2015年8月17日月曜日

無責任体制の極み

・猛暑の中、今年も8月15日が来た。戦後70年、この国はずっと敗戦ではなく終戦と言い続けてきた。負けたのなら誰かがその責任を取らなければならないが、終わったのなら、それは誰の責任でもない。そして今年の夏は、この無責任体制が戦後70年で一番突出したと言える。安倍政権は世論の大反対にもかかわらず、暴走、迷走を続けているが、その姿勢自体もまた無責任そのままである。何を言うのかずっと話題になってきた「談話」にも、主語のない、曖昧な表現ばかりが目立った。

・11日に川内原発が再稼働された。反対の世論が多数を占める中での強行である。6日の広島、8日の長崎の式典の直後であり、11日は福島の月命日だった。無責任の上に無神経な行為と言わざるを得ない。福島の状況は未だにアンダーコントロールどころではないし、避難した人たちの多くの生活も、もと通りになることはない。そもそも地震や火山の噴火がこれほどに多い国に、原発など作ってはいけなかったのに、政権や電力会社にはそんな反省は微塵もない。桜島が噴火しそうなのが、自然が下す鉄槌のように思われてしまう。

・検察審査会が勝俣元会長ほかをやっと強制起訴した。事故責任をはっきりさせるような裁判がおこなわれることを願うばかりである。裁判では福井地裁で高浜原発再稼働の差し止め命令も出た。再稼働の可否を判断する新しい規制基準自体が「緩やかすぎて合理性を欠く」ものだとして原発政策を根本から見直すよう求めた内容だった。安倍首相はその判決など無視して、川内原発について、世界で最も厳しい新規制基準をクリアしたなどとうそぶいている。

・安保法制の衆議院における強行採決もまた、世論の大反対、政権支持率の急降下、そして大学生や高校生などが自発的に始めたデモを無視してのものである。さらに理解してもらうよう努力すると言っているが、理解したからこそ反対の声が強くなってきているのである。この戦争法案は、一説では安倍が祖父岸信介の意志を継いで実現しようとするものだと言われている。しかしまた、2012年にアメリカの「安全保障研究グループ」が公表した「第三次アーミテージ・ナイ・レポート」の内容そのものだと指摘する人もいる。

・アメリカに言われるままだからこそ、国会での論議と承認前にアメリカに行って、法案を約束したのだろうか。その安倍は、「ウィキリークス」が公表した「米国安全保障局」(NSA)が日本の内閣、日銀ほか大企業の電話を盗聴していた事実について、真意を尋ねることをしただけで抗議をまったくしなかった。そんなアメポチの隷属姿勢を、中国や韓国、そして北朝鮮に対する喧嘩腰と対照させると、日本や国民を守るためなどという説明が嘘っぱちであることがよくわかるだろう。

・無責任な言動はほかにもたくさんある。新国立競技場を巡る顛末はうんざりするほどだが、ここでも責任の所在がはっきりしない。オリンピックのエンブレムの盗作騒ぎも相まって、「もうやめたら」と言いたくなってしまうが、実際、オリンピックの後に大不況に陥って、そのまま日本没落なんてことを言う人もいる。実態のないアベノミクスと、それを支えるために年金を株価の操作に注入している日銀の行動は不安感を募らせるだけだし、ソニー、パナソニック、そして東芝といった日本を代表する企業の不振や不祥事なども続いている。で、そこでも、責任の所在はうやむやだ。

・戦争法案は参議院で論戦が続いている。武器は運べないが弾薬は運べる。だから核兵器や劣化ウラン弾なども運ぶことができる。こんなとんでもない議論があり、また法案の成立前なのに、防衛省では法律を前提にした計画を作成しているといった資料が暴露されている。もうめちゃくちゃだが、それでもこの法案を成立させるつもりなのだろうか。成立を阻止して安倍政権を倒す。無責任体制には一人一人の責任ある批判の声が力を持つ。「私」という一人称で、はっきり発言をすることが大事だ。

2015年8月10日月曜日

ベテラン健在!

