2022年6月27日月曜日

MLBを見ながらアメリカ野球の本を読む


フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』(新潮文庫)


フィリップ・ロスの小説は、以前に『プロット・アゲンスト・アメリカ』 を取り上げたことがある。第二次世界大戦でアメリカが参戦しなかったら、その後の世界や社会はどうなったかという内容で、ユダヤ系アメリカ人である少年(作者自身)を主人公にしたものだった。極めてリアルな話で、読みながら、国のリーダーの政策次第で世の中が一変することを、ブッシュやトランプのやったことに重ね合わせて想像したりもした。面白かったから、別のものを読もうと思って探したら『素晴らしいアメリカ野球』があった。しかし、そのめちゃくちゃ加減にあきれて、途中で読むのをやめてしまっていた。もう一度読もうかと思ったのは、大谷選手の活躍を毎日応援しながら、メジャーリーグについて、おかしなところをいくつも感じていたからだった。

roth3.jpg 『素晴らしいアメリカ野球』は、第二次世界大戦中のメジャーリーグの1年を展開したものである。ただし、リーグは現実にある「アメリカン」や「ナショナル」ではなく「愛国」である。その中で中心になるのは「マンディーズ」というニュージャージー州のルパートという名の港町を本拠地にする球団だが、戦時下で兵隊などを送りだすために、港近くの本拠地の球場を陸軍省に接収され、一年間アウェイで試合をやらなければならなかった。その設定自体がめちゃくちゃだが、史上最高といえた投手が登場して、完全試合どころかすべて三球三振で終わると思ったら、最後の一球を審判がボールと判定したことで、投手が逆上して試合を放棄し、永久追放になるといった話になる。

アウェイで試合を続けるマンディーズは連戦連敗だが、レギュラー選手が兵役でいなくなったためにかき集めた集団だから勝つはずもないのである。片腕や、片足が義足の選手、また小人をピンチヒッターにして四球を稼ぐ戦術をとったりするが、まるでバスケットのようなスコアで負け続ける。ところがシーズンが終わりになる頃に突然連勝しはじめる。そして永久追放されたはずの元選手が来シーズンの監督になるというのである。しかもこの選手は、永久追放された後ソ連に渡って、スパイの訓練を受け、アメリカを混乱させるために、メジャーリーグを崩壊させる使命をスターリンから受けて帰国したのであった。この選手はギルガメッシュという名だが、そんな自分の経歴を野球愛に目覚めて暴露して、メジャーリーグの球団のオーナーや選手の中にソ連のスパイが入り込んでいたことを明かすのである。

スターリンがメジャーリーグにスパイを送り込んだのは、野球がアメリカの本質だと判断したからにほかならない。野球を潰せばアメリカも衰退する。それほど野球はアメリカ人にとってなくてはならないものだった。しかし、この本が書かれた1970年代の前半は、アメリカはベトナム戦争に負け、そのために経済が落ち込み、戦後の勢いが失せはじめた時期だった。戦後に人気を獲得するようになったアメリカン・フットボール(NFL)やバスケットボール(NBA)に押されてメジャーリーグの人気にも陰りが見えはじめていた。すでにアメリカ人にとって野球が心のよりどころではなくなりはじめていたのである。

この小説の題名は『素晴らしいアメリカ野球』だが、原題は「The Great American Novel」で、素晴らしいというよりは「最も偉大なアメリカ小説」というタイトルがついている。確かにプロローグでは、アメリカの文学史には必ず出るマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』やハーマン・メルヴィルの『白鯨』、ナサニエル・ホーソンの『緋文字』が話題になり、それを登場したヘミングウェイがこき下ろすといった内容になっている。で、偉大なアメリカ小説のテーマは野球でなければならないということになるのだが、ロスはその後に続く野球物語をひどいどたばた劇にしたのである。

