2020年12月14日月曜日

億や兆にマヒしてる

 

・コロナ禍で国は莫大な財政支出を強いられている。もちろんそれは借金だ。何しろ通常でも、国家予算100兆円のうち税収は60兆円で、足りない分は国債の発行で調達されていたのに、さらに数十兆円が追加されているのである。リーマンショックや東日本大震災があって、その時にも多額の赤字国債が発行されて、その借金の返済に税金が増額されている。当然、コロナ禍で使われるお金もまた、税金として返済されることになる。

・もちろん、予算の中には必要なものも多い。特別給付金として国民一人当たり10万円が配られたが、その総額は12兆円だった。また企業を助ける持続化給付金には5兆円が使われていて、この制度はまだ継続中である。あるいは、対応が遅いと非難されてきた医療関係への支援についても1兆円規模で行われているようだ。もっとも、医療従事者からは、ボーナスカットされたとか、仕事に見合う報酬ではないといった声も多く聞こえてくる。どれにしても、総額としては多額だが、受け取る側から見ればとても満足が行く額ではないのである。

・他方で、感染拡大の要因だとして非難されている「Go toキャンペーン」では、すでに2兆円を超える支出があって、さらに来年の6月まで延長することが決められている。観光業者や飲食店、あるいはイベント業などを支援する目的だと言われているが、中間搾取が大きくて、末端の小規模事業者には届いていないという声もある。さらに、もっとも批判すべきはオリンピック関連だろう。コンパクト五輪を謳った東京五輪は、すでに2兆円を超える支出があったとされている。それに延期に伴う追加費用に2000億円が必要というのだが、ここには、コロナ対策にかかる費用が含まれているわけではない。

・億や兆といったお金の話が飛び交っていて、その金額にマヒしてしまっている。だから数百万円程度では、誰も驚かない。安倍前首相が「桜を見る会」の前日に、後援会の人たちを集めたパーティで、その費用を穴埋めした。そのお金は数年分で800万円ほどで、安倍自身は知らぬ間に秘書が勝手に行ったということになって、略式起訴で決着になりそうだ。そして、国会で嘘を平然とつきまくったことには、何のおとがめもないという。

・こんな政権が8年も続いたせいか、自民党の議員による選挙でのお金のばらまきや、業者からのヤミ献金、そして政府に委託された業務の中間搾取や政治家へのキックバックやリベートといった問題も数多い。しかし、どういうわけか、大きな問題になる気配はない。菅総理や二階幹事長に関連しているのに、メディアは本気になって追求しないようだ。検察を動かすのは世論の力しかないのにである。

・できもしないオリンピックをやると言い続けていること、感染爆発に近い状態になっても「Go to ~」をやめようとしないことなど、政権がコロナ禍の実体や国民の窮状に目を向けていないことは明らかだ。休業や失業に追い込まれた人が続出して、借りている家を追い出されたり、今日明日の食事もできない人が多数いるというのに、そのような人たちへの救いの手は民間のボランティアに任されている。さすがに政権支持率が下がっているが、それでもまだ半数が支持している。勝ち組と負け組の分断、「今だけ金だけ自分だけ」の浸透。これは「災害ユートピア」ではなく「デストピア」である。

2020年12月7日月曜日

加藤典洋『オレの東大物語』(集英社) 『大きな字で書くこと』(岩波書店)

 tenyo.jpg加藤典洋が亡くなった時に、僕はショックを受けて、このホームページで追悼文「加藤典洋の死」を書いた。『オレの東大物語』は、彼の死後一年以上たって出された遺作だが、死の直前に闘病生活をしている最中に、わずか二週間で書いたとされている。直接の死因は肺炎ということだったが、本書には急性骨髄性白血病だったとあった。ここ数年、周囲でも白血病に罹った人が二人いたから、その闘病生活の苦しさは想像することができた。まさに命を削っての、最後の著作だったのである。
だから、生死の境目で苦しみながら、なぜ、大学生時代のことを思い出して書こうと思ったのか。そんな疑問を感じながら読みはじめた。しかし、東大闘争に深く関わっていて、事細かに振り返っているから、読んでいて、夢中になれなかった。彼は安田講堂での攻防が鎮圧された後も、運動に関わるような、関わらないような、曖昧な生活を続けた。振り返ってみて改めてそのことを思い出すのだが、そんな態度が、彼がずっと批判し続けてきた、戦後の日本の姿勢に瓜二つであったことに気づくのである。

