2010年5月17日月曜日

地デジという無駄

・我が家は地デジの難視聴地域にある。地デジのアンテナは富士山の中腹にあるが、間にある山が邪魔して電波が届かないのだ。アナログの地上波も弱くて、天気や風向きによって見えたり見えなかったりする。しかし、ふだん見るのはBSが中心だから、放送の停止と言っても、特に困るという気にもならなかった。もちろん、ケーブル・テレビと契約するといった気も全然ない。要するに、どうでもいいのだが、最近、BSのリモコンをいじっていて、見たことのないチャンネルがあることに気がついた。

・画面には「地デジ難視対策衛星放送」と題字されている。そう言えば、ちょっと前に新聞で、地デジの難視聴地域の視聴者のために、BSを使って放送するという記事があったことを思い出した。画面に表示されている総務省のページをチェックすると、難視聴地域の特定はまだ一部しかできていないようで、山梨県はまだ対象外になっていた。しかし対象地域に特定されて、届け出れば、Bキャスカードが送られてくるようだ。つまり、スクランブルをかけて見られなくしてある放送が、カードを使うことによって見えるようになるというわけだ。

・そんな説明を読みながら、何か腑に落ちない奇妙さを感じた。これは難視聴地域にかぎった対策のように思えるが、BSアンテナをつければどこでも受信可能なわけで、それを、わざわざスクランブルをかけて特定地域の人以外には見られないようにしているということだ。つまり、地上波のアナログからデジタルへの移行は、既存のBSやCSの衛星放送を使っても、実用化できたのである。で、関連する記事や意見がないかネットで調べてみた。

・池田信夫の「サイバーリバタリアン」によれば、欧州のデジタル放送は衛星を使っているようだ。日本でもそうしていれば200億円ほどでできたのに、わざわざ新しいネットワークを1兆円の費用と10年の年月をかけて作ろうとしているのだと言う。50倍の出費とは何という無駄遣いとあきれるが、その理由は全国にある既存の地方民放局を守るためにあるようだ。つまり、衛星放送でカバーすれば、放送は全国一律になって、地方局の存在意味はなくなってしまうからというのである。だから当然、難視聴地域用のBS放送も、地域ごとに見えるチャンネルを制限して、わざわざ全部が見えないようにしているのだ。

・ちなみに山梨県には山梨放送テレビとテレビ山梨の2局だけだから、見ることができるのはそのキイ局であるNTVとTBSだけだということになる。僕の家ではUHFのアンテナは立てずに、東京からの電波でアナログの地上波を受信している。映りは悪いがNHKからテレビ東京まで7局見えているのに、デジタル化されたら民放の3局は見られなくなってしまうことになる。いろいろわかってくるにつれて無性に腹が立ってきた。

・衛星放送は全国をカバーするが、多チャンネル化できるのだから、地方の放送局もそれぞれチャンネルを持つことは可能なはずである。それは地域を限定してカバーするわけではないが、内容を充実させて、限定した地域にとって必要不可欠なチャンネルとして、地域の受信者に認識されればいいのである。そうしてもらえる自信はないから、従来通り県域に限定するというのは、新しいメディアの特性を無視した、既得権の行使以外の何ものでもない。

・日本では電波の利用は国によって管理されてきたから、ラジオもテレビもまったくと言っていいほど自由さのない状況で発展してきた。インターネットはそんな管理の及びにくいメディアとして、まるで黒船のように日本にやってきたから、自由度の大きいメディアとして急速に発展した。ラジオやテレビ放送のデジタル化も、インターネットと同様の発展のさせ方ができる可能性を持っていて、アメリカなどでは自由な発想の元にさまざまな放送が実現されている。そんな現状には目を向けずに、既得権第一で進める地デジ化など税金の無駄遣い以外の何ものでもないこ。これもまた、世界では例のない「ガラパゴス的」発想の一つである。

2010年5月10日月曜日

新しいチェーンソーを買った

 

