば、簡単に首を切ることもできる。多様な働き方、多様な生き方を可能にする一方で、できる・できないの差が明確になり貧富の格差が拡大する。現在の大不況の中で、フロリダの言うクリエイティブ・クラスの人たちの仕事や生活の状況は、いったいどうなっているのだろうかと考えてしまう。

・もうひとつ、「対抗文化」は確かに、つまらない仕事とそこで得た収入で生活や遊びを消費するシステムを批判して、仕事と生活、そして遊びの融合を唱えたが、同時に、人びとが生きる上で味わう格差や差別にも強い批判の声を上げた。クリエイティブな生き方を誰もができるようになることの基盤には、そのクリエイティブ資本を搾取する・されるという関係に対する自覚と抑制が欠かせない。フロリダにはそういった視点がほとんどない。ニート、クール、クリエイティブといったことばをもう一回見つめなおしてみたくなった。

2009年5月4日月曜日

連休はどこにも行かずに

・今年の連休は、長くとれば16日間にもなったところがあるようだ。仕事が暇になったせいかなと思うが、どうだろうか。海外旅行も2週間ならゆっくりできるし、飛行機代ももったいなくない気がする。燃料も安くなって余分なお金を取られなくてすむようになった。他に長い休みがとれない人には、またとないチャンスだったはずだ。ところが、突然の「豚インフルエンザ」騒ぎである。

・新種のインフルエンザは、警戒してきた鳥ではなく豚で、アジアではなくメキシコだった。だからあまり気にしていなかったのだが、あっという間に大きな騒ぎになった。成田空港では、国内にウィルスを入れないために警戒を厳しくしたから、せっかくの旅行に不安がつきまとったり、長時間待たされて検査を受けたりさせられている。旅行をあきらめた人も多いのだろうと思う。移動が手軽に頻繁になった時代には、病気もあっという間に世界中に広がる。そんなことを目の当たりにした。

・国内では高速料金が1000円になって、どこも渋滞で大変だったようだ。安くなったからといって、何百キロも車を走らせてどこがおもしろいんだろうと思うし、ガソリン代はかかるのだが、テレビのニュースでは、儲けたと言う人のコメントを何度も見た。行きたいところに行くのではなく、できるだけ遠くに行く。そんなドライブの楽しみ方があってもいいとは思うが、渋滞や混雑を我慢してまですることではないだろう。いったい何が儲かったのかと首をひねったのは僕だけなのだろうか。
・旅行会社は定額給付金で旅行できる旅を知恵を絞って企画して、連休前の新聞には、その広告が連日何頁も載っていた。確かに安いし、国からもらったお金だから、首相が言うようにぱっと使うのもいいのかもしれない。けれども、そのお金は結局、国の借金になって国民に跳ね返ってくる。拒否してやろうかと思ったが、つけは後からしっかり回ってくる。そう思うといまいましい金だが、いったいいつ給付されるのだろうか。

・大学で教えていると毎年思うのだが、ゴールデン・ウィークは少しもうれしくない。4月に新学期が始まって、やっと調子が出たところで小休止になるから、かえって邪魔くさい。もう1ヶ月後なら、ちょうどくたびれたところでホッとするのに、といつも文句を言ってしまう。
・文部科学省の指導で大学の授業は半期15回、通年なら30回やらなければならなくなった。以前から15週や30週だったのだが、祭日があれば当然授業回数も減ったし、試験期間も1回や2回として数えられたから、実際には12回程度が普通だった。それが、きっちり15とか30回やるように学事歴を組まなければならなくなったのである。

・大学は授業を受ける以上に、自分で勉強するところだ、と僕はずっと思ってきたし、今でもそう思っている。ところが学生たちは、授業にさえ出ていれば勉強していると考えるようになっている。それは錯覚で、自分でやらなければ何も身につかないよ、と学生には繰りかえすのだが、文科省の発想は学生と一緒で、学生の態度をますます受け身にするだけなのである。
・だから夏休みがえらく短くなった。入試の多様化で授業のない2月や3月もずるずると仕事が入るから、まとまった仕事もできないし、長期の旅行もできなくなってしまった。そうやってだらだら働かせる一方で、研究成果を要求したって、いいものができるわけはない。そんなわけで、連休中はたまった仕事の片づけで、あっという間に過ぎてしまった。

