2022年11月28日月曜日

新聞購読やめようかな?

 

毎朝、新聞をトイレで読む。もう何十年も続けてきた習慣だが、読みたい記事がほとんどないと感じることが多くなった。安倍政権に押さえつけられ、忖度してろくな批判もしない。そんな態度に見切りをつけて、長年購読してきた朝日新聞をやめて毎日新聞に変えたのは3年ほど前だった。少しはましな記事があるかなと思っていたのだが、やっぱり物足りない。

大臣を務める政治家の不祥事が続いているが、それを記事にしたのはほとんどが週刊誌だ。新聞は国会で問題になってから後追いする。記者の数が桁違いに多い新聞は一体何をやってるんだ、と言うことが多くなった。おそらく記者が取材をしても、記事にならないことが多いのだと思う。で、優秀な記者が次々辞めていく。僕はそんな経過でフリーになったジャーナリストの発言や記事をネットで聞いたり読んだりすることが多くなった。(→「ニュースはネットで」

たとえば、オリンピックにまつわる疑惑は、安倍元首相が凶弾に倒れ、重石がとれたことによって活発化した。その検察の捜査について、新聞は大きく取り上げようとはしなかった。それは新聞大手がこぞってオリンピックのスポンサーになったからだった。これはもちろん前代未聞のことで、そんなことをすれば、問題が起きても批判しにくくなるのは明らかだった。「オリンピックは電通の、電通による、電通のためのイベントである。」これは本間龍が書いた『東京五輪の大罪』の結論だが、どの新聞も電通批判などまったくしていない。もうぐるになっているとしか思えないのである。その電通にやっと検察が入った。どこまで行くのか楽しみが増えたが、新聞には期待していない。

実際、新聞社はどこも購読者数を減らしているようだ。当然、経費削減を実行しているわけだが、購読している毎日新聞では、今年から地方面が山梨単独から長野・静岡と一緒になった。おそらく支社の規模を小さくして、記者も減らしたのだろうと思う。隣接県とは言え、馴染みのなさは否めないから、読み飛ばすことが多くなった。とは言え、県域紙に変えようとは思わない。

もちろん、紙媒体としての新聞が凋落傾向にあるのは地方紙も一緒だし、世界的な現象でもある。アメリカでは大手の新聞社がネットに乗り換えて成功しているようだが、日本では、その点でも遅れている。毎日新聞は購読していればネット版も読むことができるが、特にアクセスしようとは思わない。ネットでなければできないものがほとんどないからだ。

僕は一応、メディア論を研究テーマの一つにして、大学で講義などもしてきたから、新聞とは最後までつきあわなければいけないかな、と思っている。しかし、読みごたえのなさがあまりにひどいから、こんな気持ちもいつまで続くのやらと考えてしまう。


2022年11月21日月曜日

ツーブロック禁止って何?

 

haircut1.jpg"朝新聞を読んでいたら、「ツーブロック禁止 必要?」という見出しの記事を見つけました。「うん? ツーブロックって何?」と思って記事を読んでいくと、最近はやりの髪形で、もみ上げと耳のまわりを刈り上げるカットだと言うことがわかりました。そう言えば最近の若者の髪形は刈り上げが普通で、カットの仕方もいろいろであることは気づいていました。男の髪形が極めてバラエティに富んでいるのは、MLBの選手で見慣れていました。スキンヘッドに肩まで伸びた長髪、モヒカン刈りやデッドロック、三つ編み、そして長く伸ばしたヒゲなど、やりすぎだろうと言いたくなる選手が少なくないのです。

twoblock1.jpg"・それに比べたら「ツーブロック」などはおとなしいものですが、日本ではそれを禁止する高校が多数あって、問題化していると言うのです。そう言えば、これまでにも校則のおかしさについてはいろいろ指摘されていて、髪の毛は黒、靴下は白、女子生徒のスカート丈など事細かに決められているのです。そもそも中高生は制服が当たり前といった規則が健在なのが不思議ですが、それをさらに細かく規制しているのは、一体何のためなのか疑問に感じます。

僕は都立高校に通いましたが、制服ではなく私服でした。ロック音楽やヒッピーが流行った時代で、僕も長髪にしていましたが、教師に叱られることはありませんでした。都立高校の中には、今でも制服なしで髪形にも規制がないところがあるようです。この記事には都立高校の先生の意見もあって、制服が大人の価値観の強制であって、「(生徒に)自分たちで考えて行動してもらうということが原点です」という意見が紹介されていました。