  • Mark Knopfler "Tracker"
  • James Taylor "Before This World"
  • J.D.Souther "Tenderness"
  • Blur "The Magic Whip" 

knopfler.jpg・マーク・ノップラーの"Tracker"は3年ぶりで、彼は数年おきに着実に新譜を出している。評判が良くてUKはじめ、世界中で売れているようだ。trackerは追跡者や狩猟者の意味だが、同名の曲はない。アルバム制作者の意味だろうか。前作の"Privateering"同様、ケルト音楽が心地いい。その頭の曲は「笑う、からかう、飲む、そして吸う」というタイトルで、若い頃にロンドンで暮らしていた様子を思い返している。2曲目の「バジル」も新聞社で使い走りの仕事をする少年の話だ。これも、自分のことなのだろうか。彼の作るアルバムには今回に限らず、いくつもの物語がある。8曲目の"Light of Taormina"の歌詞にはディランと一緒に歌っている写真がある。数年前に一緒にツアーをしたようだから、その時に作った曲なのかもしれない。

jt1.jpg・ジェームス・テイラーの"Before This World"はスタジオ録音としては13年ぶりのようだ。ずいぶん久しぶりだが、その間、ライブ盤やカバーを出している。このアルバムも評判が良くてビルボードでNo.1になったようだ。3曲目の"Angels of Fenway"は、ボストン・レッドソックスが2004年に86年ぶりにワールド・チャンピオンになった時の歌だ。おじいちゃんもおばあちゃんもファンで、子どもの時に一緒にフェーンウェイ・パークに応援に行った。おじいちゃんは死んだが、おばあちゃんは病院のベッドで応援した。
・他方で9.11やアフガニスタンを歌った歌もある。自分のこと、身近なこと、そして世界のことを無理なく、穏やかに物語にする。ノップラー同様に、ストーリー・テラーとしての才能は健在だ。

souther.jpg・J.D.サウザーの"Tenderness"は4年ぶりのアルバムだ。前作の"Natural History"は彼のヒット曲を歌い直したもので、その多くは彼自身ではなくイーグルスやリンダ・ロンシュタット、そしてジャクソン・ブラウンなどに提供した歌だった。ノップラーやテイラーもそうだが、サウザーも外見は正真正銘老人だ。しかし、歌う声にはそれほどの違いはない。もちろん歌作りのエネルギーや力も衰えていない。
・アルバムの最後の曲"Down Town"には「戦争の前」という副題がついている。いつの戦争なのかどこの町なのかわからないが、ダウンタウンの良さと、今は失われてしまっている様子を歌っている。過去を思い返すというのも、3人に共通したテーマのようだ。

blur1.jpg ・最後はブラーの"The Magic Whip"。"Think Tank"を出したのが2003年だから、12年ぶりということになる。メンバーの脱退騒動で活動自体も休止していたが、2009年から再開している。香港で録音したから、ジャケットには模糊魔鞭という漢字が書いてある。イギリスのチャートで1位になったようで、なかなかいい。
・ブラーを知ったのは映画の『トレイン・スポッティング』だった。その後に出た"13"も"Think Tank"もよかったから、"The Magic Whip"も期待して買った。アジアを意識してということだが、聴いている限りはあまり感じない。

2015年8月3日月曜日

BSを見るのは地方の年寄りかマニア?

・火野正平が日本全国を自転車で巡る番組「心旅」が今年も続いている。春は和歌山から出発して北海道まで行って7月末で終了した。秋は徳島から出発して沖縄まで行くようだ。番組は朝昼夜とやっていて、僕も朝と夜は楽しみにして見ていた。BSだからどの程度に見られているのかわからなかったが、彼が行く先々で出会う人が「毎日見てます」といった声をかけることが多いのに意外な感じがした。火野正平が走るのはほとんど都市部ではなく、山間や海岸地帯で、そこで出会うのはお年寄りが多かったからだ。

・大学のゼミでこの番組の話をしても、見ている学生はほとんどいない。彼や彼女たちは、そもそもBSそのものを見ていない。テレビで見るものと言えば夜のバラエティで、テレビのチャンネルにBSがあることすら意識していない学生が多いのである。実際視聴率から言ってもBSはあまり見られていない。そのことは地デジと同時中継するスポーツ番組の視聴率の違いからも明らかだ。