・忌野清志郎が死んだ。高田渡に続いて、骨のある数少ない日本人のミュージシャンがまた一人、いなくなってしまった。もう日本人で聴きたいミュージシャンはほとんどいない。

2009年4月26日日曜日

新刊案内!! クリス・ロジェク『カルチュラル・スタディーズを学ぶ人のために』

 

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・連休明けに新しい本が出ます。クリス・ロジェクの『カルチュラル・スタディーズを学ぶ人のために』(世界思想社)です。カルチュラル・スタディーズは一時の熱気が冷めて話題になることが少なくなりました。しかし、それは日本だけのことで、現在でもイギリスやアメリカでは活発に研究が行われています。
・日本では、カルチュラル・スタディーズはほんの数年間話題になっただけですが、1960年代末から現在まで、40年間ほどの歴史をもっていて、その間に、大きな変容を遂げてきています。この本には、その変容が平易に、そして明快にまとめられていて、一時期興味をもった人はもちろんですが、これから現代の文化について考えたり調べたりしようとする人たちにも、きわめて有効な一冊だと思います。

・カルチュラル・スタディーズはイギリスで生まれて世界に広がりましたし、著者のクリス・ロジェクもイギリス人ですから、内容的にはイギリスが中心になっています。それを補うために、この本には翻訳だけでなく、現在の日本の文化についての分析をコラム形式で追加しました。それによって、現代の日本の文化がグローバルであると同時にローカルでもあることがよくわかると思います。
・詳細については別ページをご覧ください。

2009年4月19日日曜日

いつもと違う春

 

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・今年は冬がなかったといってもいい。例年なら白く被われて凍りつく森が、ずっと茶色のままだった。スリップを注意しながら車を運転することもほとんどなかったし、通勤時の雪を心配することもなかった。楽といえば楽だがちょっと拍子抜け。

forest74-3.jpg・灯油の値段も数年前の価格に戻って安心したが、薪が豊富にあるので、4ヶ月以上、火を絶やさず燃やし続けた。だから灯油の消費量は例年の半分ほどですんだ。使い続ければ煤がたまる。当然、薪ストーブのメンテナンスは例年以上で、煙突の出口にたまったタールの除去で急傾斜の屋根に何度も登った。
・ストーブにはコンバーターがついていて、酸素の供給をしぼって還元状態でじっくり燃やすことができる。ところがそれにすると煙が漏れてくるので、コンバーターをつけ替えることにした。商品をネットで検索すると4〜5年で交換と書いてある。もう9年も使っていたから、劣化するのは当然で、はずすとものすごい量の灰がつまっていた。で、新品に交換すると嘘のように温度が上がった。ストーブの上に置いたヤカンがすぐに走り出すように沸騰する。おかげで、加湿器も静かに運転することが多くなった。

forest74-2.jpg ・そのストーブも、すでに使わなくなって1週間以上経つ。煙突をはずして、煤落としもした。例年ならゴールデンウィークまで使うのに、ここのところの気温は連日20度を越えている。まだ寒くなって火をつける日もあるのだろうが、一応、お役目ごめんにした。
・植物の出足も早くて、蕗のとう、片栗、そして富士桜と続いた。東京の桜が散ってもまだ、こちらはつぼみだったはずなのに、あっという間に満開になって、数日で散ってしまった。東京の桜が長かったし、咲き始めたあと寒くなって満開までに2週間ももった去年に比べると、何ともあっけない感じがした。山の新緑も当然早い。「萌え」というのはこのことを言う。命の再生。新鮮で崇高な気持ちになる。

forest74-4.jpg・葉が茂ってBSアンテナの邪魔をしていた栗の木を切った。一人では大変で、院生のK君が来た時に手伝ってもらった。大木に育ってしまったから、倒す方向を決める必要がある。ロープをつけてコントロールしようとしたが、狙いとは違って、結局、木は傾いている方に倒れてしまった。ひやっとしたが、運良く、物置を避けてくれた。やれやれ………。
・薪を使わなくなったので、来年に備えて場所の移動をはじめた。ほぼ乾いた木を日の当たらない場所に移し、生木を南側に並べる。南側の壁をあけるのに3日かかった。空けた場所に積む生木は、これから少しずつ、東京から車で運ぶ。造園業で働く知人が、仕事で伐採した木を切って割って並べて置いてくれる。21万キロを超えたレガシーに、今年もがんばってもらわなければならない。

