2024年11月18日月曜日

StereophonicsとKelly Jonesの新譜

 

stereophonics8.jpgこの欄で新譜を紹介するのはほぼ1年ぶりである。それも偶然見つけたもので、2枚見つかった。ステレオフォニックスの"Oochya"は2022年に出されている。珍しくにぎやかな曲ばかりが収められていて、静かな曲の多かった前作の"Kind"とは対照的だ。その代わりなのか、今年、リーダーのケリー・ジョーンズはソロ・アルバムを出している。こちらは自分でピアノを弾きながら歌うというもので、今までとは全く違うものになっている。

'Oochya'はバンドの中で使っていたことばで、「よっしゃ、やろう」といった意味があるようだ。そのタイトル通り、このアルバムのテーマは初心にかえって、がつんとロックをやろうということだった。デビューからすでに30年近くになるから、バンドのメンバーの多くもすでに50歳を超えている。若い頃に帰ってにぎやかにといったサウンドだが、シングルカットされてイギリスで1位になった「フォーエバー」には、若い人たちに助けの手を差し出すといったおもむきの歌詞がある。

君の痛みを引き受けて、君を自由にできたらと思う
永遠に飛び去っていけたらいいんだけど

kellyjones1.jpg ケリー・ジョーンズのソロアルバム『Inevitable Incredible』は冒頭の曲の題名だが、「途方もなく避けがたく」は歌の中では「君は避けられないし、途方もない」となっていて、思い通りにはならないが、またいなくては困る存在だというラブソングになっている。ハスキーな声で悲しげに歌うトーンは他の歌にも共通していて、どの歌にもストーリーがある。それは、このアルバムに並んだ曲名からも分かる。

「May I come home from the war」(戦争から帰れるように)、「Turn Bad Into Good」(悪いことをよいことに変えよう)、「Time’s Running Away」(時間は過ぎ去る)、「Echowrecked」(こだまする破壊)、「Monsters In The House」(この家の怪物)、「Sometimes You Fly Like The Wind」(時には風のように飛んで)、「The Beast Will Be What The Beast Will Be」(この獣はどうなる、どうなるだろう)

それにしても、元気で活躍中のバンドやミュージシャンが少なくなった。もちろん、僕がよく聴いていた人たちに限っての話だ。若いと思っていたケリーも50代になっている。そういえば、彼より若いミュージシャンを僕は何人知っているだろうか。すぐには思いつかないほど少ないから、新譜を見つけるのはもっともっと難しくなるだろう。何しろ最近のはやりの音楽には全くついていけないのだから。

目次 2024

11月

18日 StereophonicsとKelly Jonesの新譜  

11日 レベッカ・ソルニット『ウォークス』 左右社  

4日 ドジャースがワールドシリーズ制覇!  

10月

28日 補聴器を試してます 

21日 CopyTrackにご用心!  

14日 それにしても雨が多い  

7日 クリス・クリストファーソンについて  

9月

30日 J.マッケイド『おいしさの人類史』河出書房新社  

23日 母の死  

16日 気になる二人のYouTuber  

9日 総裁選・代表選という愚挙にうんざり  

2日 賢いネズミに降参だ!  

8月

26日 テイラー・スイフトを聴いてみたが………  

19日 パリと長崎    

12日 透き通った窓ガラスのような散文    

5日 またTVはオリンピックばかりだ    

7月

29日 保険料金の高さにびっくり!   

22日 伐採後の作業が大変!    

15日 異常な暑さが当たり前になってきた   

8日 宮本礼子・顕二『欧米に寝たきり老人はいない』 中央公論新社    

1日 国会が終わり、都知事選が始まったけれど………  

6月

24日 ケネディ・センター・オナーをYouTubeで見る 

17日 観光スポットに異変あり! 

10日 見事な伐採作業!  

3日 とんだ1泊旅行だった  

5月

27日 田村紀雄監修『郡上村に電話がつながって50年』クロスカルチャー出版  

20日 SNSはもうやめた  

13日 ポール・オースターを偲ぶ  

6日 いろいろと忙しい日々  

4月

29日 地震対応に見るこの国のお粗末さ  

22日 散々な一日  

15日 エドワード・E.サイード 『オスロからイラクへ』『遠い場所の記憶 自伝』  

8日 大谷騒動とメディア  

1日 ライブの記録はいつからOKになったのか 

3月

25日 春よ来い! 

