2017年4月17日月曜日

Bob Dylan "Triplicate" "Real Royal Albert Hall"

 

2017dylan1.jpg ・ディランの話題は相変わらずノーベル賞ばかりだが、彼はせっせとアルバム作りをしている。と言ってもオリジナル曲ではない。かつてフランク・シナトラなどが歌ったスタンダード曲ばかりである。2015年に『シャドウ・イン・ザ・ナイト』、16年の『フォールン・エンジェル』に続いて今度は3枚組の『トリプリケート』だ。タイトル名は3枚組という意味なのか3作目ということなのか。これで一応の区切りなのか、まだまだ出てくるのか。長いつきあいだから買ったし、悪くはないけれども、やっぱり、そろそろオリジナル曲が聴きたいなと思う。ノーベル賞にまつわる歌など作らないのだろうか。

2017dylan2.jpg ・最近買ったディランのもう一つのアルバムは『リアル・ロイヤル・アルバート・ホール』である。1966年に行われたライブで、演奏中に「ユダ」というヤジに「そんなこと信じるか、おまえは嘘つきだ」と応えて「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌ったのが伝説として語られてきた。それはすでに『ブートレグ・シリーズ4』として出されていたが、実際に、このやりとりがあったのはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールではなく、マンチェスターの公演だったというのである。だから「リアル〜」なのだが、なぜこんな間違いが今頃になってわかったのか、信じられない気がした。僕はもうずっと、この有名なライブがアルバート・ホールだったと思っていたのである。

・実は同時期に『ライブ1966』という36枚組のボックスセットが発売された。その年の4月から5月にかけて行われたライブを、観客が録音したものも含めて全てまとめたものだ。ほとんど同じセットリストのCD36枚で25000円もしたからとても買う気にはならなかったが、そこから一枚、ロイヤルアルバート・ホールだけが別売りされたのである。このボックスセットを作って初めて、間違いに気づいたということなのだろうか。だとしても、おかしな話だ。

・ディランにとって確かに、1966年は大きな転機になる年だった。生ギターで一人で歌うプロテスト・ソングの旗手がバックバンドを従えて、エレキギターでロックをやり始めたからだ。ここから「フォークロック」というジャンルができ、いわゆる「ロック音楽」が本格的に生まれ始めた。ビートルズやローリングストーンズも大きな影響を受け、アメリカのウエストコーストから、多くのミュージシャンが登場した。

・それから半世紀たって、ディランはロック以前のアメリカのスタンダード曲を自ら歌い始めた。それはまた、彼の音楽にとって大きな転機になるものだったと言える。そして今度は、ディラン・ファンの多くの賛同を得た。アメリカのポピュラー音楽を長いスパンで見直した時に、ロック以前と以後で、当時考えられたほどには大きな断絶はなかった。いい歌はいい。それがディランのメッセージだが、そこにはまた、現在のポピュラー音楽に対する強い批判が込められている。

2017年4月10日月曜日

村上春樹とポール・オースター

 上春樹『騎士団長殺し』第一部、二部(新潮社)
ポール・オースター『冬の日誌』『内部からの報告書』(新潮社)

haruki2017-1.jpg・村上春樹の『騎士団長殺し』はおもしろかった。そんなふうに感じたのは『1Q84』以来だ。その間にもたくさんの本を出版していて、『職業としての小説家』では、小説家としてのプロ意識に感心もしたが、『騎士団長殺し』を読みながら、あらためてうまいなと思った。2冊で1000頁を越える大作だが、読み始めたら止められない。僕の読書量は最近ではめっきり減ったが、ベッドで読んで、眠れなくなったのは、本当に久しぶりのことだった。

・しかし、読みながら、そして読んだ後に思ったのは「空っぽ」といった感想だった。つまり、何かを考えさせるといったメッセージが何もないのである。そんな読後感は『1Q84』でも思ったが、今度はさらに徹底していて、作者の強い狙いがあったのではと考えさせられた。何かを読む時には、そこに作者のメッセージを読みとることが主たる狙いになる。そんな読み方を否定されたような感じがした。

haruki2017-2.jpg・この物語は未完である。作者はそうは言っていないがプロローグで初めに出てくる「顔のない男」が第二部に少しだけ登場しただけで、顔のない男から言われた肖像画がまだ描けていないのである。あるいは、少女の失踪について、主人公がその行方を捜して奔走し、迷走するのがこの物語の核心だが、さんざ苦労をしてわかったのは、少女が実の父親であるかもしれない免色の家に入り込んで、出られないでいたというのも、中途半端な感じがした。