大谷選手の活躍を楽しみに欠かさず観戦しているが、コロナがおさまったのにスタンドが満員になることはめったにない。弱小チームの試合ではそれこそ閑古鳥といった状態だが、選手の年俸はうなぎ登りで、その収入減はテレビだという。しかしその視聴率も年々減少傾向にあって、選手も米国ではなく中南米の選手が主流になっている。アメリカだけのローカル・スポーツが多国籍化して、日本人選手が活躍するのは楽しいが、アメリカ人にとってはマイナー化しつつある。ロスはそんな現状を半世紀前に予測していたのかもしれないと思った。

2022年6月20日月曜日

庭の植物の生命力

 

それにしてもよく雨が降る。昼間はそれなりに暖かくなったが、朝方にはまだ灯油のストーブをつける日が少なくない。もっとも庭の植物はいつも通りに葉を茂らせ、花を咲かせている。カタクリの次には蕗の薹が出て、蕗が庭一面に広がった。今はミョウガの芽が伸びはじめている。いつもと変わらないが、驚くことがいくつかあった。

何年か前にパートナーが栃の実を川の土手に植えたら芽を出して、けっこうな大きさの木に成長した。ところが県が植物を伐採し、土石をさらう工事をして、栃の木も切られてしまった。その木の一部をテーブルの土台にして庭に埋めたのだが、5月になって芽が出て葉がつきはじめているのに気がついた。葉が出ているということは根も生えているのだと思う。まさかと思ったが、生命力に驚かされた。このまま新しい枝になって大きく成長するのだろうか。

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春先に雪が積もって、餌を探して庭に来た鹿が植物の葉を食べてしまった。カタクリに椿、そして青木の葉だった。残ったカタクリは種をつけ、椿も高いところの葉が残って元気だが、きれいさっぱり食べられた青木がしっかり葉をつけたのには感心した。あまり成長しないが、雪に長期間埋もれてもずっと生きているしっかりものだ。

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forest184-4.jpgもう一つ、これもパートナーが山椒バラの苗木をもらって植えたのだが、15年経って花と実をつけた。花はたった三つだったが、実はいっぱいついている。山椒バラと山椒は同じところに同じように生えていて、幹も枝も葉もよく似ているが、山椒バラは山椒の匂いがしない。そしてもちろん、山椒には花がつかない。我が家でも並んで植えてある。花が増えるとしたら、これからの大きな楽しみができた。

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週末になると湖畔は車と人でにぎやかになる。そんな人混みを避けて家にいることが多いが、ささやかながら楽しくなることがあった。次は、去年のリフォームで資材置き場にされたミョウガが実をつけてくれるかどうかだ。

2022年6月13日月曜日

エンゼルスと大谷の浮き沈み

 
今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が好投している時は点が取れないというゲームが続いた。何しろ連敗中に1点差で負けた試合が半分もあったのである。

見ていてがっかりしたり、腹を立てたりの連続で、だんだん見る気もなくなったが、選手たちの焦りやいらだちは大変なものだっただろうと思う。もちろん、その理由には主力の故障やスランプがあった。去年もほとんど休んだレンドーンや、絶好調だったウォードが故障し、トラウトは30打席もヒットが出ないほど落ち込んだ。大谷も打ち込まれて防御率を1点以上落とし、ホームランもさっぱりという状態だった。でマドン監督の解任である。

実績のある名監督も手の施しようがないといった様子だったが、僕は連敗の責任のひとつに監督の采配、とりわけ投手交代があったと思った。勝ちパターンが崩れても、打たれた投手をくり返し勝ちゲームで使って失敗した。好投している若手の先発投手をピンチになったからといってすぐ交代させた。その度に、「何で?」と呟いた。もっともこのような投手起用は去年も感じていて、ダグアウトから出て行く時に、「誰か後ろからおさえろよ!」と言いたくなったことが何度もあった。

大谷選手が去年ほどホームランを撃っていないことについて、不振だとかスランプだと言う意見が多い。しかし、僕は去年の前半ができ過ぎであって、最近の調子は去年の後半と同程度だし、このまま行けば30本以上のホームランを撃つことになるのだから、それで十分じゃないかと思っている。投手としては、とんでもなくすごい投球で相手をねじ伏せたかと思うと、四球やホームランで早々点を取られる試合もある。差し引きすれば去年並のできだから、不満を口にするのは期待のかけすぎというものだ。