・若い人たちがあまりテレビを見ないことや、主たる視聴者層が高齢化している傾向はずいぶん前から指摘されている。都市部では多チャンネル化が当たり前になっているからBSにまで関心が向かないのも当たり前かもしれない。けれども地方では、地デジの民放も2局だけだったりするから、BSもかなり見られている。その主たる視聴者層もやっぱり高齢者なのかもしれない。火野正平の番組を見ていて、そのことを実感した。前回書いたように、CMが「特定保健食品」や「栄養機能食品」ばかりなのもわかるというものである。

・もっとも、同じBS番組でも田中陽希の「グレイト・トラバース」は、老若男女に視聴されているようだ。去年の百名山に続いて今年は二百名山の踏破をめざしている。北海道の稚内から歩き始めて九州をめざす行程で、終わるのは12月になるようだ。その2回目の放送が8月1日にあった。百名山に比べて二百名山にはなじみのない山も多い。登山者が少なくて道が藪に覆われてなくなってしまっているところもあるようだ。なかなか大変な試みだと思う。ただし、彼にとっての悩みはや苦労はそれだけではない。

・彼はブログを出していて、そこには全行程の日程や日記が載せられている。だから、登りやすい山になると、待ち構えていて一緒に写真を撮ったりサインをねだったりする人がかなりいる。食べ物などの差し入れをする人もいて、そのことが歩く妨げにもなっている。番組は見て欲しいけど、邪魔はして欲しくない。そんな気持ちがブログでも吐露されているが、山歩きがブームになっている現状を考えれば、その憧れの人に一目会いたいといった願望をやり過ごすことは難しい。そもそも、ブームに火をつけたのもBSの百名山番組だったりもしたのだ。

・マニアックな番組と言えば「ツールドフランス」も、その全日程を中継していた。毎日25分ほどの時間だが、ロードバイクに乗り始めた者としては興味津々で見続けた。百台を超える大集団だからちょっとしたことで転倒して、それが何台にも連鎖する。優勝候補の選手が骨折をして棄権といったことも連続した。何しろ平地ではそのスピードが60kmを越えるというし、下り坂なら100kmにもなるようだ。どんなにがんばったって30kmを超えて走り続けることなどできないし、坂道では60kmが精一杯という者からすれば、自転車競技はやっぱりサーカスのように思えてしまう。

・テレビを見るとすれば、もっぱらBS。そんな視聴が定着してずいぶんになるが、我が家では最近、見られない日が多くなった。家の周囲の木が繁茂して電波を遮るようになったからだ、曇りがちになったり、風がちょっと強めに吹いたりすれば、もう映らなくなってしまう。大木を伐採することはできないから、BSアンテナを移動するか高くするかしなければいけないのだが、年齢を考えると屋根に登るのもそろそろ控えた方がいいかも、と思い始めている。森の中に住んで暑さをしのげているが、電波は届いて欲しい。どうしたものか悩んでいる。

2015年7月27日月曜日

友達と仲間

 

押井守『友だちはいらない』テレビブロス新書

蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』角川新書
高田渡『マイ・フレンド』河出書房新社

・大学生が入学してまずやるのが友だち捜しであるのは、今さら言うまでもないことだ。で、大学の4年間を通したつきあい方はつかず離れずで、卒業してしまえば、それでおしまいといったもののようだ。「そういうのは友だちと言わないんじゃないの」といった批判をして、卒業した後もつきあえるような友だちを作った方がいいよといった話を何度となくしてきた。
・けれども他方で、僕自身が十代や二十代の頃に出会った友だちと、今どんなつきあいをしているかと考えた時に、たまに会う程度以上の人は誰もいないな、と思っても来た。親密につきあっていたって、それが長続きするわけではない。だとしたら、いったい友だちって何なんだろう。学生に話しながら、同時に矛盾する気持ちを感じていたのも事実だった。

osii.jpg・押井守の『友だちはいらない』は、そんなはっきりしない気持ちにひとつの答えを出してくれるものである。彼にとって一番大事なのは、友だちではなく、仕事仲間である。一緒に仕事をする仲間は、仕事上のつきあいであって、必ずしもプライベートな世界にまで入りこむものではない。プライベートなつきあいは家族で十分だし、ペットがいればもっといい。