・『1Q84』は1年後に第三部が出版されている。おそらく来年には『騎士団長殺し』でも第三部が出るだろう。そして物語は、あっと驚くような展開になる。そんな予測を感じさせるヒントがあちこちにちりばめられている。「顔のない男」「免色渉」「スバル・フォレスターに乗る男」の3人はいったいどういう人間なのか.ひょっとしたら同一人物?こんな疑問に対する答えが欲しい。そんなふうに思わせる書き方にも、円熟した小説家であることを実感した。


auster2017-1.jpg ・ポール・オースターの『冬の日誌』は題名通り、彼の過去についての日記である。ただし、書き手からみた他者として「君」という主語で書かれている。そこにあるのは、幼い頃から現在に近いところまでにわたる赤裸々とも思えるほどのプライベートな話である。父親の話は『孤独の発明』で書かれていたが、母親や最初の結婚相手のリンダ・デイヴィスや2度目のシリ・ハストヴェットについては初めて読んだ。

・もっとも回想は2歳や3歳の頃にまでさかのぼるから、おそらく日記には残されていない記憶を呼び起こしてというものも少なくないはずだ。それはたとえば顔やその他の身体に刻まれた傷跡から蘇ってくる。「顔の皮膚に彫り込まれたもろもろのギザギザは、君という物語を語る秘密のアルファベットだ。なぜなら傷跡一つひとつが治った怪我の名残であって、怪我一つひとつは世界との思いがけない衝突によって生じたのだから。」確かに、そんな傷跡は僕にもたくさんあって、そこから記憶が蘇ることはある。しかし、『冬の日誌』に書かれた話の多くは、きわめて詳細だから、そこに虚構が含まれないはずはないと思ってしまう。

auster2017-2.jpg ・『内面からの報告書』も過去の自分の物語だ。訳者である柴田元幸が書いたあとがきには「2012年から13年にかけて刊行されたこの2冊は、1947年生まれの、人生の冬が見えてきた人間が、遠い昔に自分の身体(『冬の身体』)と精神(『内面からの報告書』)に何が起きていたかを再発見しようとする、過去の自分を発掘する試みである。」とある。

・そうやって掘り起こされたオースターの人生は、僕のよりはずっと波乱に満ちている。ユダヤ人であることで幼い頃から経験した差別や、さまざまな人種が混在する中で感じた黒人たちの貧しさなどが、子供の目線から語られている。あるいは母の死に遭遇した時の戸惑いは、『孤独の発明』での父に対する距離感とは対照的で、その動転した様子は、僕にとっては信じられないほどだった。

・村上春樹とポール・オースターは、「喪失」をテーマにする共通点の多い作家だった。しかし、オースターがテーマにする喪失感は年齢ともに変わってきて、最近の作品では年老いたゆえに感じるものになっている。その意味では『冬の日誌』と『内面からの報告書』は、けっして幼い頃からつけてきた日記をもとにしたものではなく、老人となった現在から、改めて記憶を呼び起こし、そこにフィクションを重ねたものではないか。読みながらそんな感想を持った。

・『騎士団長殺し』のような世界は、僕には想像(創造)しようもないが、『冬の日誌』なら書けるかもしれない。ちょっと始めてみようか。そんな気持ちにさせられるような内容だった。

2017年4月3日月曜日

遅い春

 

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落ち葉に群がる鳥にカメラを向けたら一斉に飛び立った

forest140-2.jpg・退職の行事も3月末に全て終わって、4月になった。とは言え、もうすぐ新学期が始まる。講義の準備が気にかかるから、退職したという気分ではない。しかし、週1度でも仕事は仕事、一度に何もなくなるよりはいいのかもしれない。さて、心機一転何から始めようか。と思ったのだが、また雪だ。
・それにしても今年の冬はおかしい。11月に季節外れの大雪があって、その後はたいしたことはなかったのだが、3月になってから何度も雪が降っている。春の雪はすぐ溶けるが、寒暖差が大きいから、身体に応える。