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forest83-2.jpg・今年から薪を買うようになってチェーンソーを酷使したせいか、壊れてしまった。エンジンのスイッチが効かなくなったのだが、修理に出さずに買い換えることにした。小型の機種だったから、太くて堅い木だと切るのに一苦労で、最近では、息も絶え絶えという感じになることも多かったからだ。これまで使っていたのはRyobiで、排気量は33ccで切断面の長さは350mmだったが、新しいのはHusqvarnaで、45ccで450mmある。重さも3.4kgから4.8kgとかなり大きく重いものになった。切断面の長さの違いは右の画像の通りである。

・さっそく組み立てて試運転をした。音の大きさや振動にさほどの違いは感じなかったが、切れ味の違いにはびっくりした。チェーンが新しいということもあるが、飛び散る木屑の大きさが違うし、それが足にあたると痛いほどで、一本の太い木を5等分に玉切りするのも、あっけないほどに簡単だった。来冬に向けて9立米の木を買い、Ryobiで7立米ほどを玉切りにして、斧で4等分から8等分に割ってきた。力もいるし、汗もかく。チェーンソーの負担も気にして、少しずつやってきたのだが、Husqvaranaを使った残り2立米の作業はあっけないほどに簡単だった。こうなると、もっともっと使いたいのだが、購入した薪は切り終わったから、この後使う機会はあまりない。

・もちろん、Ryobiにだって、大型のチェーンソーはあるし、Husqvarnaにももっと小さなものがある。だから、この二つを並べて、それをチェーンソーの能力差だということはできない。実際に、同程度の排気量や切断面の大きさであれば、値段的にもそれほど違いがあるわけではない。ではなぜ、Husqvaranaにしたのか。それは、木の伐採作業を見かけたときに使われていたのが、多くHusqvaranaだったし、話を聞くと、これこそホンモノという返事が、また多く返ってきたからだ。僕が買ったRyobiはホームセンターの特価品で、定価の半額とは言え、三万円近くもしたものだから、僕にとっては大きな買い物だったのだが、本職の人にはオモチャ扱いされてしまって、ちょっぴり悔しい思いをしたのだった。

・道具は要するに、用が足せればいいのだが、どんな世界にもブランドはあって、それを信奉する人たちがいる。そして、素人ほど、根拠も必要もないままにブランドに憧れがちになる。チェーンソーは頻繁に、チェーンの刃研ぎをする必要がある。使い終わったあとに必ずすべきことなのだが、くたびれた後にはどうしても面倒になるし、なかなか難しくて、かえって切れ味が悪くなったりもする。まっすぐに切れずに勝手に曲がってしまうようになって、研ぎ直しをしたことも何度もあった。だから、道具だけいいものをそろえてもしょうがない、と思っていたのだが、壊れてしまうとすぐに、Husqvarnaのことが頭をよぎった。

・チェーンソーを使い始めて、もう10年になる。使うのも手入れも、少しはうまくなったと思う。それに、木を買い続けるのであれば、毎年、太くて堅い木を大量に切らなければならない。ネットで探すと、メーカーは他にもたくさんあって、排気量や切断面などによって、たくさんの機種ががあることに気がついた。もちろん値段もさまざまで、中には数十万円もするものもある。僕の買ったHusqvarnaは値段的には下から数えてすぐといった程度だが、それでも7万円ほどもするものだ。手入れを怠らずに、長い間大事に使おうと思っている。

・ところでストーブだが、今年は5月3日が焚きおさめになりそうだ。切って割って干している薪を使う半年先まで、ゆっくり休んでもらおうと、煤払いをしてワックス磨きをした。これもDutchwestというストーブのブランド品だが、家を購入した時にはすでに据えつけられていた。使い始めて10年で据えつけられてからは20年になる。おそらく、これから10年、あるいは20年と使い続けるものなのだろうと思う。