2009年4月12日日曜日

テレビで見たくない顔

・ニュースを見ていて、思わずリモコンに手が行く機会が増えた。見たくないのは自民、民主を問わず、政治家が映しだされた時だ。首相も大臣も野党の党首も、その顔を見ただけで反吐が出るほど不愉快になる。そろいもそろって、よくもまあ、これだけひどい人間を集めたものだと思う。そう思うようになったのには、もちろん、ここ数年、そして特にここ数ヶ月の、ひどい政治状況がある。国民の8割が支持しない総理大臣が、支持率など気にしないと言って、にやにやしながら続けている。政権交代を目指す民主党も、党首の政治資金問題で大揺れだ。選挙は、当人たちにとっては一大事であるかもしれない。けれども、どの顔を見ても次の選挙では負けて、消えて欲しいと思うだけだ。

・とは言え、政治にも無関心で知らん顔というわけにはいかない。政治家や官僚たちが、人気とり目当てに支離滅裂な政策を乱発しているからだ。たとえば、高速道路料金が土日に1000円になった。休日には高速道路を使って遠距離旅行を楽しんでくださいという趣旨だ。これまでも、高速道をが渋滞するのは土日や祭日だったのに、その渋滞がさらにひどくなる。ガソリンの値段は落ちついたが、だからといって無駄に消費してもよくなったわけではない。そのうえ、新車の購入に税金の優遇措置をする政策も登場した。景気を刺激する補正予算は15兆円で国債でまかなうから、その発行額は44兆円にもなるという。1年の税収を上まわる額で、いったい何を考えてるのか、と呆れるばかりだ。次の選挙で勝つことしか頭にない。それが見え見え、というよりは、それしかないのを露骨にしても恥じる顔も見せないという態度には、嫌悪以外の何も感じない。

・不景気になってテレビの広告収入も激減したようだ。だからどの局も番組の改編に懸命だった。しかし、相変わらずのバラエティとタレントたちで、ニュース番組にもかわいいだけの女子アナを抜擢したりしている。その無知さ、意見のなさに見ている方が恥ずかしくなった。で、当然、そのニュース番組はもう見ないことにした。視聴率ではNHKががんばっている。それも内容のある番組に関心が向いているという。特集やBSの番組など、僕も見ているものが少なくなかったから、バラエティやクイズ形式の制作が飽きられているのは明らかなのに、内容を充実させることができないのは、すでに民放にはその力がないということなのか、と考えてしまう。

・WBCがあって、今年は春先から野球中継をよく見た。おもしろかったがただひとつ、はじまる前からのイチローの発言には、「いい加減にしろよ」と言いたくなることが多かった。自分が日本チームのシンボルであることを当然視した、その自信過剰な態度に嫌気がさして、彼の顔が映った瞬間に、やっぱりリモコンに手がいった。ところが試合が始まると、イチローは絶不調で、その発言も混乱したり、口ごもったり。最後に優勝の瞬間を作りだして体面は保ったが、胃潰瘍で出血があったようだ。自意識過剰で目立ちたがりの性格が災いしたことは明らかだが、これを機会に改めるといったことは、おそらくないのだろうと思う。

・「ハニカミ王子」から「遼君」に名前が変わった少年ゴルファーへの注目も異常だ。他の選手が出ていていい成績を出しているのに、そのことには触れずに、予選落ちした彼ばかりを追いかけている。だからゴルフのニュースになるとまたリモコンに手が行く。矢沢永吉のビールやテレビのCMも見たくない。音楽を忘れてテレビで稼ぐ。テレビに出てくるミュージシャンは、そんな連中ばかりだが、彼らには「ロッカー」などと口にする資格はとっくになくなっている。