彼は山形から東大に現役で合格し、教養課程の駒場では、早くも文学評論の活動を始めている。そして、学内で起きたさまざまな問題に関わり、新宿や羽田で行われた大規模なデモにも参加している。父親が警察に勤務していたことから、機動隊に捕まることは極力避けなければならないことだった。他方で、新宿駅周辺にたむろしたフーテンたちにも興味を持って、頻繁に出かけることもあったようだ。ところが専門課程の本郷に移ると、その居心地の悪さを感じ、また激化する大学紛争に翻弄されるようになる。本当なら、ここで大学をやめてもよかったのだが、彼はズルズルと続け、大学を批判しながら大学院の入試を受け、二年続けて落とされることになる。

で、諦めて国立国会図書館に就職するのだが、仕事には全然興味が持てないままに、ここでも辞めずに続けることになる。そこで六年努めた後、カナダのモントリオール大学東アジア研究所での日本関係図書室拡充の仕事に派遣された。そこで鶴見俊輔と出会い、多田道太郎を紹介され、多田が開設に関与していた明治学院大学国際学部に勤務することになる。彼の処女作である『『アメリカ』の影』が出たのは1985年で、国会図書館を辞めて明治学院大学に勤めるのは翌年の1986年である。以後、文芸批評家として、戦後の日本の政治状況を批判的に語る人として、数多くの著作を残すことになった。

tenyo3.jpg『オレの東大物語』の「オレ」に、僕は違和感を持って読んだ。なぜ、「僕」や「私」ではなく、「オレ」だったのか。死後に出された『大きな字で書くこと』(2019)では主語は「私」になっている。こちらは、『図書』に死の直前まで2年半にわたって連載したものと、信濃毎日新聞に1年連載されたものをまとめたものである。幼い頃のこと、父のこと、そして大学時代のことなど、極めて個人的な話題が多いが、「私」である分だけ、冷静で、また距離も置いて書かれている。『オレの東大時代』と同じ内容で、ほとんど同じ文章のものもあるが、読んでいてずいぶん違う印象を持った。

「私」「僕」そして「オレ」。もちろん、ここには複数形の「私たち」「僕たち」「オレたち」と言い方もある。これらの使い分けには、もちろん、さまざまな理由がある。僕は一貫して「僕」を使い続けていて、論文に「僕」はおかしいなどとよく批判された。論文はエッセーではないから、「私事」や「個人的な視点や関心」を論文に入れてはいけないなどとも言われたが、いったいどこにそんな規則があって、それは誰が決めたものなのか。そんな反撥心を持って書き続けてきた。しかしさすがに「オレ」は使わなかった。日常的にも使わなかったからだが、加藤典洋はなぜ、大学時代を振り返って「オレ」にしたのだろうか。あるいは彼は、普段は「オレ」と言っていたのだろうか。2冊を読んで改めて、そんな疑問を持った。

『言語表現法講義』(岩波書店)
『可能性としての戦後以後』(岩波書店)、『日本の無思想』(平凡社新書)
『3.11 死に神に突き飛ばされる』岩波書店
『戦後入門』ちくま新書
『村上春樹はむずかしい』岩波新書

2020年11月30日月曜日

紅葉見物で大混雑

 