2010年5月3日月曜日

アフリカの音楽が伝えること


Razia Said"Zebu Nation"
Youssou N'Dour"Egypt"

・アフリカのマダガスカル島は行ってみたいところの一つだ。バオバブの木やキツネザルなど、島独特の動植物があるし、アフリカとはちょっと違う島だからだ。しかし、現状はかなり違っている。そんなことを歌うアルバムを見つけた。教えてくれたのは「インターFM(76.1)」の「バラカン・モーニング」だ。

razia.jpg ・ラジア・サイードの"Zebu Nation"はマダガスカル島の環境破壊を告発することをテーマにしたアルバムだ。稲作と牧畜、コーヒー、そしてバニラといった農業の発展で森林が伐採され、土壌の浸食と砂漠化が深刻な環境破壊を招いている。ラジアの歌はアフリカの音楽そのままに明るく軽快に聞こえるが、彼女が伝えるメッセージは切実だ。現地のことばの他に英語とフランス語が混じる歌詞で直接聞き取ることはできないが、ジャケットには収録された曲の内容が、それぞれ説明されている。

・たとえば、"Yoyoyo"は貧困や悲惨、そして部族紛争に苦悩するマダガスカルへの応援歌だし、"Ny Alantsika"は植物や動物の泣き叫ぶ声に耳を傾けろという訴えだ。そのほか、このアルバムには、焼き畑農法で森がたった1割になったと歌う"Slash and Burn"や、自然の回復の大切さを訴える"Tsy Tara"、この地に伝わる雨乞いの歌"Lalike"、と太陽と会話をする"Tiako Ro"、そして、目を覚まして立ち上がれと人びとを鼓舞する"Mifohaza"などが収められている。
・歌の内容を説明するというのは、メッセージをできるだけ遠くに、多くの人に届けたいという気持ちのあらわれで、ジャケットには、このアルバムが、しばらくぶりに帰ったマダガスカルで出会ったミュージシャンと、改めて気づいた故郷の現状のひどさ、そして、母語で歌われた歌がもたらしたインスピレーションの産物であることも書かれている。聴きながら、レゲエというあたらしリズムに乗せて軽快に歌い、ジャマイカの惨状を告発したボブ・マーレーを思い浮かべた。

youssou1.jpg ・アフリカのさまざまな問題を世界に向けて訴えるアフリカ出身のミュージシャンは、もちろん、彼女がはじめてではない。というよりは、注目された人たちは例外なく、優れた音楽性だけではなく、その政治的な主張や明確な立場の表明によっても評価されてきたと言っていい。その代表的存在であるユッスー・ウンドゥールの"Egypt"は、これまで出したアルバムとは違って、エジプト人のミュージシャンをバックにして、イスラム教をテーマにしている。この作品がアフリカで物議を醸したことはNHKのBSで放送されたが、それは、イスラム教が偶像を禁止し、神について語ることも戒めているからだ。つまり、イスラム教やアラーの神については、それが批判でなくても、歌になどしてはいけないとされているのである。

・彼が宗教を歌にしたのはイスラム教に対する誤解をただすという狙いがあったようだ。彼の故郷であるセネガルでは、アラーの神は自分自身の運命と日々の生活を律する唯一の神として信仰されている。それはセネガルのことばで歌われているようだが、どれにも英語の対訳がついている。前記した"Zebu Nation"とあわせて、"Egypt"は歌が何よりメッセージを伝えるアートであることを思い出させてくれる。このコラムで何度も繰りかえしているが、日本人が歌う歌には、こういったメッセージという要素はほとんどない。