18日 株だけが高いのはなぜ?  

11日 「山を歩く」は意外なこと 

4日 深澤遊『枯木ワンダーランド』築地書館  

2月

26日 TVにもの申す市民ネットワークを  

19日 小澤征爾逝く  

12日 原木入手と倒木騒ぎ  

5日 国政を改革する法律は国会議員には作れない  

1月

29日 災害対応のお粗末さに想うこと  

22日 中村文則『列』(講談社) 

15日 お正月に見た映画  

8日 ビリー・ジョエルが東京ドームでやるそうだ  

1日 また一つ歳をとった


2024年11月11日月曜日

レベッカ・ソルニット『ウォークス』 左右社

 

solnit1.jpg レベッカ・ソルニットの『ウォークス』は副題にあるように、歩くことの歴史を扱っている。歩くことは人間にとってもっとも基本的な動作なのに、それについて本格的に考察した本は、これまで見かけたことがなかった。山歩きが好きで興味を持って買ったのだが、500頁を超える大著でしばらく積ん読状態だった。この欄で何か取り上げるものはないかと本棚を物色して見つけて、改めて読んでみようかという気になった。そこには、最近歩かなくなったな、という反省の気持ちもある。

人類は二足歩行をするようになって、猿から別れて独自の進化をするようになった。直立することで脳が発達し、手が自由に使えるようになったのである。アフリカに現れたホモサピエンスは、そこから北上してヨーロッパやアジア、そしてアメリカ大陸の南の果てまで歩いて、地球上のどこにでも住むようになったのである。それは言ってみれば二足歩行が実現させた大冒険だったということになる。

『ウォークス』はもちろん、そんな人類の進化の歴史と歩くことの関係にも触れている。しかし、この本によれば、人間が歩くこと自体に興味を持ったのは、意外にも近代以降のことなのである。どこへ行くにも何をするにも歩かなければならない。だから馬や牛、あるいはラクダにまたがり、車を引かせ、船を造って海洋を移動できるようにしてきた。要するに歩くことは苦痛で、移動には時間がかかりすぎるから、人間たちは歩かずに済む工夫を長い歴史の中でいろいろ考案してきたのである。

歩くことに意味を見いだしたのはルソー(哲学者)やワーズワース(文学者)だった。町中を歩き、人とことばを交わし、道行く人を観察する。あるいは山や川、あるいは海の美しさを再認識して、自然の中を歩き回る。そこにはもちろん、歩きながらの思考や発想の面白さがあった。ここにはほかにもH.D.ソローやキルケゴール、ニーチェ、あるいはW.ベンヤミンやG.オーウェルなどが登場するし、奥の細道を書いた松尾芭蕉にも触れられている。さらには風景画を描き始めた画家たちも入れなければならないだろう。

そんなことが影響して、普通の人たちも、街歩きの楽しさや自然に触れる素晴らしさを味わうようになる。しかし、道路には歩くスペースがほとんどないし、山や野原は地主によって入ることが制限されていたりする。歩道を作り、屋根付きのアーケード(パッサージュ)ができる。あるいは散歩を目的にした公園が街の設計に欠かせないものになる。また私有地に歩く道を作ることがひとつの社会運動として広まったりもした。近代化にとって歩くことが果たした意味は公共性をはじめとして、あらゆる意味で大きかったのである。

自然の中を歩くことへの欲求は、次に山を登ることに向かうことになる。アルプスの山を競って踏破し、やがてヒマラヤなどの世界に向かう。歩くことは文学や美術に欠かせないものになり、またスポーツにもなるのだが、それはまた旅行の大衆化を促進することにもなった。

歩くことはまた、近代以降の民主政治とも関連している。人々が何かを訴え主張しようとした時に生まれたのは、デモという街中を行進する行為だった。環境問題や性差別について発言する著者はサンフランシスコに住んで、そこで行われるデモに参加をしている。言われてみれば確かにそうだ。そんなことを感じながら、楽しく読んだ。

もっとも、あまり触れられていない日本についてみれば、芭蕉以前に旅をして歌を詠んだりした人は平安時代からいたし、お伊勢参りや富士講は江戸時代以前から盛んになっている。修業で山に登った人の歴史も長いから、近代化とは違う歴史があるだろうと思った。

2024年11月4日月曜日

ドジャースがワールドシリーズ制覇!