大谷選手はプレイオフに進出して、ワールドシリーズにも出たいと考えている。エンゼルスの今年の出だしは、その期待に応えたものだったが、これからはどうなるのだろうか。連敗阻止のために力投し、ホームランも撃って久しぶりにチームに勝利をもたらした。まだ3分の1を過ぎたところだから14連敗したら、14連勝したらいい。試合後のインタビューで彼は、そんなふうに応えていた。そうまで言わなくても、5割を回復させれば、後は終盤まで、食らいついていければと思う。

こんなわけで、最近の僕の一日は大谷選手の試合を見ることを基本にしている。昼前からの開始で晴れていれば、試合が始まる前に自転車に乗るし、試合が早朝なら、自転車は午後ということになる。梅雨になって、自転車も山歩きもできない日が増えたから、試合を見る以外することもない日もある。負けてばかりでは、そんなテレビも見る気がしなくなってくる。

2022年6月6日月曜日

富士山十景

 

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農鳥がこれほどきれいに見えるのはめったにない


このコラムは去年の10月以降更新していない。どこにも出かけていないからだが、その理由はもちろん、オミクロンだ。コロナが流行してもう2年半になるが、20年には2月に奄美と屋久島、8月に北海道、そして10月には磐梯に行った。翌21年にも5月の立山、7月の榛名と軽井沢、そして10月の穂高と出かけた。ただし20年の長期の旅行と違って21年はどれも1泊だけだった。そして今年は、その1泊旅行も躊躇している。ワクチンの接種をしていないから、収まるまではと思っていたが、感染者数はまだまだかなり多い。これからも当分、どこかに行く予定はたてられないだろう。というわけで、これまで映した富士山から、いいものを紹介することにした。

農鳥は、毎年5月ごろに顔を出す。田植えの時期を知らせるものとして親しまれているが、たいがいはヒヨコのようなもので、今年もそうだった。上の農鳥は2005年に出たもので、これ以上のものはそれ以降出ていない。

fuji2.jpg 富士山は登って楽しい山ではない。特に5合目まで車で行くと、後は植物のほとんどない岩山をただ登るだけになる。3776メートルという高さに上がったことと、運が良ければ御来光が拝めることぐらいだろう。だから、僕は一度しか登っていない。

ただし、5合目までの登山道は、吉田口から登ると木々が鬱蒼としていて楽しめる。富士の宮口から宝永山に行くのも面白いし、須走口の5合目から少し登ったところに春に現れる幻の川もなかなかいい。


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とは言え、富士はやっぱり湖から眺めるのがいい。たとえば西湖でカヤックに乗って眺める富士。河口湖に映る逆さ富士。氷結した精進湖からの富士。そして夕日が沈んだ後の富士。

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そして何よりいいのは、周囲の山から見た富士山だ。一番は新道峠から見た富士山だが、ここには最近デッキができて、専用バスで大勢の人が見に来るようになった。雪が風に飛ばされて東側に溜まった富士を愛鷹山から。毛無山から見た大沢崩れの激しい富士。そして我が家の裏山から見える富士。

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最後に笠雲のかかった富士を挙げておこう。雨の前触れとして知られていて、時にびっくりするほど大きくなる。

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2022年5月30日月曜日

バイデンは横田から日本に入った

 

バイデン米大統領が横田から日本に入った。首都東京に迎える外国の要人が使うのは、通常では羽田か成田だが、トランプ前大統領に続いて今度もまた、米軍基地の横田からだった。メディアの多くはそのことに批判を向けることもせず、歓迎のメッセージを並べ立てた。日本の中にある米軍基地とは言え、そこから大統領が日本に入るのは、ずいぶん失礼なことだと思う。玄関からではなく、専用の裏口からというのだから。占領時にマッカーサーが厚木に降りたのと変わらないのである。

同様のやり方で基地のある自治体、とりわけ沖縄が大きな被害を受けたことが、あったばかりなのである。米軍基地に配属される米兵等が、コロナの検査を受けずにやってきて、基地と町を自由に行き来したために、沖縄の感染者数が激増した。それが明らかだったのに、日本の政府はアメリカに対して、強い態度を示せなかった。日米間の地位協定を理由に挙げたが、これを機に改訂しようとする動きも起こらなかった。アメリカには何も言えない。そんな卑屈な態度があからさまになったが、たいして議論にもならなかった。