・ところで「バラカン・モーニング」だが、月曜日から金曜日の朝7時から10時の放送で、僕は家にいるときはほぼ毎日、そして仕事に出かける日もカー・ラジオで聴いている。カー・ラジオでは、雑音がずいぶん入って聴きにくいことが多いのだが、どういうわけか奇跡的に、我が家ではこの番組が雑音なしに聴けるのだ。毎朝かかる曲には、すでに持っているものが多いし、話題にするミュージシャンにもなじみの人がよく出てくる。イギリス人だが、同年齢で、同じような経験をして、同じような音楽を聴いてきた人で、僕にとっては、自分で選曲しているかのように思うことが少なくない。その分、ipodを聴く時間が減った。

2010年4月26日月曜日

仲村祥一さんを偲ぶ会

・昨年の秋に亡くなられた仲村祥一さんを偲ぶ会が京都で開かれた。40日ほど前の木村洋二さんを偲ぶ会以来の関西行きだったが、今度もまた雪に悩まされた。最近の天気はまるでジェットコースターのような上がり下がりを繰りかえしている。河口湖は16日から雪が降り始めて、夜遅くなると積もりはじめた。20cmにもなるという予報もあって、恨めしげに外を見ていると、仲村さんの「来んでもええ」「そんな会、せんでもええのに」という声が聞こえた気がした。仲村さんはドタキャンの常習者だった。最初は乗り気だったのに、直前になって面倒になる。今度もやっぱりという気になったが、だからこそ、今度は、何が何でも行かねばならない。15cmほど積もった中を、予定より1時間早く出発した。

・道路に積もった春の雪は、車に踏まれるとシャーベット状になったり、洗濯板のようになったりする。そこを走るのは、当然、なかなか難しい。左に右に不規則に曲がるし、横滑りもする。そこをだましだまして前へ進むのだが、路面状態を見ながらのハンドル操作も必要だから、ゆっくり、的確にしなければならない。幸い車の数は少なくて、本栖湖を過ぎて朝霧高原にさしかかったあたりで、道路の雪が消え始めた。しかし、反対車線は大変で、雪が積もっているとは知らずに来た車が何台も立ち往生していた。

・京都へは富士山を右回りに周遊して、新幹線の新富士駅から乗ることにしている。駅前に駐車をすれば、京都までなら3時間ちょっとしかかからない。1時間早く家を出たから、京都へも1時間早く着いた。天気は回復したが北風が吹いて、寒い。しかし、久しぶりだから、会が始まるまでの時間を散歩をして過ごすことにした。大改装中の東本願寺に行き、そこから小路を歩いて鴨川に出て、川沿いを歩いて塩小路を曲がって京都駅へ。桜がまだ残る景色はやっぱり季節外れだ。珈琲を飲もうと京都駅に戻ると、珈琲スタンドで井上俊さんにばったりあった。今日の偲ぶ会は彼の発案である。

・会の参加者は仲村さんと古くからつきあいがある人ばかりだが、その大半はすでに退職していて、僕が久しぶりに最年少ということになった。出席者は池井望さん、井上宏さん、小関三平さん、津金澤聡広さん、田村紀雄さん、中嶋昌彌さん、秋山洋一さん、そして娘さんの小俣さん夫妻の11名。仲村さんの思い出話に花が咲いて、笑いの絶えない会になった。木村洋二さんの会の時も感じたが、関西人は何よりユーモアを大事にする。偲ぶ会とは言え、美談やお世辞ではなく、おちょくりやぼやきは場を和ませ、仲村さんの素顔を思い出させた。

・仲村さんは本を送ったり、このコラムをまとめた冊子を送ると、すぐにお礼と感想を書いた葉書を書いてくださった。いつでもいの一番で、時には唯一ということもあった。ありがたいと思ったが、うまく判読できずに首をかしげることも多かった。そんな筆跡の話も話題に出て、互いの字をけなしあうことがまた、笑いを誘った。二次会をあわせて3時間ほど、久しぶりの人たちと、久しぶりの楽しい時間を過ごすことができた。遺影で参加の仲村さんも、きっと喜んだことと思う。

2010年4月19日月曜日

ジャガイモとアイルランド

 