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・今年の紅葉は色づきが悪い。そんな声を聞くことが多かったし、わが家のモミジも赤くならずに散ってしまったが、河口湖は例年通り、真っ赤なモミジが見事だった。赤くて長持ちのする街路樹を湖畔に植えたためだから、あくまで人工的な風景だが、美しいのは間違いなかった。ところが「Go toトラベル」が東京都民にも解禁されると、行楽客が一気に増えはじめた。週末は大渋滞の大混雑だから、湖畔の自転車はできないし、出かけるのもにぎやかなところは避けて、大回りをするということになった。ホテルや旅館や飲食業は一息つけただろうが、住民としては大迷惑な1ヶ月だった。3連休が終わって紅葉もすっかり散ったから、これからは静かになるだろうと期待している、

forest171-2.jpg・自転車に乗れないかわりに裏山にせっせと登った。直登できついが尾根まで25分ほどで登れるし、往復しても40分で帰ってこれるから、鍛練としてはもってこいのコースである。しかも、既に10回以上歩いているが、誰一人出会っていない。近所の人たちが道を整備し、富士山や河口湖がよく見える見晴らし台も作ったから、もったいないほどである。もっとも、いつも同じでは飽きるからと、下山には道なき道を通ったりもしている。獣道があって、目の前を鹿の群れが走り去ったり、イノシシが掘った穴があちこちあったりして、なかなか面白かった。

forest171-3.jpg・このルートは、尾根まで登ると毛無山や十二ヶ岳に通じる道がある。往復で3時間ほどで行ってこれるだろうと出かけたが、登山者が少ないと見えて道が荒れていた。途中でいくつも倒木があって道を塞いでいたから、諦めて引き返した。ミズナラやクヌギ、そしてケヤキといった広葉樹の大木があって、倒れているものが多かった。それを見ながら、もって帰れればストーブの薪になるのにとつぶやいた。コロナ禍のせいか、薪ストーブの流行のためか、あるいは別荘に移住する人が増えているせいか、今年は原木が全く調達出来ない。暖かいせいもあるが、薪の消費を抑えるために、まだ数回しか燃やしていない。

forest171-4.jpg・いつもなら薪割りに精出しているのだが、この秋はそれができない。で、屋根に積もった落ち葉を落とすことにした。ケヤキの葉は風で落ちるが、から松の葉はいつまでもしつこく残ってしまう。それが雨どいにたまると雨水も流れなくなってしまう。年々、屋根に上がるのが怖くなっているが、ここはがんばってとやってみた。わが家も築30年で、あちこち修復の必要が出てきた。雨漏りがしたから、屋根の葺き替えなどを頼んで来年の春ごろから工事を始めてもらうことにした。外壁の塗装などは自分でやってきたが、今回はそれもやってもらうかもしれない。リビングも暗さを改めるために天窓を作ろうかなどと、いろいろ考えている。

forest171-5.png・ところで、自転車や山歩きにはスントの時計をして、コースや時間、それに心拍数などを記録することにしている。それがブルーツースの時計にあわせてパソコンではなくスマホで確認しなければならなくなった。今までの記録をスマホに写すためにどうしたらいいかなど、メーカーと何度もメールのやり取りをして、何とか移すことができた。何しろもう10年近くにもなるデータだから、消えてしまっては困ると思ったからだ。スマホで確認するサイトは確かに、いろいろなデータ分析ができるようになっている。例えば河口湖には区間を区切ってタイムを計測して、そこを早く走った人のタイムが並んでいたりする。僕よりも10kmも速い速度だったりするから驚くが、そんな人たちと競う気などもちろんない。僕はあくまで健康のためにやっているのだが、ちっとも体重が減らないのは困ったものだと思っている。

・コロナの感染者が急増している。少ない時期にPCR検査を徹底させて、無症状の感染者を突き止めておけば、こんなことにはならなかっただろうと思う。そんな当たり前のことをなぜやろうとしないのか。「Go to~」とあわせて、意味のわからない愚策だと思う。

2020年11月23日月曜日

不倫やドラッグのどこが大ニュースなのか ?