バイデン大統領と岸田首相との会談で、日本の防衛費を増額することを認めてもらったといった趣旨の報道があった。倍増せよといった主張が出たのはロシアのウクライナ侵攻があって以降で、安倍元首相がしきりに強調し、自民党内から賛同者が出て,首相も前向きに検討することにしたのだが、それがアメリカからの要請であることも明らかだった。台湾を守るために対中包囲網を敷くというアメリカの戦略に、日本政府はしっぽを振って賛成してきたのである。

日本は中国との国交回復の際に,台湾を中国の領土だと認めている。だから中国と台湾の関係は内政問題なのだが、政府の対応はこれを無視しているかのようだ。また、現在日本の経済関係を見れば、貿易相手国の一番は中国であって、対アメリカの1.4倍にもなっている。しかも輸入についてはアメリカの2倍以上になっている。何を買っても中国製といった現状からみれば、関係がこじれて貿易が止まれば、困るのは日本の方なのである。

仮に、中国が台湾に侵攻して、アメリカが台湾に加勢し、日本も参戦したとしたら、一体どうなるのか。戦場になるのは台湾だけではなく、中国本土と朝鮮半島、そして日本ということになるだろう。敵基地攻撃の必要性などといった発言が目立つが、日本がウクライナのようになることを想定しているとはとても思えない。国が焦土と化し、多くの人々が傷つき、死に、飢える様子が、なぜ想像できないのだろうか。

安倍政権以降の政府の姿勢が、アメリカの傘の下で、戦前回帰と思われるほどのナショナリズムをあからさまにしていることは言うまでもない。憲法を変え、核兵器を持ち、中国に対抗できる国にする。今回のバイデン訪日は、それが何よりアメリカにとって好都合な戦略であり、属国である日本が当然受け入れるものであることを、あからさまにした機会だった。しかし、こんな声が野党からもメディアからも聞こえてこないのは、何とも恐ろしい限りだ。

2022年5月23日月曜日

Neil Young "Barn"

 
young8.jpg"ニール・ヤングは相変わらず精力的な仕事をしている。"Barn"はクレイジー・ホースをバックにした2年ぶりのアルバムだ。古いライブや未発表音源を次々発売して、また出たかという感じだったが、このアルバムはなかなかいいと思った。

タイトルの"Barn"は納屋の意味だが、録音したのはコロラドから近いロッキー山脈のどこかにある古い納屋で、それを修復してレコーディング・スタジオにした。アルバム・ジャケットには夕焼けに映えるログの納屋が描かれていて、入り口にメンバーが並んでいる。YouTubeには"A Band A Brotherhood A Barn"というタイトルで、その録音風景や、納屋周辺の風景が収録されている。隙間から太陽が差し込むような納屋での録音だから、録音の環境としてはよくないのだろうが、おもしろい試みだと思った。

このドキュメンタリーは現在のパートナーである女優のダリル・ハンナが監督をしている。結婚したのは2018年で、36年連れ添い2014年に離婚した前妻のペギー・ヤングは、2019年に癌で亡くなっている。二人の間には障害を持つ子どもがいて、ブリッジ・スクールを一緒に運営していた。彼女自身もミュージシャンで、ニールのステージでバックコーラスなどもしていた。離婚後の彼女はつらかっただろうと勝手に思ったりするが、どうだったんだろうか。

そんなことを考えながら聴くと、ヤングの複雑な気持ちを表す歌詞を見つけることができる。最後の "Don't forget love"は死んだペギーに対する歌のように思えるし、"They might be lost"は彼女と子どもたちのこと、そして "Shape of you"は今一緒にいるダリルを歌ったもののように感じられる。そんな聴き方ができるアルバムだが、気候変動に対するアメリカ政府の無策ぶりを批判する "Human race"や、エネルギー依存を批判した "Change ain't never gonna"、あるいはカナダ生まれでアメリカ人になった自らの経歴を歌った "Canerican"なんていう歌もある