・京都で2年ぶりにやったパートナーの個展は、盛況のうちに無事終わった。久しぶりに会って話すことは、退職と身体の調子、そして親の介護ばかりだった。学生時代の友達に会うと、昔話も出るが、それだけに、お互いの退職や親の話が不思議にも感じてしまう。歳取ったんだなと、つくづく思わされる瞬間だった。

forest140-3.jpgg・院で教えた留学生が二人訪ねてきた。一度は中国に戻ったのだが、日本で働いていると言う。中国人の留学生が日本で就職するのは、ここ数年のことだ。二人は優秀で日本語はもちろん英語もできるから、就職先には困らないようだ。もっとも日本で起業したいという野心もあって、悩みも多いようだから、それは慎重にとアドバイスをした。運動不足だというので忍野の高座山(たかざす)に登り、残り少なくなった薪割りをし、陶芸もやった。

forest140-4.jpgg・仕事が楽になったところで、家のメンテナンスをあれこれやろうと思っている。ログのペンキ塗りは薪をどかしながらの面倒な作業だから、燃やして空きができたところからやる必要がある。はしごを使っての作業で、ログの全てを塗るとなるとかなりの時間がかかるだろうと思う。それが終わったらバルコニーの腐った柵や板を作りかえなければならない。ベランダに置いたチェアも補修できるかどうかやってみようと思っている。あるいは、道路から玄関までの道に置いた石をどかして、歩きやすいようにすることも考えている。たぶん夏までかかるだろうが、それだけに、いつまでもくり返し降る雪が恨めしい。

・東京では桜が満開になったらしい。河口湖では片栗の花がやっと蕾を出し始めたところだ。今年の春は遅い。

2017年3月27日月曜日

京都散歩

 

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・K's工房の個展につきあって京都に5日ほど滞在した。一年おきにやっている個展で時期も同じはずだが、今年はまだ桜が咲いていなかった。と言うより、銀閣寺の桜の蕾もまだ堅く、4月にならないと開花しない様子だった。北風が吹いて真冬の寒さだったから、自転車に乗っても震えるほどだった。

17kyoto2.jpg・河口湖から京都へは中央道を使った。前日の雨で富士山はもちろん、南アルプスや八ヶ岳も真っ白だった。中央道から名神への道を走るのは2年ぶりだ。瀬田から大津までが工事渋滞だったので京滋バイパスから大山崎まで行くことにした。住んでいた天王山の麓にあるマンションを訪ねてみるためだったが、ジャンクションの複雑さに戸惑い、降りた後も、新しくできた道に行き先を見失ってしまった。京都と大阪の境目で、鴨川や木津川が合流して淀川になる、竹林も多くてのどかな地だったが、その変わりように驚いてしまった。

yamazaki.jpg・京都には25年住んで六回ほど引っ越しをした。その一つ一つを訪ねてみたが、変わらないところ、すでになくなっているところなどさまざまだった。碁盤の目の中に入れば、京都は昔ながらという感じがする。しかし、あるはずの店がなかったり、ひっそりとしていた神社に大きな駐車場ができて、観光バスが並んでいたりもした。何より外国人の観光客が多い。個展の会場は銀閣寺だから、レンタルの着物に蛇の目傘姿なんていう人もいるし、人力車が大活躍だった。いやはや、大変なことになったものだ。

17kyoto3.jpg・個展会場の「ArtLife」は賑やかな通りから一筋入ったところにある。喧噪が嘘のように静かで、観光客は誰も来ない。ここからは大文字山がすぐ目の前に見える。個展は3日間だけだったが、連日懐かしい人たちが訪れて、近況などを話し、作品を買っていただいた。当然だが平均年齢も高くなって、敬老乗車証を持つ人が多かった。京都では70歳になると市内のバスや地下鉄が無料になる乗車証がもらえる。だから市内なら、どこにでもただで行ける。町中でお年寄りが目立つのは、たぶんそのせいだろう。