 

・有名人の不倫がなぜ大きなニュースになるのか。ずっと疑問を持ち、またうんざりもしてきたが、相変わらず、次々と話題になっている。不倫はあくまで、本人とその近親者の問題であって、一般的には何の関係もない。もちろん犯罪でもないが、テレビはその本人を批判し、番組やCMから降ろしてしまう。それだけではなく、受けた損害の賠償を請求したりもする。当然、当事者は記者会見をやり、謝罪と反省のことばを口にする。一体誰に対して謝っているのかわけがわからないが、それが当然のように繰り返されている。

・大麻などで捕まる有名人は、それが犯罪であるから、いっそう強く批判される。場合によっては、テレビ出演はもちろん、活動自体の自粛では済まずに、永久追放といった厳しい処分を受けることになる。しかし、法に背いたとは言え、特に誰かに危害を及ぼしたと言うわけではない。あくまで本人とその周辺にのみ関わる問題であることでは不倫と変わらない。

・大麻はアヘンや覚せい剤と違い、いわゆる麻薬と呼ばれるほどの害は少ないと言われている。国や一部の地域によっては合法化しているところもあるし、売ることは取り締まっても、使った者には刑を科さないところもある。処罰したのでは、その害以上の社会的制裁を受けてしまうのを避けるという意図があるようだ。ところが日本では、犯罪者というレッテルが貼られ、その罪以上にバッシングされてしまうことになる。

・もう一つ、最近多いのは有名人が関わる交通事故だろう。事故の当事者で過失責任がある場合には、その報道のされ方も極めて厳しいものである。ひき逃げなどになれば、その罰し方はいっそう激しいものになる。しかし、逮捕されても、その時点では容疑者であり、裁判で罪が確定されるまではあくまで容疑者だから、本来なら「推定無罪」として扱われるべきで、国によっては名前を公表しない場合もある。ところが日本のテレビは、まるで重大犯罪を犯したかのように大騒ぎをして、容疑者を断罪してしまっているのである。

・一方で、権力者が関わる問題には、テレビは及び腰である。安倍前総理は一体どれほどの罪を犯したのか。甘利や下村といった自民党の有力者にかかる疑いはどうなったのか。伊藤詩織さんを強姦した山口への逮捕状を警察の高官はなぜ、もみ消したのか。テレビにジャーナリズムという側面があるとしたら、追求しなければならない問題は山ほどあるのに、なぜ有名人の軽微な犯罪や個人的な問題に大騒ぎして、断罪しているのか。

・実際に、有名人の不祥事が大きく取り上げられた時には、裏で政権や財界にまつわる大きな問題が起きた時であることが多い。不倫や大麻は、それをいつ公にするかを管理出来る問題でもある。そんなケースを見ていると、メディア、とりわけテレビが、今ほど権力の言うなりになっている時はないことがよくわかる。日本人には他国に比べて、メディアを批判的に受け止めるといった姿勢が希薄だから、テレビの言うことを鵜呑みにしがちになる。もう中国や北朝鮮と変わらない状況になっていると言ってもいいだろう。

2020年11月16日月曜日

Bruce Springsteen, "Letter to You"



Bruce Springsteen, "Letter to You"
『ボーン・トゥ・ラン: ブルース・スプリングスティーン自伝』(早川書房)

springsteen5.jpg ・スプリングスティーンは去年『ウェスタン・スターズ』を五年ぶりに出したばかりなのに、わずか一年後に『レター・ツー・ユー』を発表した。前作はオーケストラをバックにして静かに語るように歌う曲が多かったが、今度は、Eストリート・バンドをバックに、ロックしている。最近作った歌を二つにわけてアルバムにしたのかもしれないと思ったが、ネットを探すと、十日間で曲作りをして、五日間で録音したとあった。ほとんど一発で、オーバーダビングなどもしていないと言う。熟練ゆえと言うべきか、10代の頃の熱気を取り戻したと言うべきか。いずれにしても、彼らしくて素晴らしい仕上がりになっている。


辛かった時やよかった時に見つけたものをインクと血で書いた
魂の奥深くまで入って名前を書いた
で、それを手紙にして君たちに送った
その中に、俺の恐れや疑い、しんどいことや真実を書いた 
  'Letter to You'

・この「ユー」は誰を差しているのか。もちろん僕は、自分への歌として受け止めたが、彼の気持ちは、単に自分の音楽を好む人だけでなく、アメリカはもちろん、世界中の人に向いているのかもしれないと思った。折しもアメリカでは大統領選挙の時で、保守とリベラル、白人と黒人、金持ちと貧しい人などの分断がひどくなっていた。このアルバムには、そんな分断に対するメッセージと読める歌もある。