 

ドジャースが優勝した。大谷選手にとって7年目にしてやっと手にするチャンピオンリングである。MVPを2度も取ったのに勝ち越しすらできなかったエンゼルスから移籍して1年目の快挙だった。プレイオフに出るまで最多の試合を経験した選手だったというから、彼の喜びは大変なものだろうと思う。しかし、彼についてはまた別に書くことにして、今回は彼やドジャースに対するメディアの対応について考えてみたいと思う。

アメリカでは野球はすでに一番のスポーツではなく、アメリカン・フットボールやバスケットの後塵を拝していると言われている。オールスター・ゲームやワールドシリーズでもテレビの視聴率は低く、それも年々下がっていると言われてきた。それが今年はドジャースとヤンキースのワールド・シリーズになって、視聴率も大幅に回復したようだ。大谷とジャッジというMVP有力選手が出ることもあって、事前の盛り上がりは例年とは違うものになった。

それは日本でも同様だった。日本シリーズがワールドシリーズと同じ日程で行われたのだが、NHKの7時のニュースではワールドシリーズの結果を取り上げて、同時刻に行われていた日本シリーズには全く触れなかった。MLBの中継は主にNHKのBSで行われたが、ワールドシリーズについてはフジテレビが地上波で中継した。ライブは午前中だったから、フジテレビは夜のダイジェストで再放送をしたようだ。ところがそれが日本シリーズと重なって、NPB(日本野球機構)はフジテレビの取材パスを没収したようである。

ただでさえ陰に隠れてしまっているのに、さらに邪魔をされた。NPBはそんな仕打ちに腹を立てたのだと思う。何しろフジテレビは日本シリーズの別の試合を中継しているのである。フジテレビと言えば、大谷選手の新居を探して、場所が特定できるような放送をして、ドジャースから取材拒否を宣告もされている。そこには、どんな影響が出ようと視聴率さえ取れればいいんだといった態度があからさまなのである。当然だが、大谷選手はフジテレビのインタビューを拒否したようだ。

とは言え、大谷選手の人気がテレビの視聴率やCMに大きな影響を与えていることも事実である。何しろ彼は10年で7億ドルの契約を結んだが、その大半は後払いで、山本選手などに払うお金を融通したのである。それは彼が日本の企業などと契約した額が、彼が手にする年俸を超える程だったからだと言われている。そしてスポンサー契約はドジャース自体にももたらされて、広告や入場者数やグッズの売り上げなども大幅に増加したようだ。

恩恵は、ドジャースが遠征したチームにももたらされている。普段は閑古鳥の弱小球団でも、大谷目当てに満員になった試合がいくつもあったからである。普通は他球団のグッズなど売らないのに大谷選手だけは例外にする。そんなこともあったようだ。チームは勝って欲しいけど、大谷選手のホームランは見たい。そんなアメリカでも一番人気の大谷選手が活躍したドジャースがワールドシリーズに出て優勝したのだから、その効果は来シーズンにももたらされるのだろうと思う。

ドジャースの試合を見て大谷選手の活躍を堪能したが、他方でお金にまつわる話題がつきなかったことも印象に残った。ワールドシリーズのチケット高騰や50x50を達成したボールのバカ高値などあげたら切りがないほどだった。ちなみに、ワールドシリーズの視聴者数は日本では1試合平均1210万人で過去最多だったが、同様に、台湾、カナダ、メキシコ、ドミニカでも最多だったようだ。


2024年10月28日月曜日

補聴器を試してます

 

耳が遠くなったと自覚してからずいぶん時間が経ちました。最初は大学での健康診断で指摘されたのですが、その時はもちろん自覚がありませんでした。しかし、仕事をやめる頃になると、ゼミで学生のことばが聞き取りにくくなりました。そもそも学生の声は小さいことが多いので、「もっと大きな声で!」と言っていたのですが、それが多くなりました。
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次に気づいたのは、テレビの音量についてパートナーと言い争いをした時でした。聞きにくいからボリュームを上げるとうるさいと言われる。そんなことがあって、ボリュームを上げなくても聞きやすくなるスピーカーを買いました。確かに音が鮮明になりましたし、スピーカーを僕の方に向ければより効果的でした。ただし、パートナーが話すことがわからなくて、聞き返すことがあって、補聴器を使えと言われるようにもなりました。