伊藤章治『ジャガイモの世界史』『中公新書
林景一『アイルランドを知れば日本がわかる』角川書店

journal1-134-1.jpg・ジャガイモは毎日の食事に欠かせない食材で、それは世界中どこの地域でも食べられている。しかし、そんななじみの野菜が日本にやってきたのは400年ほど前のことだ。ジャガイモは南米のペルーにあるチチカカ湖あたりが原産で、コロンブスのアメリカ大陸発見後、数十年経ってヨーロッパに持ちこまれたものだから、そのまた数十年後には日本にまでたどり着いたことになる。同様の旅程を経てやってきたものには、他にもトウモロコシ、唐辛子、トマト、そしてカカオなどがある。ちなみにジャガイモという名の由来は、ジャワ島のジャカトラ(ジャカルタ)にある。

・伊藤章治の『ジャガイモの世界史』には「歴史を動かした貧者のパン」という副題がついている。ヨーロッパ諸国が近代化の過程で多くの戦争をし、また冷害に悩まされた時に、ジャガイモはその急場をしのぐ救世主になったし、近代化が進むと労働者階級の人たちの主食となった。日本でも北海道の開拓などでは、酪農が軌道に乗るまでの重要な食材になったようだ。

・アイルランドはその近代化の過程で、イングランドの圧政やイギリス人の不在地主によって苦しめられ、頼みのジャガイモが病気になって大飢饉を招いたという歴史を経験している。1845年から数年間のことで、それをきっかけにして、アメリカへの移民が急増した。南米原産のジャガイモを北米に持ちこんだのは、そのヨーロッパからの移民だったと言うから、南から北へではなく、いったん東に行って西にUターンしたということになる。

journal1-134-2.jpg・林景一の『アイルランドを知れば日本がわかる』には、大飢饉による餓死や移民によって人口が急減したアイルランドが、EU加盟以後急成長して、現在ではEUの中で大きな存在となってきていることが紹介されている。音楽とギネスだけでなく、ハイテク産業を誘致して、工業立国に変身してきているのだが、それはアメリカに移民して成功したアイルランド系の企業の存在が大きな力になっているようである。

・アイルランドの人口は、ジャガイモによって18世紀の半ばから19世紀の半ばにかけて150万人から800万人に急増し、大飢饉によって急減して、一時は260万人までに落ち込んだそうである。現在では北アイルランドとあわせて600万人に回復しているが、世界中に移り住んだアイルランド人の子孫は、アメリカの4000万人のほかに、カナダやオーストラリアなどでさらに1000万人を越えるほどになっている。

・アイリッシュ・アメリカンが得た職は警察官や消防士などの危険な仕事やスポーツ選手(ボクシング、野球)、そして映画(監督、役者)が多かったようだ。たとえばきわめてアメリカ的な映画の西部劇を代表するジョン・フォードやジョン・ウェインは有名だが、映画に繰りかえし登場したビリー・ザ・キッドやパット・ギャレット、あるいはアラモの砦のデービー・クロケットもアイリッシュだったそうである。

journal1-134-3.jpg ・そんなことを読んでいるときに、ライ・クーダーとチーフタンズがメキシコに及んだアイリッシュの音楽をテーマにしたアルバム”San Patricio”を知った。メキシカンでもありアイリッシュでもある、そんな不思議なアルバムだが、内容はアメリカとメキシコ(米墨)の戦争(1846)でメキシコ軍に参加してアメリカと闘ったアイルランド人が登場しているようだ。アラモの砦はこの戦争の発端になった戦い(1836)のアメリカ側の陣地だから、アイルランド移民は、両軍に別れて闘ったことになる。ちなみに、この戦争に負けたメキシコはテキサスからカリフォルニアまでを失った。

・アルバムには90歳を越えたチャベラ・バルガスが登場して歌っている。息切れをして裏声になるところもあるが、"Luz De Luna"はDVDにもあってなかなかいい。他にもリラ・ダウンズ、リンダ・ロンシュタット、それにエンヤの姉のモイヤ・ブレナンなど、参加者も多彩で聞き応えがある。それにしても、ライ・クーダーはいい仕事をしていると思う。