白の黒と黒の白、夜の昼と、昼の夜
時に人は何か悪いものに惹かれて信じたくなる 'Rainmaker'

springsteen6.jpg ・前回取り上げたディランの"Rough and rowdy ways" でも感じたが、 "Letter to You"もスプリングスティーンにとってはデビューから現在までを振り返るような気持ちで作ったのかもしれないと思った。そう言えば、ちょっと前に彼は『ボーン・トゥ・ラン: ブルース・スプリングスティーン自伝』(早川書房)という二冊に分けた長い自伝を出している。僕は読みはじめて止めてしまっていたが、また読んでみた。

・この伝記はごく幼い頃から始まっている。祖父や祖母との暮らし、ニュージャージーという街、そしてもちろんおやじとおふくろのことなどが、事細かく語られる。その詳細さに閉口して読むのを止めてしまったのだが、今回はそんなところを飛ばし読みして読んだ。彼は口数が少ないほうだと書いているが、どうしてどうして、話しはじめたら止まらないという感じで、デビュー前のことも、最初の売れなかったレコードから爆発的に売れた『明日なき暴走(Born to Run)』のこと、そしてスーパー・スターに成り上がったことで感じた喜びや苦悩について書いている。

・ニュージャージーの貧しい家庭に生まれ育ち、街の中で出会った人たちの中で成長した。有名になり、大金持ちになったが、自分のアイデンティティはあくまでニュージャージーの労働者街にある。今でもそこで生きる貧しい白人たちの多くは共和党に支持を変え、トランプに希望を託した。そのことに理解を示しながら、なお、彼は白人中心主義ではない多様で、貧富の少ない社会を希求する。ディランとブラウンとスプリングスティーン。三者三様だが、彼らの歌と音楽を通してアメリカを見る気持ちは、ますます強くなっている。

2020年11月9日月曜日

「知」に敬意を払わない人に

 

・大阪都構想が否決され、トランプが落選しました。嘘や脅しがまかり通る政治が、少しだけ、ましになるかもしれません。それにしても、「知」に敬意を払わない人たちが、これほど大手を振ってのさばる世界が、これまであったのでしょうか。息を吐くように嘘をついた安倍前首相に代わった菅首相も、早期に退陣して欲しいものだと思います。学術会議をめぐる問題は、言い訳のきかない暴挙なのですから。

・もっとも、「知」に敬意が払われなくなった傾向は、ずいぶん前から感じてきました。大学で学生と接していて、「知的好奇心」を示さなくなったと思い続けてきたからです。「この授業は、この本は、一体何の役に立つのか?」そんな疑問の声を聞いてびっくりしましたが、やがて学生の疑問は、「この講義は就職の役に立ちますか」になりました。リーマンショックの頃だったと思いますから、もう十年以上になります。

・今大学は就職予備校化していますが、そこで教えている多くの先生は、就職とは全く関係のない「知」の探究者です。専門は違えど、自分が疑問に感じたこと、わからないことを明らかにしたい。そのために、先行する研究書や論文を読み、調査や実験を重ね、実態を明らかにしたり、理論化することに時間とエネルギーを使う。それを主な仕事と考えています。そして、大学の講義やゼミは、そんな研究をもとに、学生たちにそれぞれ「知的好奇心」を自覚させて、自分なりのテーマをもって学ばせる場だったはずなのです。しかし、今はずいぶん違います。

・そんな学生たちの意識の変容は、大人たちを反映し、大人たちによって作り出されたものでしょう。「知」などは役に立たんし、金にもならん。そんなへ理屈をこねる道具や、それを使う人間は邪魔だから、消してしまえ。そんな風潮が蔓延してしまっているのです。学術会議に対する菅首相の対応は、その顕著な例でしょう。メンバーとして不適格だとして任命しなかった人たちについて、首相はその業績をほとんど知らないのです。ただ政権に批判的な奴らだからというのは、無知をさらけ出した無謀で無恥な行為です。彼はおそらく、ソクラテスの「無知の知」も知らないのだと思います。