退職してからは人との接触がかなり減りましたから、必要だとは思わなかったのですが、母の見舞いに行って、看護士さんのことばが聞きづらいと思いました。意識がほとんどないとは言え、看護士さんは母が聞いていることを前提にして小さな声で話しました。ですから時には、ほとんど聞き取れないこともありました。これが補聴器を使ってみようかと思うきっかけになりました。

ear1.jpg で、地元の耳鼻科を探して診察を受けることにしました。そこで診断書を書いてもらって、メガネを買っている店で買おうと思ったのですが、耳鼻科には補聴器を扱う人がいて、すぐに試すことになりました。補聴器は両耳で、最低でも30万円以上もします。ですから、これがいいと思うまで、いろいろ試すことになりました。補聴器には耳かけタイプと、穴に直接差し込むタイプがありました。まだそれほどひどくはないので耳かけにということになりました。

ear4.jpg それからもう1ヶ月ほど経ちました。イヤホンのように耳を塞ぐと気になるからと、耳に入れる部分は小さいものにしたり、マスクやメガネを外す時に落ちてしまうから、ストラップを付けたりといろいろ試しています。別のメーカーの機種も試す予定ですから、決めるのはまだまだ先になるでしょう。

補聴器はただ音を大きくする集音機とは違います。新聞やテレビで宣伝していて3万円程で買えるのは集音機ですから、雑音も大きく聞こえてしまいます。しかし補聴器は聞きたい音だけが大きくなるのです。そんな説明を聞きながら試していますが、確かにテレビの音や人の話だけがよく聞こえるようになったと感じます。右(→)のように、つけていることが目立たないほど小さなものですが、それだけにうっかり落としてしまわないように、気をつけなければなりません.何しろパソコンよりも高価なものなのです。メガネに入れ歯に補聴器。道具なしには見えない、噛めない、聞こえないという境遇になりました。来年には数えで喜寿になるのです。やれやれ………。


2024年10月21日月曜日

CopyTrackにご用心!

 

このホームページは毎週一回更新している。いろいろな話題を探して書いているのだが、時にはその内容にあった画像が欲しくなる。著作権にふれないよう気をつけてネットから探していたのだが、突然、無断使用だから使用料を払えといったメールが飛び込んできた。「CopyTrack」という名称で、2枚の画像について、700ユーロ(11万円程)を払えという内容だった。悪いことをしたのだから払って当然という、極めて高飛車の文面で、ちょっと驚いてドキドキしながらネットで調べてみた。

そうすると同様のケースがたくさんあって、払った人、払わなかった人など様々だった。ネットに詳しい何人かの知人にもメールを出して、どう対処したらいいか相談したところ、よく調べてもらって、無視したらよろしいという返事だった。「CopyTrack」のサイトには、対象は営利の商用サイトであって、個人のサイトには要求しないとあった。だったら僕のホームページは対象外だから、要求には応えられないと返信した。

ところが、最初は日本語だったのに、今度は英語で、あなたの主張には応じられないとあって、同様の金額の請求が繰り返された。非営利の個人サイトであることを認めないのは大学のサーバーから発信しているせいかも知れないと思い、すでに退職して大学には所属していないこと、名誉教授の権利として、サーバーを使わせてもらっていることを書いて返信したのだが、やって来たのは問答無用の返答で700ユーロの要求を繰り返すだけだった。

文面には、払わなければ法的手段に訴えるとも書いてあったが、第二東京弁護士会 のサイトには「写真等の無断転載に関して金銭請求を代行する業者に注意を」というページがあった。それによると、無断転載に関する金銭請求には弁護士や認定司法書士の資格が必要で、それがなければ「非弁行為」として刑事罰の対象になると書いてあった。また「CopyTrack」のような非弁業者が弁護士に依頼して裁判に訴えることも違法だとあって、法的な手段を使うことはできないことがわかった。

copytrack.png「CopyTrack」からのメールは1ヶ月ほど続いたが、その後はぴたっと来なくなった。脅して払えばよし、払わなければ仕方がないが見逃してやる。この先また、何か起こるかも知れないが、今のところ、そんなやり方なんだと思っている。いずれにしても、画像の利用には十分に気をつけねばと反省した出来事だった。