・こんな具合だから、民放のテレビはますます敬遠するようになっている。わずかに残ったニュース番組を見なくなるのも、時間の問題だな、と思う今日この頃である。

2009年4月6日月曜日

U2とSpringsteen


・オバマ大統領の就任コンサートに登場したU2とスプリングスティーンがそろってアルバムを出した。で、どちらもなかなかいい。U2はアフリカの貧困問題に多くの時間と労力を費やし、スプリングスティーンは、ブッシュを辞めさせるために前回の大統領選挙から先頭に立って活動してきた。最近ではそういった話で名前が出ることが多かったが、本業の音楽でも健在であることを主張した作品に仕上がっている。

U2.jpg ・U2の"No line on the holizon"は5年ぶりのアルバムだ。前作の"How To Dismantle An Atomic Bomb"はタイトル(原子爆弾を廃絶する仕方)通り、直接的なメッセージ色の強いものだったが、今回のタイトルは「地平線に線はない」と比喩的である。海や大地と空をわける地平線は確かに彼方に見えるものだが、実体として存在するものではない。それはちょうど、地図に引かれた国境線のようなものだし、肌の色のちがいや民族や階級の違いという観念にも共通するものだ。「そんなものはないって、想像してごらんよ」と歌ったジョン・レノンの"Imagine" を思い起こさせるメッセージである。当然、収められた曲のどれにも、直接的に訴えるメッセージはない。けれども、それは歌詞の端々に感じとれる。


この乾いた大地では どんな果物も育たない
三日月(イスラム?)の下で笑うのはケシの花だけだ
道路はよそ者を拒み 大地は蒔いた種を拒絶する
そこで見つけるのは、雪のように白い子羊だ
"White as snow"


・歌詞カードを見ながら聴いていてまず思ったのは、アフリカや中近東を歩き回って見聞きしたこと、感じたことが一枚の写真のように歌詞の中にちりばめられているという印象だった。だからどうしろというのではなく、こんなものを見た、こんな人にあった、こんな話を聞いた、といった描写に徹している。もちろん、メロディは美しく、声はつややかで、サウンドは激しく、また静かでもある。

私はまさに底の真上にいる
既知の宇宙の縁で、ここに来たいと思った
不慮のシーンに車を走らせて、私は私を待っている
"Unknown Caller


bruce4.jpg ・スプリングスティーンの"Working on a dream"はブッシュからオバマに変わった歓びの歌のようだ。それはたとえば、いきなり「驚き」を16回も繰りかえす "Surprise"にはっきりと感じとれる。U2と違ってスプリングスティーンは2005年以来、毎年のようにアルバムを出している。その精力的な仕事の中で歌い続けているのは、現状への批判と、諦めてはいけないという励ましだ。こんなではなかった昔を思いだすこと、夢を持ちつづけること。悪くなればよくなることもある。明日はだれにもわからないのだから。こんなメッセージが連続する。
・もうひとつU2と違うのは、スプリングスティーンの描く世界は、アメリカ一色だということだろう。それは良くも悪くも彼のこれまでの歌に一貫したものだ。その単純さに、時に辟易するが、またその素直さに心引かれる。このアルバムの1曲目の "Outlaw Pete"は無法者ピートの物語だが、"Can you hear me?"という印象的なフレーズが何度も繰りかえされる。それは誰より、スプリングスティーン自身からの呼びかけのように聞こえてしまう。だから、いつでも「あー、ちゃんと聴いてるよ」とつぶやきたくなる。
・前作の"Magic"について触れた時に、他のディランやジャクソン・ブラウンやジェームス・テイラー、そしてデーブ・メイソンやサウザーに比べて、ジャケットの写真が若すぎると書いた。だからこそ驚いたのだが、付録のDVDに登場する顔はしっかり老けていて、別人のようだった。もちろん、僕には、親近感が感じられた。