・何の役に立つかわからない文学や哲学、あるいは人文科学などはなくていいし、政権の批判ばかりする社会科学も減らすべきだ。あるいは、自然科学だって、成果がすぐに出るものを重視すべきだ。文科省の中にこんな方針が見え隠れするのも確かです。維持費ばかりかかって役に立たない古い文化財は処分してもいい。それよりカジノやレジャー施設の方が金になる。地方自治体には、こんな政策を公言し、実施しているところも少なくありません。「維新」が支配する大阪府や大阪市は、その顕著な例でした。

・コロナ禍で活動できない芸術や文化に対する支援や補助も、微々たるものでしかありません。「ノー・アート、ノー・ライフ」。文化や芸術、そして知は、生きるための心の糧として、人びとにとって欠かせないものでしょう。しかし、「知」に敬意を払わない人には、そんな発想がないようです。そして「知」の軽視はまた、「民主主義」の無視にも繋がります。アメリカは、選挙結果を認めず法廷闘争に打って出ようとするトランプに厳しい目を向けることでしょう。バイデンとハリスの勝利演説を聞いて、壊れかけた民主主義を建て直すのは、やはり「知」の力だと思いました。

2020年11月2日月曜日

嘘と隠蔽がまかり通る

 

・コロナの感染者数が欧米で激増している。これから冬になれば、その数はさらに増えるかもしれない。そんな状況を鑑みてIOCが東京オリンピックの中止を決めたようだ。ようだと言うのは、日本の政府もメディアも全く報じていないからだ。情報源は『ブラックボランティア』(角川新書)などでオリンピック批判をしている本間龍が登場するYouTubeの番組だった。彼によれば、組織委員会のメンバーや電通などからの確かな情報(リーク)だということだった。Twitterの上位にランクされるほど拡散されたが、それを扱ったメディアは「日刊ゲンダイ」だけで、取材に来たのも「東京新聞」ぐらいだったようだ。どちらも、オリンピックのスポンサーになっていないメディアである。

・日本のメディアは無視したのに、韓国に滞在していたIOCのバッハ会長が中止はしないと発言した。また、国会の所信表明で菅首相は、コロナに打ち勝った証として開催したいと言った。しかし、欧州での感染者数の急増を考えれば、それが確かな根拠に基づくものだとはとても思えない。今中止などと言えば、日本の政治も経済も大混乱になってしまう。それを恐れての発言であることは明らかだろう。

・日本の政府や東京都は既に1.5兆円を超える金を費やしている。そのすべてが無駄になるし、スポンサー企業から集めた金も返金を要求されるかもしれない。当てにしたオリンピックがなくなれば、景気は落ち込み、株価は大暴落し、自民党も敗北する。だから何としてでも中止にはしたくない。しかしコロナは、そんな事情を考慮してはくれない。何しろ季節はまだ秋で、これから冬になれば、さらに猛威を振るうことになるからだ。そして頼りにしているワクチンの開発は決して順調ではない。

・学術会議の委員の任命について、菅首相が六人を拒否して大騒ぎになっている。総理の任命権は形式的なもので拒否する権限はない。それは明らかなのに、批判する声は強くならない。と言うより、似たような組織に国が予算をつけるのは日本だけで、欧米にはないといった事実でない発言や、中国との関係をでっち上げた政治家のツイートが大きく話題になって、批判を学術会議に向けようとする力も働いている、委員になれば学士院の会員になって高額な年金がもらえると言った嘘八百をテレビ局の解説委員が放送で公言したりしても、それを批判する声は大きくならないから、言ったもの勝ちといった様相を呈している。

・フェイクニュースの氾濫はもちろん、日本にかぎらない。アメリカ大統領選挙におけるトランプの発言はひどかったし、誹謗中傷合戦と化した様子はうんざりするほどだった。しかし、日本の状況も同じようなものになっている。メディアが政権に忖度して自粛し、有力者がSNSを使って好き勝手に発言する。それを批判したり、修正したりする声はなかなか届かない。こんな嘘と隠蔽がまかり通る世界になってしまったことに呆れ、また不安にもなっている。