制服は、それが軍隊から始まったことからわかるように、統率を取りやすくするために考案されたものでした。その有効性が認められると、次に工場労働で働く人や学校に採用されましたが、それはあくまで管理する側にとってのものでした。集団にとっては個々の個性を認めることは管理を難しくします。しかし、教育の場は、軍隊とは違って、生徒がそれぞれ自らの個性を見つけ、それを伸ばす機会でもあるのです。「ツーブロック」のようなほんの少しの工夫すら認めたくないという発想には、個性を育てると言った考えがまるでないことが明らかです。

そのことはおそらく、自分で考え、行動するといった生徒の内面的な成長に対する無関心にも繋がっているはずです。と言うよりは、生徒に勝手に考え、行動されたらかなわないとする発想が強いと言えるでしょう。たとえば、「CNN.co.jp」の記事に、今回の中間選挙で「若い有権者がいなければ、米民主党は大敗していた」という記事がありました。アメリカの多くの学校には制服などはなく、選挙についても授業で積極的に議論することをカリキュラムに入れています。銃規制の必要性やLGBTQの権利にも自覚的な若者層にとって、保守反動回帰を主張するトランプは反対すべき相手です。この記事では45歳を境目にして、それ以下は民主党で、高齢になれば共和党支持になっていることが指摘されています。

アメリカでは若者層をZ世代(1996年以降の生まれ)やミレニアム世代(2000年以降に成人)と呼んで、社会の不正や人権、そして地球の温暖化などについて意識が高いことが指摘されています。しかし日本では、若者層は保守的で、政治にも無関心だと言われています。その理由を若者たちの意識の低さに求めることは容易ですが、個性を育てることをしない教育の場にこそ、その原因を求めるべきではないか。「ツーブロック禁止 必要?」と言う記事を読んで、そんなことを強く思いました。

2022年11月14日月曜日

Jackson Browne, "Downhill from Everywhere"

 
jacksonbrowne3.jpg" この名前で取り上げるのは2回目だ。ジャクソン・ブラウンがコロナに感染して、アルバム制作が中断したために、2曲だけのシングル盤が先に出たためだった。アルバムだと思って購入してがっかりしたが、その後アルバムが出て、やっぱり買うことにした。すでにメインの曲は紹介しているから、また取り上げるのは止めようと思っていたが、来年三月に日本で公演をやると言うニュースを見て、やっぱり書くことにした。

アルバム・タイトルの「Downhill from Everywhere"」については前回、次のように紹介した。「海に流れ込む、プラスチックその他の人間が捨てたゴミを歌ったものである。ゴミは学校から、病院から、ショッピングモールから等々、あらゆるところから流れ下る。歌詞の大半はその「~から」を列挙したものになっている。引力に従って行き着く先である海を、私たちはどこまで自分のこととして考えているのだろうか。私たちが生きていくのに、海がいかに大切かということを。プラスチックは海に流れ下ることで細かく粉砕される。それを魚が食べて、また人間に返ってくる。この歌はドキュメンタリーの"The Story of Plastic"でも使われている。」

その他の曲も強いメッセージが込められているものばかりだ。トランプ前大統領の移民政策に抗議した"The Dreamer"、地震に襲われたハイチ復興支援として作られた"Love is Love"、人種差別を抗議し、公平であることの大切さを訴える"Untill Justice is Real"、エイズ病棟をドキュメントした映画『5B』に提供された”A Human Touch"などだ。ジャケットには巨大なタンカーが写っているが、これは原油流出事故後にバングラデシュに移送されて解体されたものだという。

他方で、彼本来のものである自省的な歌もある。シングルカットされた"A Little Soon To Say"については、前回次のように紹介した。「今の状況に対する自分の戸惑いを歌っている。地平線の向こうが見えない、明かりに照らされた道の向こうが見たいんだけど、とつぶやき、すぐに決断しなければならないのに、情報があまりに少なすぎる、とつづく。今の病を乗り越える道を照らしたいし、できると思いたいが、そう言うにはまだ早すぎる。」

人工心臓を手術して無敵だと歌う"My Cleveland Heart"と、心が裂けるようだと歌う"Minutes to Downtown"など、自分の揺れ動く心を描く姿勢も健在だ。で最後はバルセロナ讃歌の"Song for Barcelona"。ここでも自分の魂に火をつける街と歌う反面で、愛する世界が見つけられなくなってしまうと揺れている。

ジャクソン・ブラウンのコンサートには2015年に出かけた。その時の様子は「ジャクソン・ブラウンのコンサート」に書いている。また聴きたいと思うのだが、コロナ禍で人混みは避けているから諦めている。

2022年11月7日月曜日

村瀬孝生『シンクロと自由』(医学書院)

 