・だからといって仕事仲間は表面的で形式的なつきあいだとも限らない。互いに協力したり、競争したりしながら、それなりに太くて深い関係になることもある。もちろんこれは映画監督ならではの発言で、どんな仕事にも共通するものではないかもしれない。あるいは、日本の企業は今でも、仕事だけではなく、プライベートなつきあいまでにもずるずる繋がるものだから、仕事仲間はもっと限定的にして、別の関係を作りたいと思う人も多いだろう。

ebisu.jpg・蛭子能収は漫画家で、テレビにもよく出るタレントでもある。周囲の空気など気にせず言いたいことを言う。その態度が人気の理由でもあるようだ。その彼もまた、友だちはいらないと言う。それは小さい頃からいじめられた経験によるようだ。周囲に同調するよりはできるだけ自由に生きる。この本はそんな生き方の提案書でもある。

・「ひとりぼっち」と言いながら、彼もまた仕事上の仲間の重要性を認めている。しかしやっぱり、そのつきあいをプライベートな世界にまで入れようとはしない。私的なつきあいは、彼にとっては奥さん一人に限られる。だからその奥さんの死が、彼にとってひどくつらいものであったことが書かれている。彼はその寂しさに耐えられず、テレビ番組で新しい奥さんを公募したようだ。「ほとりぼっち」になれないじゃないか、と言いたくなったが、一緒に生活する人こそ、いちばん大事だと思うのは、僕にもよくわかることである。そのことを、パートナーの脳梗塞と入院で痛感した。

wataru.jpg・高田渡の『マイ・フレンド』は、彼が十代の頃につけていた日記につけた名前だ。彼はその日記を友だちと思っていて、日記に語りかけるように、相談するように書き続けている。もちろん、現実に友だちがいなかったわけではない。家族もいたし、仕事仲間もいた。しかし、ウッディ・ガスリーやピート・シーガーを知り、そのレコードを聴き、歌詞を書き、バンジョーやウクレレを自作し、演奏や歌う練習をした。アメリカへの留学を考え、ピート・シーガーに手紙を書き、音楽評論家の家を訪ねて、聞きたいことを聞き、いくつもの資料をもらってきた。

・そんなことを友だちに話すように日記に書く。それは彼の自伝のようだし、私小説のようでもある。何でも打ち明けられるし、相談もできる。それで自分の考えもはっきりする。フォーク・シンガーとして独特のスタイルを作った人の若き日の日記であるだけに、一人の物語のようにして読んだ。実は僕はこのノートを、彼がデビューする前に井の頭公園で見せてもらっている。もう半世紀も前の話で、僕も同じようなノートを作っていたが、もうとっくに捨ててしまっている。

・友だち、仲間、そして家族。その関係の重要性は、一人一人それぞれだろう。また、誰にとってもそれぞれの関係の重みや意味合いは、歳とともに変わっていく。恋愛は結婚によって持続的な関係になる。仕事仲間もまた、ある程度の持続性を前提にする。ところが友だち関係には、持続的であることを保証するものは何もない。だからこそ、一次的にせよ、親密な関係になる。そして必ずしも生きた他人である必要はない。そんなふうに考えると、僕にも思い当たる出会いはいくつかあったと思う。

2015年7月20日月曜日

新刊案内!『レジャー・スタディーズ』

 

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・今、「レジャー」について考える理由は、経済的にこれほど豊かな国になったのに、日本人の「レジャー」はなぜ貧困のままなのか、という疑問でした。ところがここ数年の状況は、雇用形態の変化や「残業代0法案」に顕著なように、その豊かさが怪しくなっている点にあると思います。ですから、ひょっとすると、この本を見かけた人は、こんな大変な時代になぜ「レジャー」なのだと思うかもしれません。しかし、こんな時代や状況だからこそ、「レジャー」について、自分の生き方や「ライフスタイル」と関連させて考えることが必要だと強く言いたくなります。是非中味を読んで、そのことを認識して欲しいと思います。