2010年4月12日月曜日

メディアの信頼度

・電通総研がしたメディア信頼度についての調査によれば、日本人の72.5%が新聞や雑誌を信頼しているという。この数字だけでは特に気になることではないかもしれない。しかし、同じ調査結果を他国と比較してみると、その違いに驚いてしまう。つまり、メディアの信頼度はアメリカでは 23.4%、ドイツが28.6%、フランスが38.1%で、イギリスではわずかに12.9%しかないからである。この違いを、どう理解したらいいのだろうか。

・日本人のメディアへの信頼度の高さは、たとえば、民主党の支持率が昨年の衆議院選挙前に急上昇して自民党の惨敗を招いたことや、最近の鳩山政権や民主党の支持率の急落をみればあきらかだろう。世論はメディアの思うままに操作されていると言えばそれまでだが、しかし、こんな結果になるのは、そのメディア自体がまた、世論の動向に左右されているからで、そのことが、ことの表層にばかり注目して、本質を見失う結果をもたらしているのである。

・普天間基地をどうするかが鳩山政権の浮沈を大きく左右する課題だと言われている。沖縄が半世紀以上にわたって担ってきた負担をどうしたら軽減できるか。一番の目標はここにあるはずなのに、この点を議論の中心におこうとするメディアはほとんどない。本土にある既存の基地への移転のニュースが流れると、即座に「断固反対!」という声明が出されるが、そこには、沖縄が負ってきた犠牲をどうするかといった発想は見られない。そもそも米軍基地がなぜこれほどの規模で必要なのかといった議論も含めて、一から考え直してみようとする余地がまったく生まれないのはどうしてなのだろうか。

・疑問点はまだまだいくらでもある。佐藤栄作元首相がノーベル平和賞を与えられたのは、「非核三原則」が大きな理由だった。自民党政権はずっと、「非核三原則」の遵守を言い続けてきたのだが、それが嘘であることが明らかになったのである。しかも、残しておくべき機密文書の多くが見つからないのだという。メディアはこのことをなぜ、大きな問題にしようとしないのだろうか。

・本質ではなく表層をおもしろおかしく揶揄し、こき下ろし、嘲笑する。その特徴が顕著なのは週刊誌だろう、、新聞に載る週刊誌の広告には、毎週、民主党政権の駄目さ加減と、今すぐ転覆するかのような見出しが列挙されている。そんな「空気」にうんざりしていたのだが、「週刊朝日」の「「民主党チェンジ、じわり進んでいる」という見出しに「へえー」という思いを感じた。

・半年経ってもできないことではなく、できたことに注目してみる。自民党と変わらないことにではなく、変わったことを評価する。半世紀も続いた政権が代わったからといって、すぐに何でも変わるわけではない。そんな当たり前のことを、当たり前に主張することが、きわめて新鮮に感じられた。

・米軍基地や巨額な借金財政をどうするかといった問題は、その解決の道を、時間をかけて少しずつ模索していくほかはないことである。週刊誌は、そんなことにはお構いなしに、目先の売り上げばかりを考えるし、テレビは視聴率を上げることしか眼中にない。そんなメディアを国民の4人に3人が信頼しているというのは、国民もまた、自分の目先の利害を離れたことには無関心で無責任だということになる。

・メディアを信頼しないというのは、即、不信感をもっているということとは違う。それは、信頼できるかどうかをその都度自分なりに判断する批判的な態度で接触していることを意味している。メディアに対する72.5%という信頼度に見られるのは、何より、個々人が持つべき批判精神の欠如なのだろうと思う。メディアへの信頼度は個々のメディア、その都度の情報や、出来事に対する姿勢に対して、それぞれ判断すべきことなのである。