・寒いとは言えずっと天気はよかったが、最終日は午後から雨が降り始めた。搬出作業を終えて、手伝ってもらった人たちと食事をしてホテルへ。毎晩のように懐かしい人たちと出会い、食事をして、中身の濃い数日間を過ごした。で、帰宅の途についたのだが、河口湖は季節外れのどか雪で、途中の山中湖では20cmもの積雪だった。幸い我が家の雪は5cm程度だったから、荷物を運び入れる前に雪かきということにはならなかった。やれやれ。

2017年3月20日月曜日

最後の教授会

 


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sr2.jpg・辞めるとなるいろいろやるべきこと、やってもらうことがあります。そんなことが1月からずっと続きました。最後の授業、最後のゼミ、最後の教授会、そして送別会。やるべきことはなんと言っても、研究室を空にすることでした。僕の研究室は二部屋を一つにした広いものでした。その部屋の真ん中に書架を6本置いて、半分はゼミ室として使ってきました。主に院と4年生のゼミでしたが、音楽を流し、お菓子も用意して、サロンのような雰囲気にしてきました。仕切りに使っていた書架は、本を家に持って帰り、後期の初めには撤去しました。それで部屋の感じはずいぶん変わったのですが、全てがなくなると、僕がいた時間そのものが消滅したような思いに襲われました。

・その片付けが終わった後、研究室には1度だけ出かけました。最後の教授会で、その後、学部の送別会がありました。ただし、教授会終了後に3時間ほどの間がありましたから、僕は空っぽの研究室で、村上春樹の『騎士団長殺し』の続きを読みました。送別会の始まる少し前に読み終わったのですが、ストーリーの面白さに数日で一気に読んだのに、後に何も残らない。研究室と同じ「空っぽの世界」という読後感を持ちました。窓から見える風景は夕暮れで、徐々に暗くなっていきました。

party1.jpg・送別会の主役は僕を含めて3人でした。たまたま歴代学部長が一度に辞めるというので、いつもとは違う会になりました。学部では3年前に7人が辞めていますから、ここ数年で一気に若返ることになりました。数年前から学部の改変作業も始まっていて、中身も大きく変わることになりそうです。インターネット元年に開設されたコミュニケーション学部はこの20年の間に、社会状況の変化に合わせてカリキュラムを何度も変えてきました。新しい領域だっただけに、その改変に追い回されてきたような記憶があります。就職を第一に考えて入学する学生が増え、それにあわせてキャリア教育の必要性にも迫られてきました。

・教員生活を振り返って思うのは、何より、大学が大学でなくなりつつあるという危機感でした。それはもちろん、この大学に限ったことではありません。補助金をちらつかせて言うことを聞かせようとする文科省の姿勢はあまりに露骨です。天下り批判は氷山の一角に過ぎないでしょうし、産学協同はもう当たり前で軍学協同が推進されようとしています。その意味では、よき時代を過ごすことができたと言えるかもしれません。逆に言えば、かつての大学、あえて本来のと言ってもかもしれませんが、それを知る人が少なくなることには、強い危惧の念を感じます。

・辞めるに際して、何人もの人から、これから何をするのかといった質問を受けました。辞めるとは言っても、もう一年非常勤で、週一回大学には通います。講義もゼミもやりますから、完全にリタイアというわけではありません。その新学期も来月から始まります。終わったような、終わっていないような、中途半端な気持ちでの区切りだと答えました。しかし同時に、なぜ何かをしなければならないんだろうといった問いかけを逆に返すこともありました。ただ、毎日の生活を充実させること。それで十分でしょうという返事に、納得した人は少なかったかもしれません。

2017年3月13日月曜日

K's工房個展案内

 


「マトウ ソウシテ ワタシハワタシニナル」

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・K's工房の個展が2年ぶりに京都で開かれます。3月24日(金)から26日(日)までで、場所はこれまでとは違って銀閣寺の「アートライフ みつはし」です。12時から6時までは在廊します。