「CopyTrack」にはプロの写真家やイラストレーターでなくても、誰でも登録できるようだ。たとえば僕のホームページにはすでに4000枚を超える画像が載っている。そのほとんどは僕が撮ったものだから、「CopyTrack」に登録すれば、無断で利用した人に使用料の請求がいくことになるだろう。そうすれば僕にもお金が入ってくることになるのだが、僕はプロではないから、そんな報酬が欲しいとは思わない。個人的に利用するのなら、どうぞご自由にというのが、僕の基本的な方針だからである。営利目的で使用したり、変な使われ方をしたことが分かれば、直接苦情を言ったり、損害賠償で訴えるといったことがあるかも知れないが、今のところそんなケースも見つけていない。いずれにしても、十分に気をつけること。今回の騒動で身にしみた戒めだった。

2024年10月14日月曜日

それにしても雨が多い

 

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forest204-4.jpg 今年の夏は暑かったが、雨も多かった。雨は9月はもちろん10月になってもよく降っている。そのせいか、玄関に上る階段が腐って割れてしまった。すぐに直したかったのだが、雨ではどうしようもない。応急の補修をして数日待って、ホームセンターで買った木材で作り直した。本来は125cmの長さで4枚必要だったが、木材が高騰していたので、無駄がないように切ってもらい、側壁は115cmほどで作ることにした。作っている途中で雨が降って中断、といったことが続いて、でき上がるのにまた数日かかってしまった。 ブログで調べると2020年に作り替えたとあるから4年しか持たなかったことになる。ここに住み初めて4半世紀、一体いくつめの階段なのだろうか。

forest204-3.jpg 猛暑と雨のせいか、もう時期を過ぎたはずのミョウガが突然、たくさん出てきた。2日間でこのザル二つ分ほど収穫したのだが、思わぬ贈り物だった。そういえば、8月も末になれば、いつもなら枯れるはずのミョウガの葉が、いつまでも青かった。ところが、その後はひとつも出ていないから、どうしてなのかと考えてしまった。狂い咲きと言ったらいいのだろうか。このミョウガは梅酢につけて、これから1年、食事を楽しませてくれる。ここ数年は収穫量が少なかったから、久しぶりに堪能できるだろう。

forest204-2.jpg 収穫して保存といえば栗がある。お正月の栗きんとんにはかかせないし、時折栗ご飯を楽しむことができる。去年は松本で買ったのだが、今年は須走の道の駅で手に入れた.しかし、日にちが経っていたせいか、乾いて固く渋皮も取りにくかった。早速栗ご飯にしたのだが、茶色くておいしくなかった。
そこで、西湖に行く途中にある秘密の栗の木を見に行った。毎年ではなく数年おきにたくさん実がつくのだが、今年はその豊作の年だった。ところが木のまわりの草が狩ってあって、実のない毬(いが)がたくさん落ちていた。道の奥から犬の吠える声も聞こえてきて、誰か家でも建てたのかも知れないと思った。それでも、ポシェットいっぱいとはいかなかったが、程々に収穫することができた。

forest204-5.jpg 暑い日や雨の日が続いたので、庭の整理はほとんど進んでいない。倒して積んだ松の木には、ご覧の通り雑草が繁茂している。家のまわりをちょっと歩いただけで、クモの巣に引っかかってしまう。上のような巣があちこちにあって、見つけるたびに壊している。
気温が下がり、晴れの日が続いたら庭仕事にかかろうと思っているが、いつになるのやら。他にすることがないから、雨が降っていない日には、早朝に自転車を走らせた。湖1周20kmを週2回ほどを続けているから、運動不足にはならないでいる。それにしても午後になると、暑さもどこ吹く風で、主に白人たちがレンタル自転車を楽しんでいる。交通量も多いから危ないなと思いながら、クルマで追い越すことが多い。