目次

序章 レジャー・スタディースの必要性と可能性(渡辺潤)

Part1 余暇学からレジャー・スタディーズへ
 1.余暇 (薗田碩哉)
 2.遊び (井上俊)
 3.ライフスタイル(渡辺潤)
 4.仕事(三浦倫正)
 5.カルチュラルスタディーズ(小澤考人)

Part2 レジャーの歴史と現在
 6.教養と娯楽(加藤裕康)
 7.ツーリズム(増淵敏之)
 8.音楽(宮入恭平)
 9.ショッピング(佐藤生実)
 10.スポーツ(浜田幸恵)

Part3 レジャーの諸相
 11.ライフサイクル(盛田茂)
 12.食(山中雅大)
 13.映画とテレビ (盛田茂+加藤裕康)
 14.ミュージアム(光岡寿郎)
 15. ギャンブルとセックス(岸善樹)

索引
あとがき

オビ

{余った暇」つぶしから
豊かなレジャーの世界へ!

自由とは何か、豊かさとは何か、私はなぜ働くのか、
レジャーからライフスタイルを見つめよう。
旅行、音楽、スポーツからテレビやギャンブルまで、
多様なレジャーの過去と現在を学ぶ入門書の決定版。
現代文化を学びたい人にも最適。

2015年7月13日月曜日

梅雨がうらめしい

 

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forest126-2.jpg7月に入って、毎日のように雨が降り続いている。その雨の合間に真っ赤な夕焼けの日があった。うわーきれい、と見とれたが、ほんの少しで闇に消えた。梅雨入り前に御坂山塊に登った。ただし歩いてではなく、車でだ。いつ来てもここからの景色は素晴らしい。しばらくぶりでちょっとだけ、パートナーと尾根歩きをした。リハビリを頑張って、500m、1km、2kmと散歩の距離を少しずつ伸ばしている。果たして山歩きができるまで回復するのだろうか。ここはじっくりリハビリに励んでもらうしかない。

toilet.jpgそんなふうに思っていたら、保険の適用は6ヶ月までだと言われた。あとは実費で続けなければならない。治っても治らなくても半年限り。保険制度の財政が厳しいとはいえ、切り捨てがここまで露骨だと腹が立つ。

一方で、新国立競技場に象徴されるように、どんぶり勘定でやる無駄遣いがあとを絶たない。ラグビーのW杯もオリンピックも、やりたければ横浜や埼玉、そして味スタを使えばいい。権力者の思いが弱者を切り捨てにする。そんな好例を目の前に突きつけられた思いがした。その新国立競技場はまるでトイレだという記事を見た。こんなものは絶対作らせてはいけないのだ。

forest126-3.jpg山歩きができないから自転車で。新しい自転車に乗って6月は12回走った。河口湖一周、西湖一周、そして西湖と河口湖。スピードが出るからついついがんばって新記録を狙ってしまう。で、河口湖一周は45分、西湖は58分、西湖+河口湖は1時間22分。こうなるとだんだん冒険もしたくなる。富士山一周はいつかやりたいと思っていたが、まずは精進湖まで、そして本栖湖まで、あるいは山中湖一周をしてからと思っている。自転車は何と言っても登りがきつい。その登りだけのヒルクライムにも挑戦してみようか。だったら富士山五合目まで、などと考えている。年寄りの冷や水と言う声が聞こえてきそうだ。

forest126-5.jpgところが7月に入って自転車に乗れない日が続いている。この週末やっと晴れたと思ったら、数日前から体調がすぐれない。梅雨時には時々出る症状で、原因は不明だが、とにかく寝れば直る。で、日曜日に8日ぶりで河口湖を一周した。
雨の影響は薪にも出始めている。カビが生えてきているのだ。雨のかからない軒下にできるだけ移動しなければならない。自転車よりも優先してと、これは土曜日にやった。カビだけでなく、虫の巣になっていたりナメクジがついていたりと大変だった。他方で茗荷は例年になく大きく育っている。収穫は今月末からか、あるいは8月になってからだろうか。