・2年前の個展は退院直後でしたが、その後の2年間のリハビリで新しい作品を作るようにもなりました。今夏のテーマは「マトウ ソウシテ ワタシハワタシニナル」。一体何をまとったのか。是非、お気軽にお出かけください。なお、基本的には僕も在廊しますが、自転車をもっていって、懐かしいところを走り回るつもりですので、留守になるかもしれません。

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2017年3月6日月曜日

『沈黙』

 

silence1.jpg・遠藤周作の原作を読んでいなかったが、マーチン・スコセジが監督をしたというので映画を見た。時代は江戸幕府がキリスト教を禁止し、ポルトガル人の追放や入港を拒否した頃のことである。日本で布教活動をした司祭のフェレイラが棄教したことに対して、信じられない弟子たちが、フェレイラに会うために日本に出向こうとする。マカオを経て日本にたどり着いた若い司祭たちが出会ったのは、奉行の厳しい弾圧と、それでも改宗しようとしない熱心な信者たちだった。

・物語は、このポルトガル人の司祭ロドリゴを守ろうとする農民たちと、奉行所に囚われて、厳しい拷問によって死んでいく者たちとの関わりの中で、この地で布教することの意味を自らに問い、キリストやその教えに対して疑いを感じながらも、理想を追い求めようとする主人公の苦悩を描いている。映画を見ながら思ったのは、この主題は、コンラッドの『闇の奥』に通じる近代ヨーロッパが基本にした「文明」と、植民地に赴いたものが一様に感じた矛盾だというものだった。

・ヨーロッパで成立した近代文明には「理想」と「エゴイズム」、そして「懐疑」という三つの要素がある。「これら三者が相互に関連しあい、相互に制約しあいながら一種の動的均衡を保っている。」ところが文明人は「そこから切り離されると、彼は行動の方向を見失ってしまう。」(井上俊『悪夢の選択』筑摩書房)主人公を襲った苦悩は、まさにそれだったように感じた。

・近代化が及んでいない当時の日本では、このような文明観はもちろん通用しない。ヨーロッパ列強が世界各地に出かけ、見つけた大陸を植民地にし、そこで生きていた人たちにキリスト教を広めようとした中には、純粋な布教活動ではなく、植民地支配のために必要な条件だったという要素もある。だからこその、幕府によるキリスト教禁止とポルトガルやスペインに対する鎖国だったのである。映画では、なぜ幕府がこれほどまでに、キリスト教を弾圧するのかといった問いかけはない。だから奉行所による冷酷非常な仕打ちと、それに耐える司祭と農民たちといった関係だけが強調されている。

silence2.jpg・そんな感想を持った後で、原作を読んだ。物語は基本的には同じだったから、映画のシーンを思い出しながらの読書だった。ただ、「理想」「懐疑」「エゴイズム」というキーワードを意識していたためか、主人公の心の動きをこの三つの思いを巡って理解するといった読み方になった。また純粋に、というよりは盲目的に神を信仰する農民と、マカオから道案内をし、主人公を裏切りながら、その後もつきまとうキチジローの身勝手さに、「理想」と「エゴイズム」の二面を当てはめたくもなった。そうすると、もう一つの「懐疑」の役割は奉行や通辞(通訳)といったところだろうかなどと。先入見があると、読み方に偏りが出がちになる。そんな疑問を感じながらの読書になった。

・しかしまた、フェレイラとロドリゴが出会って棄教した(転んだ)理由を話す場面では、映画と原作の違いに妙な関心をもって、あれこれ考えながら読んだ。映画では日本の土壌にはキリスト教は根付かずに腐ってしまうということだったのに、原作では、日本人が受けとめると、それは全く異なるものに変質してしまうからと、違う説明がされていた。日本人は外の文化を受け入れるのは寛容だが、形だけを取り入れて、中身の受容については関心がない。だから、似てはいても本質的には違ったものになってしまう。それは奈良、平安の時代から続いていて、明治になってから現在にいたるまでも、相変わらず輸入文化に貫かれている特徴である。遠藤周作は、そんな指摘をした丸山真男や梅棹忠夫を読んでいたのかもしれない。

・こんな読み方をしながら一番自覚したのは、僕のキリスト教に対する無関心さと無関係さだった。敬虔なキリスト者だった遠藤周作にとっては、ふざけた読者だと思われるにちがいない。