クレージーホースをバックにしているが、半分はソロに近い静かなもので、半分はロックしている。全員爺さんばかりだが、ヤングの声は今でもボーイ・ソプラノのままだ。長年歌い続けてきて、これからもまだ歌い続ける。そんな表明の歌もあって、聴いていると心が休まる気になった。

今こそ、古い歌を歌おう
君が聴いたことがある歌だ
君の心の窓をゆっくり開く (Welcome Back)

2022年5月16日月曜日

断捨離について思うこと


五木寛之が『捨てない生き方』(マガジンハウス)を出して、その「断捨離」考について毎日新聞に寄稿しています。それによれば、彼の「捨てない生き方」の根拠は「どれひとつとっても,それを手に入れた時の人生の風景,記憶が宿っている」からということにあるようです。それらに囲まれて暮らすことこそ豊潤な時間で、過去を思い出すことでこそ心が生き生きして明日への活力になるというのです。ここにはもちろん,使い捨ての風潮に対する批判や、敗戦時に平壌にいて、自らが棄民になったという体験が加わります。

僕はこの意見にわが意を得たりと思いました。「断捨離」はわが家でもやるべきこととしてパートナーから言われています。しかし、そうすべきだと思うがなかなか捨てられないでいる自分がいる一方で、いや、そうではないのではという気持ちもまた捨てられないでいたからです。過去の思い出がよみがえるようなものは捨てる必要はない。新聞を読みながら、思わずそう呟きたくなりました。だから捨てるのは、当分やめておこう。そんな気にさせる意見でした。

ところが先日、僕の従兄弟が亡くなって、その後始末に出かけることになりました。彼は独身で身寄りがなく、火葬に出席したのは僕ら夫婦と甥っ子、それに身の回りの世話していた友人だけでした。そのお骨をもって家に着くと、どの部屋もモノだらけで、段ボール箱がうずたかく積まれて、足の踏み場もないほどでした。彼は白血病を病んで、ここ数年入退院を繰り返していましたから、訪ねた時はもちろん、メールのやり取りでも、「「断捨離」をして片づけておいた方がいいと繰り返してきました。しかし、モノはますます増えるばかりで、ここ数ヶ月の間にも,新しく買ったものや,新たに集めた資料などがあったようです。

彼は映像やアニメの専門家でしたから、それに関連する書籍や漫画本、ビデオやDVDがうずたかく積まれています。おそらく、資料として貴重なものも少なくないはずです。しかし、それを大事だと思う人に寄贈するにも、どこに声をかけたらいいのかわかりません。探しても遺書はもちろん、それらしい連絡先もわからないのです。おそらくまだまだ生きられると思っていたのでしょう。病院での化学療法などについてのメールを読むと、いつ死んでもおかしくないことはよくわかりましたが、本人だけはそう思っていなかったのかもしれません。

さて後始末はどうするか。甥っ子や友人と途方に暮れる思いで、当座のことを話して別れました。死んだ本人にすれば、どれもこれも捨てられない思い出深いもの、貴重なものだったのかもしれません。しかしそれほど縁が深いわけでもない僕らから見れば,すべてはゴミ同然でしかないのです。ですから、ほとんどはゴミとして処理するようになるのだと思います。

僕は今回の経験で、死が近づいてきたと実感できる頃になったら、自分の意思で、思い切って捨てておくべきだろうとつくづく思いました。我が家には数千の蔵書やCDがあります。そのほとんどはもう読みもしないものですし、CDは全曲パソコンに入れてありますから、処分しても困らないものなのです。Amazonに店を開いて,この際売ってしまおうかとも思いますが、それもまた面倒な話です。とりあえずは書類や雑誌、小冊子の類いから捨てることにしようか。そう思いはじめていますが、ひとつひとつ手に取ると、過去がよみがえって、やっぱり残しておこうと思うかもしれません。

何もなければまだ当分生きることになるでしょうから、まあぼちぼち、少しずつ。そんな言い訳をしている自分に呆れるやら、納得するやら。