僕の両親は10年前に老人ホームに入り、父は数年前に亡くなって、母はまだお世話になっている。コロナ以降会えずにいて、直近の記憶が怪しくなっていたから、今会っても、僕のことはわからないかも知れない。淋しい思いをしているのではと考えたりもするが、子どものことがわからなくなっているなら、それも感じないのかもしれない。いずれにしても、老人の介護は大変で、それを免れているのは、正直なところ助かっている。

murase1.jpg 村瀬孝生の『シンクロと自由』は介護の現場におけるレポートだ。介護現場では、どうにもならない認知症の老人に対して、我慢の限界を超えて暴力を加えてしまうことがあるようだ。犯罪のように扱われるが、そうなることはあるだろうな、と思うことが少なくなかった。そうならないために、介護する人はどうしたらいいか。この本に書かれているのは、介護する人とされる人が右往左往しながらも、やがて互いの心が通じ合う瞬間に出会うという物語だ。それがまるで漫才のぼけと突っ込みのようにして語られていて、面白いと思った。

食事を食べてくれない。どこにでも排泄してしまう。身体を触られるのを拒絶する。預金通帳が無くなったとくり返し言う。夜中の徘徊。家に帰ると言って聞かない。それを無理やり強制したり、叱ったりするのではなく、なぜそうするのかを探り当てようとする。そうするとその原因が分かり、改善する方法が見えてくる。何かを教えるのではなく、逆に教えてもらう。そんな発想の大切さが「シンクロ」ということばでくり返し語られている。

そんな発想は「自由」と言うことばにも及んでいる。不自由な身体には新たな自由がもたらされているはずだし、時間や空間の見当がつかなければ、そこから解放されてもいるはずだ。子どものことがわからなければ、親の役割も免じられているし、忘れてしまえば毎日が新鮮になる。「それらは私の自己像が崩壊することであり、私が私に課していた規範からの解放でもある。私であると思い込んでいたことが解体されることで生まれる自由なのだ。」

father1.jpg この本を読んで、この欄で紹介しようと思っていたら、たまたまアンソニー・ホプキンス主演の『ファーザー』をAmazonで見た。認知症が進んで、徐々に昔の記憶が薄れ、娘や近親者との関係があやふやになっていく。その過程を、主人公と周囲の人の両方の立場から描いていて、そのリアルさに引き込まれた。老人はやがて自分が誰だか分からなくなっていくが、映画ではそれがつらいこととして結論づけられる。

『シンクロと自由』と『ファーザー』は、心や身体の解体をまったく異なる視点で捉えている。心や身体がまだ正常だと思っている立場からは、映画の方にリアルさを感じるが、実際にそうなった時の自分を想像した時には、それが新たな自由に思える心持ちになりたいものだと感じた。

2022年10月31日月曜日

秋の恵みと冬の準備

 

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2年不作だった栗の木が、今年はたくさん実をつけた。自転車に乗って行ったから、ジャージーの背中やパンツのポケットにいっぱい詰めて帰ってきた。これで栗ご飯が何度も食べられるし、正月の栗きんとんもできる。夏に買ったとうもろこしももいで冷凍にしてあるし、旅先で買ったギンナンも冷凍にした。秋の恵みを一年中食べられるから贅沢この上ない。

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薪ストーブを燃やす時期が近づいたからと原木を注文した。ところが一昨年と同様また品切れだと言う。これは困ったと思ったが、野ざらしになったやつでもよければと四立米だけ届けてもらった。例によってチェーンソウで玉切りし、斧で割って積み上げた。これだけあれば、何とか次の冬まで持つかも知れないが、節約して使わなければならない。来年の春までに次の原木が手に入ればいいのだが、手に入りにくい傾向が続くと、入手法方を探さなければならなくなる。

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forest187-7.jpg 天気がいい日は薪割り優先なので、自転車にはあまり乗っていない。この作業が済んだらと思っているが、紅葉の季節になって平日でも観光客の車が走っている。いろいろ割引があるせいか久しぶりの混雑だ。
たまには山歩きもしようと、精進湖のパノラマ台に行った。往復3時間ほどだが、久しぶりできつかった。西湖の紅葉台は往復一時間ほどだから楽勝だ。ちょうど富士山に雪が降った後だったから、いい写真が撮れた。やっぱり富士には雪が似合う。この季節になるといつもそう思う。

2022年10月24日月曜日

能登半島小旅行

 


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朝日に映える八ケ岳


今年はどこにも出かけなかったが、パートナーの誕生日だけはと能登半島に行くことにした。出発時は雨で、八ケ岳に近づく頃には晴れてきた。アルプスは雲に隠れていたが、手前の山は紅葉が進んでいた。やっぱり晴れ男・女だと思ったのだが、糸魚川が近づくあたりから雲行きが怪しくなり、日本海沿いを走ってる時は土砂降りの雨になった。親不知の海岸で翡翠を見つけはじめたのだが、雨で諦めた。どこにも寄れないと思ったが、魚津の埋没林博物館を見つけて立ち寄った。和倉温泉のホテルから向かいの能登島を眺める。天気は回復して夕焼けが鮮やかだった。