2010年4月5日月曜日

トニー・ガトリフの映画

・トニー・ガトリフは一貫してロマをテーマにした映画を作ってきた。母親がロマ人という自らの「アイデンティティ」と、迫害を受け続け、無視されてきたロマの歴史と現状を物語にしている。そのうちの何本かをDVDで購入した。

tony1.jpg ・『ガッチョ・ディーロ』は1997年につくられている。題名はロマ語で「愚かなよそ者」という意味で、死んだ父が追い求めたロマの音楽をさがしてルーマニアを旅するフランス人青年の話である。雪道を歩いてたどり着いた村で、ロマの老人に出会い、そこで酒を飲んで、家に泊めてもらうのだが、最初はうさんくさいよそ者として怪しまれながら、少しずつ中に溶けこんでいく。受け入れてもらうために何より必要なのは、ロマのことばを覚えて使うことで、その相手は好奇心旺盛で彼のまわりに集まってくる子どもたちだった。
・老人はバイオリンの名手で、彼が率いる村の楽団はブカレストのレストランや結婚式に呼ばれて演奏をして現金を稼いでいる。そんなふうにして受けいられている反面で、ロマは嫌われ、差別もされている。老人の息子は不当な罪で投獄されていて、老人はそのことを繰りかえし怒り、また悲しむ。その息子は数ヶ月後に出所するが、酒場で投獄の原因になった村人たちに暴力を働いて、逆にロマの集落を焼かれ、殺されてしまう。
・登場人物のうち俳優は主人公の青年を演じるロマン・デュリスだけだ。彼と恋仲になるダンサー(ローナ・ハートナー)はロマの歌手だし、老人はガトリフがたまたま現地で見つけたバイオリン弾きだ。そんな人たちによって展開される物語が、まるで名優たちの演技のようにリアルに伝わってくる。噂話や猥談に花を咲かせる女たちや男たち、そして誰より登場する子どもたちの様子は、まるでドキュメントのように自然だ。

tony2.jpg ・ロマはインド西部から中近東を経てヨーロッパに移動し、各地でその地の音楽に独特の味つけをして発展させた人たちだ。ガトリフが映画のテーマにするのはそんなさまざまな音楽で、『ベンゴ』(2000)はスペインとフラメンコが主題になっているし、最新作の『トランシルバニア』(2006)が描くのはヴァルカン半島のロマと音楽だ。もちろん、音楽はそれぞれに違い、踊りもまた多様だが、映画を続けてみると、そこにはまた変わらないロマの特徴も感じられてくる。ガトリフの作品には千年に及ぶロマの旅を描いた『ラッチョ・ドローム』(1992)があり、ここでは、迫害を受けながらも、各地の音楽や踊りに欠かせない存在となったことが力説されている。けれどもまた、ロマはそれぞれの地でもロマとして独立し、けっして溶けこもうとはしてこなかったのである。

gypsy3.jpg ・もう一本、ジャスミン・デラルの『ジプシー・キャラバン』は、各地のロマが一緒になってアメリカを演奏旅行したドキュメントだ。スペイン、ルーマニア、マケドニア、インドから5つのバンドが参加したツアーはアメリカやカナダで大絶賛を受けるが、出演者たちの間には、共通性よりは互いの違いに対する違和感の方が強く出てしまう。インドの演奏や踊りに顔をしかめ首を振るフラメンコのダンサーなどの様子は、ロマ同士の間にはほとんど何の繋がりもない現状が浮かびあがってきて、興味深かった。
・もちろん、6週間に及ぶ講演旅行の間には、互いの間にある違いをこえた一体感が生まれてくる。ロマの血を引く人たちは、ヨーロッパに 600万から900万人、アメリカにも100万人と言われている。統計には出てこない人や混血をして溶けこんだ人などを加えれば、その数ははるかに多いようだ。そして、その人たちをつなげるルートや組織は、今のところほとんどない。