リチャード・フロリダ『クリエイティブ資本論』(ダイヤモンド社)
・翻訳したクリス・ロジェクの『カルチュラルスタディーズを学ぶ人のために』(世界思想社)のなかに、「ニート資本主義」をテーマにした章が二つある。「ニート」というと日本では、働く気のない若者に対する呼称を思い浮かべられてしまう。しかし、そのneetではなく、もともと英語にある、きちんとしたとか洒落たといった意味のneatで、従来の資本主義とは違う新しい流れを指摘したものだ。本の中では、その例として、イギリスの「ヴァージン」、「ボディショップ」、アメリカの「アップル」そして出版社の「ルートレッジ」などをあげている。
・その源流は60年代の「対抗文化」にあって、「ヴァージン」のリチャード・ブランソンはロンドンで始めたレコード店を出発点にして、飛行機や鉄道などに拡大させているし、「アップル」のスティーブ・ジョブスはパソコンのマッキントッシュから 最近のiPodやIPhoneなどでデジタル文化をリードしてきた。60年代の「対抗文化」はその名の通り、既成の政治や経済のシステム、そして既存の文化に対して「ノー」を突きつけたムーブメントだったが、そこから生まれた新しい文化が80年代から90年代にかけてビジネスとして台頭し、現代では大きな産業に成長した。「ニート資本主義」はその潮流を指して名づけたものだ。
・この流れには、「クール資本主義」「ニューエコノミー」など、他にも幾つもの名前があって、「クリエイティブ階級」というのもその一つだ。リチャード・フロリダの『クリエイティブ資本論』(ダイヤモンド社,2008年)は2002年に書かれていて、「新しいアイデアや技術、コンテンツの創造によって、経済の成長を担う知識労働者層」の増大がひとつの階級を形成し始めていることを指摘したものだ。パソコンが普及し、インターネットが世界をつなぐようになった90年代から00年代を考えれば、このような傾向を理解するのは難しくない。けれども、そこで見逃せないのは、クリエイティブ階級を形成する人たちに共通した好みや傾向があることだ。
・フロリダは第一に、仕事と生活、あるいは遊び(余暇)を区別しない点に注目する。常識的には、糧を稼ぐ仕事は楽しいものであるとはかぎらない。だから、稼いだお金を生活や遊びの中で使ってリフレッシュする。けれども、この新しいクラスの人たちは、何より楽しいこと、夢中になれることを仕事にしようとするのだという。あるいは、形式や礼儀、組織的忠誠心などに対する拒絶感もある。だから、衣服は職場でも家でも一緒だし、仕事につまれば、職場の近くを散歩したりジョギングしたりもする。社内で出世するという上昇志向は稀薄で、むしろより興味深く働ける先をもとめて水平的に転職をする。と同時に、生活する場所自体に対するこだわりもある。そこはまた、自分の創造力を刺激する場所でなければならないからである。実際、アメリカの都市の盛衰は、このクリエイティブ・クラスの人たちを引きつけるために、企業を誘致し、文化的な活気に溢れた街づくりをすることにかかっているというのである。この本によれば、その魅力的な街は、ニューヨークやサンフランシスコ以上にワシントンDC、シアトル、そしてテキサスのオースチンのようだ。
・フロリダが強調するように、生き方としては悪くないと思う。けれども、ここには大きな落とし穴がある。楽しければ報酬にはあまりこだわらないし、就業時間も気にしない。そして安定や出世にも無頓着になる。これは雇う者には好都合の発想で、仕事環境を整えて居心地良く働ける場にすれば、そこは「人に優しい搾取工場」になる。有能な人材を留めておくにはかなりの努力がいるが、用がなくなれば、役立たずだと判断すれば、簡単に首を切ることもできる。多様な働き方、多様な生き方を可能にする一方で、できる・できないの差が明確になり貧富の格差が拡大する。現在の大不況の中で、フロリダの言うクリエイティブ・クラスの人たちの仕事や生活の状況は、いったいどうなっているのだろうかと考えてしまう。
・もうひとつ、「対抗文化」は確かに、つまらない仕事とそこで得た収入で生活や遊びを消費するシステムを批判して、仕事と生活、そして遊びの融合を唱えたが、同時に、人びとが生きる上で味わう格差や差別にも強い批判の声を上げた。クリエイティブな生き方を誰もができるようになることの基盤には、そのクリエイティブ資本を搾取する・されるという関係に対する自覚と抑制が欠かせない。フロリダにはそういった視点がほとんどない。ニート、クール、クリエイティブといったことばをもう一回見つめなおしてみたくなった。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。