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二日目は能登半島を一回りした。まず能登島に渡り、そこから半島の先端に向けて走った。能登に来たのは大学生の頃以来で半世紀ぶりだった。半島最先端の狼煙集落にある禄剛崎灯台にはその時にも来たのだが、きれいに整備されていて、あまりの様変わりに驚いた。その後は塩田と千枚田に寄り、時間が遅くなったので、輪島はパスして金沢まで走らせた。途中、千里浜なぎさドライブウェイを走って金沢へ。

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三日目は金沢のホテルを出てすぐ高速に乗った。東海北陸道から高山に行って、安房峠から松本に抜けるつもりだったのだが、白川郷で降りて、そのまま下道を走って御母衣湖を過ぎたところで高速に戻ったために、おかしいと思った時には郡上八幡まで来てしまった。仕方がないので東海環状道から新東名経由で帰った。大回りしたために、全行程は1100kmにもなってしまった。久しぶりの長距離運転でぐったり。

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2022年10月17日月曜日

『MINAMATA ミナマタ』



minamata.jpg" ジョニ・デップが主演する『MINAMATA ミナマタ』は、制作をするというニュースを聞いてから、是非見たいと思っていた。それを見たのはもちろん、Amazonでだ。普段なら無料で見られるものしか見ていないが、これは別。水俣病にはずっと関心を持っていたし、ユージン・スミスと活動を共にしたアイリーンは、ユージンの死後京都で暮らしていて、ちょっと知っている人だったからだ。

『MINAMATA ミナマタ』は、熊本県水俣市に発生した「水俣病」をテーマにしている。高度成長期に起きた公害で日本の四大公害病と言われている。「チッソ水俣工場」による排水が不知火海を汚し、そこで取った魚を食べた人や産まれた子どもが発症した病気で、身体の痙攣や変形が症状として起きるものである。「チッソ」はその関連性を否定し続けてきたが、公害を告発し追及する運動が根強く続き、裁判で認定されたのは、ユージン・スミスが水俣に住み着いて写真を撮り続けて来た時期に重なっている。

minamata2.jpg" ユージン・スミスが水俣で撮った写真は「入浴する智子と母」が有名だ。1972年の『ライフ』に「排水管からたれながされる死 ―水銀中毒が日本の村を破壊する―」と題されたエッセイとともに発表され、水俣病が世界中に知られるきっかけになった。その写真も含めて『写真集 水俣』(三一書房)が出版されたのは、スミスが死んだ2年後の1980年だった。なお、この写真集はその後も普及版などが出されたが、映画の公開に合わせて『MINAMATA』(Creviis)が出版されている。

『MINAMATA ミナマタ』は水俣ではなく、日本の他の地でもなく、セルビアとモンテネグロで撮影されている。水俣市やチッソが反対したのかと思ったが、1970年代とは様変わりした水俣市には撮影に適した場所がなかったというのが理由のようだ。また映画には当然、多くの日本人が登場するが、一部の俳優以外はヨーロッパに在住したり滞在していた人たちを募って集めたということだった。そのモンテネグロのティヴァトの町に再現された舟小屋や居酒屋、そしてユージンの使った暗室は、そう言われなければわからないほど自然なものだった。

で、肝心な映画だが、かつては報道写真家として活躍していたスミスがニューヨークで酒に溺れた孤独な生活をしているところから始まっている。そこにアイリーンが来て、水俣病の話をして、二人で水俣に行くことになる。人生にもカメラにも絶望していたスミスが、水俣の人たちと親しくなり、病気の残酷さやチッソや日本政府の冷淡さに直面して、実情を写真で世界に伝えることを決心するのである。

『MINAMATA ミナマタ』はまるでドキュメントのように作られている。病に苦しむ人たちが入院している病院に潜入して、その変形した身体や痙攣している様子を写真に収め、チッソ工場前での抗議の座り込みでは、スミス自ら暴行を受けて負傷してしまう。写真の公表を抑えるために金を持ちだすチッソの社長とスミスとのやり取りもあって、ジョニ・デップはすっかりユージン・スミスになりきっていて、デップのすごさを改めて見た気がした。

映画はもちろん、日本でも公開されたが、それほど話題にもならなかったようだ。正確な数字は分からないが、ジョニ・デップの他の映画に比べたら、観客動員も桁違いに少なかっただろう。ただ、ネットでは見られるから、ぜひ見て欲しいと思う。何より大事なのは、水俣病は過去の話ではなく、現在でも国やチッソを相手に闘われている問題なのである。