forest126-4.jpg雨は降っても気温は暑からず寒からず。僕にとってはちょうどいいのだが、パートナーには寒いようだ。麻痺した部分の血流が悪いせいだろう。とにかく家の中は暖かく。そのために床下の断熱工事をした。建築時に貼った繊維質の断熱材が剥がれ落ちていたから、以前からなおさなければと思っていたのだが、薪の原木を購入しているところで相談をすると、うちでもやってますと言われた。今は発泡性のウレタンを吹き付けるやり方になっているという。床全面に吹き付けたが、さて今度の冬はどうだろうか。床下に入ってみると、ちょうど薪ストーブがあるところに、大きな蜂の巣があった。もちろん、もう何年も経ったものだが、ここで越冬したのだろうか。きっと暖かだっただろうと思う。

2015年7月6日月曜日

がんばれ!"SEALDs"

 


SEALDs.png ・大学生が政治問題に目覚めてやっと動き始めた。毎週金曜日の夜に国会議事堂前で、土曜日に渋谷で集会やデモをやっている。その動きは京都や札幌、そして沖縄などに広がって、数百、数千人の若者達が集まっているようだ。思い思いのプラカードを掲げ、マイクを握って発言し、ラップなどでメッセージを伝えてもいる。僕は出かけていないが、Youtubeではその模様をいくつも見ることができる。

・集会やデモをリードしているのは"Students Emergency Action for Liberal Democracys"(自由と民主主義のための学生緊急行動)という名の組織だ。略して"SEALDs"と言う。

・若者達の意識が変わりはじめた。そう思うと、どうしようもない政治状況に暗くなっていた気持ちの中に、ひとつの明かりがさしてきた気がした。参加したフォーク歌手の中川五郎はツイッターで「なんと美しき光景かな。未来を生み出す若い人々とこの時代を生きていることを心の底からうれしいと思う。未来は彼らと共にある。」と興奮気味に書いている。

・そんな気分になるのは僕にもよくわかる。大学生が抗議行動に率先して立ち上がったのは半世紀ぶりで、僕らの世代が高校生や大学生だった時以来だからだ。"SEALDs"のFacebookには岡林信康の「友よ」がリンクされたりもしているから、余計に懐かしさを感じたりもしてしまった。

・とは言え、そんな興奮をゼミの学生に話しても、彼や彼女の反応はいまひとつだ。僕の勤める大学のキャンパスにも、そんな動きはまだ見えない。渋谷に2000人といっても、まだまだごく一部の学生なのだと思う。内向きで政治には無関心の学生の意識を変えるのは大変だが、ほかの誰より自分たちに一番関わる問題であることに早く気づいて欲しいと思っている。

・だからこそ、この動きは大切にして、芽を摘みとるようなことが起こらないようにとも思う。たとえば"SEALDs"のサイトには「私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。」といった声明がある。そしてこれに対して、自由で民主的な日本がどこにあるのか、それを作ろうといったい誰が努力してきたのかといった批判をして、その認識の甘さを突く声もある。

・戦後に作り上げられてきた民主主義を守るのではなく、むしろその民主主義なるものの欺瞞を撃つことから始めなければという批判は、至極まっとうなものである。けれどもそんな批判を頭ごなしにしても、それはやっと芽生えた動きの芽を摘みとる働きしかしないだろう。身近にいる大学生達とつきあっていて肝に銘じているのは、叱るよりはまず褒めることであるからだ。とにかく行動し、その後で、自分で考えながら気づいていく。教師としてはどうしても、そんなふうに考えてしまう。

・学生達は何より空気を気にするから、この流れが身近な人間関係に及ぶことが必要だ。その意味で不思議に思ったのは、"SEALDs"のサイトのSNSにFacebookやTwitter、それにYouTubeがあるのにLineがないことだ。僕のゼミの学生達の多くはLineしかやってない。たぶん多くの大学生も同じなのだろうと思う。